04 バブ味のある女
窓の外は英国風の庭園だった。樹木の天蓋と咲き乱れる花壇の間をぬうようにレンガの小路が続いている。
太陽はすでに高く昇っており、木々の間から差し込む日差しはポカポカと暖かった。
のんびり散歩したくなるような平和な空間を台無しにする、弧を描いて飛ぶ少年。
不運にもというか幸運にもというか、ひとりの女性が花壇の水やりをしているところだった。
のどかに羽根を揺らしていた小鳥や蝶は飛んできた少年を見てあわてて飛び去っていったが、女性は気付く様子もなく、微笑みながら花たちにジョウロを傾け続けている。
「うわあああぁぁぁぁーーーーーーっ!! ああっ!? あぶないっ!!」
警告も虚しくヒロシはそのまま彼女にダイブしてしまった。
「きゃあっ!?」
マリーに続いての連続押し倒しコンボが決まった。
まだ昼間のはずなのにあたりが急に真っ暗になって、ヒロシは困惑した。
顔全体がすべすべぷにぷにした感触に包まれ、ほんのりと桃のいい香りがする。
視界はきかなかったがまるで桃源郷に居るような夢見心地に包まれ、こんな状況であるにも関わらずヒロシはとろけてしまった。
「あん、だぁれ? 急に私の服の中に入ってきたのは……甘えんぼさん」
おっとりした声に、自分がいまとんでもない場所にいると自覚したヒロシは「わあっ!?」とパニック気味に顔を引っこ抜いた。
裾からスポッと頭が抜け、視界が元通りになる。
芝生の上には少年より年上っぽいお姉さんが倒れていた。
栗色の髪をサイド三つ編みでまとめたゆるふわヘアー。薄桃色のニットワンピースの上に胸当てのないフリルエプロン。
低い露出と落ち着いた色合い。服装は地味ながらも清潔感にあふれていたが、セーターの縦縞を歪めエプロンからはみ出るように主張する豊乳のせいで、清らかさのなかにもかなりの淫靡さを兼ね備えたビジュアルになっている。
しかもヒロシがワンピースの下から頭を突っ込んで胸まで達するという器用な潜り込みをしたせいで裾がヘソのあたりまでめくれあがり、襟にいたっては大胆に肩まではだけてしまっていた。
「え、えと、ご、ごめんなさい……」
ヒロシは目のやり場に困り、視線を虚空に泳がせた。
しかし本人は気にする様子もない……というかセーターとお揃いのレース編みの桃色ショーツが丸出しになっているのにも気づいてないようだ。それよりもヒロシの顔を見て、
「あらあら、まあまあ、テンプレ騎士様」
手を口を押さえた上品な仕草で驚いている。
「わ、わざとじゃないんです! えと、投げ飛ばされて、それで……」
ヒロシは正座をして額が芝生につくほど頭を下げた。
痴漢として突き出されてもおかしくないことをしてしまったので必死に言い訳をする。
「ううん、いいのよ。男の子は元気なのが一番!」
しかしお姉さんは特に気にする様子もなかった。
一方的にぶつかって押し倒し、服の中に顔を突っ込むというセクハラを通り越した暴行。相手がマリーならハードパンチが飛んできていたところだが、彼女は怒るどころか褒めてくれた。
「あの……ケガはないですか?」
「うん、私は大丈夫。それよりも……あらあら、ヒジを擦りむいちゃってる」
芝生から起き上がったお姉さんは四つん這いになってヒロシのヒジを覗き込んできた。衣服がはだけているせいで胸の谷間どころかほぼ全容がわかるほど露わになってしまっている。
しかもなぜかノーブラで、逆さになった特盛ミルクプリンが動きにあわせてたわわんと揺れだした。あと少しで先端が見えそうだったので覗き込もうとしたが、お姉さんがさらに顔を近づけてきたのでヒロシはとっさに顔をそむけてしまった。
「いたいいたいでちゅね~、じっとしててね~」
お姉さんは急に赤ちゃん言葉になってヒロシのヒジをさすりはじめた。
「いたいのいたいの~とんでけー!」
お遊戯で遊ぶ保母さんのようにパアッと両手を開くと、いつのまにかヒジのケガは消えていた。
「ええっ!?」
まるで手品みたいだ。仕掛けがわからず目を丸くするヒロシ。
「うふふ、痛いの飛んでっちゃいまちたね~。えらいでちゅよ~」
ガマンできた子供を褒めるように、お姉さんはニコニコしながら少年の頭をナデナデする。
相手が年上とはいえここまで子供扱いされるのはヒロシにとって初めてのことだった。
だけど全然嫌じゃなくて……むしろもっと撫でてほしいと思っていた。
今日は目覚めてからすぐに緊張と暴力の連続だった。
先ほどまでがジェットコースターなら……今の少年の心はゆりかごの中にいるように落ち着いていた。
「あ、子供たちが呼んでる。行かなくちゃ」
遠くから幼稚園児くらいの子供たちに呼ばれているのに気づき、お姉さんは立ち上がる。
正座したままのヒロシに「またね」と手を振ると背を向けてぱたぱた駆けていった。
後ろ姿を見送る少年の心は、今の青空のように爽快だった。
スッキリした気分で立ち上がって、高原にいるような気持ちのよい風を背伸びして受け止める。
一体ここはどこなんだろうなぁ、日本じゃないのは確かだけど……などと考えながらあたりを見回していると、ふと遠景の違和感を思い出した。
そうだ……ここに初めて来たときから気になってたんだけど……普通は空高くあるはずの雲が、自分が立っているのと同じくらいの高さに存在してる……地平線というほど遠くにあるわけじゃないのに……。
ヒロシは雲を追いかけるように小路を歩いていく。道が途切れ草むらになってもまっすぐ進んでいくと……途中で地面がなくなった。
ぽっかりとあいた大穴……ガケのようなヘリで落ちそうになり、あわてて這いつくばった。
「ええっ!?」
ガケ下には想像しなかった風景が広がっており、驚きのあまり息を呑む。
遥か下方にはミニチュアみたいな大地があり、どこまでも緑が広がっていた。眼下を過ぎゆく雲はハッキリとした影を落としている。
航空写真を見ているかのような……高高度からの眺めであった。
ここでようやく少年は、自分がいまとんでもない高所にいることを知る。
「ファアリーランドって……こんな高いところにあるんだ……」
「あー、ちゃうちゃう」
背後から声がしたかと思うとヒラヒラと妖精が飛んできた。そのまま少年の肩にとまる。
「正確にはここは浮島やね。下にある大地も含めて世界ぜんぶがファアリーランドっていうんや」
「そうなんだ……」と雄大な世界に感心するヒロシ。しかしすぐに大事なことを思い出す。
「そうだ、なぜ僕がこのファアリーランドにいるのか、そろそろちゃんと教えてよ」
「そやそや、いろいろあって忘れとったわ。せっかくやからいま教えたろか」
「ヨイショ」とヒロシの肩に座った妖精は足をブラブラさせながら話し始めた。
封印されていた魔王が復活し、ファアリーランドに少しづつ闇が生まれはじめた。
日に日に悪くなっていく状況を打破するために、異世界間を行き来できる妖精たちは他の世界に助けを求めた。
妖精は長い間、ヒロシの世界に滞在して候補を探し続けた。
何年か経過したころ、ちょうど目をつけていたヒロシがトラックに轢かれて死んだので、ここぞとばかりに召喚魔法でファアリーランドへと誘った。
「……というワケやで」
話し終えた妖精はひと仕事終えた感じでフゥと息をついた。そしてドヤ顔になり「助けたったんやから感謝しいや」と肘でヒロシの頬を押しはじめた。
ヒロシは話を聞いても全然実感が沸いてこなかった。妖精の説明が適当だったせいかもしれないがロールプレイングゲームみたいな作り話に思えたからだ。
それに自分が死んだというのも何度か聞かされたが……いまこうして五体満足で動き回っているので本当に死んだかどうかも信じがたかった。
ただ、死ぬ前……いや、あの暗闇で目覚めた後から、自分の身体が軽く動きやすくなったような気がする。
マリーとの戦いであれだけかわし続けられたのもそのおかげだと思う。
それとここが異世界というのはなんとなくわかる。
この風景や、いままでの見てきたものがヒロシのかつていた世界と似てはいるが、ちょっと変というか……中世に現代のものを無理矢理持ち込んだような、妙なごちゃまぜ感があったからだ。
例えば、マリーの服装……ギャルみたいな格好をしているのに背中に大きな剣を背負っている。それと妖精の変なしゃべり方もそうだ、おとぎ話に出てくる妖精と関西弁の融合なんて聞いたことがない。
「なに難しい顔してんねん。ええから黙ってテンプレ騎士になればええんやって」
考えにふけるヒロシの頬をなおも押し続ける妖精。
『テンプレ騎士』……ヒロシがこの世界に来てからちょくちょく出てくるキーワード。周囲の反応を見るにどうやら自分がソレらしい。
「……テンプレ騎士ってのは一体なんなの?」
「ああ、それはな」
テンプレ騎士というのはファアリーランドに闇が生まれたときに現れる伝説の救世主のこと。
過去、ヒロシのいる世界からやってきた人間がテンプレ騎士となり、ファアリーランドのピンチのために戦ってきたという。
この浮島は『学園都市ライト・ノーヴル』といって、異世界からやってきたテンプレ騎士候補を受け入れるために作られた場所らしい。
「じゃあ、僕がそのテンプレ騎士……救世主に選ばれたってこと?」
「そやな。まず前提として、テンプレ騎士になれるのはトラックに轢かれて死んだ人間だけなんや。これをウチらの業界では『トラ転』っていうんや」
「じゃあ僕がテンプレ騎士になったのは選ばれたわけじゃなくて、トラックに轢かれて死んだからなの……?」
「いんや。その日はトラックに轢かれたヤツが他にもようさんおったんやで。その中からウチが見立てたんや。だから選ばれたってことになるんやで」
「なんで……僕を選んだの……?」
「んー、なんとなく。カンみたいなもんかなぁ」
「そんないい加減な……」
「まぁええやん、死んであの世に行くよりマシやろ?」
妖精は気楽そうに言い放つ。
たしかにあのまま死ぬよりはマシかもしれないが、ヒロシはいろいろ釈然としなかった。
「僕は元いた世界には戻れないの?」
「ウチら妖精は余命を半分削って異世界で死んだ人間をファアリーランドに連れてくることができるんやけど、戻すのは無理やなぁ」
「えっ!? ってことは……僕を連れてくるために、キミの寿命は半分になっちゃったの!?」
「うぃ」
事もなげに頷く妖精。
誕生日プレゼントに返品不可の高額すぎるものをよこしてくる重たい友人を前にしたような困惑がヒロシを苛む。
生き返らせてくれたのは嬉しいが、その対価が寿命半分だなんて……!
しかも、頼んだわけじゃないのに……!
世界の一大事ともあれば寿命の半分を捧げるのは仕方のないことかもしれないけど……その対象がなんで、よりにもよって、僕なんだろう……!?
この妖精が勝手にしたこととはいえ、真面目なヒロシは責任を感じずにはおれなかった。
「……僕はなにをすればいいの?」
ヒロシはげっそりした様子で問う。
「立派なテンプレ騎士になって、この世界に平和を取り戻してほしいんや。 ……ああ、あれやこれや話してたらなんやノッてきたでぇ。そや、ついでにこれもやっとこか!」
ヒロシの肩から颯爽と飛び立った妖精は「ホイッ!」と叫んだ。するとどこからともなく空中に大きな本が出現した。
重厚な革張りの装丁、表紙には立派な金属プレートがついており『Road Of The Template Knight』と彫られていた。
「これは……?」
「テンプレ騎士になるための虎の巻……いわゆるタイガーブックや! 見てみ!」
かけ声とともに本を閉じていた錠前が外れる。
パカッと開いた羊皮紙の見開きページを覗き込んで……少年の目は点になった。




