第二章5 解説・解明・反撃
――走馬灯って、本当にあるんだな。
頭では死なないと分かっているのに、死ぬような怪我をすればやはり身体が反応するのだろうか。
傾く視界の中、そんなことを考えていた。思考は濃縮され、記憶の映像が周囲を飛び交う。
自分の血が、雨となって降ってくるのを目視する。降り注ぐそれはやがて水たまり――もとい血だまりとなり、身体を浸す。
生温い。でも、寒い。
赤一色の視界には次第に周囲から暗闇が押し寄せ、間もなく意識を失うのだと察せられた。
だが、意識を失う前に確かめておく事がある。
がくがくと震える手を無理矢理に動かし、自分の首筋に触れる。そして、溢れ出る血液の中をまさぐって目的のものを見つけた。
首筋、左斜め後方。そこに、滾々と湧き出る血の発生源がある。
そして、確信する。やっぱり、と。
傷と状況、そして最後に見た光景を結び付けて得た確信だ。
その確信を忘れないように、しっかりと脳に刻み付ける。意識が戻った時、ちゃんと覚えていられるかわからないが。
痛みは、思ったより感じない。ただ寒気と脱力感が酷く、これ以上は意識を保つことが出来なさそうだった。
狙われたのは、やはり作戦担当だとバレたからだろうか。それとも、ミコトの信頼を裏切ろうとした罰だろうか。
――まあ、どっちでもいいか。
薄く笑いを浮かべ、ユウの意識は途切れた。
*************
硬貨の射撃が再開し、ミコトたちは再び耐え忍ぶ時間を過ごしていた。
「くそっ、ユウまだ起きんの!?」
「いやあ、ダメみたい。出血は止まってるけど、意識はまだ……」
苛立ちが見えるタイジュの問に、ミコトがユウの様子を伝える。
「って、ヤバいヤバい、これは俺でも止められんって!」
しかし、悠長に傷の回復を待つ時間は与えられないらしい。飛来する巨大な物体がその事実を示していた。
アオカの能力は、触れた物を化け物にする能力らしい――というのがミコトの主観だ。
先ほどはピンポン玉に能力を使ったと思われ、ピンポン玉のお化けが襲ってきていた。
しかし、今度はバレーボールでそれを実行したらしい。
普段なら大した脅威ではないかもしれないが、今のミコトたちは小人状態だ。
バレーボールは自分たちの身長と同じくらいのサイズであり、それが猛烈なスピードで牙を剥きだし迫ってくるのだからもう、戦々恐々半狂乱だ。半狂乱は言い過ぎた。
「アカリ、球体なら負けんのやろ?」
「ごめん、これはムリ」
タイジュはダメージを受けないというだけで、力を受けていないわけではない。
つまり、単純な力押しで来られると、壁として十分な役割を発揮できないのである。
それが分かっているから、諦めに近い問いかけをアカリに投げる。
アカリも自分の前言を撤回せざるを得ず、二人は『やってられないぜ』という表情だ。
「今までならどうしようもなかったね」
「せやな」
だが、今のミコトたちにはもう一人頼もしい仲間が居た。
彼女は迫る怪物の前に立ちはだかると、左手を前に伸ばす。
突っ込んでくる怪物がその手に触れ――ぴたりと、動きが消え去った。
「私の能力は大きさとか関係ないですからね。むしろ的が大きいぶん触りやすくて助かります」
「まじぱねえっすリョウカさん」
「ホント、助かったよー」
しかも、止まったバレーボールが盾になってツトムの射撃が通らないという至れり尽くせりぶりだ。
タイジュとアカリの言う通り、リョウカのここまでの働きは獅子奮迅、その能力は値千金である。
だが、盾になるということは視界を塞いでいるということでもある。
それはつまり、ツトムたちの動きも見えていなかったわけで。
「――! 伏せろ!」
たまたまタイジュが後ろを向いていなければ、危うくやられるところだった。
彼の目に、空中で静止する硬貨が映ったのだ。
発した言葉に全員が即反応し、地に伏せる。直後、バレーボールの壁に動き出した硬貨がぶつかり、チャリンと音を立てて落ちた。
「あれ、ユウくんを撃った――!」
謎の方向からの狙撃である。この仕組みを解き明かさない限り、彼の攻撃からは逃れられない。
「撃った弾が方向転換するとか――ああもう、ユウお前早よ起きろよ! 絶賛大ピンチやで!」
「そうだな、そろそろ勝たせてもらおう」
倒れ伏すユウにタイジュが当たり散らすが、それに答えたのは上から降ってきたツトムの声だった。
いつの間にか彼はバレーボールの上に立ち、射撃態勢に入っている。その狙いは、リョウカに向いていた。
「無賃乗車ですよ」
しかし、彼女はそんな状況で冗談すら言ってみせた。
諦めた訳ではない。純粋に対処できるという自信の表れだ。
彼女はツトムの射撃が実行される直前、自分の能力を解除した。すると、バレーボールはすぐに活動を再開した。
足場が突然動き出せば、射撃が狙い通りに飛ぶはずがなかった。
彼の撃ち出した硬貨は大きく外れ、あらぬ方向へと飛んでいく。
このまま行けばボールは床に激突し、弾んだ衝撃でツトムの身体は投げ出されるだろう。
ピンチとチャンスが目まぐるしく入れ替わる中、訪れたチャンスを掴みに行く。
「みなさん、落下地点でもう一回囲みましょう!」
声を上げてリョウカが走り出し、それに続いてミコトたちも動く。
投げ出されたツトムの落下地点を予測して、その時を待つ。
だが――
「アオカ!」
このまま行けば、はこのまま行ってくれなかった。
ツトムのその声だけで、アオカが飛んで来る――文字通りに。
「と……!」
「飛んでる!?」
落下するはずだったツトムの身体は、その軌道を変えて空中を滑る。彼が伸ばした右手を、アオカの右手が掴んでいるのだ。
そしてそのアオカは――なんと、羽を生やして飛んでいた。
「自分に能力を使った? 何なんですかその能力、反則だ!」
ミコトの推測で行くと、触れた物を化け物にする能力。それを自分に使い、羽を生やしてみせたというのだろうか。
余りにも現実離れした光景に、ミコトは思わずの体で叫び声を上げる。
「反則なものか。ルールは全員に平等に課せられているとも」
滑らかな滑空で地に降り立つと、ツトムは口の端を上げて堂々と言い放つ。
ツトムを降ろしたアオカは、羽ばたきと共に再び空中へと舞い上がった。
「さて。そう言えばそこの君、無賃乗車とか言っていたな――」
余裕綽々な笑みを浮かべるツトムは、リョウカの方を向いて話し出した。
突然話題を振られ、彼女は訝しげに顔をしかめ身を固くする。
「では、代金を支払うとしよう。受け取りたまえ」
「しまっ――」
今、ツトムの手に硬貨は握られていない。
しかし、リョウカの脳裏にタイジュの言葉と少し前に見た映像が蘇る。
撃ち出した弾が方向転換するという言葉と――突然血を噴き出し、倒れるユウの姿が。
先ほどツトムが放った硬貨は、リョウカに当たらずどこかに飛んで行った。
その後、彼は能力をまだ使っていない。
つまり、撃ち出した弾はまだ彼の能力の支配下にある。
言葉を中途半端に発し、振り返った彼女の目の前に――
一本の棒が現れ、甲高い音を発した。
「……え?」
戸惑うリョウカの頬を、硬貨が掠めていく。うっすらと血が滲むが、すぐにそれは塞がった。
「ゆ、ユウくん!」
ミコトの上げた声が、謎の答えだった。
床に倒れ取り残されていたユウが、左手を上げている。
その左手からは金属の棒が伸び、リョウカの前を通り過ぎ教科書と繋がっていて。
「ナイスタイミング俺――ちゃんと、覚えてたな」
ミコトには、その呟きの意味は分からない。
だが、彼が今正にリョウカを狙撃から守ったということは分かった。
「さて、反撃開始と行こうか」
倒れたままの態勢で、ユウはニヤリと、不敵に笑うのだった。
**********
意識を取り戻したとき、ユウは安堵した。
傷が治ると分かっていても、自分の命が失われる感覚は恐ろしいものだ。自分がちゃんと生きていることに、まず安堵するのは当然だ。
そして、もう一つ安堵する。気を失う前のことを、ちゃんと覚えていたということに。
「反撃開始、と。俺の能力を見破ったのか、面白い」
目を細めるツトムに、ユウはゆっくりと身体を起こして視線を投げ返す。
「ああ。説明、聞きたいか?」
「ああ、是非頼もう」
ユウの挑発的な発言にツトムが答え、二人の間に火花が散るのを感じる。
「まず、会長の能力で起こった現象は四つだ」
「四つ?」
指を4本立てて説明を始めるユウだが、出だしからミコトは首を捻る羽目になった。
「ええっと、まず一つ目は『小銭で射撃』だよね」
「二つ目は『会長の高速移動』、かな」
「三つ目は……『方向転換する弾』、とでも言うんでしょうか。今さっき私が死にかけたやつですね」
ミコト、アカリ、そしてリョウカが思いつく現象をそれぞれ口にする。しかしこれではまだ三つ、もうひとつはミコトたちには思いつかない。
「『空中で止まった』、やろ。四つ目」
「正解。やっぱタイジュはちゃんとしてるな」
「ああ、そう言えば……!」
最初にユウとリョウカに追いつめられた時である。飛び上がった彼は待ち受ける二人を、落下を途中で止めるという方法で回避していた。
「聞けば聞くほど、『物体を移動させる能力』で説明が付く気がするんですが……」
「でも、それだと『ノーコン』なのと『自分に触れてない』のがおかしいって話やったな」
リョウカは改めて自分の最初の推測を口にするが、否定された理由をタイジュが思い出させた。
「そう。つまり会長の能力は、触れた物体を直接操る能力じゃないんだよ」
「ええっと、つまり……どういうこと?」
ユウがどうやら鍵となるフレーズを口にしたらしく、分かり辛いドヤ顔をした。しかし、ミコトには何が何やらさっぱりで、更なる説明を求める。
「そうだな……ミコト、物体はそもそもなんで動く?」
突然の問いかけに、ミコトは戸惑う。授業中に当てられた時のようで、俄然焦って答を考える。
「なんで……あ、誰かが動かすから?」
「おおう、そう来たか。じゃあ、物を動かすにはどうしたらいい?」
「動かすには……えっと、押す?」
「押す、それも一つ。他にも引いたり叩いたり、投げたっていい。で、つまりこれって何をしてる?」
「何を……? え、うん。え?」
そこから問答が続くが、ミコトはおそらくユウの求める答に辿り着けない。
「つまり、力を加えるってことやろ」
見かねたタイジュが、横から助け舟を出す。
「なるほど」と口にしてみたものの、ミコトはまだピンと来ていない。
「そういうこと。物体に一気に大きな力が加われば、ものすごい速さで動き出す。力を加えるだけだから、コントロールは利かないってわけ」
それが『小銭で射撃』がノーコンな理由らしい。それがどう左手の能力に繋がるのか、ミコトにはまだまだ分からない。
「つまり、触れた物体にものすごい力を加える能力? でもそれじゃ、『高速移動』はどうやってるの?」
アカリも分かっていないようで、短絡的な結論と当然の疑問を口にする。
「そうですね。結局『自分に触れていない』という疑問は解消されてませんし」
「いや、そこについては解決されてるはずだよ。タイジュ、分かる?」
アカリの疑問を補強したリョウカに、ユウが口を挟む。
話を振られたタイジュは考え込む素振りを見せ、すぐに答に辿り着いたようだ。
「ああ、作用反作用の法則やな。『力を加える』っていうなら、加えた側にも同じだけの力がかかるから――」
「『触れた物体に力を加える』、イコール『自分にも同じだけ力が加わる』ってことですね!」
タイジュの言葉でリョウカもピンと来たらしく、声を大きくして続きを言ってみせた。
「ほう、そこまでは合っているな。まだ半分だが」
ツトムが感心したように声を上げる。しかし、彼の言う通りまだまだ謎は残っている。
「そう。これだけだと『方向転換する弾』と『空中で止まった』については説明が付かない」
ユウは頷き、説明を再開する。
「どっちも、『物体に触れていないのに力が加わっている』ことになる。つまり、触れていなくてもお互いに力を及ぼせるってわけだ。そういう力に誰か心当たりはない?」
再びの問いかけに、四人はうーんと考え込む。
「あ! 磁石とか? 触ってなくても引っ張られたり反発したりするよ!」
「うん、一気に正解に近付いた。ハナちゃん五ポイント獲得」
閃いた、と明るい声を上げるアカリに、ユウが満足げに頷く。謎のポイントを贈呈されたアカリはばんざいと両手を上げた。
「答えて貯めようUポイント、何か良いことがあるかも」
「何アホなこと言ってんのミコト」
「すいません、続きをお願いします……」
話についていけず頭に浮かんだ言葉をそのまま口にすると、ユウから手酷い反応が返ってきた。
ミコトは素直に謝ると、説明の再開を乞う。
「よろしい。そう、磁力っていうのはかなり良い考え方だ。もし仮に会長と触れた物体が全て磁石だったら、全部説明が付く」
会長と、彼の触れた物体がすべて磁石だったら。想像してみると、赤と黒に塗り分けられた会長の姿が真っ先に浮かんでミコトは勝手に沈没する。
「ミコト何一人で笑てんの? 全部磁石やったら……最初の二つと、『空中で止まった』については同極の反発力で実現できそやな。でも、弾を曲げるのは不可能ちゃう?」
そんな様子をさらりと流して、タイジュが考えを口にする。
首を捻るタイジュの横で、リョウカが小さく「あっ」と声を上げた。
「曲がってるんじゃなく、戻ってる……?」
彼女の呟きに、ユウが珍しく満面の笑みを浮かべた。
「大正解。自由自在に操ってるわけじゃなく、ただ単に自分の方に引っ張ってただけってこと」
「なるほど! だからさっきリョウカへの攻撃を防げたんか!」
「小銭と会長の位置が把握できれば、軌道も分かりますもんね」
ユウの言葉で完全に理解したらしいタイジュとリョウカは、納得の声を上げている。
「よう分かったな、そんなこと」
「分かったのは俺がやられた時。倒れる直前、会長の立ち位置が変わってることに気付いて不自然だと思ったんだ。それで傷の位置を確かめたら、ちょうど会長の居た位置の反対側に傷が出来てることに気が付いた」
「死にかけてるっていうのに冷静過ぎません? あ、死なないんでした」
盛り上がる三人に、完全に置いてけぼりになっているのはミコトとアカリだ。顔を見合わせ、『やってられないぜ』の表情である。
「はいはい先生! でも会長は磁石じゃないと思います!」
何とか会話に参加しようと、前提をぶっ壊す発言をアカリがぶち込んだ。
「うむ、それは今から説明するぞ。よーく聞くように」
機嫌良く乗ってくるユウに、アカリが満足して大人しく聞く姿勢を見せた。ミコトもそれに従い、続きを待つ。
「さて。ハナサ……ちゃんの言う通り、会長は磁石じゃない。じゃあ、磁力以外で、触れずに引っ張ったり反発したりする力を考えればいい」
油断したのか呼び名を間違えかけ、アカリにむっとした視線を送られるユウ。何とか軌道修正し、再三考えることを促す言葉を発する。
「電子とか……? それでもよう分からんな」
「タイジュって理系か。しかもそれ、まだ習ってないようなことだな。でも、そんなに難しい話じゃない。誰でも知ってるし、俺たちにも常に加わってる力だよ」
何だか頭の良さそうな会話にミコトはちんぷんかんぷん、ただし最後だけ理解した。
自分に加わっている、目に見えない力と言えば。
「――重力?」
「ミコト、本日初の正解。しかも一番おいしいところ持ってったな」
思いつきを口走ると、ユウがニヤリと笑ってこちらを見た。だが、ミコトとしては言ってみただけで何故これが正解なのかは分からない。
「重力、だと正確じゃないからな。重力には別の名前があるでしょ」
「――万有引力か!!」
タイジュが発した言葉は、ミコトも、おそらく誰でも一度くらいは聞いたことがあるだろう。
万有引力の法則。ありとあらゆる物体は実はお互いに引っ張り合う力が働いているとか、そんな感じだったとミコトは聞きかじって記憶している。
「その通り。そのうち習うけど、万有引力の公式には万有引力定数っていうのがある。会長の能力はズバリ――」
そこで一旦言葉を切り、立ち上がるとユウはびしりと会長を指差した。キメキメである。
「『触れた物体と自分の間に働く万有引力定数を変える能力』、それも正負問わず。――合ってます?」
口調は問いかけだが、その態度は自信に満ち溢れていた。何しろ自らの身を削って辿り着いた答なのだ。
「……正解だ。引力、そして斥力を自在に操る――『引斥自認』。それが俺の能力だ」
目を閉じ両手を上げ、参ったという身振り手振りでツトムはそう言った。
自分の能力を完全に解明され、もう降参するしかない――はずもなく。
「種が分かったところで、対処できないことだってあるだろう。戦いはここからだ」
不敵に笑い、小銭を取り出した彼は再び闘志を漲らせている。
「そうですね、解説に付き合ってもらったお蔭で、俺の傷も治りましたし」
そんなツトムに、ユウがわざとらしい感謝で煽りを入れた。ニヤリと笑うその様子を見て、ミコトは頼もしさを感じる。
体育倉庫という閉じられた空間の中、お互いの闘志が空気を満たし――再び戦いの幕が切って落とされようとしていた。




