中華飯店の弱点。
こんにちは、書き溜めがかなりたまってたので、書き直しできぬように公開しまーす‼‼
その日は、雨が降っていた。
特にどしゃ降りというわけでもなく、だからと言って、弱くもない。
雨が降るということは、数日前からわかっていたのだ。
だから、そんな日に外出しようと思う人は多分、少数なのだと思う。
静かな店の中では、数少ないアルバイト達の小さな話し声と、ぺちぺちと窓ガラスに水滴が当たる音だけが響いていた。
雨の日は嫌いではないが、体が重くなる。そのせいで、ついつい出そうになる溜め息を飲み込むのは、何度目だろうか。
気分を変えようと、昨日はしていなかった材料の下ごしらえの準備に取りかかる。体が重いからと言って、なにもしないわけにはいかないのだ。
――ただでさえ、「今の自分」では使い物にならないのだから。
そんな自虐的なことを考えながら、重く湿った体を引きずり、デシャップを出た――。
「はぁ……」
誰もいない客席の掃除をしていた黄橙は、溜め息を吐いた。
「…………暇ー。」
その言葉に、座敷の床を雑巾で拭いていた桂が顔を上げた。
「暇ですね。」
「うん。暇。」
さらに桂とは反対側の窓側で濡らしたダスターを使い、飾られていたマトリョーシカを掃除していたみかんも同意した。
「二人とも傘持ってきた?」
黄橙の問いかけに、桂は頷いた。
「今日は昼過ぎから降るって天気予報で言われてたので持ってきました。……でも、昼過ぎまでもちませんでしたねー……」
「ほんとそれ……。みかんちゃんは?」
黄橙の問いに、みかんはマトリョーシカを磨く手を止めた。
「帰りにコンビニで買ってこうと思ってる」
その言葉に、桂がえ、と驚いた声を出す。
「コンビニって……ここから走っても5分はかかりますよね……折り畳み傘貸しましょうか?」
「ありがたいけど、返すのめんどくさいから大丈夫。」
「そ、そうですか……」
眉を下げた桂を気にした風もなく、みかんはマトリョーシカを磨く作業を再開した。
それに黄橙は困ったように眉をひそめた。
「いや、そこは借りようよー……うん」
「そんなことより、雨の日って、いっつもこうなの?」
中々縮まらないアルバイト同士の距離に唸っている黄橙に、みかんがそう問いかけてきた。
「そうなんだよねー。悔しいけど雨の日って人通り少ないんだよねー‼こればっかりは対策しようがないし。うちは基本、近くの観光スポットから流れてくる客メインだから、常連もいないし……」
黄橙の言葉を聞いた桂は、ふと思い至ったかのように言った。
「……ってことはもしかして、雨の日ってここらへん全体の飲食店が暇ってことですよね。」
黄橙は桂の言葉にその通り、と頷いた。
「まー、そうなるんだよねぇ……。これが中華飯店……ってか、ここらへんの弱点かなぁ……。」
そこへ、ゴトゴトとお馴染みのはにわ店長がやってくる。
その店長の足音を聞き、三人がほぼ同時に店長の方へ視線を向けると、店長はこう言った。
『3人とも、休憩いく?』
その言葉に、黄橙がえ、と呟く。
「3人とも?いいんですか?」
いくら暇とは言え、ホールに店長1台を残していくことに不安を感じた彼女の問いかけに、店長は明るい声音で答える。
『忙しくなったら呼ぶから大丈夫だよ‼ついでに従食でも食べる?』
「「従食?」」
桂とみかんの声が重なる。
黄橙はそれにあれ、と首を傾げた。
「そう言えば言ってなかったっけ?ここ、従食制度あるんだよ。」
「なんですかそれ?」
桂の質問に、店長はそっか、と頷いた。
『桂ちゃん、アルバイトここが始めてだもんね。よし、従食制度について教えてあげよう‼‼』
その言葉と同時に、店長は前掛けのポケットに無理矢理突っ込んでいたハンディターミナルを黄橙へと差し出す。
黄橙はそれを受け取り、手近の席に置いてあったメニューを桂とみかんの前に広げた。
「従食制度っていうのは、店で提供してるメニューを、定価より安い料金で食べられる制度のことで、うちの店の場合、税込価格の半額で食べられるんだ。」
そう言って、黄橙はラーメンの欄から醤油ラーメンを指差す。
「このラーメンが 1杯584円。もしこれを食べるなら、その半額の料金……あー……2でわってー……?」
「292円ッスね‼」
黄橙が空中に筆算を書き始めた時、いつの間にいたのか、海茂座が後ろから元気良く答えた。
「そうそれ……あれ、みもくん調理場の手伝い終わったの?」
黄橙の問いかけに、海茂座は頷いた。
「おっさんに、《この程度なら俺1人で充分だ……ここは俺に任せて、お前はホールの援護へ向かうと良い……》って格好いい顔で言われたッス‼」
(絶対一人で追い付かなくてパンクするんだろうなぁ……)
海茂座の言葉を聞き、毎回恒例であるピーク時の悲劇を思い描いた黄橙は、げっそりとしたなんともいえない表情を作る。
その横で、店長は海茂座へとメニューを見せて言った。
『じゃあみもくんも休憩行きなよ』
「いいんスか!?」
『ついでにみんな従食頼みなよ‼半額だし、給料から天引きだからお得だよ‼』
店長の呼び掛けで、桂とみかんと海茂座がデシャップへと入っていく。
多分、従食を注文しに行ったのだろう。
その後ろ姿を見送ったところで、黄橙はふと店長が今更になって従食制度を出して来たことに疑問を持った。
「店長。もしや、暇だからって、従食で売り上げ出そうとしてません?」
まぁ、流石にありえないだろうと思いながらの問いかけだった。
そんな黄橙の言葉を受けた店長はゴトリ、と黄橙へ体を向け、名前を呼ぶ。
『黄橙ちゃん』
そのあまりに真剣な声音に、これはヤバイ怒らせたか?と黄橙の背筋を冷や汗が伝った。
「な、なんですか店長。」
思わず背筋を伸ばし、黄橙は店長へ恐る恐る視線を向けた。
そんな彼女へ、店長は言った。
『……それが、大人の世界なんだ』
「…………。」
『そんなことより黄橙ちゃんも従食食べなよ‼食べる機会ないでしょ?』
あまりの最低さに言葉を失った黄橙へ、再び明るい声音で店長はメニューをもう一冊差し出す。
その言葉を受けた黄橙は、眉をひそめる。
「おっさんなんかが作ってたら休憩の半分が終わりますよ。私は結構です。メニューもそんな種類ないし。」
『えー‼店の売り上げに貢献してよー‼‼』
「結局そこか‼」
ゴットンゴットンと後ろをついてくる店長を無視し、黄橙はタイムカードを入力した。
ザァァ、ザァァと雨粒が窓に当たる音が大きくなった。
雨粒も、大きくなったように感じる。
――もしかすると、もうすぐ雷も鳴ってくるのだろうか。
アルバイト達は傘をちゃんと持ってきただろうかと心配していると、来客を告げるメロディがホールに鳴り響いた。
「いらっしゃいませー。……あれ、君は……。」
休憩室で制服のまま寝転んでいた黄橙は、来客のメロディを聞き、思わず身を起こした。
「店長1人……1台で大丈夫かなぁ?」
その呟きと同時に休憩室の襖が開き、みかん、桂、海茂座の順で入って来る。
それぞれの手には、お盆に乗ったどんぶりがあった。
「……あれ、全員醤油ラーメン?」
黄橙の問いかけに、桂が苦笑する。
「あの、調理場の方が……」
「おっさんが、めんどくさいから全員一緒のもの頼め、って」
控えめに言わんとしていた桂の言葉を、みかんが代弁する。
さらにそこへ、海茂座が加わる。
「タバコ吸いにいきたいから、早めに出せるラーメンにしろって言ってたッス‼」
「……へぇ。なるほど」
後でしばこう、と黄橙が決意していると、海茂座は割り箸を割り、ラーメンをすすり始めた。
続けて、桂とみかんもラーメンを食べ始める。
「……どう?」
黄橙が尋ねると、みかんがもぐもぐと口を動かしながら答えた。
「普通に醤油ラーメンだね。」
「あと、前食べた時より麺が少し固めですね……。あ、前回がのびてたのかな……?普通においしいです。」
桂の感想から、おっさんが規定の時間より少し早めに湯切りしているのだと想定できた。
そこで、黙ってラーメンを食べ続ける海茂座へ視線を向ける。
「みもくんは?ラーメンなんか改善点ある?」
黄橙の問いかけに、海茂座はんー……、と少し考え、口を開いた。
「この醤油ベースの出汁はいい感じだと思うッス‼脂っこくないッスから、おばあちゃんとかに優しいと思うッス。ただ、味がちょっと濃すぎるのと、麺が少し固めなのが気になるッスねー……醤油が入れすぎなんスかね?子供もこれだと食べにくいかもッス。」
「ほう。」
黄橙は思ったよりきちんとした答えが返ってきたことに驚きつつ、脳内でメモを取る。
「あとあと、このラーメン、トッピングがネギとチャーシューだけっていうのが少し寂しい気がするッス。彩りでナルトとかコーンとか、ニラとかモヤシとか入れてもいいかもッス‼」
海茂座の提案に、黄橙はなるほど、と再び頷いた。
「トッピングを増やすくらいならできるかも。後で店長に相談してみようか。」
「やったッス‼」
「海茂座くんすごい……」
その様子を見て、桂が呟いた。
その呟きに、みかんが頷く。
「海茂座のこれは、兄弟の影響で舌肥えてるからじゃないかな。」
「へぇー……」
「あ、そういえばさ」
そこで、みかんが思い出したかのように口を開く。
「うん?どしたのみかんちゃん」
黄橙が続きを促すと、みかんはホールから持ってきたメニューを机の空いている場所へ置いた。
「さっき海茂座が言っててふと思ったんだけどさ。……ここ、メニュー少なくない?」
そのみかんの指摘に、黄橙は渋面を作る。
「…………やっぱり?」
実を言うと、黄橙も随分前から疑問に感じていたのだ。
ラーメンを食べ終えたらしき桂が、休憩室に置いてあったメニューをパラパラとめくる。
「この店のメニューが……定番のラーメン4種とー……チャーハン、天津飯、中華飯、餃子、から揚げ、春巻き……杏仁豆腐……で、それを組み合わせたセットメニュー……確かに、言われてみると少ないですね。」
桂の指摘に、黄橙はさらに渋面する。
「……おっさん1人での調理場だと、これでも回らないんだよねー……」
「ああ……なるほど」
みかんが納得し、桂は気まずそうに沈黙した。そこへ、海茂座がメニューを見て言う。
「どれも美味しそうッスね‼」
「違うそうじゃない。そうだけどそうじゃない。」
――閑話休題――
「やっぱりメニュー増やすべきかなぁ?」
黄橙の呟きに、みかんが頷く。
「デザートメニュー、他の店舗より少なくない?杏仁豆腐だけ?」
「ホールの仕込みだとこれが限界……でもないな。今なら人いるし。」
少し前まで、ホールは店長と黄橙の1人と1台だけだった。
仕込みをしつつ、黄橙一人でホールの仕事をこなしていたのだ。
しかし、今ならばアルバイト達もいる。
デザートメニューを増やすというのも可能かもしれない。
「……今考えるとブラックだなここ……。よし、メニュー考えよう」
「っていうか、アルバイトが勝手にメニュー考えて良いんですか?」
桂の問いかけに、黄橙は微笑む。
「大丈夫。考えるだけなら誰も文句言わない‼採用されたら儲けものだし‼」
それでも不安そうな桂に、黄橙は言葉を重ねる。
「それに、独自のメニューを考えるって、その人の個性が出るから、おもしろいものできるかも。」
個性、という言葉に桂が、おもしろいものができる、という言葉にみかんがそれぞれ反応する。
「やります‼」
「やろう。」
「やるッス‼」
やる気になったアルバイト達を見た黄橙の心の中で、なぜか店長の姿が浮かび上がる。
――学生が考えた、ってだけでブランドが付くぞ、これは儲けだ‼
心の中で店長がそう言った瞬間、黄橙は自分の顔を殴った。
「せ、先輩!?」
「どしたの頭おかしくなった?」
「痛いッス‼」
突然の黄橙の行動に、三人は各々心配の言葉をかけてくれる。
「ごめん、ちょっとはにわの呪いで煩悩が出てきて。」
流石の店長もここまでゲスい発言はしないだろう。立ち去れ煩悩。むしろ⚫ね。
ヒリヒリと痛む右ほほを撫でながら、そう黄橙が心で念じている様子を見て、アルバイト達は目で会話をする。
(大丈夫ですかね……?)
(ここのアルバイト、 相当やばいんだろうね)
(杏仁豆腐食いたいッス)
((海茂座1人だけなんか違う。))
相変わらず、雨は降っている。
しとしと降っていた雨は、いつの間にかどしゃ降りに変わっていた。
窓に雨粒が当たるぺちぺちという音も、風向きが変わったのか、もう聞こえなくなっていた。
外は薄暗く、店内の提灯を模した照明が煌々と輝く。
「雨、強くなってきましたね。」
不意に、唯一店内にいた客から話しかけられた。
「そうですね」
そう返しながら、アルバイト達は傘を持ってきただろうか、という心配を、再び心の中で繰り返す。
すると、客はお会計を、と呟く。
「外は大雨ですし、もう少し雨が弱まるまでいてもらってもいいですよ。それに、もう少ししたら――」
その言葉を遮り、客は2本持っていたうちの、赤い傘をこちらへ差し出した。
「これを届けに来ただけなので」
客はそう言うと、汚さぬように席へかけていたカーディガンを羽織り、青い傘を手にした。
「みんなー、そろそろどうかなー?」
休憩が残り15分となった休憩室にて、黄橙が呼び掛ける。
「はい‼」
「はいみもくん‼」
元気よく手を上げた海茂座に、黄橙は発言権を与える。
「デザートは、ソフトクリームとかどうッスか‼」
「ソフトクリームか……」
黄橙が考え込むと、海茂座が言葉を続けた。
「どこ行ってもあるッス‼」
違うそうじゃない。
という突っ込みを心の中で抑えつつ、黄橙はうーん、と唸った。
「ソフトクリームは……」
「なんか迷うとこでもあるの?」
黄橙の歯切れの悪さに、みかんが首をかしげて尋ねる。
それに、黄橙は渋い顔をして答えた。
「これは別の店の話なんだけどね……」
昔、ソフトクリームを扱っていた店があった。
その店は、常連や観光客関係なく多くの人が訪れ、高い売り上げを誇っていた。
しかし、冬のある日――。
「ソフトクリームが出なくなったその店は、多くの余りを出したの。しかも、昔だからいちいちソフトクリームメーカーで用意してた……」
「……つまり?」
「賞味期限はその日だけ……余ったものは」
「余ったものは」
みかんがおうむ返しで続きを促す。
「……アルバイトが処理するの」
「……?」
「食べるのよ。」
「………‼」
「何10人前かわからないソフトクリームを‼」
「……!?!?」
「しかも、固まってるの。時間置きすぎて。」
「……ソフトじゃない……‼」
「そう、あれはもはやハードクリーム……」
「あの、話戻しません?」
桂の言葉に、黄橙がハッと我に返る。
「ごめん、つい。」
「じゃあソフトクリームはダメッスね‼ハードなのは嫌ッス‼」
「ごめんねみもくんー。じゃあ次は――」
その時、部屋が白く染まった。
全員、何が起こったかわからぬうちに、耳をつんざくような割れた音が響く。
「ひっ!?」
「きゃっ!?」
「……!?」
雷が落ちたのだとその場の全員が理解した瞬間、部屋の照明が切れた。
夕方のように薄暗い部屋の中、黄橙は焦った。
――停電など、この店では始めてのことなのだ。
「て、停電!?どうしよう、ブレーカーは……‼」
確か洗濯機の上だったはず、と言いかけ立ち上がろうとした時、廊下で足音がした。
そしてカチリ、とブレーカーを上げる音がすると同時に、部屋の電気がつく。
「けっこう近くに落ちたみたいッスねー。」
海茂座が言い、桂は胸元を抑えながら立ち上がった。
「心臓がばっくばく言ってます……。あ、そろそろ休憩終わりますね。」
そう言いながら、各々自分が食べた従食のお盆を手に休憩室を出た。
――そして休憩室を出たところ、真っ暗な廊下で立ち尽くしていたおっさんが、なにやら慌てた様子でアルバイト達へ話しかけてくる。
「ブ、ブレーカーはどこじゃ‼」
「は?」
黄橙のなめ腐った返しにいつもならばなにかしら噛みついてくるおっさんが、それにすら構わず慌てた様子で言う。
「停電したねん‼ブレーカーはどこやねん!?内装からするにここらへんのはずじゃろ!?」
「いや、さっき直ったし。」
そう言いながら、みかんが廊下の電気のスイッチを付けた。
普通に付いたことを確認し、おっさんは瞠目する。
「なんやて!?まったく人騒がせな‼」
「なんで怒るんですかそこで……。」
喚くおっさんと、それに呆れる桂を横目に、黄橙はデシャップへと出た。
そこにはいつも通り、はにわ店長がいた。
「停電、大丈夫でしたか?あと、一組客来てましたよね?」
「うん‼大丈夫だったよー‼」
黄橙の問いかけに、店長はいつもの調子でゴットン、と頷いた。
「良かったです。」
店長の言葉にそう返し、黄橙はホールヘと出た。
そこで、ふと呟く。
「そういえば……ブレーカー治したのは、誰なんだろう……?」
毎度のご来店ありがとうございます‼‼
はにわ店長はいつでも皆さまをお待ちしております。