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28 キリンさんとゾウさん

 誘惑に負けた少年を襲う、突如のピンチ。

 肖像画のおっぱいを揉もうとしているところを幼い子供たちと、そしてよりによって本人に目撃されてしまった。


 小学生の頃、トイレの個室から出てくるのを見られてしまったような気まずさ。

 中校生の頃、学校のパソコンでエロ画像を検索しているのを女子に見られてしまったような気まずさ。


 「ヒロシ君ってそういう人だったんだ……」と見る目が変わる瞬間。

 人の心が引き潮のように離れていく瞬間を少年は今まさに味わっていた。


 ヒロシはこの世界に来てからというもの度重なる事故でセクハラを行っている。

 軽度のものであれば男女の仲を親密にする潤滑油、いわゆるスキンシップとして作用するが、すでにその域はとっくに越したことをやらかしている気がする。


 このままいくとセクハラキャラが定着してしまうのではないかとヒロシ自身、密かに危惧してるほどであった。

 そうなってしまっては最後、テンプレ騎士(ナイト)として得ている尊厳は音をたてて崩れ去り、かつての世界でそうだうであったようにリア充からキョロ充へと逆戻り……!


 今のこの瞬間も事故ならよかった。事故ならまだ言い訳のしようもある。

 しかしめいっぱい背伸びして手もこれでもかと伸ばして、オッパイを触ろうとしているこの姿は……どう見ても故意……!


 ハタから見れば、作り物のオッパイを、本人の前で、喜々として揉む少年……!!

 入り組んだ欲求不満が生み出した、高校生としては早すぎる性癖……!!


 この噂は瞬く間に学校中、いや、ライト・ノーヴルじゅうを駆け巡る。

 そして『遂に本性を現したテンプレ騎士(ナイト)! 白昼堂々の変態プレイ!』などと号外がばら撒かれるのは時間の問題……!!


 ……この間、わずか瞬刻。


 窮地に追い込まれた少年の脳はスーパーコンピューター並の処理速度となり、走馬灯のような回想を音を超える速さで巡らせていた。

 ひとたびの瞬きよりも速く状況を察し、自分の軽率さを反省し、これからの未来を思い描き、その結果に絶望した。


 刹那ほどの間に、少年の感情は光のような速さで変遷していた。

 そして……驚くべきことに、少年はここから更に無力感からも立ち直ったのだ。


 だ、ダメだっ……! そんなことは……させない!

 せっかく掴んだリア充への片道切符を往復切符にしてなるものか……!


 そうだ……まだ、未遂……!

 僕の手はまだ触れちゃいない……!


 いっそこのまま開き直ってこれでもかと揉みしだこうかと思ったが、まだだ……まだ勝機はあるっ……!!


 少年の瞳の奥に、一筋の光明が差し込む。


 それは天から垂らされた蜘蛛の糸のようにか細い、手探りのような希望でしかなかったかもしれない。

 触ろうとしたけどギリギリ触ってないからセーフ! と取り押さえられながら叫ぶ痴漢のような、見苦しい足掻きかもしれない。


 しかし……今は……それに賭けるしかないっ……!!


 決意を固めた瞬間、時は流れ出す。


 ヒロシはバレリーナのようなつま先立ちで、ヨチヨチと園児たちの方を向いた。

 高く掲げた手を口にみたててパクパクと動し、


「や、やぁ、みんな! 元気かいっ!?」


 裏返った声で、園児たちに挨拶する。

 少年の突然の奇行に、園児たちは皆一様にキョトンとした。


「どないしてん急に」「なにやってんのよアンタ」


 背後からも氷を浴びせるような冷たい声が。

 承知していたことだったが……少年に味方はいなかった。


「ぼっ、僕はキリンさんだよ!」


 腹話術のつもりの裏声とともに、上げたほうの手をキリンの頭部に見立て、影絵のキツネの形にする。

 空いたほうの手をキリンの尻尾に見立て、お尻に当ててパタパタと振った。


 ……一瞬の沈黙の後、


「ホントだ! キリンさんだ!」

「わあーっ、すごーいっ!」

「わたし、ゾウさんがすきー! でも、キリンさんのほうがもっとすきー!」


 園児たちの表情が驚きに変わり、そして笑顔で満開となった。


 当初、園児たちの心は坂道を転がるように引き気味だったが、ヒロシは崖下に落ちる寸前、その手に掴むことに成功した……!


「あそぼーっ! キリンさん! キリンさん!」


 ヒロシの腰くらいの背丈の幼女集団がわっと押し寄せてきて、あっという間に囲まれてしまった。


「うふふ、かわいいキリンさんでちゅね~」


 引率のツキカもニコニコと嬉しそうだ。


 つ……ツキカさんも笑ってる……! やった……! 誤魔化せた……!

 僕の行動は壁オッパイへのセクハラという最低の行為ではなく、キリンのマネで子供たちをあやすという最高の行為へと上書きされた……!!


 ヒロシは心の中でガッツポーズし、子供たちを受け入れる。


 調子に乗った園児のひとりがヒロシの身体に飛びつき、よじのぼってきた。

 見覚えのあるその子は……ROTTK(ロック)を作ったといわれる大賢者、ニーニャ・アルテ・ロイテだった。


「死して屍拾う者なし……しかし今まさに屍にならんとする者がいたとしたら、そなたはどうする?」


 ヒロシに抱きかかえられた大賢者は意味深につぶやくなり、頬にチュッとキスをしてきた。


「ああーっ! ずるーい!」

「わたしもー! わたしもしたーい!」

「キリンさんとキスするーっ!」


 まわりの女児たちが騒ぎ出す。エサを待ちきれない子猫のように次から次へとヒロシの身体によじのぼってきた。


「えっ、あ、ちょ!?」


 ヒロシは本日二度目のキス責めにあった。 



「ここが教室よ」


 『H1-1』という室名札のかかった両開きの木扉を勢いよく押し開けるマリー。

 「おっはよー!」と元気に挨拶すると、教室内の女の子全員が応答したような数倍の声量が返ってくる。


 女子高生特有の鮮やかな黄色い声を聞きながらヒロシも後に続くと、室内は途端に静まり返った。

 教室中の女生徒たちはぎょっとなり、まるで怖い体育教師が来たときみたいに居ずまいを正していた。


「ああ、今日からヒロ……テンプレ騎士(ナイト)も授業を受けるから、よろしくね、みんな」


 マリーが簡単に紹介してくれたので、ヒロシは軽く会釈する。

 女の子たちは椅子から一斉に立ち上がったかと思うと「よろしくお願いします!!」と最敬礼で頭を下げた。


 楽しそうな授業前の時間を邪魔してしまったのと、あまりにも女の子たちが畏まるのでヒロシは少し気まずくなってしまった。


「さて、席はあそこよ」


 マリーは気にする様子もなく、入口から一番遠い窓側の教室の隅を指さす。


「あ、一番後ろなんだ」


 てっきり一番前とか真ん中かと予想していたが、一番隅っこだった。

 でもあそこなら女の子だらけの教室でも気楽でいいかとヒロシは思った。


「テンプレ騎士(ナイト)の座る席は一番後ろの窓際の席って相場は決まっとるやろ」


 ヒロシの胸ポケットに収まっていた妖精は言うも愚かという態度だった。

 なんの相場かはわからないが「そうなんだ」と当たり障りのない返事をしておく。


 教室の外は重厚な感じだったが、中は意外と質素だった。

 教壇以外は段差がなく、揃いの小さな机と椅子が整然と並ぶ。教壇側には壁一面の大きな黒板と、対面側には連絡用の中くらいの黒板と生徒用のロッカーと掃除箱。


 オール木造であったが、レイアウトはヒロシの通っていた高校の教室とよく似ていた。 


 テストの最中のように静まり返った室内を歩き、自分の席へと移動する。

 隣は空席だったがそこにはマリーが着席した。席につくなり頬杖ついて、毒を吐きかけてくる。


「はぁ、従者(スレイブ)になったからってなんでアンタの隣りなんかに座んなきゃいけないのかしら。アンタ、あんまり面倒かけさせんじゃないわよ」


 従者(スレイブ)であるマリーがテンプレ騎士(ナイト)に対して無礼極まりない言葉遣いをしていたので、まわりの生徒がびっくりして振り向く。

 ヒロシはヒロシで「う、うん」と素直に返事をしていたのがさらに驚きだったようで、教室じゅうがざわめいた。


 始業のチャイムが鳴ると、測ったようなタイミングで入口の扉が開いた。

 日直の「起立!」という号令とともに立ち上がる生徒たち。ヒロシもこのあたりの儀式は前の世界でもやっていてたので遅れを取ることなく立ち上がった。


 教室に入ってきたのは、黒いスーツでビシッと決めた背の高い女性だった。

 背筋をまっすぐに伸ばし、宝塚の男役のようなキリリとした表情。見るからに厳しそうな雰囲気の教師だった。


 ヒロシは、怖そうな先生だな……と感じ、なるべく目をつけられないように肩をすくめる。

 が、女教師はその気配を悟ったかのようにギロリと睨んできた。


 直後、彼女は教壇の段差に蹴つまづいて豪快にすっ転んだ。顔面を思いっきり打ちつけて床に血だまりを作る。

 「だ、大丈夫ですか先生っ!?」と駆け寄った女生徒たちが助け起こすと、鼻血を噴出させながら号泣しだした。


「うわああああーんっ! テンプレ騎士(ナイト)様の授業だと思って気合入れてきたのに、これじゃ台無しだよぉーっ!!」


「先生ってばいつもスニーカーなのに今日に限ってヒールなんて履いてくるから……ホラ、いきますよ」


 床に座り込んだまま子供のように泣き喚く女教師は、保健委員らしき女生徒に引きずられるようにして退場していった。


 結局……ヒロシのこの世界での初授業は自習になってしまった。






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