第二章1 カラダバイバイゲーム
真っ白な空間だ。目に映るのはただひたすらに白のみで、それ以外の物は何も存在していない。たった一つ、自分と言う不純物を除いて。
景色も無ければ音も無い、限りなく孤独な空間。
そんなところに放り出されたというのに、彼――ミコトは冷静であった。
それはおそらく、この空間が、この経験が二度目だからだろう。
扉を開け、体育館に踏み入ったはずのミコトは、気付けばここに一人で立っていた。
立っているような浮いているような、曖昧模糊とした感覚に囚われつつも、以前の経験と照らし合わせ、またぞろ女神のご招待に預かったのだと理解する。
やがて予想通り、一人きりの世界に彼女は突然現れた。
豊かな金髪をなびかせ歩み寄ってくるその女性に、敵意を込めた視線を送る。
「生き残ったとは驚きだわ。あなた、運が良いのね」
その敵意を心地よさげに受け止め、優雅に彼女は言葉を発する。
変わらぬ女神のその様子に、ミコトはため息を一つ落とした。
「あら、勝ち上がったというのに随分な様子ね。ため息を吐くと幸せが逃げてしまうわよ?」
どの口が、というセリフを臆面も無く吐く女神と、目線を合わせミコトは口を開く。
「早く、次のゲームを始めましょう」
字面で見れば積極的なミコトの発言に、女神はちょっと驚いたように眉を上げる。
「どうしたのかしら、急にやる気が出たみたいだけれど」
「いやあ、退場した皆さんが待ちくたびれてしまうので」
からかうような女神の問いに、ミコトは笑って答えてみせる。
「それに――心強い味方がいますから」
その姿を思い浮かべるだけで、ミコトは勇気をもらえる。
堂々と言い切るその様子に、女神は殊更満足そうな笑みを浮かべた。
「ええ――ええ、いいわねえ! 参加者のやる気はゲームの面白さに直結するもの。その調子で盛り上げていって頂戴」
声音も高く喜色満面の笑みで喋る女神を見て、ミコトはニヤリと笑う。イメージは、ガタイのいい仲間の、悪そうな笑顔で。
「盛り上がらないと思いますよ? ――すぐに、このゲームを終わらせてやりますから」
「――そう。それは楽しみね」
挑発的なミコトのセリフに、女神もまた表情を変え、真正の悪い笑顔で以て応える。
そうして数秒目線をぶつけ合い、やがて女神が身を翻す。
「さて。それでは、そろそろ次のゲームのルール説明といきましょうか」
ミコトと反対を向いたままそう宣言すると、彼女は一つ、大きな拍手を打つのだった。
******************
視界を埋め尽くす白が消え去り、世界が一瞬のうちに色付く。
乾いた音を合図に訪れたその現象に、自分が現実世界に戻ってきたことを把握する。もっとも、ここが現実の世界でなければいいのにというのがミコトの正直な気持ちである。
眼前に構築された世界は、予想通り体育館の中だ。ただし、誰が運んだのかミコトの体は入口から遠くに離れ、フロアの中央付近に存在しているようだった。
電気は点いておらず、陽光が高い窓から差し込む微妙な明るさで見るその景色には、微かな違和感がある。
「ミコトくん?」
不意に自分の名前を呼ぶ声が聞こえそちらを振り返れば、セミロングの茶髪の女子――アカリがこちらを窺っていた。
居るはずとは思っていても実際に目にすればやはり安心し、ミコトはそちらに歩み寄る。
「ああ、ハナちゃん。よかっだっ!」
しかしその歩みと言葉は、唐突に鼻面に発生した痛みと衝撃に堰き止められた。
訳も分からず後ろによろめき、不格好に尻餅をついてしまう。
「ミコトくん!? あ、何これ。なんか壁みたいなのがあるっぽい」
その様子を見てアカリが驚き手を伸ばせば、ミコトが急停止した辺りに目には見えない壁が存在しているようで、ぺたぺたと彼女はそれを触っている。
傍から見れば見事なパントマイムだが、彼女のボディパフォーマンスの賜物という訳ではないのはミコトの鼻が喧しく主張していた。
「『安全は保障する』ってヤツじゃないかな。お互い触れられないようになってるんだと思う。ぐるっと壁に囲まれてるみたいだよ」
後ろから落ち着いた声で分析が聞こえ、ミコトは座り込んだまま首を斜め上後方にもたげる。
逆さになった視界の中、聞きなれた声の主が『壁』に片手を付き、こちらを見下ろしていた。
「ああ、ユウくん。確かに、そう言えばそんなこと言ってたなあ」
彼の言葉に、女神が教室から居なくなる直前に言っていた事を思い返す。
そうしてぼんやりと天井を見上げ――不意に違和感が強くなる。
一抹の不安を抱いてミコトは上を向いたまま立ち上がり、天井を、次いで視線を下ろして周囲を見渡す。
「ねえ。ユウくん、ハナちゃん」
その過程で目が合った二人に、固い声で呼びかける。
「うん?」
「なあに?」
左右から疑問の声が返り――ミコトもまた、感じた疑問を口にする。
「なんか……体育館、やけに広くない?」
ミコトの疑問に、二人が一瞬固まる。その隙を突くように、状況は動き出した。
「お待たせ。それでは、次のゲームのルールを説明するわ」
女神の声が響き渡り、その姿が体育館の前方、舞台上に現れる。
「次のゲームは、その名も……『身体倍々ゲーム』!」
その宣言を聞き取り、ミコトは自分の感覚が正しかったと確信を得る。こんなに嬉しくない確信も滅多にないだろうが。
「ああ、そういうことか……マジ?」
「わあ……もうホント、なんでもアリなんだね」
同時に察したらしいユウとアカリの暗い声が聞こえ、ミコトの確信がより盤石なものとなる。
「これ、体育館が広いんじゃなくて」
広く感じたのは、相対的なものだった。変化したのは体育館ではなく、ミコトたちの方だ。
そう、目が覚めたら、もとい――気が付いたら。
――身体が縮んでしまっていた。
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見た目は子供、頭脳は大人――という訳ではない。
身体が縮んでしまっていた、それは事実だ。
だが、その縮み方は彼の有名な高校生探偵とは違い、年齢も何もかもそのままに、本当にサイズだけが縮んでいるのだ。
「さて、もう皆気付いていると思うけれど、貴方たちの身体は今小さくなっているわ。丁度、元のサイズの八分の一にね」
女神の声が響き、状況の説明が為される。
「身体の大きさを元に戻す――それが今回のゲームの勝利条件よ」
概要を説明しながら、女神が指を立ててそれを振り下ろす。
すると、ミコトたちの目の前に突然文字が現れた。
「それが今回のルールよ」
ミコトたちを囲む壁に刻まれているらしいそれらの文字たちは、空中に光をまとって整列し文章を形作った。
『身体倍々ゲームルール』
『①基本ルールはイマジン鬼ごっこと同じ』
『②他の参加者を一人消すたび、身体のサイズが倍になる』
『③クラス対抗戦で、身体のサイズは共有される』
『④ただし、味方が一人消えると、チームメイトの身体のサイズが半分になる』
『⑤身体のサイズが元に戻ったら、その時点で勝ち上がりが確定する』
『⑥最後の一チームに残った場合も勝ち上がれる』
ゆっくりと、ミコトは理解できるまで何度か文章を読み返す。
そして理解できた辺りで、ユウが隣で口を開いた。
「つまり、クラス全員合わせて三回敵を消せば勝利ってことか。――俺たちはその手が使えないけど」
「そうだね。他の皆を退場させて最後の一チームにならないといけないのかあ」
「大変だねえ。頑張らないと」
ユウの言葉に、ミコトが肯定と自分たちの唯一の勝利条件を口にする。それはアカリの言う通り、大変の一言である。
他のクラスは三人消せば勝利だが、ミコトたちは誰も消さないと決めた以上、最後の一チームになるしかない。
何人この体育館に居るのかは分からないが、最善な解決としてはそれを一人残らず退場させることになる。
「いやあ、まあでも本当に、頑張るしかないですね」
無茶は百も承知で、それでもそこを目指すより他は無い。
勝ち残ると、そして一人でも多くの人を助けると決めた以上は。
「大丈夫、なんとかなるよ。途中まではタイジュくんも手伝ってくれるだろうし」
ミコトの背を押すように、アカリが希望を口にする。
そう、別クラスにも味方がいる。彼も彼の能力も心強いし、協力してくれることは間違いない。
「ああそう、一つ追加事項だけれど、五人に満たないクラスは他のクラスと合同チームが組めるわ。五人以内という制限付きで」
そんな時、珍しく女神がミコトたちにとって喜ばしい補足事項を伝えてきた。
彼女はいつの間にかミコトたちの目の前に来ており、サイズ感までミコトたちに合わせている。
「え、本当!? ってことは、ミコトくん!」
「うん、タイジュくんも一緒に勝ち残れるね!」
正直、タイジュの能力はこの先も欲しい能力だし、彼の人柄もミコトたちの支えとなるのは間違いない。
ここで退場させるしかないと思っていたミコトたちにとっては、いい意味で予想外の出来事だ。
「やったねえユウくん……ユウくん?」
「ん……ああ、そうだな。ありがたい」
アカリと喜びを分かち合ったあと、その水をユウに向けたミコトは、彼が何かを考え込んでいる様子に気が付いた。
疑問を浮かべるミコトにユウが気が付くと、彼は顔を上げて何事も無かったかのように同意を返す。
「じゃあ、二年C組とチームを組みたいんですが」
「ええ、いいでしょう。……あちら側もOKのようね」
ミコトが女神に依頼をすると、彼女は承諾し少しの間目を閉じる。
おそらくC組側に確認を取ったのだろう、目を開くと色よい返事をもたらした。
「もしかして、各クラスに一人女神様が付いてる?」
「そんなお菓子のおまけみたいな言い方をされると癪なのだけれど、その通りよ。ちょっと待っていてもらえるかしら。あちらの私が彼らを連れてくるから」
そんな女神の行動に、アカリが推測を口にした。それを受けた女神は、不満を訴えながらもゲームマスターとしての義務を果たす。
「ん、ていうか今『彼ら』って言いました?」
「ええ、言ったわね。――ああ、来たみたいよ?」
ふと引っ掛かった疑問をミコトが訊ねれば、女神は肯定の言葉を返す。
その真意を問う間もなく、C組の到着を女神が告げた。
「おう、ミコト! ラッキーやったな、チーム組んでOKで!」
不意に隣に現れた少年の大きい声が、ミコトの鼓膜を叩く。声の主はガタイのいい少年――タイジュだ。
「タイジュくん。いやあ、本当にね」
彼の方を振り返り、ミコトは笑顔でそれに答えた。そして、女神の言葉通りなら――
「ん? ああ、コイツな。C組のもう一人の生き残りやで」
視線を彷徨わせると、果たしてミコトの目にはもう一人の人間が映った。
タイジュがその視線を受け、その人物が自身の陰になってよく見えなかっただろうことに気が付き身体を退かす。
ミコトと、それにユウとアカリも、初めて見るその人物に注目する。
そこに居たのは、スラリとした細身の少女だった。身長は女子としては高め、ユウと同じくらいだろうか。
みどりの黒髪を自然に後ろに流し、腰の辺りまで揺らしている。それに対し、肌は薄暗い体育館の中にあってぼんやりと光るように白い。
そして顔は若干隠れている。と言うのは、彼女が5月だというのにマフラーをしているからだ。
しかし、その一部隠れた顔でも分かるほど――美少女だ。
すっきりと通った目鼻立ちはバランスが取れていて美しく、それでいて垣間見える年相応の幼さが、その魅力をより一層引き立てていた。
「初めまして。ハヤミリョウカです」
セカンドゲーム、五人目の味方となる彼女――リョウカは、名乗りととお辞儀を一つ落とすと、柔らかく微笑んで見せた。