16 ビッチが西向きゃ尾は東
「しかしこんなモンつけとるとますますビッチに見えるで」
マリーの尻に腰掛けて尻尾をモフモフしながら、妖精は忌憚なき意見を述べる。
「いいもん。だってアタシ、ビッチになりたいんだから」
「えっ!? ま、マジっ!?」
衝撃のカミングアウトにヒロシは動揺した。そんなものに進んでなりたがる女の子がこの世に存在するなんて……。
「ビッチってメス犬のことでしょ? アタシ子供の頃の夢って従者になることだったんだけど、それと同じくらい犬になりたかったのよね」
異星人を見るような顔のヒロシを気にとめる様子もなく、マリーは幼子のようにニカッと笑い返した。
たしかにヒロシも幼稚園に通う前くらいの頃は「カブトムシになりたい」という夢を持っていた。だから犬になりたいという夢もそれほどおかしいとは思わない。
ただ……そう考えるのは幼い間だけで、幼稚園に通うくらいになればもう少し現実的な夢を描くようになる。アイドル歌手とかスポーツ選手とかだ。
だが彼女は物心つく前に抱いた夢を高校生になっても恥ずかしげもなく追い続けている。
それに……ビッチというのは確かにメス犬を指す言葉だが、彼女の二つ名である『無双の牝犬姫』を耳にした人間は絶対に違う意味で捉えるはずだ。
……マリーという女の子はものすごくピュアなんだなぁと思う反面、もしかして頭が弱い子なんじゃないかとヒロシは不安になってしまった。
「い、犬好きなんだ……」
穢れなき瞳で夢を語るマリーにそう返すので精一杯だった。
「うん! だってすっごくカッコカワイイじゃない!」
「そ、そうだね……」
「そうよ、従者の夢は叶えたから、あとはビッチになる夢を叶えるだけ!」
ザッと一歩前に踏み出したマリーは、
「牝犬姫に、アタシはなるっ!!」
拳を前に突き出して宣誓した。
「海賊王みたいに言うなや」
呆れながら突っ込むミーム。
「わぁ、かっこいい、マリーちゃん」
胸の前で両手を合わせて羨望の眼差しを送るツキカ。彼女もビッチの意味を知らないひとりだ。
「ハハ……」
ヒロシは苦笑いするしかなかった。
刹那、横目に光る物体を捉え、反射的に身体が動く。
「あぶないっ!!」
「きゃっ!?」
横っ飛びしてツキカに体当たりし、地面に押し倒す。
ツキカが立っていた場所を貫くように、槍が野太い風切音をたてながら通過した。
槍は木々をなぎ倒しながら森の奥へと消えていく。
「んむっ?」
倒れた少年の唇を包むぷにゅぷにゅの感触。まさか……と思いつつ目を開けると……ツキカの瞼が見えた。
「ん……んんっ」
唇を奪われ、くぐもった声をあげている。
「アンタ、いちいちセクハラしないと気がすまないの!?」
マリーはヒロシの首根っこを掴んで引きずり起こす。
「ご……ごめ……」
猫のようにつまみ上げられるヒロシ。二発目の狙撃がその顔面を襲った。
ヒロシは謝罪を中断し、ディスアームを抜刀しつつ迫り来る槍を両断した。
真っ二つになった槍が地面にカランと落ちる。
マリーは眉をひそめた。自分は全然見えなかった槍を、コイツは涼しい顔で撃ち落としてみせた。
「……アンタ、動体視力と反射神経と……事故に見せかけたセクハラだけは一級品ね」
危機を察知すると、ヒロシの身体はスイッチが入ったように瞬発する。
超人的な回避を連続で成功させたが、そのプロセスは常人と変わりない。
飛んでくる槍を目にし、その進行方向を察し、軌道上に仲間がいたら適切な方法で避ける、または抜刀して弾く……。
動体視力と、判断のタイミングと、体躯の動きが常人の数倍速くなっただけだ。
身体は筋肉で動き、筋肉は脳でコントロールされる。しかしどちらも力を発揮するためには血液を必要とする。
少年の体内では血液がクロックアップしたように高速で流れだし、いま力が必要な身体の部位に適切に、そして瞬時に血を送る。標的を捉える眼球、軌道を測る脳、地を蹴る脚、剣を振るう腕……。
それは少年が元々持っていた、ドッヂボールで鍛えた特性を最大限に引き出すための……テンプレ騎士としての能力だった。
「おい! アッチや!」
槍が飛んできた方角を示しながらミームが叫ぶ。
見ると、森の奥を人影が逃げていくのが見えた。
「……逃がさないわよ!」
ヒロシを放り出し、気短に飛び出していくマリー。
元々好戦的な性格であるため戦いとなると先に手を出すタイプなのだが、そんな彼女が奇襲攻撃を受けてじっとしていられるわけがなかった。
海原のように茂る草木を駆け散らしながらどんどん暗い森へと入っていく。
罠があればひとたまりもないが用心という言葉は少女の辞書にはなかった。
「あっ!? ヒロシ、ツキカ! こっちも追うで!」
ミームに急かされてヒロシはツキカを助け起こす。ヒロシが差し伸べた手をツキカは握りしめて離さなかったので、ヒロシは手を繋いだまま走りだした。
マリーの背中を追いながら、ケモノ道すらない歩きにくい森のなかを進む。
おっとりしているツキカは運動も苦手なようで、何度もつまずきそうになっていた。
転びそうになる度にフォローにまわるヒロシ。
こんなときにもラッキースケベは発動し、抱きとめようとしては手に余るほどの双丘を揉みしだき、顔面騎乗され、ふたりで転倒しては唇を重ねた。
道中、森のなかに打ち捨てられた弩級を見つけた。
槍のような矢弾を二連装できるタイプのもので、これを使ってヒロシたちを狙撃したのだとわかった。
少しずつマリーに追いすがっていくと、生い茂った木々によりさらに光の差さない暗い地帯に突入した。
空気が湿っていてじめじめしている。毒々しい色のキノコが木の根元に生えていてまるで花のようだった。
「食べられるかしら?」
とキノコに興味津々のツキカの手を引いて進んでいくと、先陣を切っていたマリーが途中で立ち止まり、ようやく追いつくことができた。
後ろ姿に声をかけようとしたが、ヒロシの言葉をマリーは手で遮った。
何かを見つけたのだろうと思い、ヒロシは立てた人差し指を口に当ててツキカにも静かにするように合図する。頷いたツキカはお口チャックの仕草をしてみせた。
ふたりして忍び足で近づき、マリーの隣に並んで先の様子を伺った。
少し離れたところに、森をくり抜くような形で荒れ果てた広場があった。
周囲は山火事にでもあったように焼け落ちており、中央には全焼した跡のような家の骨組みがあった。
かつて家であったものの中には……ベッドに縛り付けられた大きな獣と、椅子に座った赤い頭巾の少女がいた。




