第二章3 開始と停止
僕の名前は、シゲタタケオ。漢字で書くと茂田武雄で、略してモブとよく言われる。そしてその呼び名通り、何の変わり映えも無い平々凡々な人生を送ってきた。
――急になんだ、って? いえいえ、聞いてください。そんな僕にも、ついに平凡でない出来事が訪れたんです。
それは今朝、突然のことだった。『イマジン鬼ごっこ』という、日本全国の高校生による命懸けの鬼ごっこに巻き込まれたのだ。これだけでもう特別な出来事。
しかし、それに巻き込まれた僕は更に特別な出来事に見舞われた。
第一ゲーム、二年D組の教室でのサバイバルをなんと生き残ったのだ。最後の一人になった僕は、もうモブとは言えないだろう。
しかも、だ。第二ゲームの会場だと言う体育館に来るまでに、二年B組の同じく最後の一人に出くわし――なんと、勝ってしまったのである。
これはもう、平凡な高校生がデスゲームを勝ち上がる物語の、主人公になったと言っても過言ではないのではなかろうか。
そんな訳で、僕は次のゲームの開始を待ち構えている。第二ゲーム、『身体倍々ゲーム』。
このルールからすると、狙い目は三人以上で組んでいるチームだ。
『イマジン鬼ごっこ』の良いところは、全員が一撃必殺の攻撃を持っているところだ。つまり、不意を衝けさえすれば、誰にでも勝機があるということである。
だから、今回のゲームは開幕の不意打ちに全てを懸ける。一人消してしまえば、そのチームメイトは身体の大きさが半分になる。
そうなればもうこっちのものだ。自分の半分の大きさの敵など恐るるに足らず、あと二人を一気に消して勝利だ。
そうして決めた作戦を実行すべく、開始の時をじっと待つ。
やがてカウントダウンの後――
「ゼロ」
女神の発したそれを合図に第二ゲームが始まり、僕は近くに居た五人組に向けて飛び出した。
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第一ゲームと同じく、女神の宣言を以て戦いが始まる。
始まった瞬間に周囲に敵の姿が現れ、今まで自分たちを隔てていた見えない壁は、敵の姿を隠す役割も持っていたのだと気付く。そして、それがたった今消え去ったことも。
解き放たれた参加者たちは、第一ゲームの時とは違い迷いなく行動した。
一斉に動き出すその中に、自分たちへ向かう影が一つ存在している。
「ハヤミさん!」
その影がリョウカの方へと突き進んでいるのを見てとり、ミコトは声を上げて警戒を促した。
ほぼ同時に彼女もその存在を捉え、間近に迫ったその少年をしっかり目で追っている。
そこからは、一瞬の出来事だった。
姿勢を低く迫る少年に対し、リョウカは自身のマフラーを取り外すと彼の進路にそれを『固定』した。
ただの布と見てそれごとリョウカに触れようとした右手が、予想を外れて停止を余儀なくされる。
それと同時に、リョウカの後方ではタイジュに左手で背を押されたミコトが飛び出していた。彼女の右側、少年から見て左側から回り込む。
少年がそれに気付くと、彼は咄嗟に左手で体育館の床に触れた。
次の瞬間、木製の床があり得ない柔らかさで波打ち、その中心に固い突起物が生まれる。その鋭さたるや、人体など易々と貫くに違いない。
そしてその凶器は、一気にその身を伸ばすとミコト目掛けて迫りくる。
しかし、ミコトは迷いなく一歩を踏み出す。
当然の如く、その切っ先はミコトの身体へと到達し――あっさりと砕け散った。
目の前で自分の攻撃が容易く打ち破られ、驚愕に目を見開き固まる少年。
その隙を見逃さず、ミコトの左手が彼の肩へと辿り着いた。
「『強制退場』!」
その叫びと共に左手の能力が発動。退場が成立し――
少年の身体が、一瞬のうちに巨大化した。
「は!?」
少年は、自分の身体の変化に戸惑いの声を上げる。自分が突然八倍の大きさになったらそれも当然だろう。
「おい! お前はたった今このゲームから除外された! 説明してやるから、怪我したくなかったら俺たちを抱えて体育倉庫に入れ!」
直後、戸惑う彼を叱りつけるように、ユウが声を張り上げた。少年の顔には疑問と困惑がありありと刻まれており、動き出す様子は無い。
「早くしろ! 死にたいのか!」
周囲にはざわめきが広がっており、予想通り突如ぶっちぎりで大きくなった彼に注目が集まっている。
その視線と敵意に、ユウが焦燥を露わに怒声を繰り返す。
だが、混乱の最中にある彼には届かない。
「お願い! 協力して!」
と、駆け寄ったアカリが彼の脚に触れながら声を発する。
するとどうだろう、彼は正気を取り戻したかの如く目線が定まり、目が合ったアカリに頷いて見せた。
彼はしゃがみ込むと駆け寄った五人を両手で包み込み、全員をいっしょくたに持ち上げる。
強制的なおしくらまんじゅうで相当苦しいが、贅沢は言っていられない。
全員右手だけお互いに触れないように注意し、走り出す彼の手に身を委ねる。
「ナイスアカリ、その能力思ったより便利やな」
「でしょー、もっと褒めてくれてもいいよ?」
少年に正気を取り戻させたアカリの咄嗟の行動と能力を、タイジュが称賛する。
『元気百倍』がこういう場面で役に立つのは予想外であり、アカリも得意気だ。
「よし、とりあえずは作戦通り。アンタ、体育倉庫に入ったらすぐに扉を閉めてくれ。それで一先ず安全は確保できるから」
安堵を漏らしつつ抜かりなく指示を飛ばすユウに、少年は顎を引いて返事とした。
そして、目的地を目指して駆ける。八倍の歩幅に追いつけるはずもなく、他の参加者を置き去りに。
開始から一分足らず、ミコトたちは、体育倉庫へと辿り着いたのだった。
***************
――どうも、タケオです。いやもう、モブです、モブでいいです。
少し、自惚れていたようです。やっぱり、僕なんかが主人公になれるわけがなかったんです。思い上がってすみませんでした。
意気揚々と挑んだ第二ゲーム、そこで僕は作戦通りの行動を取った。そして、あっさりやられた。
不意打ち自体もほとんど上手くいっていなかった。警戒され、簡単に防がれ、こちらの攻撃は全く通じなかった。
ていうかあれ、反則じゃなかろうか。当たったよね、思いっきり当たったよね。でもこっちの攻撃が砕けるとか、どんな腹筋してんだ。
いや、あれはそういう能力なんだろう。身体がめちゃくちゃ固くなるとかそんな感じの。
僕の能力は『形状変化』、触れた物体の形を好きなように変化させる能力。
変わるのは形だけで、物質そのものが変わる訳じゃないから、彼の身体が木より固くなっていたらそりゃ当然砕ける。
かと言って他に何ができた訳でもないのだから、負けるべくして負けたと言う他ない。
翻って彼らを見れば。
お互いを信じたスムーズな連携、女の子がかわいい、そしてたぶんだが『不殺』な能力。
完全に主人公とその仲間たちだ。あと女の子がかわいい。
そうして僕はまんまと彼らにやられ、挙句命を救われた。
このままだと危ないというので、とりあえず指示に従って体育倉庫に辿り着き、彼らを一旦床に置いてドアを開く。
開いたドアから彼らが中に入り込むのを確認すると、後に続いて中からドアを閉める。
「だっ!!」
が――閉め切る直前、不意に額に衝撃が走った。
漏れ出た声は五人の警戒を促したようで、全員が周囲を見渡す。
そして、ほぼ同時に見つける。
体育倉庫の奥、跳び箱の前。そこに、二つの影が降り立ったのを。
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体育倉庫の中はひんやりと冷たく、微かに差し込む陽光は磨りガラスでぼんやりとしている。
物は多いが整頓されているその部屋は、この身体なら走り回れるくらいの空間は確保されていた。
ここが、今回の城だ。退場させた人は全員ここに入ってもらい、ここを背に戦う予定である。最初の一人となる彼に説明をしておけば、後は任せればいい。
そう、算段していたのだが。
「だっ!!」
その彼――退場させた少年の短い叫び声が聞こえ、その計画が頓挫したことを悟る。
ミコトも含め、全員が警戒を最大限に引き上げ周囲を見渡す。
そして、ミコトたちからすれば遥か上空から、自分たちよりも奥のスペースに降り立つ影があった。
影はよく見れば二つ――いや、二人だ。
だが、それを認識した次の瞬間、片方が消えた。
消えたというと紛らわしいが、右手で消された訳ではない。正確に言うと、消えたかのようなスピードで移動したのだ。
おそらく三メートル程度、普段なら一歩の跳躍で飛び越えられる距離。
しかし、その影は小さくなった身体のまま、一飛びでその距離を駆け抜け――少年の脚を右手で触った。
「消え、ない……」
少年は自分の身体がまだ確かに存在していることを把握して、思わず声を漏らす。
退場しているのだから当然だし、そもそもここまでにミコトたちを思いっきり右手で触っているのだから、驚きはそこまで大きくないようだ。
それは乱入者としても予想通りだったのだろう、一切の迷いのない動きで今度は左手で彼に触れると、またも目にも止まらぬ高速移動を行った。
――ミコトの目の前に。
「――っ!」
訪れた危機に時間の感覚は濃縮され、世界がコマ送りのように見える。
両足と左手を地面に付き、慣性を感じさせない動きで彼の身は急停止。正に、目の前に突然現れたかのようだ。
――そう、男だ。どこかで、見たことがある。
自分の目の前に現れた存在を、そう認識した。
その瞬間、確かに彼と目が合ったとミコトは思った。
敵意剥き出しの視線がミコトを射抜き、彼の次の挙を想起させる。果たして、彼は右手を動かした。
ミコトに向かって動くその手は、問答無用の消失をもたらすものだ。
だが、脊髄に刻み付けた言葉が反射を呼び起こし、身体を動かす。
――相手の右手は、右手でガード。
浮かんだ言葉のままに、彼の突き出す右手の軌道上に、自分の右手を構える。
だが、右手同士が触れる直前で、彼は急に手を引いた。予想外の動きに、ミコトの右手は空を掴む。
それを見て、彼がニヤリと笑ったのをミコトは見た。
――まずい。
そう思った瞬間には、彼が再び手を突き出す準備を完了させていた。
心臓の鼓動を強く感じ、胃が下に落ち込むような感覚を得る。背中は氷を当てられたように冷たくなり、脳にまでその冷たさが達する。
しかし、その手が襲ってくることはなかった。
彼の左右から、ユウとリョウカが飛び出してきたのだ。
迫る二人に気付いた彼は、攻撃を中断し左手を再び地面に付いた。
再び彼の身体は目の前から消え去り、微かに捉えられた影で彼が飛び上がったことを察する。
攻撃を躱され、二人――ユウとリョウカの手が宙を泳いだ。
二人は首だけで彼を追い、その落下地点を見定めて待ち構える。
「ユウくん!」
思わず、ミコトは叫ぶ。彼が突き出そうと構えているのが――右手だったから。
しかし、その叫びに彼は振り返らない。
やがて落下してきた男に、二人の右手が伸び――再び空を掴んだ。
男の落下が、空中で止まったからだ。物理法則を無視した現象に、二人もミコトも動きが止まる。
その隙を衝き彼の身体が落下を再開、着地した。そのまま右手を突き上げ無防備になったユウ目掛けて、消失の魔の手を伸ばす。
ミコトもリョウカも、そしてユウも動けないまま、その手が身体に触れる直前。
タイジュがユウの襟を後ろから引っ掴み、乱暴に放り投げた。
今度は男が無防備となり、後ろからリョウカが襲いかかる。
「だめ!」
しかし、その動きは男ではなく、後ろから右腕を掴んだアカリによって阻止された。
その隙を見て男が再び飛び上がり、今度は後ろへと退避する。
「お前ら、どういうつもりやて」
激しい攻防が一旦終わると、タイジュが低い声で呟いた。
その問いは、ミコトとアカリの気持ちも代弁したものだ。
問われた二人――ユウとリョウカは、何も答えない。
新しい仲間、そして――自分が誰よりも信じていた人物。
「どういう、こと?」
彼の、ユウの行動は、ミコトの最もしてほしくないと願っていたことだったから。
改めて問いかける自分の声が震えるのを、ミコトはどうしても抑えることができなかった。
開始したばかりの第二ゲームは、これまでと違う種類の絶望を、恐怖を、ミコトにもたらしたのだった。




