第二章18 繋ぐ願い
それからのことは、呆然としているうちに過ぎていってしまった気がする。
まず、涼香の喉は割とすぐに治った。
普通に喋ることができるようになり、そこからの通院はカウンセリングのみになった。
しかし、涼香は歌うことができなくなってしまっていた。
声は出る。喋れもする。だが、歌おうとすると途端に喉が絞めつけられたようになり、声が全く出なくなってしまうのだ。
外傷的な要因は見受けられないので、精神的なものだということだ。それは、涼香にもなんとなく分かっていたが。
歌音はその後精神を病み、遠くの町へ引っ越したという。
両親伝てでそれを聞いた涼香は、ほっとしたような悲しいような、もやもやした感情を抱いたのを覚えている。
それからしばらくして、涼香は久しぶりに学校へ行くことにした。
無理に行く必要はないと言われたが、このままずっと家と病院の往復をしているのは嫌だった。
だが、学校に行くと聞こえてくる。
ひそひそと、囁く声が。
『人の口に戸は立てられぬ』とはよく言ったものだ。誰に言った訳でもないはずなのに、涼香と歌音の間に起きたことは、学校中に知れ渡っているようだった。
そして、それ以上に。
どこに行っても、この町には歌音との思い出がありすぎた。
学校はもちろん、いっしょに通った道、よく買い物をしたお店、下らない話をした喫茶店。そして、二人で楽しく歌っていたカラオケ。
それら全てに耐えられなくなり、涼香もこの町を出ていくことに決めた。
両親もすぐ受け入れてくれて、程無く引っ越しが行われた。
その後、相変わらず歌うことはできないまま、現在に至る。
*************
リョウカが話し終えた後、誰も言葉を発しない時間が続く。
目の前の少女の過酷な過去に、掛けるべき言葉はやはり見つからなかった。
「あれ以来、人と話すのも正直怖かったんです。みんな、何を考えているか分からない。信じられない」
やがてリョウカは訥々と、再び語り始めた。
「このゲームが始まった時は、どうでもいいやと思いました。生きてるのも楽しくなかったし、消えたなら楽になれるかなって」
自嘲的な笑みで、リョウカはそう言う。彼女の胸中を推し量れば、それも仕方のない事なのかもしれない。
「でも、女神に言われたんです。願いを使えば、全てなかったことにできるって」
あらゆる願いを、たった一つだけ。それを使えば、もちろん嫌な過去を帳消しにすることもできるだろう。
「だから、私一人で生き残る道を考えました。その結果がこの能力と、隠れることでした」
「なるほど、絶対に開かないし壊れない場所に閉じこもっていれば、確かに負けは無い」
つまり、彼女は逃げのびることで優勝を目指していたのだ。ミコトも一度は考えた作戦だが。
ユウが同意の声を上げると、彼女も頷きを落とす。
「でも、じゃあなんで出てきたの?」
しかし、そこにアカリが疑問を差し挟んだ。
全くその通りで、結果として彼女はここでこうしてミコトたちと話している。
「それも女神のせいです。たぶん、あのまま籠っていてもいつか女神に追い出されたんだと思います。人を転移させることもできるみたいですし」
その力は、ミコトたちも体育館に入った時に体験済みだ。
さらに言えば、女神は参加者が積極的に参加することを望んでいる。体育館にどうしても向かわない参加者が居れば、強制転移くらい平気でするだろう。
「だから皆さんを見たとき、少し希望を持ちました。キタネさんと戦って、勝った人たち。もし味方についてもらえれば、勝率は格段に上がるって」
リョウカは、掃除用具入れからあの戦いやミコトたちのやり取りを覗いていた。
彼女の目には、ミコトたちは奇跡の大逆転を起こした上にキタネを説得して従わせた、という風に映っただろう。
『強制退場』を知らなければ、キタネに圧倒的な力で負けを認めさせたと考えても不思議はない。
「でも実際に話を聞いて、第二ゲームのルールと併せると勝てないと思いました。だからあの時、諦めて退場しようとしたんです」
ミコトたちの能力は、お世辞にも強いとは言えない。更に右手を使わないという縛りまであっては、彼女がそう結論を出すのも仕方が無かった。
「そこからは、皆さんの知ってる通りです。私、やっぱりダメですね。何もかもが中途半端で。生きる気力も無い、死ぬ勇気もない、願いを絶対に叶えようという気概もない。貫きたい信念も、譲れない誇りも、動じない自信も。そりゃ親友にも愛想を尽かされるってもんです」
つらつらと自分を卑下する台詞を吐き、リョウカは乾いた笑いを浮かべる。
それは見ているだけで辛くなるような表情で、思わずミコトは下を向いた。
「でも、ナカタさんは。彼だけは、私のことを信じてくれました。見捨てないで、命を懸けて守ってくれた。後は任せたって、こんな私に託してくれた」
だがリョウカの次の言葉は、それまでで一番優しく、そして悲しい音色をしていた。
つられて顔を上げれば、彼女は涙ぐみながらも決意に満ちた表情をしていて。
「だから……こんな私を、信じてくれるのなら。私もいっしょに、戦わせてください」
ミコトと、ユウと、アカリと。それぞれとゆっくり目を合わせながら、そう言って深々と頭を下げたのだった。
「ほらリーダー、ビシッと決めてくれ」
と、ユウがそんなことを言いながら、左手でミコトの背中をぽんと押した。
「え、僕がリーダーなんですか?」
「当たり前だろ、俺たちはお前の願いの下に戦ってるんだから」
よたよたと前に出ながら振り返ってそう訊ねれば、ユウは笑って答をくれた。その横でアカリもうんうんと頷いている。
「えっと……。さっきも言いましたけど――」
ポリポリと頭を掻きながら、ミコトはたどたどしくそう切り出した。
リョウカは真剣な面持ちで、黙って耳を傾けている。
「ハヤミさんを信じてるのは、タイジュくんだけじゃないですよ。僕たちも、もう信じてるから」
いっしょに戦って、いっしょに苦しんで、いっしょに悲しんで。
ミコトの中でリョウカは、もうとっくに大切な仲間だった。
「こちらこそ、よろしくお願いします。これからも、いっしょに戦ってください」
そしてミコトはそう言うとにっこりと笑って、右手を差し出した。
『右手同士が触れあった場合、どちらも消えない』。そのルールに感謝するのはこれで何度目だろうか。
「――はい!」
リョウカは、今日見た一番の笑顔と、一滴の涙を浮かべて。
ミコトの右手を、しっかりと握り返した。
***********
「ヒヨシ先輩」
下から声が聞こえ、サダユキは視線を落とす。その先、自分の腰の辺りの高さにユウの顔があった。
「終わったか?」
時間にすると三十分くらいだろうか。友人を失った悲しみを癒すにはとても十分と言える時間ではないが、彼らの中で一応は区切りをつけたらしい。
「ええ、お蔭様で。こっちに来てもらえますか」
そう口にしたユウに頷き返すと、二人でミコトたちの居るところまで歩いていく。
「一応、訊いておきたいんだが」
と、サダユキは突然口を開いた。
「何ですか?」
「いや、彼が消えてしまったことで、君たちの戦力は大幅に下がっただろう。もし気が変わったなら、やはり俺が代わりに戦うという選択もあると思うが?」
彼の言うことはもっともで、タイジュが居てサダユキと互角の戦いだったのだ。もう一度再戦すれば、十中八九ユウたちは負けるだろう。
「……いえ。それは、違うでしょう」
「そうだな。野暮なことを訊いた、すまない」
確かに、サダユキにミコトたちの願いを託した方がいいのかもしれない。その方が、確率は高くなることだろう。
だが、タイジュの想いを受け継ぐことができるのは、ミコトたちだけなのだ。
「それに、先輩に任せても勝率は百パーセントじゃないですしね」
「それもそうだな」
そんな言葉を交わして、二人は小さく笑う。
「で、なんで俺だけに訊いたんです?」
ミコトたちの所に戻る前に訊いたということは、そういうことだろう。
ユウの問に、サダユキはフッと短く息を吐いて答えた。
「お前が一番、こういう選択を間違えないと思ったからな」
「……いや、どうなんですかね」
それは買い被りだとユウは思う。
「百パーセントじゃないなら誰がやったって一緒で、ならミコトの能力の方がいい。……屁理屈みたいなもんです」
中途半端な回答だという自覚がある。本当に全ての人を救いたいなら、その確率を少しでも上げるべきであって。
「それでいいんだろうさ。絶対に間違えない人間なんていない。大切なのは、自分のやりたいことをしっかり考えて、自分なりの理由を持つことだ」
だが、それでいいと彼は言った。誰かにそう言ってもらえるだけで、肩の乗っていた重荷が少し軽くなるのをユウは感じた。
「……ありがとうございます」
素直に、心からの言葉をユウは吐き出すが、サダユキは軽く肩をすくめただけで先へと歩いて行った。
**********
二人がミコトたちのところへ戻ると、何やらわいわいと盛り上がっていた。
「あ、ユウくんおかえり!」
ミコトが最初に足音に気付き、元気な声を出した。さっきまでのしんみり感はどこに行ったのか。
――いや、これでいいんだろう。たぶんミコトも無理をしているが、タイジュなら笑い飛ばしてくれとか言いそうだ。
そんなことを考えて、ユウも明るく言葉を返す。
「ただいま。何話してた?」
「あのねユウくん。これからリョウカちゃんのことはリョウカちゃんって呼んでね!」
「……またそういう話か」
未だにアカリを『ハナちゃん』と呼ぶことすら気恥ずかしさがあるのに、その上リョウカまで。
ちょっとげんなりしてユウは愚痴をこぼす。
「いいじゃないですか。私もユウのことはユウって呼びますから」
「わかったよ、……リョウカ」
呼び捨てとは意外だ、と思いながら、つられてユウも呼び捨てにしてしまう。
というか、『ちゃん』という言葉の響きはなんか恥ずかしいのだ。『ハナちゃん』はまだ愛称感があるから大丈夫だが、名前+ちゃんはユウにとって相当ハードルが高かった。
かと言って名前呼び捨てのハードルが低いわけではないが。
「まあそう嫌そうな顔をしてやるな。名前の呼び方というのは、その人間との関係性を周囲にも自分にもはっきりさせる一つの手段だ。仲間ならファーストネームで呼び合うくらいした方がいいだろう」
アドバイスのようなサダユキの発言も一理あるが、十中八九面白がっている。
「さて。じゃあそれはそういうことで」
それが癪だったので、ユウは話を強引に進めた。
「そろそろ、ヒヨシ先輩を退場させよう。それで第二ゲームは終わるはずだ」
「そうだな。一応警戒もしていたが、流石にもう生き残りは居ないと思う」
ユウがそう言えば、全員が真面目な空気を取り戻した。
サダユキの言葉通り、ユウももう生き残りは居ないと考えている。
「それから推測なんだけど、先輩を退場させた瞬間に俺たちはどこかに『飛ばされる』と思う」
この体育館に今居るのは、ミコトたち五人の他には、退場組数人だけだ。
他全員が消された訳もなく、何人かは勝ち進んでいるはずである。その彼らが居ないということは、
「次のゲームに自動で進むってことですね。私もそう思います」
リョウカが同意を示せば、ミコトとアカリは「へー」という表情である。
「ってことは?」
いつも通り要約をせがむミコトに、ユウはため息を吐いて答える。
「まあ、心の準備はいいですかってところだな」
「そういうことなら。僕はいつでもいいですよ」
笑顔でそう答えるミコトに、他の四人も思わず笑いが漏れる。
「よし。ヒヨシ先輩、最後に一つお願いが。退場したら、他の退場組を連れて二年A組へ行ってください。そこに他の退場者と、食料と水がある程度確保してありますから」
「伯方の塩のリズムでノックしてくださいね!」
大事なことを言い洩らさないのは、さすがユウといったところか。アカリの発言のせいで緊張感は台無しだが、その通りなのだから致し方ない。
「了解した。こっちからも一ついいかな」
サダユキは一瞬ものすごく突っ込みたそうな顔をしたが、それを引っ込めて答える。
そしてそう前置きしてミコトたちを一通り見回すと、
「ありきたりな言葉だが。俺の分まで、よろしく頼む」
そう言って、右手を差し出した。
ユウと、アカリと、リョウカと握手を交わし、最後にミコトの右手を握る。
「じゃあ、やってくれ」
「――はい。ありがとうございました」
最後に全員分の感謝を込めてそう言うと、ミコトは握ったその手に左手を添え――
「『強制退場』」
そう言った瞬間に、ミコトたちの視界は真っ白に切り替わった。




