第一章13 もう一人の登場人物
大柄な少年だった。ミコトも背は高めだが、それを上回る身長。
幅は比べるべくもなく、ミコトより優に二回りは大きい。太っているというわけではなく、ガッチリしている、という言葉が適切だ。
彼はその力強そうな体の上に厳つい顔を乗せ、悪人のようにニヤリと笑っている。
うっかりすればその筋の人と間違われそうな人相を、手にしている鉄パイプのような物が更に後押ししていた。
「まあそこで休んでなさいよ、敵の敵は味方やからな。そんでコイツはマジで許さん」
ミコトを安心させるような言葉を口にしたかと思えば、有無を言わさぬ声で怒りを露わにしながら、手にした棒で自身の右斜め下を指し示す。
そちらに視線を向けると、いつの間にか倒れ伏しているキタネの姿があった。
位置関係、そして言葉や手にしたアイテムを総合的に考えた結果、どうやら彼がキタネの側頭部を殴り飛ばして昏倒させたらしい、という結論をミコトは得た。
昏倒するほどの打撃を躊躇なく行った彼に対する恐怖と、どうやらミコトは助かったらしいという安堵感とで、ミコトは上げていた視線を力なく顔ごと地面に落とした。
「素直やな! いい奴っぽいし後で話しよ。とりあえずコイツ、消す前にしばくわ」
関西弁のようなそうでないような調子で喋る彼は、とりあえずミコトに敵意を向ける気はなさそうだ。
代わりに親の仇のようにキタネを睨み、歯を剥いて威嚇する。本人はもちろん見ていないが。
『鬼』を倒してくれるというその行動に感謝するべきなのかもしれないが、しかし言葉の最後を聞き逃せずミコトは勢いよく顔を上げた。
「いや、ちょっと、待ってもらっても、いいですか」
「なん? 早よせんとコイツ起きてくるで?」
既にキタネに足を向け棒を振りかぶろうとしていた彼に、ミコトは慌てて呼びかける。
治癒は始まっているものの、欠片も薄れない痛みで言葉が途切れ途切れになってしまう。
その弱い声でも振り向いてくれたものの、彼の顔と声には怪訝さが貼り付いていた。
「あの、消さなくても、大丈夫なんですよ。僕の能力は、『強制退場』って、言いまして。触れた人をゲームから、除外、できるんです」
痛みを堪えながら、できるだけ途切れないように声を絞り出す。
この短い説明で伝わるかどうかわからないが、今のミコトの体力ではこれが精一杯だ。
「で、こいつを助けてやれとか言っちゃう? うわーお優しいわー。こんな奴消えたらええやん。コイツが何したか教えたろか?」
どうやら、説明と意図は伝わったようだった。
だが意志は伝わらなかったようで、彼はミコトの言葉に否定と皮肉を投げた。
「教室を一つ、吹き飛ばして、あと、たぶん何人か、消してますよね」
「知っとるならわかるやろ。こんな奴死んだ方がええって」
自分の知っている事実を話したミコトに拍子抜けして答える彼の様子は、当たり前の結論だと言わんばかりだ。
確かに、キタネのしたことは許されることではない。いくら特殊な状況とは言え、断罪されて然るべき悪行である。
だが、だからと言ってミコトたちが裁くことは、まして命を奪うことは、それもまた許されることではないのだ。
そしてミコトは、既に誓いを立てた。必ず、皆を助けると。その皆の中には、もちろんキタネも含まれているのだ。
だから、目の前で彼が消されることを見過ごすわけには行かなかった。
その想いを全て口にする体力が、今のミコトにはない。だから必死に顔を上げ、まだ名も知らぬ少年と目を合わせ、伝わることを願って一言だけ口にする。
「――それでも、助けるって決めたんです」
その視線を逸らすことなく受け止め、彼はじっとミコトを見つめ返してきた。
値踏みするようなその視線をミコトもまた受けて立ち、数秒間無言の時間が流れる。
「――自分の意志を強く持ってる人間は好きやで」
やがて彼はニヤリと、やはり悪そうな笑みを浮かべてそう言った。
「よかろ、今回はお前の言う通りにするわ。アンタは動かさん方がよさそうやから、コイツをそっちに連れていけばよい?」
続いたその言葉に、安堵と温かい感情を得てミコトは微笑んだ。
アツシにカガミ、そしてキタネと、人間の黒い感情を短時間に多く見てきたミコトにとって、彼の存在は一つの救いとなった。
「はい、ありがとうございます。ええっと――」
世の中には、優しい心根を持った人もたくさんいる。その事実を教えてくれた彼に礼を言おうとして、まだ名前すら聞いていなかった事実に気付いた。
「おお。ナカタタイジュやで。よろしゅうな」
内容を言葉にしなかった問いに対し、察し良く彼――タイジュは答えてくれた。
「あ、カシワデミコトです。よろしくお願いします」
「うい。ほな行くで」
今度は真っ当な流れで自己紹介を返したミコトに、タイジュは気楽に返事を寄越すとキタネを棒で突っつく。
そうして意識が戻っていないことを確認すると、横向きに倒れているキタネを足で転がし仰向けにする。
「!」
目を見開き、左手を自身の胸に宛がったタイジュはその顔に警戒の色を浮かべた。
彼が何を目にしてその挙に至ったのかは、次の瞬間にミコトにも知れた。
突如目を開いたキタネが、左手に隠し持っていた石をタイジュに向けて投げ、すぐさま爆発させたのだ。
「ナカタくん!」
「はっはっはあ! お前らが長い事くっちゃべってたおかげで意識戻ったぜ、ざまあ!」
タイジュは爆煙に上半身が隠されており、爆発の影響をもろに受けたことは疑いようがない。
悲嘆と絶望に彩られた声でタイジュの身を案じたミコトを、盛大に響いたキタネの声が嘲笑った。
とどめを刺すべく、キタネがタイジュに右手を伸ばす。
その手が触れればゲームオーバー、まだ回復しきっていないミコトもすぐに消されることだろう。
しかし、そうはならなかった。
横薙ぎに振るわれた一閃、それがキタネの右肩を打ち据えてよろめかせ、彼の挙動を止めたのだ。
その動作により爆煙が晴れ、中から無傷のタイジュが姿を現す。
「な――!」
「なんで――!?」
驚きの声を上げるキタネに、ミコトの疑問が続いた。
確かにミコトは見たのだ。タイジュの目の前で爆発が起こったのを。
しかし、タイジュはまたも悪い笑顔で、無傷でそこにいる。
「さあ、なんでやろなあ」
はぐらかしつつ、タイジュは再び棒を構える。
「左手の能力か――!」
「しゃあないなあ特別に教えたるわ。俺の能力は、触れた物体にダメージが通らんくなる能力やで。その名も、『無敵』!」
その事象の原因を察したキタネに、タイジュが肯定を示す。
ドヤ顔で自身の能力を端的に説明、そして能力名を声高に叫ぶと同時に、問答無用で手にした棒をフルスイングした。
踏み込みと共に頭めがけて放たれたそれを、キタネはしゃがんでかろうじて回避。
返す刀、もとい棒で上から振られたそれを左腕でガードした。
そこから攻撃と回避のいたちごっこが始まり、タイジュの怒涛の攻勢をキタネがかろうじて躱し続けている形だ。
意識を奪い取らんとするタイジュの攻撃は頭へと狙いが集中し、しかしギリギリ直撃は避けられている。
『ミコト、なんとか生きてるみたいだけどどういう状況?』
『うーん、ナカタくんがキタネくんをボコボコにしてるなあ』
ミコトの漏れ伝わる思考から無事を察したユウの声が、状況の説明を求めてきた。
それに対するミコトの簡単な説明は、簡単過ぎておそらく伝わっていない。
『ええっと。そのナカタっていうのは味方ってことでいいんだよな。何とか隙を見てキタネを退場させられない?』
『いやあ、ちょっと無理だなあ。まだ身体が言うこと聞かないし、動けても近寄ったら巻き添え食らってしまいそう』
どうにかついて来ているユウの質問に、ミコトは否定を返す。
あそこに割り込んでいってキタネを見事退場させるなんて芸当は、万全であってもできる自信が無い。
それに、どう見てもタイジュが優勢だ。このまま待っていれば、再びキタネの意識を失わせてミコトに差し出してくれるだろう。
『そうか。じゃあもしそのナカタが負けた場合は、予定通りこっちに向かってくれ。いい感じに時間も稼いでくれてるみたいだし』
ミコトの考えの甘さに釘を刺すように、ユウは最悪の場合を想定した作戦を伝えた。
内心に冷たいものを感じつつも、ミコトは肯定の思考を送り届ける。
ミコトの傷は今、徐々にだが癒えつつある。そして幸いなことにと言うべきか、ダメージのほとんどは身体の内側へのものであり、手足を動かす上での機能的な障害は無い。
つまり、体力さえ回復すれば再び逃走することは可能だ。が、できればこのまま上手く行ってくれと願わずにはいられない。
しかしその願いは、次の瞬間には遠くに追いやられていた。
爆発の音が聞こえ目を向けると、タイジュの獲物が、彼の手の中で爆発したところだった。
能力のおかげで彼自身に怪我はないようだが、リーチの差というアドバンテージを失ってしまう。
近付いて来た『最悪の場合』に不安を煽られ、ミコトは唇を噛んで二人の攻防を見守る。
「どーーん!!」
そんな不安を笑い飛ばす威勢のいい掛け声と共に、放たれた回し蹴りがキタネの細い身体にクリーンヒットした。
よろめいたキタネの横を通り抜けて、タイジュがミコトの方に回り込む。
「カシワデ、やっけ。そろそろ動けそう?」
「いやあ、まだちょっと厳しいですね……」
キタネを警戒しつつタイジュはミコトに呼びかける。
言われて腕と脚に少し力を入れてみるが、動きはするものの立ち上がって走り出すには力が足りないと感じた。
その旨をタイジュに伝えつつ、ミコトもキタネを見遣る。すると、彼は突如身を翻して逃げ出した。
「おいこら待てや!」
咄嗟に罵声を飛ばしながら追いかけようとするタイジュだが、キタネの向かう先にある物に気が付いて急停止する。
「くそっ、アイツ碌な死に方せえへんな――カシワデ、動くなよ!」
「言われなくても動けないですけど、いったい――」
吐き捨てるようなタイジュの怒声と指示に、ミコトは従うより他にない。
言わずもがなのことを叫んだタイジュに対するミコトの疑問は、すぐに解決された。
逃げた――否、向かった先で止まったキタネから、『爆弾』が再度投擲されたのだ。
彼が向かった先は、ミコトを潰し損ねた天井の瓦礫たちの所だった。
タイジュには効かないそれを取りに行った理由は、一つしかない。
飛んできた『爆弾』を、タイジュが胸トラップで受け止める。
途端に爆発が起こるが、もちろんタイジュにダメージはない。が、そこから怒涛の勢いで、キタネの投じる大小様々な瓦礫が飛来していた。
飛んできたそれらは、全てが爆弾と言う訳ではない。『同時に能力を発動できる物体は一つ』なのだから、前の『爆弾』が爆発するまでに投げられた物は『爆弾』にはなり得ないからだ。
だがその判別は不可能であり、タイジュに選択肢は無かった。
飛んで来る全てを、全身を使って自分の後ろに――ミコトに届かせないように受け止める。
「どいつもこいつもお人好しで助かるぜ。俺みたいなゴミクズでも消さないってんだから」
投擲に紛れて迫るキタネが、癇に障る笑い声を上げながら嘲りの言葉を投げる。
その身がタイジュのもとへ辿り着くのと、タイジュが全ての瓦礫を処理し終えるのが同時だった。
「「「右手――!」」」
攻防様々な意図の絡まった声は、言葉となって三つ重なった。
それの示す通り、タイジュの、そしてキタネの右手が同時に動き、お互いにお互いの手を掴みあった。
短い攻防は次の一手で終わりを迎え――キタネの左手が、タイジュの右腕を捉えた。
身を固くしたタイジュを蹴り飛ばしつつ離れ、キタネは全力ダッシュで距離を取る。
「はははははは! 俺の勝ちだ!!」
走りながら哄笑と叫び声を上げるキタネに、タイジュは我に返ると踵を返し、飛び込むようにミコトに左手を伸ばした。
「カシワデ! 俺に触れ!!」
言われるがまま、ミコトも左手を伸ばす。そして、二つの手が指先だけ触れ合った。
「すまんな、後は任せた。――負けんなよ」
その言葉が聞こえ、ミコトがタイジュと目を合わせた直後。
目の前で光が迸り――タイジュの姿が消えた。
一瞬だけ遅れて爆音が耳を劈き、周りの景色が一変する。
目に見える範囲の物体全てがひび割れ、ミコトからみて外側へと押し出される。
まるでレゴブロックのようにあっさりとバラバラになる壁や天井や床が見え、瞬間だけ炎が視界を身体ごと覆い尽くした。
熱さも痛みも感じず、ただ足場を失った浮遊感だけを得て、ミコトの身体は自由落下を始める。
上へと飛んでいく景色の中、高笑いするキタネの姿を一瞬だけ捉えた。
その一瞬に怒りを視線に籠めて――為す術無く、ミコトは下へ、下へと落ちていった。
****************
極限状態で世界がスローモーションで見える、という話はよく聞く。
今回のミコトもそうだったのか、体感した落下時間の長さに対して、実際に落ちた距離はきっちり1階分だけだった。
一緒に落ちてきた瓦礫は意外に大した量ではなく、生き埋めで身動き取れず、なんてことにはならなかった。
だが、大きい破片もところどころに存在しており、圧し潰されなかったのは奇跡的だ。
――いや、これは奇跡などではない。そもそも、あの至近で爆発に巻き込まれて無事な訳が無いのは、ミコト自身が身を以てよく分かっていた。
「――あの時、ナカタくんが」
左手で触れ、ミコトに能力を掛けてくれたのだろう。
触れた対象がダメージを受けなくなる、『無敵』。つまり今、ミコトは無敵なのだ。
能力が発動したままということは、完全に身体が吹き飛んだ状態でも『参加者』とみなされているということだろう。
どこまでも参加を強制するルールに改めて怒りを覚えつつ、またも人に助けられたミコトは、その上に感謝と後悔を重ねて歯を食いしばる。
――キタネを退場させ、必ずタイジュを助ける。今はそのための行動に専念するのだ。
『という訳で、最悪の場合を迎えたけど僕は今ダメージを受けないみたいです。どうしましょう?』
『そうか――いや、でもだったら尚更こっちに来てもらった方がいい。時間もあと4分切ってるし、行けるだろ。できるだけ挑発して怒らせてから連れてこい』
『わかった。退場させたら、たっぷりお説教してやりましょう』
ユウに状況を報告し、作戦の続行を決める。
ついでにもう一度腹を決め、ようやく傷が治ったらしいその腹に大きく息を吸い込む。
「キタネ! 僕はまだピンピンしてるぞ!!」
吸い込んだ息を余すことなく声に変換して吐き出し、キタネを挑発する。
狙い通り、キタネは上の階の床に開いた大きな穴の縁に立ち、階下のミコトを見下した。
「ああ!? ……アイツの能力か。面倒な」
言いつつキタネは上から飛び降り、ミコトと同じフロアに降り立つ。
「ま、あ、いい、さ……右手で、消せば、済む、話だっ」
切れ切れに言葉を並べながらしゃがみこむキタネは、どうやら飛び降りた衝撃で脚が痺れているらしい。
「カッコよく飛び降りといて脚痺れてるとか、ダッサー。これだからオタクは。運動不足なんじゃないですか?」
慣れない挑発を、不自然にならないよう四苦八苦しながらミコトは演じる。
どうやら一定の効果は有ったようで、キタネがこちらをギロリと睨んでくる。
「は、うるせえよひょろひょろのっぽ。そっちこそちゃんと飯食ってるか?」
挑発を返しながら歩み寄るキタネに、ミコトはしめたと内心ほくそ笑む。
「それはもう、モリモリ食ってますよ。オタクの体力に負けないくらい、ね!」
最後の一音を力を籠めて叩きつけ、同時に後ろに向かって走り出す。
「ほら、体力勝負だ! 悔しかったら追いついてみろよ!」
口調がいつもと違うと自覚しつつ、それでも強気の声を上げてキタネをできる限り煽る。
「待ちやがれ!」
まんまと煽られたキタネは叫びながらミコトを追い、飛び道具も何も無い、純粋な鬼ごっこがスタートする。正直体力に自信は無いが、ここが踏ん張りどころだ。
『あと、三分』
稼ぐべき残り時間を示したユウの声を聞き、この勝負の最終局面へ向けて、ミコトは走る。
最終局面のステージ――化学室に向けて。