第二章10 五人の能力
誰だって一度くらい、空を飛びたいと思ったことはあるのではないだろうか。
飛行機などではなく、自分の身一つで自由に空を飛びまわる。それは、翼を持たない人類にとって共通の憧れだろう。
今回の出来事――イマジン鬼ごっこで、その夢を叶えた人間は何人くらいいるのだろうか。
そんなどうでもいいことを考えながら、やはり思うことは一つだった。
――ああ、俺もあれくらい自由に飛び回れたらよかったのに。
「へえー、けっこう頑張るね」
「そりゃ、どうも……」
空中戦――もっとも、ユウは飛んでいる訳ではないが――が始まって、しばらくしてアオカが声を上げる。余裕の彼女に対して、返すユウの声は低い。
「けど、いつまで持つかな?」
再び襲い掛かってくるアオカに、ユウは懸命に対応した。
翼をはためかせて加速するアオカは、グルグルとユウの周りを旋回しながらその輪を徐々に狭めていく。
付き合ってられるかと棒を縮めて下に逃げるユウの挙動を見逃さず、アオカは一気に距離を詰めると真上から右手を突き出した。
「どうだ!」
思わず叫びながら、ユウは棒を操作する。今まで棒を縮めて下がっていたところを、縮める代わりに折り返して伸ばした。
当然、折り返した地点に棒が残り、アオカと自分の間に立ちはだかる。
「ふっ」
掛け声とともに翼を操り、アオカは空中で身をキリモミ回転させるとスレスレでそれを通過する。
目論見が躱されたことを悟ったユウは、即座に進行方向を変えて横方向に逃げた。
棒にぶら下がる体勢で逃げるユウを、水平方向に真っ直ぐ飛ぶアオカが追う。
「!」
と、ユウの逃げた軌跡を示す棒から次々に突起物が生じ、アオカに襲い掛かった。
だがアオカはそれをすんでのところで躱し、舞い上がると棒から距離を取った。
「マジか、今のは当たるだろ……どんな反射神経してんだ」
「動物の危険察知能力を舐めないで? この子だって意思を持って動いているから、危険が迫れば自己判断で動くわ」
自分の胸を優しく撫でながらのアオカの発言に、ユウは衝撃を受ける。別にアオカがけっこう巨乳だったとかではないし、アオカも胸を撫でている訳ではない。
「ソイツ、半分自動操縦かよ……これじゃほぼ一対二だ」
アオカの能力は、触れた物体を自分に従う生き物に変える。彼女は自分の制服に能力を発動し、羽根を持つ生き物に変化させているのだ。
そして彼女の言う通りなら、アオカの不意を衝けたとしてもソイツが気付けば攻撃を躱されてしまうということになる。
「そろそろ諦める気になった?」
勝ち誇った顔でそう訊ねるアオカに――ユウは、ニヤリと笑って口を開いた。
「全然? ソイツも真後ろは見えないのか?」
「――!」
その言葉で後ろを振り返ったアオカの目に、飛んで来るオレンジ色の物体が映る。
その隙にユウは棒を操り接近、アオカの上を取った。
棒を自分の手元に一部残し、そこより先を鎖に変化させる。支えを失った体は、当然落下を始める。
勢いそのままに、手にした棒を振り抜く。手加減一切無し、上から脳天をかち割る一撃だ。
だが、彼女は冷静だった。
飛んできた物体の正体に気が付くと迷うことなくそれに向けて前進、ユウの一撃を躱す。
そしてオレンジ色のそれを両手でキャッチすると、上へと舞い上がった。
「ピンポン玉。気を逸らすくらいしか出来ない――そりゃそうよね」
その正体を改めて確認すると、彼女はそう言ってニヤリと笑った。
下の方では、攻撃が外れたユウが何とか体勢を立て直してこちらを見上げている。
後ろ、ピンポン玉が飛んできた方向を見れば、棚の三段目にミコトたちが全員上がっているのが見えた。
「なるほど……もっと高さを取るか」
呟くとそれを実行し、アオカは上昇する。
「さ、これでまたしばらくは二人きりで楽しめるわね?」
追いかけて上昇してきたユウを見据え、彼女はニタリと笑った。艶っぽいその笑みはしかし、欠片も嬉しくはない。
「生憎アンタは好みじゃないな。すぐに叩き落としてやるよ」
「そう、それは楽しみ」
せいぜい挑発するユウだが、アオカは全く意に介していないようだ。
――次はもっといい作戦立ててくれよ、タイジュ。
内心で愚痴を言いながら、ユウは再び戦いに身を投じた。
*************
「――どう?」
訊ねるタイジュにも見えているだろうが、視力に自信が無いのか起こったことを信じたくないのか。おそらく後者だ。
「普通にキャッチされちゃったね。あっ、もっと上行っちゃった。あそこは流石に届かないなー……」
答えたのはピンポン玉を打ち出したその人、アカリである。というか、この距離で狙ってピンポン玉を飛ばせるのが彼女しかいなかった。
そして彼女が喋っている間に、アオカは更に上空へと飛んで行ってしまった。
「うーん、やっぱダメか。そりゃそやろなー……かと言って、他に飛ばせる物も見当たらんし」
身体が縮んでいるのがかなりネックだ。重い物は飛ばせず、かといって軽い物だと脅威にならない。
考え込むタイジュを、他3人が見守る。
「漫画とかだと、人を投げ飛ばしたりするけど」
「アホか。届くわけないし、そもそも俺ら右手で触ったら消えるんやで。左手一本で投げるとか桃白白もビックリだわ」
ただの思い付きで喋るミコトに、思わずキツいツッコミを入れる。
柱を投げて飛び乗る移動法は斬新だが、現実には絶対に出来ない。全員普通の高校生で、人間離れした芸は誰も持っていないのだ。
「でもま、あそこまで行けたらそれが一番なのは確かやけどな……リョウカの能力でも足場が一個しか作れへんのがなー」
『同時に能力を発動できるのは一つの物体だけ』というルールは、全員に課せられているものだがかなり重く圧し掛かってくる。
例えば足場を順番に固定して行くとして、次の足場を固定した途端に前の足場は落下するから現実的に再利用は難しい。
となると使い捨てで大量に物を持って行く必要があるが、それだと一つ一つがかなり小さくならざるを得ない。
そんな足場で戦いに出るとか、それはもう自殺行為だ。
「複数が無理なら、一個デカい……いや、長い足場が作れれば……でもそれは重たくて動かせんよなあ。軽くて長い何か――あ。」
と、遂に閃いたタイジュは急に激しく首を動かし、辺りを見回した。
ここは体育倉庫だし、おそらくあるはずだ。
「ミコト、アカリ、リョウカ。ちょい耳貸してや」
おもむろにそう言いながら振り返るタイジュは、いつも通りの悪い笑みを浮かべた。
目的の物を見つけたタイジュは、それを使った作戦をミコトたちに知らせるのだった。
*************
上空から落下してくるアオカ。
それだけなら大して脅威でもないのだが。
「それは反則だろ!」
思わずそう叫ばずにはいられない。
「文句はアンタの仲間に言いなよ!」
全く以てその通り。
この状況を作り出したのは、良かれと思ってやった彼らの行動だ。
「くうっ」
危うく当たりそうになる攻撃を、紙一重で躱す。
――噛みついてくるピンポン玉お化けを。
「ほら、余所見してると死ぬよ?」
クスクス笑いながら落下してくるアオカの右手を、再び紙一重で躱す。
そのまま下へと落ちていくはずの彼女は、下に回り込んだピンポン玉お化けの上に着地した。
「おおー、頑張る頑張る」
ユウと同じ高さまで舞い戻ると、アオカは楽しそうに声を上げた。
五月雨式に訪れる命の危機にユウの冷や汗は出っ放し、汗腺全開だ。
『ほぼ一対二』だった状況は、『完全に一対二』に変化していた。
タイジュたちが飛ばしたピンポン玉は、物の見事に裏目に出ている。あっさりキャッチされたそれは、ばっちり再利用された。
正直、何度やられたと思ったかわからない。
「じゃあ、こういうのはどうだ――!」
ユウは状況を見てとり、素早くアオカの後ろへと回り込む。
当然アオカは振り返るだけ、訳も無くユウを目で追いかけ――
新たに飛んできたピンポン玉が視界に入る。
そして、ピンポン玉の真ん中から鋭い物体が突き出してきた。
「おお、危ない危ない」
上空に逃げてそれを躱すと、アオカはゆるりとそう言った。
「今のも避けるのか……」
四段目に登ったアカリからの援護射撃、それも不発に終わった。
そして更に上へと逃げたアオカの位置は最早天井に近い。そこは棚の一番上から、そしてアカリの力を以てしても、もうピンポン玉は届かないだろう。
「頼むぞ、おい……」
低い声で呟きながら、ユウもアオカを追って更に上へと棒を伸ばす。
だいぶ慣れてきたとは言え、正直ここまで来ると制動もかなり怪しい。何かしらの援護がないと勝てる気がしない。
だが、嘆いてもどうしようもないし、やるしかない。
仲間の機転を信じて戦うのみだ。
ギリギリの戦いが、続いていく。
***********
「よし、準備完了。行ける?」
タイジュが振り返りながら訊ねる。
「うん」
「いつでも行けます」
アカリとリョウカがそれに答える。アカリの表情が若干固いが、今回一番体を張るのが彼女なので仕方がないだろう。
「大丈夫やって。俺の能力があるから落ちても死なへんし。右手にだけ気ぃ付ければええで」
「うん、ありがとう」
安心させるようにそう言えば、アカリはふっと笑みを浮かべた。
「よし……ほな行くで!」
タイジュは気合の掛け声を入れると、手に持ったものを振り回し始めた。
「せえ……っのお!」
そして最後に満身の力を籠め、それを遠くに投げ飛ばす。
「――今!」
「『固定』!」
投げたそれを凝視し、タイジュが叫んだ瞬間にリョウカが阿吽の呼吸で固定する。
「よっしゃ、飛距離十分! 後は任せたで、アカリ!」
背を左手で叩かれたアカリが、勢いよく飛び出した。
タイジュが投げたのは、メジャーだ。手動で巻き取る形式の柔らかいタイプ。
体力測定の時に使ったのを覚えていたタイジュが、それが足場として最適だと閃いた。
しかし、それでも細い足場で十全に振舞えるのはアカリしか居なかった。
故に、アカリはメジャーの上をひた走る。運動神経抜群の彼女だからこそのスピードで。
と、こちらを向いて戦っていたユウが先に気が付いたようだった。
彼はさりげなく位置をずらしながら、戦いの場をメジャーの終端に近付けていた。
このままアオカが気付かなければ、飛びついて右手を掴む。後はユウが何とかしてくれるはずだ。
しかし、すぐにアオカもこちらに気が付いた。
こちらの方が戦い易いと踏んだのか、一直線にアカリの元へと飛んで来る。
「いらっしゃい。そんな足場で大丈夫?」
アカリの真上に位置取ると、ピンポン玉をけしかけてくる。
「大丈夫、問題ないよ!」
大きな声でそう返すと、噛みつかんとするピンポン玉の口の中に自分から右腕を突っ込む。
驚きながら落ちてくるアオカを、ピンポン玉ごと殴りつけた。腕でそれを防ぐものの、体勢を崩されアオカは落下していく。
「――っ! アイツの能力か!」
アカリは今、タイジュの能力で無敵になっていた。
それを察したアオカは、自分の制服に能力を掛け直すと上昇に転じた。
「そこっ!!」
横を通り過ぎるアオカに、アカリは全力で跳びかかった。
アオカを掴もうと伸ばした左手が――彼女の制服を掠め、空を掴んだ。
全力で跳んだアカリは、当然細い足場に着地することは叶わない。
そのまま地面へ向けて、落下していく。
だが。
「!?」
上昇したアオカの目から、火花が散った。
気が付けば、彼女は天井に頭を打ち付けていたのである。
何が起こったかさっぱり分からず、アオカは頭の痛みに目を白黒させる。
「ユウくん!」
落ちながら、アカリは叫んだ。
それに応え、ユウが素早く動く。
隙だらけのアオカに接近して接続をぐにゃぐにゃと動かし――
彼が離れた時には、アオカの手足をいつか見た拘束具が捕えていた。
「ふう、ようやく――捕まえたぞ」
勝ち誇った顔よりも、安堵の色が強いのが締まらないが。
仲間の協力を得て空中戦を制した、ユウの勝利宣言が響いた。
***********
「さっきのあれは何だったのよ」
ブスっとしたアオカが不満げに訊ねた。
既に退場済み、身体のサイズが元に戻った彼女は座り込んで尚ミコトたちを見下ろしている。
「簡単に言えば、元気が有り余ったんだな」
ユウの端的な答にアオカが顔をしかめ、横からアカリの説明が入る。
「私の能力、『元気百倍』って言うんですよ。あの時、制服に私の左手が掠ってたんです」
「それで、私の能力で生物化した制服が勢い余って上昇しすぎたと。何その負け方、私超ダサい」
その説明で、アオカも事態を理解したようだ。
まず、タイジュがぶん投げたメジャーをリョウカの『物体固定』で足場に。
タイジュの『無敵』を掛けられたアカリがそこを駆け抜け、『元気百倍』でアオカに隙を作った。
そして、『接続』で彼女を捕えたユウが地上へ降り、ミコトが『強制退場』させる。
「全員の能力フル活用やったな。……ミコトは美味しいとこ取りやけど」
「いやあ、どうもありがとうございます」
にへら、と笑うミコトに、全員が笑った。
いろいろ、本当にいろいろあったが、これで。
五人の能力を活かし、協力し合い――ミコトたちは、なんとか体育倉庫での戦いを制したのだった。




