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イマジン鬼ごっこ~最強で最弱の能力~  作者: 白井直生
第二章 犠牲と勝利
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第二章17 ハヤミリョウカ(後編)

 瀬尾家は『保守的』ではあるものの、別に特別厳しい家という訳ではない。

 早ければもうすぐ夕飯だという時間の訪問でも、呼び鈴を押せば快く涼香を招き入れてくれた。


「いらっしゃい。歌音、部屋に居るから。夕飯も食べていく?」

「あ、いえ。ちょっと話しに来ただけなので」


 そんなやり取りを歌音の母親としつつ、歌音の部屋へと向かう。


「歌音? 入っていい?」

「ん、涼香? いいよー」


 ノックをしてそう声を出せば、中から歌音の声が返ってきた。

 ドアを開けると、歌音は部屋着でベッドに横たわりくつろいでいた。


「どうしたの? いきなりなんて珍しいじゃん」


 まあ座んなよ、と起き上がりながら自分の横を叩く歌音に従い、ドアを閉めると歌音の横に腰かけた。


「その……話があって」

「うん、何?」


 とにかく歌音と話さなくては、そう思って来たのだが。

 いざ話そうとすると、どう話したものかと困ってしまう。


「えっと……さっき、うちにお客さんが来てて……ヤマナベエンターテイメントの人が」

「え……」


 結局、あったことをそのまま話し出した。最初のその言葉で、歌音は驚いた様子を見せる。


「その、それで……『スター発掘オーディション』を見てたんだって。それで、興味を持ってわざわざ来てくれたみたい」

「嘘……! それって、私たちの歌を認めてくれたってこと!?」


 そこまで聞いて、歌音は早合点する。

 そのまま喜びの声を上げ、涼香に抱きついて。


「やった、やったね! あれ、でもなんで涼香の家に? 代表は私にしといたはずなのに……」


 しかし、ふと疑問を覚えて離れるとそう声を上げる。

 そして涼香の表情を見て、疑問の答を得たのだろう。


「あの、それが……」

「いい、いいよ、言わなくて。そんなこと、涼香の口から言えないよね。ごめん」


 言い淀む涼香を、そう言って遮った。

 顔を伏せる歌音は、今どんな表情をしているのか。怖くて見ることが出来なかった。


「そっかあー! 私はダメかあー! 一人で舞い上がっちゃって、恥ずかしー! そうだよね、涼香の家に行ったって時点で気付けよって話だよ」


 にへら、といういつもの笑顔を貼り付けて、歌音は顔を上げる。

 だが、その笑顔が嘘だということくらい涼香には簡単に分かる。


「歌音……」

「おめでとう! よかったじゃん。涼香の家族は、誰も反対しないだろうし」

「それはまあ、そうだけど……」


 肯定するしかない言葉を投げられ、涼香はそれ以上言葉を続ける術を失った。


「よかった。私も嬉しい。頑張ってよね、有名になったら皆に自慢するんだから」


 更に畳み掛けるように歌音は言葉を紡ぐ。


「でも……」

「はい、この話はおしまい! ね、夕飯食べてって? いや、泊まっていってよ。明日休みだしさ」


 口を挟もうとした涼香を黙らせるように、歌音は強引に話を終わらせた。

 何か言わなければと思った涼香だが、無理矢理何か言おうにも碌な言葉を思い付かなかった。

 何を言ったって、歌音を傷付けることになりそうで。


「うん……」


 結局、そう返事をするしかなかった。


********


 その後は夕飯をご馳走になり、お風呂を借りて歌音の部屋で他愛もない話をした。

 さっきの件には全く触れず、今日のテレビの話だとか、学校であった可笑しなことだとか、そんな下らない話。


 そうして何のてらいもない話をしているうちに、涼香の気も楽になっていった。

 くたびれるまで話を続けて、お互いに眠くなったねと言いながら電気を消して布団をかぶる。

 その後もぽつりぽつりと話が続くが、気が付いたら涼香は眠っていた。


「――?」


 しかし、涼香はふと目が覚めた。

 なんとなく予感がして歌音のベッドの方を見ると、案の定そこはもぬけの殻だった。


 壁に掛けてある時計を見れば、時間は深夜三時。誰もが寝静まっているはずの時間帯に、どこからかすすり泣くような声が聞こえた気がした。


「歌音――?」


 その声に導かれ、涼香は布団を抜け出して窓の方へ歩く。

 カーテンが少し揺れていて、窓が開いているのだと分かった。声はそちらから聞こえてくる。


 窓の前で立ち止まると、やはり窓の外ですすり泣く声が聞こえた。


 この窓の外はちょっとしたベランダのようになっており、身を縮めれば人ひとりが横になれるくらいのスペースがある。

 歌音のお気に入りの場所で、何かあるとよくここに籠っていた。


 一瞬の躊躇の後、涼香はカーテンと窓を開けた。

 そこには、やはり歌音がうずくまっていた。


「歌音……」


 開けたはいいものの、やはり掛けるべき言葉は見つからない。


「涼香……」


 こちらに気付いた彼女はそれだけ呟くと、横にずれて少し場所を空けた。そこに座れということだろう。


「ごめん、やっぱりダメみたい。お祝いも応援もしなきゃって、分かってるんだけど」


 涼香が座ったのを音だけで確認すると、歌音は伏せたまま喋り始めた。


「やっぱり、羨ましいし……なんで涼香だけ、とか」

「……うん」


 それは当たり前の感情で、涼香はたった二文字の返事をするのがやっとだ。


「いっしょに居れば、普段通りにしてれば大丈夫かなって思ったけど、やっぱりダメ。なんで、どうしてって、そんなことばっかり」


 正直、代われるものなら代わりたい。だが、それは不可能だ。


 選ばれたのは涼香で、歌音は選ばれていない。

 それが残酷な現実で、涼香には変えることのできない事実だ。


「ねえ、涼香。一つだけお願いがあるの」

「……何?」


 だから、彼女が何かを涼香に望むのなら。

 それを叶える責任があると、そう思った。

 そう、思ったはずなのに。


「絶対、歌手として有名になって。私の分まで」


 彼女の願いは、涼香が背負うには重すぎた。

 小さいころから想い続けた、その願いを託すと。

 涼香は、まだそれを目指すかどうかで悩んでいたというのに。


 その重みに耐えきれずに――


「それは……そんなの、無理だよ……」



 涼香は、それを落としてしまった。



「――なんで?」


 唐突に顔を上げた彼女の顔は、夜の闇に溶けるような暗い眼差しを帯びていた。

 そして、涼香は気付いてしまう。

 自分が、その瞳に恐怖していることに。


「なんでよ。……涼香はいつもそう。美人で勉強も出来て歌も上手くって。私知ってたよ。私より涼香の方が上手い事くらい」


 早口に捲し立てる彼女の声からは、感情が全く読み取れなかった。

 顔も声も、黒く塗りつぶされたかのように。


「そんなこと……」

「ほら、そうやって。私に無い物を全部持ってる癖に、そんな物必要ないってそう言うの」


 逃げるようにそう口走る涼香を遮って、否定しようもない事実であるかのようにそう断定する。


「ちが……」

「違わない。私はずっと涼香が妬ましかった。憎かった。なんで涼香ばっかりって、そう思ってた」


 必死に否定しようとしても、それすら許してもらえなかった。

 彼女の声は変わらず無感情で、そして恐ろしかった。


「でも、それと同じくらい大好きだったから。ずっと、二人で居れば大丈夫って、そう思ってた」

「歌音……」


 しかし、彼女は突然感情を取り戻したかの如く優しい口調になる。

 ようやく見えた彼女のそれに、涼香は安堵を覚えて名前を呼ぶ。


「だから、今回のことだって諦めようと思えた。涼香が私の代わりに夢を叶えてくれるならって」


 そして、話は戻ってくる。

 涼香が答えられない話に。


「だから、ねえ。約束してよ。私の分まで頑張るって、そう言って……?」


 再びそう願いを掛ける彼女に、涼香は答を探した。

 自分の頭の中をひっくり返し、彼女に答えるべき言葉を。


「できないよ……。だって、私は歌音じゃない。そこまでの覚悟を、私は持てない」


 結論は、変わらなかった。

 涼香には、彼女の想いを背負うだけの覚悟も自信も無かったから。


「そこまで思ってるなら、歌音自身が目指すべきだよ」



 それは、涼香の本心だった。

 そして――歌音の最後の希望を断つ、最悪な言葉だった。



「それが……っ、それができないから、こうして頼んでるのに……! なんで分かってくれないの!?」


 怒りの声を上げ突然動き出した歌音に、涼香は為す術無く押し倒された。

 そして彼女の手は、涼香の首へと伸びる。


「くふっ……」


 ――苦しい。息が。

 馬乗りになった歌音の手には力が籠り、確実に涼香の呼吸を堰き止めていた。


「なんでよ! なんでアンタばっかり! なんでアンタは、それなのに!」


 歌音はそのまま、怒りの声を涼香に浴びせかける。

 下から見上げる彼女の顔は、さっきよりも尚暗いのに、目だけが鈍く輝いていて。


「だったら、その声、私にちょうだいよぉ!」

「ぅ、た……ね……」


 涙で滲み、段々と暗くなる視界の中。

 絶叫するその声を聞きながら、涼香の意識は途絶えた。


**********


 目が覚めて最初に目に入ったのは真っ白な天井。続いて、母親の泣き顔だった。

 縋りついてさめざめと泣くその声を聞いて、自分がまだ生きていると実感する。


 あの後、歌音の声を聞いて駆け付けた彼女の両親が、すぐに救急車を呼んでくれたらしい。

 涼香が気を失ってすぐだったらしく、首を絞められていたのはそんなに長い時間ではないようだ。


 それが幸いしたのか、医者の話によれば命に別状はないし後遺症の心配もないそうだ。ただ、喉を強く圧迫されたことでしばらく声が出しづらいだろうということだった。

 試しに少し声を出してみると、掠れてほとんど声になっていなかった。


 当然というか、歌音は病室には居なかった。歌音の両親は青い顔でしきりに涼香と涼香の両親に頭を下げて謝罪している。

 しかし、涼香の父親は全く許すつもりは無いようで、警察だの裁判だの騒いでいた。


 そこまで怒ってくれるのはありがたいと思っていいのだろうが、涼香はそんなことは望んでいなかった。

 父の袖を引くと、喋ろうとして声が出ないことを思い出す。


 看護師さんが手際よく筆記用具を用意してくれたので、そこにさらさらと文字を書いた。


『お父さん、そんなおおごとにはしないで。私なら大丈夫だから』

「大丈夫って言ったってお前……」


 父はそれを見て顔を悲痛に歪めるが、


『お願い』


 再び涼香が書いたその文字を読んで、ゆっくりと頷いた。


「ありがとうございます……!」


 歌音の両親がそう言って涼香に頭を下げるが、それでお礼を言われるのは釈然としなかった。


 こういうとき、騒ぎ立てるのが嫌なのはどうしてなのだろうか。

 歌音が友達だから。被害者だと騒ぐのがみっともないと思うから。世間の目が気になるから。

 ――自分にも非があると思っているから。


 きっとどれも正解で、どれも間違いだ。

 そんなよくわからない感情と思考の結論にお礼を言われたら、それは釈然としないのも当然だろう。


『歌音は?』


 答える代わりに歌音の母親にそのメモを見せると、彼女は気まずそうに目を泳がせて答える。


「あの子は――今、他の病室で眠っています。すごく、取り乱していて。鎮静剤を打たれて。私、あの子がそんなに思いつめてるだなんて――」


 そこから先は、涙が邪魔をして言葉にならないようだった。会釈を一つ落とすと、足早に病室を出ていった。


「すみませんが、今日のところはこれで――後日必ず、お話をしに伺いますので」


 そう言い残して九十度のお辞儀をすると、歌音の父親も後を追って出ていった。


「……二、三日様子を見て、何も無ければ退院できます。ただ、喉のこともありますししばらく通院していただくことになるかと」


 窓の方を見るともうぼんやりと明るく、夜明けが近いのが分かった。

 このお医者様も、こんな場面に立ち会うことになって可哀想に、なんて他人事のように思う。


「それから、精神的なショックは本人の自覚以上に大きなものだと思いますから、退院してもしばらく外出は避けた方がいいでしょう。もちろんカウンセリングもしますが、ご両親もできるだけ気にかけてあげてください」


 彼らが「では」と病室を辞した後には、涼香と両親が残された。


「一度荷物を取りに帰らないとな。車回して来るよ」


 父は何か言いたそうにしばらく口を開けて逡巡していたが、結局それだけ口にした。

 たぶん、言いたいことは他にあったのだろうが。


「うん、お願い。涼香はもう休んで」


 母はそう言って父を見送ると、涼香に優しく声を掛けた。

 涼香も大人しくそうしようかと思ったが、


『……トイレ、行きたい』


 ふと自分の尿意に気が付いてそうメモを書いた。


「あら。立てる? 一応車椅子もあるみたいだけど」


 そう言われてベッドから下りると、思ったより脚にはちゃんと力が通っていた。

 大丈夫そうだと頷くと、母も頷いて手を差し出した。さすがに一人で歩くのは不安だったので、その手を取って歩き出す。



「ふう……」


 用を済ませると、手を洗いながらため息を吐く。声は出ずに本当に息だけなので、なんだかすっきり感がちょっと薄い。

 鏡を見ると、首に包帯を巻かれた青白い顔をした自分が、自分を見つめ返していた。


 ――あれ。


 よく見れば、首の包帯が少し緩み肌が見えかけていた。

 母に巻き直してもらおうと、包帯に手を掛けするすると外していく。


「涼香、何して――だめ!」

「?」


 その動きに後ろで母が気付き、何故か剣呑な声を上げた。

 しかし、その声はもう遅かった。


 外れた包帯の下、涼香の首には。



 ――くっきりと、歌音の手の跡が付いていた。



「ひっ――」

「大丈夫! 大丈夫だから――!」


 引き攣ったように息を呑む涼香を、母が隠すように抱きしめた。


 だが、もう遅い。涼香は見てしまったのだ。



 怒りと憎悪の象徴のような、あの手形を。

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