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血の兄弟ーローマ教会の秘宝  作者: F.Y.ホルムスキー
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猫シチュー

 フレツェリックは麻袋を台所へ持っていき、それを床にたたきつけた。麻袋が鳴き、激しく動き出した。

「騒々しくするな…。ただでさえ具合が悪いのに、もう頭が爆発しそうではないか」

 ゼニスの姿はもう老人のようになっていた。

「安心しろ。すぐ終わるから。君は部屋にでも行って横になるがいいさ」

 ゼニスはよろよろと去っていった。

 フレツェリックは近くにあった箒を持ち出して、猫の頭部を一撃した。麻袋はもう動かなくなった。猫を麻袋から取り出し、喉を裂いて血を鍋の中に注ぎ込んだ。そして、肉を取り、血と一緒に煮込んだ。

 しばらくして、シチューのようなものが出来上がった。


 料理を作ることは、フレツェリックにとってさほど苦ではなかった。しかし、ゼニスの部屋まで運ぶのが意外に難関だった。それは、決して部屋の場所がわからないからではない。そんなものは、波長をたどればすぐにわかる。

 フレツェリックは体の節々の痛みに悩まされた。階段や廊下には、たくさんのエジプトの絵やヒエログリフが飾られていた。何とかゼニスの部屋に入り、シチューを渡した。

 ゼニスはシチューを飲むたび、どんどん若返った。そして、シチューを飲み終えたころには30歳くらいの姿になった。

「なかなかの出来だな…」

「まあ、2000年以上も生きていれば、これくらい朝飯前さ」

「2000年以上となると、イノシシでも追いかけて暮らしていたのか?」

「馬鹿な。もっとずっと文明が発達しているところだ」

「んー、ではクレタ島の出身か?クレタ文明の絵画は魅力的だと思う」

「違うな。少しは近づいてきたが…」

「ギリシャか?」

「違う」

「わかった、スパルタだろう!」

「それも違う」

「全く見当がつかないな」

「時間は余すほどあるんだろう?じっくり考えてみるといいさ」

 フレツェリックは自分の出身地を明かすことで弱点を知られたくなかったのか、あるいはもう少しこの状況を楽しみたかったのか──。

 フレツェリックは自分の頬のゆるみを感じた。自分でも微笑しているに違いないと思った。このすがすがしい感覚はずっと味わってなかった。人と会うときは念入りに台詞を考え、顔のどこの筋肉を使うかも意識し、俳優のように完璧に演じていた──何百年も続けていれば、だいたいのことは自然に行っているように見えるが──。久々に自分と会った気がした。

「ちょっとこれ、片づけてくるよ」

 フレツェリックはボウルやスプーンを盆にのせ、ゼニスの部屋を出た。


 ここ最近でこんなに気分が良いことはなかった。階段や廊下のゼニスのエジプトの神々のコレクションも気にならないほどだった。鼻歌まじりに跳ねるように台所へ向かった。

 焦げついた鍋をこすっていると階上から物の割れる音がした。直感で何か良からぬ事態が生じたことがわかった。フレツェリックは鍋を投げ捨ててゼニスの部屋へ向かった。


 ゼニスは床に倒れ、天を仰いでいた。そして、その周りにはランプのガラスの破片が散らばっていた。

 フレツェリックは急いでゼニスの上体を起こした。

「一体、どうしたっていうんだよ…?」

 ゼニスは呼吸困難に陥っているようで、声を絞り出して答えた。

「…棚に薬が…2段目に……。医者も…電…報…」

「わかった。わかったから、このままゆっくり呼吸を続けろ…」


 フレツェリックは部屋の隅にある棚まで来て絶望した。棚はエジプトの美しい女神の彫刻が施されていた。これに触れれば火傷は免れられないだろう。しかし、棚を開けないという選択肢は生まれてこなかった。フレツェリックにとっての1番の悪は「見捨てる」ということだからだ。

 棚に手をかけると一瞬氷のようにひやっと感じたが、すぐに灼熱の鉄板になってじゅわっと皮膚を溶かした。きりきりと指の先が痛んだ。

 棚の中にはチョコレートを入れるような缶が入っていた。バラの花の柄だった。フレツェリックは安堵の溜息と笑みをこぼした。中にはシロップの入った茶色の小瓶とメモがあった。

「これだね?薬は」

 ゼニスは目でうなづいた。

 フレツェリックは小瓶のふたを開けてゼニスに渡してやった。

 ゼニスは迷いもなく瓶に口をつけて薬を飲んだ。

「…。これで…何とかなるだろう…」

 ゼニスの呼吸はまだ乱れていたが、大分落ち着いたようだ。

「これが電報の連絡先か?」

 フレツェリックは缶に入っていたメモを見せた。

「そうだ、かかりつけの医者だ…。かなり前からのな…」

「そいつには、君が吸血鬼だってばれていないのか?」

「そこは心配無用だ。その医者というのも我々と同じだ…」

 フレツェリックは吹き出してしまった。ゼニスのジョークだと思った。

「同じって何だい?吸血鬼の医者だっていうのかい?こんな状況でよくもそんな…」

「これは決して冗談ではない。吸血鬼の医者は本当にいるんだ。400年ほど世話になっている」

 フレツェリックはメモに目を落とした。医者の名前はクレタス・デカキス──確かにこの辺の人間の名前ではない。

「これは面白い。早く来てもらいたいものだね」

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