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イマジン鬼ごっこ~最強で最弱の能力~  作者: 白井直生
第五章 終わりと始まり
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エピローグ2 それぞれの朝

 柏手カシワデミコトにとって、その日はいつもと何も変わらない朝だった。

 いつも通り、理想の起床時間をきっちり四十五分遅れて目を覚まし、放任主義な両親を横目に超特急で身だしなみを整え、自転車に飛び乗る。

 もちろん、朝食を食べる余裕などない。


「行ってきます!」


 「いってらっしゃーい」と気の抜けた母親の声を背中に受けつつ、全力でペダルを回す。

 昨日の夕方から明け方まで降り続けた雨で、路面は濡れていた。だからと言って臆していては、遅刻は免れない。男にはやらねばならない時がある――!

 危ないので、よい子はマネしないでほしい。


「もう、昨日はちゃんと起きれたのに!」


 そんな埒もないことを叫びながら、速度は全力をキープ。昨日は昨日、今日は今日だ。明日は明日の風が吹く。そんなことはどうでもいい。


 腕時計をチラリと見る。八時二十二分。予鈴が鳴るのは二十五分だから、あと三分――という訳にはいかない。


 正門が見えた。しかし、そこには朝の門番、体育教師の姿もある。

 彼は何のつもりか、毎日八時二十三分には門を閉めてしまうのだ。

 ――まあ、それ以降に正門をくぐっているようでは、教室に二十五分に着かないので当然なのだが。


「うおお、間に合えっ!」


 ラストスパート。正門前の直線を、無我夢中で走り抜ける。


「コラ柏手、お前またか!」

「すいません! でもギリギリセーフ!」


 今正に正門を閉めようとしてた体育教師の横をすり抜けながら、そんなやり取りをして走り去る。

 これもまた、いつもの朝の出来事だ。あまり褒められたものではないかもしれない。


 自転車を駐輪場に捻じ込み、やはり全速力で教室へと向かう。


「おはようございます!」


 教室に飛び込んだ命が挨拶をするのと、予鈴が鳴るのが完全に同時だった。

 ――いやはや、今日もいい勝負だった。

 勝利に酔いしれ、命は良い笑顔だ。


「おはよう。元気な挨拶は大変結構だけど、早く座れー」


 担任の当たり前すぎる注意に、周囲から笑いが起こる。

 「あ、すいません」とテヘペロの風情で返し、命はいそいそと席に着く。

 そして――


「――あれ?」


 ふと違和感に気が付いて、声を上げた。


****************


 花咲ハナサキ灯里アカリにとって、その日はいつもよりちょっとだけ優雅な朝だった。

 いつもの時間よりも、何故だか十五分ほど早く目が覚めたのだ。


「あらおはよう。なんか早いね」

「おはよう。うん、なんか目が覚めちゃって」

「今日、何かあったっけ?」


 居間に行くと母親とそんなやり取りをして、灯里自身も頭を捻る。何かあったかなあ、今日。


「まあいっか。そういう日もあるよね」

「そ。まあゆっくり朝ご飯でも食べなさい」


 ご飯と言いつつ、出されたのは焼きたてのトーストだった。

 灯里は日本人らしく米の朝食の方が好きなのだが、まあたまには悪くない。昨日が大好物のきんぴらだっただけに、ちょっとガッカリではあるけれど。


「いただきます」


 言いつつトーストに齧り付くと、じゅわっと口の中で広がるバターの味に、思わず顔が綻ぶ。

 うん、たまにはパンも悪くない。


 そんなこんなでしっかりと朝ご飯を堪能した後、普通に準備をして学校へ向かう。

 起きた時間の分だけいつもより早いが、まあいいだろう。教室に行けば誰か居るだろうし。


「いってきまーす」

「いってらっしゃい」


 挨拶はしっかりしなさいよ、というのが花咲家の鉄則である。

 例に漏れず挨拶をして家を出た灯里は、しかしちょっと浮かない顔をする。


 ――今日は流石に、会えないかな。


 昨日は、登校中に意中の彼に――命に会えたのだが。

 彼は寝坊・遅刻の常習犯で、自転車をかっ飛ばして学校に駆け込んでくるのを教室から眺めるのが、灯里の日課になっているほどだ。

 いつもより早い今日は、まず間違いなく会えないだろう。そもそも、昨日会えたのが相当運が良かったのだ。朝の占いも馬鹿にならない。



 結果として、案の定彼と会うことは無く。

 やはり自転車をかっ飛ばして駆け込んでくる彼を教室から眺めて、クスリと灯里は笑うのだった。


****************


 信藤シンドウユウにとって、その日はとてもいい朝だった――というのは、後になって考えればだが。


 朝起きて、決まりきった身支度を整えて、学校へと向かう。そこまでは、いつもと全く同じ朝。

 変化が起こったのは、歩き出して十分も経った頃だろうか。


 目の前を、あまり見覚えのない女子生徒が歩いていた。

 長い黒髪。華奢な手足。制服は結と同じ学校のものだが、この季節に何故かマフラーをしていた。


 二年生になってからしばらく経ち、生徒たちの登校時間は大体決まってきている。

 だから朝見かけるのはほとんど同じ顔ぶれで、いつもと違う誰かが居たから何となく気になったのだ。


 そうしてしばらく後ろ姿を眺めていると、気が付くことがあった。

 なんだか彼女、フラフラしているのである。それもちょっと危なっかしいくらいに。


 昨日の夕方から明け方まで降り続いた雨で、路面は濡れていた。

 滑って転んだりしないだろうな、と妙にハラハラしながら見守っていたら――


「わっ」


 本当に彼女が、足をツルリと滑らせた。


「あぶねっ」


 ――期待していなかったと言えば、嘘になるかもしれない。

 何せいつでも飛び出せるように警戒しながら、付かず離れずの距離を保っていたのだ。あれ、もしかして俺ストーカーか?

 しかしまあ、結果として彼女を助けられたのだから文句はあるまい。


 倒れそうになった彼女の身体を、かろうじて差し込んだ結の両腕が受け止める。

 ギシリと腕や腰が軋む感覚があるが、そこは気合で耐えた。ラッキースケベもなく普通に背中とか肩とかにしか触れなかったけど、それもまあよしとしよう。


 間一髪。彼女は危うく、道の左側にある側溝に落ちる所だった。

 落ちたら地味に痛い上に、間違いなく泥だらけになる。我ながら、これはファインプレーだったと思う。


「あ、ありがとうございます……」


 結の腕の中で、彼女は目を丸くしてそう言った。

 サラリと艶やかな黒髪が流れ、色白の肌にまばらに掛かる。主観的、かつ端的に言うと――ものすごく美人だ。


「あ……はい。大丈夫ですか?」


 結はドギマギしながら答えつつ、もうひと踏ん張りして彼女を立たせる。


「はい……すみません、ありがとうございました」


 乱れた髪を整えながら、彼女はもう一度結に向かってお礼をする。

 その仕草が妙に色っぽく見えて、結はやんわりと視線を外しながら「いえ」、と言葉少なに答える。


 命なら、ここで気さくに声を掛けて仲良くなれるに違いない。しかし、結はそういうのは苦手だ。何事にも向き不向きというものがある。


 しかし、少しだけ勇気を出して、もう一度彼女の方を見てみる。


 すると彼女もこちらを見て、数秒間、二人は目が合ったまま固まった。


「あの……じゃあ、これで……ありがとうございました」

「あ……はい。気を付けて」


 しかし、それだけ。

 どうやら、彼女もあまり社交的ではなさそうだ。別れの挨拶を交わして、彼女は振り向いて歩き出そうとする。


 ――ま、そんなもんだよな。


 と心の中で呟きつつ、やっぱりちょっとガッカリして。

 その後ろ姿を見送った結は――


「……ちょっと待った!」


 不意に、彼女を呼び止めた。


****************


 速水ハヤミ涼香リョウカにとって、その日は全てが引っくり返る朝だった――やはり、それは後になってから気が付くことだが。


 もっとも、明確に引っくり返った物がある。それは自分・・だ。


 涼香は、幼馴染に殺されそうになったことがある。首を絞められて、意識を失った。

 それ以来、色々なところにガタ・・が来ている。歌を歌えなくなったり、人を信じられなくなったり。


 それから時折、あの日のことを思い出してしまうのだ。夢に見ることもある。

 そしてそんな夢を見た日は大抵、夜中に目を覚ましてしまい、そのまま眠れないことが多い。

 そうすると、精神的な疲労に肉体的な疲労までプラスされ、朝からフラフラで学校に向かう羽目になる。時にはどうしても動けなくて、学校を休んだりもしていた。


 その日は、朝に少し仮眠が取れたから、学校には頑張って行くことにしたのだった。そのせいでいつもより出る時間が遅いが、遅刻はしない程度だ。


 だが、家を出てしばらく経ってから後悔した。

 やはり疲労が色濃く、真っ直ぐ歩くことすら難しかったのだ。ある程度まで来てしまっているので、家に戻るにも一苦労だ。


 ――学校に着いたら、保健室で休もうかな。

 そんなことを考えていたら、不意にグラッと視界が揺れた。


「わっ」


 昨日の夕方から明け方まで降り続いた雨で、路面は濡れていた。

 それに足を取られ、不覚にも滑って転んでしまったようだ。自分の身体が傾く感覚を味わいながら、地面に身体が打ち付けられる痛みを予想して、目を瞑り身を固くする。


「あぶねっ」


 しかし、涼香の身体は地面に到達しなかった。

 代わりに男の声が耳に届き、どうやら誰かに受け止められたらしいと気が付く。


「あ、ありがとうございます……」


 目を瞬きながら見上げれば、自分を助けてくれたと思しき人物の顔が目に入った。

 短い黒髪に、感情があまり読めない表情。主観的、かつ端的に言うと――これと言って特徴の無い少年だ。


「あ……はい。大丈夫ですか?」


 変化のない顔でそう言うと、彼はぐいっと涼香の身体を持ち上げて立たせてくれた。


「はい……すみません、ありがとうございました」


 乱れた髪を整えながら、涼香はもう一度少年に向かってお礼をする。

 彼は何故だか目を逸らして、「いえ」、と言葉少なに答えた。


 ――こんなに人に近付いたのは久しぶりだ。

 いろいろな要因でドキドキしたまま、涼香は彼をなんとなく見つめた。


 すると彼もこちらを見て、数秒間、二人は目が合ったまま固まった。


「あの……じゃあ、これで……ありがとうございました」


 一瞬、何を言おうか迷って。

 結局出たのは、別れの挨拶だった。


 あるいはここで彼と話をすれば、何か変わるのだろうか。

 良い人そうだ、とは思う。何しろ助けてくれたし。しかしそれだけで信じられるほど、涼香の精神状態は安定していなかった。


「あ……はい。気を付けて」


 結局彼もそう言って、話は終わり。

 涼香はくるりと振り返り、学校に向けて歩き出す。


「いた……」


 しかし次の瞬間、涼香は口の中で思わずそう呟いた。

 どうやら、転び掛けた時に変に踏ん張ってしまったらしい。足首を痛めていたようだ。

 かと言ってどうしようもないし、歩けない程ではないので、左足を引き摺るようにゆっくり歩く。


「ちょっと待った!」


 と、不意に少年の声が掛かった。

 足が痛くて急な動きはできず、立ち止まって首だけ振り返る。


「もしかして、足首痛めてませんか?」

「あ……はい、たぶん」


 歩み寄ってきた彼に訊ねられ、涼香は素直にそう答える。


「良ければ肩、貸しましょうか」


 それはなんとも微妙な提案だ。

 きっと善意からの提案だと思うが、肩を貸してもらうということは必然的に密着することになる。

 初対面の男性に。それは少し嫌な気もした。それに、別に歩けない程ではないのだ。


「いえ……大丈夫です。ゆっくりなら歩けますから」


 人の厚意を素直に受け取れない自分が少し嫌になる。

 しかし、心の傷はそう簡単に癒えるものではないのだ。


 涼香は「それじゃあ」、と再び別れを告げ、歩き出そうとした。


「あ、じゃあゆっくりでいいから。こっちに来てください」


 しかし、彼はそう言って涼香を手招きした。


「近くに公園があるから、そこで少し冷やしてから行きましょう。それで、後の痛みがだいぶ変わりますよ」


 善意というより、論理。そんな感じの言い方と内容だった。

 そう言われれば、断る理由は無い。


「じゃあ……」


 涼香は曖昧に返事をして、彼の後に続いて歩き出した。



「……あの」

「はい?」


 しばらく歩いたところで――と言っても、本当にゆっくりなので数メートル進んだ辺りで――、不意に少年が声を上げた。


「やっぱり、肩貸していいですかね。この絵面、俺が凄く冷たい人間に見えると思いません?」


 若干顔をしかめながら、彼はそう言った。

 ――確かに。足を引き摺って歩く少女を、少し先を歩いて待つ少年。傍から見たら冷たくも映るかもしれない。


 そういうことなら、仕方ない。

 善意だけじゃない理屈があれば、なんとなく納得できた。


「じゃあ……お願いします」


 だから涼香はそう言って、近付いてくる彼に左手を伸ばした。


「じゃあ、失礼します」


 彼は涼香の手を取って、自分の肩にそれを回した。

 見た目にはけっこう細い割に、肩幅はあるし意外に筋肉質な感じがある。

 物理的な意味での安心感を覚え、涼香は回した腕に体重を掛けて歩き出した。


****************


 公園に辿り着くと、少女は靴と靴下を脱いで水道を捻り、流水でしばらく足首を冷やした。

 寒い季節じゃなくて良かったな、なんて思う。


 それが終わると再び肩を貸し、ひとまず近くのベンチに彼女を座らせる。

 彼女は自分のハンカチを取り出して濡れた脚を拭くが、若干拭き辛そうだ。しかしまあ、これを手伝うのは流石にハードルが高すぎる。


 まじまじと見るのも良くないと思ったので、ベンチの反対側に腰掛けて明後日の方向を睨み、その作業が終わるのを待つ。


「あの……そう言えば、同じ学校ですよね」

「あ、そうですね。二年C組の、速水涼香です」

「あれ、同級生? あ、二年A組の信藤結です」

「私、少し前に転校してきたので」

「ああ、なるほど」


 手持無沙汰に声を上げ、そんな会話をした。

 同級生ということが分かり、お互い若干打ち解けたような空気が生まれる。若干だが。


「終わりました」


 やがて彼女がそう声を上げ、結は立ち上ると自然に彼女に手を差し出す。

 彼女もその手を素直に取って、再び肩を貸して歩き出そうとした。


「あ……」


 と、いうところで。学校の方から、チャイムの音が聞こえてきた。

 八時二十五分、遅刻確定である。まあ、最初から分かっていたが。


「ごめんなさい、私のせいですね」

「いや、全然。むしろ堂々とホームルームサボれてラッキー」


 申し訳なさそうに謝る彼女に、結はそう即答した。

 成績は良い方だが、決して真面目ではない結である。


「でも、このままじゃ授業にも間に合わないと思いますよ?」

「それも全然。一回くらい受けなかったところで、問題ないですよ」

「まあ、そうかもですけど……」

「ほら、そう思うなら行きましょう。でも、急がなくていいから」


 申し訳なさそうな表情のままの彼女を、結はそう言って歩かせることにした。

 そんな顔をされると、困ってしまうので。


「……ありがとうございます」


 最後に彼女はそう言って、少し微笑んだ。

 その笑顔には何だか影がある気がして、しかしそれが何だか妙に綺麗に見えて。

 「いえ」、とやっぱり言葉少なに返しながら、二人は再び歩き出した。


****************


 その後、学校まで何とか辿り着いた二人。

 とっくに一限目の授業は始まっていて、やっぱり申し訳ないな、と涼香は思う。


「おはよう、珍しく遅刻だな信藤……と、速水か。何かあったか?」


 門のところで待ち構えていた体育教師が、二人を見てそう声を上げた。

 この人、全員の顔と名前が一致するんだろうか。だとすれば凄い。


「おはようございます。彼女、足を挫いちゃって」

「おう、それは大変だったな。早く保健室に……」


 結が事情を説明すると、彼はそう言って涼香に近付き――


「いや信藤、お前がそのまま連れてってやれ」


 ピタリと止まると、ニヤリと笑ってそう言った。

 なんとなく、何を考えているか想像がついてしまう。


「いや、それって先生の仕事じゃ? 別にいいですけど……」

「今の時代、セクハラだなんだと五月蠅いんだよ。生徒同士ならそんなこともないからな」


 一応そう言ってみる結だったが、あっさりと躱された。

 そしてニヤニヤする教師に見送られながら、結が「じゃあ、行こうか」と言って歩き出す。

 そうして、しばらく歩いたところで。


「うーん、青春だな!」


 遠くの方から、そんな声が聞こえてきた。

 改めて言われると、意識せざるを得ない。涼香は、顔から火が出ている気がした。


「丸聞こえだよ、馬鹿……」


 隣で結がそんなことを呟いて、涼香は彼を横目で窺う。

 表情は相変わらず分かり辛いが、よく見ると耳がちょっと赤い。

 なんだかそれが可愛らしくて、涼香は少しだけ笑った。


****************


 保健室に着くと、残念ながらと言おうか、養護教諭は居なかった。


 涼香はひとまずベッドに座らされ、彼は勝手知ったる他人の家というように、ゴソゴソと部屋を漁っていた。


「どうする? しばらく休んでいきます?」


 その手を休めないまま、彼はそんなことを口にした。

 足首を捻っただけなのに妙なことを聞くんだな、と思っていたら――


「人間って、疲れてると左側にふらつくらしいよ。思いっきり左によろめいていたし、速水さん疲れてるんじゃないかな」


 どうやら、涼香の体調を気遣ってくれたらしい。

 しかしその言い方は、何ともまあ――


「ふふ、信藤さんって、理屈っぽいですね」


 そんな風に考えなくても、フラフラだったら疲れてるのは分かる。

 しかし、そういう言い回しが何となく涼香には心地よく聞こえて、思わず笑ってしまう。


「――。ああ、よく言われる……でも、そういう性分だから」


 結は何故だかしばらく涼香を見て固まったあと、若干居心地悪そうにそう答えた。

 理屈っぽい、とは確かに良いイメージの言葉ではないかもしれない。しかし涼香にとっては、そうではなくて。

 善意はまだ信じられない涼香だが、理屈なら信じられる――気がする。


「いえ、それは信藤さんの良いところだと思いますよ」


 だから、涼香はそう言った。


「――そんな顔もできるんだ」

「え?」


 と、結が何やら低い声で呟いた。

 聞き取れなかったので訊き返す涼香だが、「いや、なんでも」とはぐらかされてしまう。


「で、どうしますか」


 代わりに結は、改めてそう訊いてきた。あるいは、話題を変えられたとも言う。


「いえ、大丈夫です。湿布だけ貼って、授業に出ますよ」


 応急処置のお蔭か、足の痛みも大したことは無い。

 それになんだか、ちょっとだけ元気になった気がする。


「……そっか。じゃあはい、湿布。剥がれないようにと固定の為に、一応包帯も」


 彼は言いながら、準備良く手にしていたそれを涼香に渡した。


「……あの。」

「ん?」


 受け取った涼香は、ちょっと考えた後そう声を上げる。


「……いえ、何でも。すみません」

「はあ……」


 本当は、手当てをお願いしたかったけれど。

 流石に色々と彼に申し訳なくて、それはやめておいた。


 そして四苦八苦しながら、なんとか自分で湿布を貼り、包帯を巻く。自己採点は七十点、まあ及第点というところだ。


「お待たせしました」

「ああ、うん。それじゃ」


 結が自然に手を差し出し、涼香もやはり自然にその手を取る。

 そうして再び肩を貸してもらい立ち上がったところで、ふと結が動きを止めた。


「あー……誰かに見られたら、面倒じゃない?」


 何とも高校生らしい一言である。それはまあ、確かにそうかもしれない。三度の飯より他人の色恋沙汰が好きなのが高校生だ。


「でも、授業中ですし。大丈夫じゃないですか?」


 しかし涼香はそう言って、そのまま動かなかった。

 それは後から思えば、彼に甘えたかったのかもしれない。


「まあ、それもそっか。じゃあ、行きますか」


 結も納得して、そのまま二人は歩き出した。

 心なしか涼香は、自分の足取りが軽くなった気がした。


****************


 結局、一限目は丸々すっぽかすことになった。

 休み時間に突入した教室に入ると、そそくさと自分の席に着く。


「おはよう、結くん」


 と、斜め後ろの席の人物が話しかけてきた。

 結の幼馴染であるところの、命である。


「おはよう」

「遅刻なんて珍しいね、何かあった?」


 挨拶を返すと、早速彼はそう訊いてきた。

 いつも遅刻するのは自分の方だからか、何だか嬉しそうである。


「うーん……」


 結は、何と説明したものかと考える。

 そして考え中に、ふと思い出したのは涼香の笑顔だった。


 最初の影のある笑顔とは違い。保健室で彼女が見せた笑顔は、とても歳相応で可愛らしかった。


「そうだな」


 そして、結は結論を出す。

 この状況を簡潔に、そして劇的に彼に説明するには。


「崖から落ちそうな女の子を助けてた」


 崖と言うには、余りにも小さかったけれど。まあ、間違ってはいないだろう。



 「ええっ!」と大袈裟に驚く命を見て、結は可笑しそうに笑った。



――――END――――

 これにて、完結です。

 最後まで読んでくださって、誠にありがとうございました。

 感想等いただけると、とても嬉しいです。


 ちゃんとした(?)後書きは、活動報告に掲載予定です。良ければそちらもご覧ください。

 では、またどこかでお会いできることを願って。


 本当に、ありがとうございました。


 2019年3月25日 白井直生

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