第二章13 サダユキの試練
強く、正しくあれ。火良定往は、それだけを信条としていた。
空手という道を通じてその信条を体現してきた彼は、このゲームにおいてもそれを貫くと決めていた。
第一ゲームでは、他を寄せ付けない強さで一人勝ち残った。
自分が最後の一人になって全員を助けると決めていたから、他の人間を消すことに躊躇はしなかった。
結果として全員の命を救えるのなら、自分の手がどれだけ汚れようとも構わない。
何かを成し遂げようとするなら、犠牲が出ようともそれを貫かなければならない。
それが強さというもので、最終的な犠牲が自分の心だけで済むのなら、何を躊躇う必要があるというのか。
故に、サダユキは右手を振るう。己の勝利を、強さを疑わず。
そうして勝ち残った教室から出た時、サダユキを待っていたのはツトムによる奇襲だった。
勝つためにはいい作戦だと評価しつつ、しかしサダユキは冷静にこれを躱した。
初撃を外したツトムは驚いた表情を浮かべ、即座に距離を取った。
そして手にした小銭を弾丸の如く飛ばしてきたが、サダユキはそれを最小限の動きで捌く。
躱し、弾き、掴み。およそ人間離れしたその動きも、能力によって強化された身体能力とサダユキの勝負勘を持ってすれば、それほど難しいことではない。
「ちっ、出鱈目な……アオカ!」
忌々しげに顔を歪めるツトムの声を聞くと、アオカはすぐ傍にあったロッカーに触れた。
すると次の瞬間、ロッカーだったものは元気に飛び跳ね、その巨体でサダユキに躍りかかった。
「面白い能力だ」
だが、呟きと共に放たれたサダユキの正拳突きで、ロッカーの側部――おそらく生き物になったそれの顔面に当たる部分――が大きく凹んで、ぴたりと沈黙する。
そしてそのまま大きな音を立て倒れ、廊下を塞ぐように横たわった。
「……アオカ、ここは退くぞ」
化け物染みた強さを見せるサダユキに若干顔を引き攣らせ、静かにツトムがそう言った。
すぐにアオカがそれに従い、羽根を生やした彼女に手を引かれて二人は窓から外へと逃げて行った。
勝つために手段を選ばない狡猾さ、そしてサダユキに仕掛けた攻撃。
「ビョウドウインとタカカゼか……奴らは早く倒すべきだろうな」
彼らの逃げた窓の向こう側を見つめながら、サダユキは呟いた。
ツトムの本性は薄々勘付いていたし、放置すると厄介なのは間違いない。
第二ゲームでは彼らをしっかり見ておこうと、サダユキは決めたのだった。
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「――とまあそういう訳で、君たちの動向を気にしてはいたんだ。ビョウドウインたちが君たちを追っていくのは見えたからね。まさか君たちが出てくるより先に、身体が大きくなった他の参加者が扉を開けるとは思っていなかったが」
間に合ってよかったとサダユキは一人頷く。
ミコトたちとサダユキの共闘が決まった後、ユウのリクエストにより彼がここまでどうしてきたのかの説明をしているところだった。
が、ここまでの話を聞いて、ミコトはそれどころではなくなった。
「あのー……ちなみに、そのぶち倒したロッカーってどうしました?」
遠慮がちに声を上げて質問するミコトに、何故そんなことを訊くのかと訝しげな顔のサダユキが答える。
「うん? どうしたって、起こすのも面倒だしそのまま放置してきたが。それで誰が困る訳でもないだろう」
いいえ、困りました。というか死にかけました。いや、実際死にはしないんだけど、死ぬような痛みを味わいました。
「まさか、こんなところに犯人が……!」
「いや、お前の運が悪かったんやと思うで。恨むなら神かアオカにしとき」
対キタネ戦、ミコトを窮地に追いやったロッカーの正体が意外なところで判明した。
唯一事情を知るタイジュは、頭を抱えるミコトを諭しつつ何とも言えない表情を浮かべていた。
「……何があったかは知らないが、迷惑を掛けたのなら申し訳なかった」
「いえ、お気になさらず……さっき助けてもらいましたし」
そうやって真面目に謝られてしまうと、ミコトとしてももう何も言えなかった。もともと何を言っても詮の無い話である。
「そうか、ではそれでチャラということにしておいてくれ。――さて、どこまで話したんだったか」
遠い目をするミコトに苦笑いを浮かべながらそう返すと、サダユキは話を戻す。
「そう――君たちが体育倉庫に入った後は、そちらの様子を気にしながら基本的には逃げていたよ」
「何故です? ヒヨシ先輩なら、さっさと勝ち上がるのも簡単だったでしょう」
ユウが口を挟むと、サダユキは面白そうな顔をして答を返す。
「随分高く評価してもらっているようだ――まあ、確かに難しくはなかっただろう」
ともすれば不遜な回答だが、彼にはそう言えるだけの確かな強さがある。
「理由と言うなら、一つはさっきも言った通り君たちを気にしていたからだ。明らかにイレギュラーな現象を起こしていたし、勝ち残ったのがツトムたちなら俺が倒すつもりだった」
続けて理由を語るサダユキに、ユウが納得を頷きで示す。
「一つってことは、他にもあるんですか?」
ミコトがそう訊ねれば、サダユキは頷くと再び説明を続ける。
「もう一つは、簡単な話――俺はチームを組んでいない。俺が誰かを消して勝つよりも、チームを組んだ人間が勝つ方が、消える人間の数が少なくて済むだろう」
身体の大きさは、チームで共有される。五人チームで三人消した場合五人が勝ち上がるが、一人だと三人消しても一人しか勝ち上がれない。
「俺は勝つために誰かを消すことを躊躇いはしない。だが、減らせる犠牲は減らすべきだ」
その言葉には、確かな説得力と、強い意志が垣間見えた。
彼は間違いなく、ここまで出会ってきた中で一番ミコトたちと近い考えを持っている。さらに、それを実行するだけの力も。
「だが、ミコトの能力を使えばその犠牲を限りなくゼロに近付けることが出来る。君たちを助けて正解だったよ」
柔らかい微笑みを浮かべる彼の言葉に、ミコトは心強い気持ちで頷く。
彼が助けてくれるのなら正に百人力、ここから第二ゲームを犠牲者を出さずに終えることもできそうだ。
「惜しむらくは、ルール上俺たちが一緒に勝ち上がれないことですね。出来ることなら今後も一緒に戦いたかった」
ユウが口惜しそうにそうぼやく。
チームを組んでない以上、それは仕方のない事だった。最後の一チーム以外は誰かを消さないと勝ち上がれないのだから、必然的に最後はミコトが彼を退場させるしかない。
「ああ――そのことで、一つ提案があるんだが。いや……宣言、と言うべきかな」
人差し指を立てながら、サダユキがそう告げる。
ミコトたちが黙って彼を見つめると、彼は言葉を続ける。
「俺としても、この先も君たちに協力したい。自分で言うのもなんだが、かなり力になれると思う」
彼の言う通り、ミコトたちに足りない強さを彼は持っている。
勝率が格段に上がるのは間違いなく、それが理想ではある。
「でも……」
ルールを変えることは出来ない。ミコトからすれば、それは実現不可能な理想だった。
「ああ。このまま一緒に勝ち上がることは出来ない。だから……」
しかし、サダユキは――
「俺は今から、他の参加者を三人消そうと思う。見逃してくれるか?」
前提を覆す方法を提案――否、宣言したのだった。
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体育倉庫の扉から、最大限に警戒をしながら外に出た。
しかし、待っていたのは静まり返った薄暗い空間だけだった。
「誰も……居ない……?」
「少なくとも、目に見える範囲で戦闘は起こっていないようだな」
ミコトの呟く声に、横からサダユキが同意を示す。
「っていうか、勝ち残ったヤツすら居ないっていうのはどういうことなん?」
「確かに。普通のサイズの人が隠れるような隙間は無いはずですね」
タイジュも疑問を口にすると、それにはリョウカが同意した。いくら薄暗いとはいえ、通常サイズの人間が立っていたらさすがに見える。
「勝ち上がったらそのままどこかに移動させられるとか?」
「まあ、そんなところだろうな」
アカリはどうやら当てずっぽうで言ったらしいが、ユウはそれを肯定した。そう言えば、勝ち上がった参加者がどうなるかは明言されていない。
「ああ。誰も居ないということは……最後の二チームのどちらかが、ちょうど三人目を消したところで誰も居なくなったか……あるいは、残されたチームが隠れているか。一応、相討ちという可能性もあるか」
考えながら発言するサダユキ。ミコトは、その横顔をじっと見つめた。
彼の『三人消す』という発言の後、もちろんミコトは即座に反対した。
ミコトからすれば、それは絶対にあり得ない選択だ。
だが一方で、三人の犠牲と引き換えに強力な助っ人を得られるというのも事実である。
彼の力があれば、この先三人どころではない人数を助けることが出来るだろう。
しかし、それを認めてしまえば、やはりミコトたちの戦う意味は失われるのだ。
ユウとリョウカの行動を諌め、それを全員で確認したはずだ。
だからこれはミコトだけではなく、五人全員の意見だ。
足し算引き算で命を語るのは、やはり違うのだと思う。ただ、目の前の命を全力で助けるしかないのだ。
しかし、サダユキの言う通りこれは『提案』ではなく『宣言』だ。
そもそも、サダユキが本気でそれを実行したなら、ミコトたちにはそれを止めるだけの力がなかった。
故に、ミコトたちに選択の余地はない。
体育館の中に参加者が三人以上残っていれば、問答無用で彼は勝ち上がるだろう。
「誰も居ないなら、残念ながらヒヨシ先輩の出番はここまでですね」
言葉と裏腹に明るい声を出すミコトを、サダユキは視線で撫でた。
「まあそう焦るな。今言った通り隠れているだけかもしれない。一通り見て回った後でも遅くはないだろう」
苦笑いを浮かべ、諭すようにサダユキは言葉を発する。なんだか子ども扱いされた気がして、ミコトは渋い顔をした。
「心配するな。二人以下なら約束通り気絶させるさ」
その顔を違う意味に捕えたのか、サダユキはそう続ける。
二人以下なら消す意味は無いため、退場させるのに協力するという約束はしていた。
三人以上いた場合は、サダユキがその人たちを消すより先に退場させてやる、とミコトは腹積もりしている。出来るかどうかは不明だが。
「とりあえず、誰か隠れてたらまずいのは間違いない。この広さだと大変だけど、隠れられそうな場所を見て回るしかないな」
普段ならそこまでだが、身体が縮んでいる現状だと広さは単純に八倍、その上相手も小さい可能性があるから隠れられる場所も増えている。
ちょっと気が遠くなるような作業だ。
「手分けして探す?」
「いや、それで不意打ちでもされたらシャレにならないし。時間は掛かっても、一緒に回ろう」
ミコトの提案に、ユウが否定を返す。
戦闘が行われていないなら、そこまで焦る必要もない。教室に残してきた退場組には悪いが、それで負けてしまうよりはずっといい。
「俺は単独でも大丈夫だ。逃げに徹した俺を捕えられる奴なら、とっくに勝ち上がってるだろう」
サダユキが軽く手を挙げながらそう口を挟んだ。
確かに、彼が全力で逃げるなら一人でも問題なく逃げ切れるだろう。むしろ、ミコトたちは足手まといだ。
だが、彼を一人にしてしまうとミコトの作戦は成り立たない。
「……わかりました、お願いします。ただ、俺の能力を使わせてください。これで簡単に連絡が取れるんで」
ユウが自身の左手を指差しながら言うと、サダユキは眉を上げて左腕を差し出した。
了承を示す動きにユウは目礼し、差し出された腕を左手で掴む。
しばらく無言の時間が訪れるが、おそらく彼らの中では会話が発生している。キタネ戦で活躍したテレパシーだ。
「なるほど、これは便利だ。ありがたく使わせてもらおう」
「ええ、何かあれば呼んでください」
感心した声を上げるサダユキの目を盗んで、ユウは返事をしながらミコトに目配せした。
――サダユキが先に誰か見つけたら、これで分かる。
そういう意味だと受け取ったミコトは、「分かった」という意味を込めて目線を返した。
「君たちもな。じゃあ、俺はフロアの方を見て回ろう、無駄に広いしな。そっちは舞台の方を頼む。あちらは隠れる所が多いから、目線が多い方がいいだろう」
当然のように指示を飛ばすサダユキだが、的確なそれに誰も文句は言わなかった。
「そうですね。じゃあ、よろしくお願いします」
ユウの言葉に頷きを返し、くるりと背を向けるとサダユキは駆け出した。あっという間に、その背中は見えない程遠くに消えていく。
「じゃあ、俺たちも行こう」
全員で頷き合い、五人は舞台の方へと足を向けた。
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結局、ミコトたちもサダユキも、他の参加者と出くわすことはなかった。
お互い空振りを報告し合った後、今は六人全員が舞台上に集まっている。
「それじゃあ、ヒヨシ先輩――」
ミコトは安堵と共に話を切り出す。サダユキを退場させれば、それで第二ゲームは終了だ。
「いや、待ってくれ。――ひとつ、提案なんだが」
「また? 今度はなんすか」
退場を渋るような発言をするサダユキに、タイジュが若干喧嘩腰で噛みつく。
「怒らずに聞いてもらえるとありがたいんだが……」
その前置きで既に怒りそうなタイジュだったのだが、
「俺は、おそらく君たち五人より強い」
余りにも直截なその言葉に、逆に勢いを削がれた。
ともすれば自信過剰な発言だが、既に彼に助けられたミコトたちは、その言葉を即座に否定できなかった。
「だから……この先を、俺に託してもらえないだろうか。そうしてくれたなら――俺は必ず優勝して、願いで全員の命を助けると約束する」
「どうだ?」と問いかける彼に、全員がしばらく黙考した。
確かに、その方が勝率は上がるのかもしれない。彼の強さは正直規格外で、自分の四倍の大きさの相手をいとも簡単に倒すほどだ。
だが――
「それは、相手を右手で消して――ってことですよね?」
ミコトの発言に、彼は目線をこちらに向ける。
「――そうだ。」
そして目を逸らさず、肯定の言葉を口にした。
「もちろん君たちは消さない。全員で退場してくれればいい――悪い話では、ないと思うが」
そう補足する彼だが、論点はそこではない。
「そういうことなら……その話は、受けられません」
ミコトも目を逸らさず、はっきりとそう言った。
この話を受け入れるのであれば、最初から戦うことなどなかっただろう。
自分の手の届く範囲、目の届く範囲に居るのであれば、全力で命を救う。
それがミコトの、ミコトたちの、譲れない信念なのだ。
「……。まあ、そう言うと思ったよ。だが、俺だってここで『はいそうですか』と退けるほど、軽い気持ちで言っている訳ではない」
サダユキは瞑目ししばらく黙りこんだ後、決意を固めるように言葉を紡いだ。
「訂正しよう。やはり、これも宣言と言った方がよかったな。折角だから、格好つけて言わせてもらおう」
目を開いた彼と目を合わせ、ミコトはごくりと生唾を飲み込む。
それほどに、彼の気迫を感じたから。
ニヤリと笑うと、果たして彼は言った。
「五対一で構わない。ここを通りたくば、俺を倒して行け――!」




