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旧館の主  作者: 由希
2/2

後編

「ん、あれ?」


 一階の、入ってきた窓まで戻ってきた時。窓を開けようとした優子が、困惑の声を上げた。


「どうしたの、優子?」

「いや……あれ? 変だな……開かない」

「えぇ!?」


 その言葉に、望美が優子を押し退けるようにして慌てて窓の前に立つ。そして窓に手をかけると、思い切り引っ張った。


「うーん、うーん……何でぇ!? あたし達、ここから入ってきたよねぇ!? ここだけは鍵が壊れて開いたままだから……!」

「ねぇ……こっちも開かない!」


 別の窓に移動していた優子が悲鳴を上げる。いつも飄々とした優子の顔が、今は焦りに強く歪んでいた。

 私も窓の一つに近付き、鍵を開けて引っ張ってみる。けど窓は、まるで接着剤で貼り付けたみたいにビクともしなかった。


「どうして……」

「何これぇ……あたし達閉じ込められちゃったのぉ……?」


 その場に崩れ落ちながら、涙声で望美が言う。出られない……不意に、少し前に優子のした話を思い出す。

 旧館の主。その得体の知れない何かに気に入られてしまった者は、二度と旧館から出る事は出来ない……。


「あ、あたし、他の窓を見てくる!」

「待って! 置いてかないでよぉ!」


 そう言って近くの教室に飛び込む優子を、望美が泣きながら追いかける。私もその後を追おうとして、何気なくファインダーを覗いた。


「!!」


 思わず、ビデオカメラを取り落としそうになった。ファインダーの向こうには……窓を内側から押さえ付ける幾つもの手が映っていた。

 直に見る。何もない。ファインダーを通す。手が見える。

 まさか、そんな。私達には見えないものが、ビデオカメラには映るなんてそんな事。

 録画モードを一旦切り、試しにあの鏡の前のシーンまで巻き戻してみる。……やっぱり、そこには、鏡から溢れる無数の手が映っている。

 見間違いなんかじゃなかった。いるんだ。この建物には、私達の目には見えない何か・・がいる……!


「駄目ぇ、やっぱり開かないよぉ……一花、どうしよお……っ!」


 そこに、教室を調べ終わったらしい二人が戻ってきた。望美はすっかり泣きべそを掻き、優子の表情も沈んでいる。


「最後の手段で、窓、割ろうとしてみたんだ。でも駄目だった……割れるどころかヒビ一つ入らない。どの窓も」

「あたし達、誰もスマホなんて持ってないし……うぇえ、帰りたいよおぉ!」

「馬鹿、泣かないでよ、あたしだって泣きたいよ!」

「……二人とも。これで窓、見て」


 喧嘩を始めそうになった二人を制するように、私はまた録画モードに切り替えたビデオカメラを二人に差し出した。限界だった。自分だけの中になんてしまっておけなかった。

 まず優子がビデオカメラを受け取り、恐る恐るファインダーを覗く。途端、ひっと引き攣ったような声を出してバッとビデオカメラを遠ざけた。


「なっ……何、これ」

「えっ……えっ、やだ、これ、嘘でしょ?」


 次いで望美が、優子が持ったままになっているビデオカメラを覗いて悲鳴を上げる。二人の怯えた視線から目を逸らしながら、私は優子からビデオカメラを受け取った。


「いるんだよ。何かは解らないけど。この旧館には、本当に何か・・がいる」

「まさか……『旧館の主』……?」

「やだぁっ! やだっ、やだっ、もう全部やだあっ!!」

「望美!?」


 この状況に遂に耐え切れなくなったのだろう、望美が一際大きな悲鳴を上げながら廊下を駆け出す。優子が反射的に後を追い掛け、私もビデオカメラを回したまま後に続く。

 ファインダーを覗くのは怖かった。けど私達に危険を教えてくれるものが唯一あるとしたら、このビデオカメラだけだった。ファインダーを通せば見えない何かが見える。怖いけど、もう救いはそれしかないと思った。

 手の群れに押さえられる窓が後ろに流れていくのを見ながら、階段を登って二階へ。更に二人が三階に上がるのを見て、私は今自分達が美術室へと引き返しているのだと気が付いた。


「望美! 望美、待って!」


 息を切らせながら叫ぶ優子の声にも、望美は足を止めようとはしない。そして美術室に飛び込むと、床の瓦礫を拾って大鏡にメチャクチャに投げつけ始めた。


「何してるの望美!」

「この鏡! この鏡のせいだ! 帰して! あたし達を家に帰してよぉ!」

「落ち着いてよ! そんな事しても何にもならないよ!」

「じゃあどうしろって言うのよぉ!」


 暴れる望美を宥めるように、優子が強く抱き締める。私はどうしていいか解らず、ただその様子をビデオカメラに納めるしかなかった。

 ……ファインダー越しの大鏡は、しんと静まり返っている。あの時のように、手が出てくる気配はない。それが、逆に不気味だった。

 やがて暴れ疲れたのだろう、望美は大人しくなりただ小さく嗚咽を漏らすだけになった。それを抱き締める優子も、いつの間にか泣いていたようだった。

 ……泣けない私が異常なのだろうか。何もせず、ただこうして淡々とビデオカメラを回している。私は、そんなに冷徹な人間だったのだろうか。

 いや、私もまた動揺して訳が解らなくなっていたのだ。その証拠に、ファインダーにずっと映り込んでいたそれ・・にこの時まで気付けなかった。


「……え?」


 ファインダーを眺めるうち、不意に覚えた違和感。大鏡には、抱き合う二人と立ち尽くす私の姿。

 その後ろ。誰もいない筈の後ろに、もう二本の足が立っている。足から上は、私の体に隠れていて解らない。私達と同じ色のスカート、同じ色の上履きを履いた足が、今私の真後ろにいる……!


「二人とも立って!」

「え? 一花……」

「いいから! 早くここを出て!」


 叫ぶように二人に告げ、振り返らずに走り出す。少し後に、二人の足音がついてくるのが解った。廊下に飛び出すと、私は方向も考えずにただがむしゃらに走り出す。

 足は止めずにファインダーを覗く。窓を押さえていた手達が、私達の方に群がりだすのが見えた。捕まってはいけない。捕まればきっと本当に……!

 どこからか狂ったようなピアノの音がした。前から、横から、反響するような幾つもの足音。

 望美と優子はまだちゃんとついてきているだろうか。やかましいピアノの音と、それに合わせたような沢山の足音に紛れ、二人の足音は私の耳に届かなくなっていた。


「きゃっ!」


 突然、短い悲鳴と共に微かに誰かが転ぶ音がした。その音に一瞬だけ怖さを忘れ、振り返る。

 見えたのは必死に私についてくる望美と優子の姿。よかった、二人とも無事だった。


 ――二人とも?


 待って、じゃあさっき転んだ音は? あの悲鳴は?


「!!」


 そう一瞬、頭を真っ白にしてしまったのがいけなかった。後ろを振り向いたままの私は、足を縺れさせて転んでしまったのだ。

 全身を、特に膝を襲う強い衝撃。ぐらりと半回転した視界の向こうで、四本の足が私を追い越していくのが解った。


「う……待って……」


 痛む体を必死に持ち上げ、手を伸ばす。転んだ拍子に手を離れたビデオカメラが、走り去る二人の様子を映している。そんな。私は見捨てられたのだろうか。

 不意に、目の前に影が差した。同時に視界の端に見える、知らない二本の足。

 今度はファインダー越しじゃない。現実に、私の目を通して見えている。

 その誰か・・は、私の横に蹲ったようだった。伸ばしっぱなしの長い長い髪が私の剥き出しの腕にかかる。怖い。恐ろしい。私の体は、すっかり石になったように固まってしまった。

 今横を振り向けば、傍らにいる誰か・・を見る事が出来るのだろう。けど出来ない。恐ろしい。見てしまえば、取り返しがつかなくなる気がして。

 誰か・・が私の横顔に自分の顔を近付ける。生臭いような息の臭いが、浅い呼吸を続ける鼻を擽った。そして、誰か・・は私にこう言ったのだ。


『あなたは、いらない』


 それからの、私の記憶はない。



 旧館の外で倒れている私と優子が発見されたのは、その日の夕方五時ごろだったという。

 目覚めた病院で精密検査も受けたが特に異常はなく、三日後には無理をしない事を条件に家に帰された。

 望美は――最後まで、見つかる事はなかった。旧館にもそれ以外のどこにも、居場所を示すようなものがまるで残っていなかったという。

 旧館の主の狙いは望美だけだったのだろうか。私と優子は、それに巻き込まれただけだったのだろうか。

 優子はあれ以来、精神を病んでしまった。一度だけ面会させて貰ったが、すっかり赤ん坊還りしてしまっていてまともな話はまるで出来なかった。

 望美と逃げた後、優子に何があったのか。望美はどのようにして旧館に囚われたのか。私には解らない。

 一部始終が撮られていた筈のビデオカメラからは、望美と、映っていた怪異の痕跡が残さず消えてしまっていた。これも旧館の主が消したのだろうか。もう何も解らない。

 解るのは、私の大好きな二人の親友は、もう二度と還らないという事だけだ。






fin

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