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血の兄弟ーローマ教会の秘宝  作者: F.Y.ホルムスキー
18/21

ロンドンへ

 イギリスへ行く人は多く、長時間並びやっと船に乗ることができた。


 ゼニスは船酔いがひどく、甲板の柵にもたれかかりうつらうつらしていた。風がとても心地良かった。そして、ふと風が吹いてくる方向に目をやると、見覚えのある姿があった。強いくせのある黒髪、短めの首──。ゼニスは自分が相当疲れていると思った。あるいは夢なのか…。

 後ろから肩を叩かれて、ゼニスは我に返った。クレタスだった。

「いやぁ、寝てしまっていたみたいだな…。一瞬夢を見たよ」

「夢?」

「ああ。ちょうどあの辺にフレツェリックが…」

 ゼニスは自分が指差した方向を見て驚いた。自分がフレツェリックだと思った人物は夢ではなく、そこにいた。

「んー、私にもあれはフレツェリックのように見えるがね」

 クレタスは冷静に言った。

 ゼニスはフレツェリックらしき人物に近づいていった。

「すいません…」

 ゼニスは人違いであっても大丈夫なように声をかけた。しかし、その人物には聞こえていないのか返事はなかった。ゼニスは思い切ってキルトを羽織って動かない人物に触れてみた。その人物はぐるりと振り向き、ものすごい眼光でにらみつけてきた。だが、間違いなく、それはフレツェリックだった。フレツェリックはゼニスだとわかると瞳から鋭さが消えた。

「ゼニスか…。この船に乗ってたんだな…」

 フレツェリックの声はひどくかすれており、顔に全く血の気がなかった。

「何があったんだ?」

 ゼニスはたずねた。

「ちょっとな…、撃たれたんだよ、警察に」

 フレツェリックはため息混じりに笑った。

「奴ら、下手くそだぜ?何でまともに殺れないんだよ…。もう一発なんかトランクに撃ち込んだんだぜ?」

 ゼニスはフレツェリックの態度が無性に気に入らなかった。殴ってやりたいのを我慢して言った。

「お前は馬鹿だ。世界で一番の馬鹿だ」

 ゼニスは自分の命を粗末にする人物が最も嫌いだった。生きたくても生きれない人が山ほどいる。

 フレツェリックは訳がわからず呆然としていた。

「おい、クレタス。ちょっと来てくれ」

 ゼニスは少し離れたところでパイプをふかしていたクレタスを大声で呼んだ。クレタスはゆったりと歩いてきた。

「こいつの傷の治療をしてくれ。撃たれたらしい」

「ああ、いいよ」

 そう言ってクレタスはフレツェリックを船の中へ連れていった。


 船の中は人でごった返しており、まともに治療ができるような空間はなかった。

 クレタスはふらつくフレツェリックを支え、やっと座れるほどの隙間を見つけ、人ごみをかき分け、フレツェリックを座らせた。

「やれやれ、この人の多さは全く嫌になるね…」

 そして、クレタスは昔はこんなに人はいなかっただの、古代のニカイアでの人ごみのほうがこんなにむさ苦しくないだの話し出した。

 フレツェリックは治療をするなら早くしてくれと思ったが、疲労が限界まで達しており、頭を垂れて目を閉じた。

 クレタスはフレツェリックの傷を上着の上から診た。そこまで出血はひどくなく、傷口もまあまあ単純そうだった。弾は肩甲骨で止まっているらしい。しかし、この騒々しく狭苦しい船で弾を取り出す作業など不可能だ。クレタスはトランクからガーゼと三角巾を引っ張り出し、傷を塞ぎ肩を動かしてしまわないようフレツェリックの腕を吊った。

「よし...、今できることはこのくらいだね。弾を取り出すのは私の家に戻ってから」

 フレツェリックはうっすら目を開けた。

「弾はどこにあるんだ?」

「骨だよ。幸い手術もしやすい。すでに穴が開いているからね」

「ありがたいね」

 フレツェリックは右手でキルトをたぐり寄せた。

「冷えるのかね?」

「ああ、昨晩は野宿だったしな」

「野宿?何でそんなことをした?」

 フレツェリックはクレタスの質問に苛々した。

「言っただろ?僕の家に警察が来た。それでどうして家に留まれるって言うんだい?」

「警察が来たと言っても、お前の手にかかれば即死体になるんだろう?死体があるところでは寝れないとでも?」

 クレタスは鼻で笑ったが、フレツェリックには意味がわからなかった。

「は?死体...?何か勘違いしてないか?僕は奴らを殺さなかった。まあ、殴りはしたけどね」

「おお、何と...」

 クレタスは大げさに驚き、手を叩き言った。

「これはまた、大きな進歩だ...。少しは命の重さ、尊さを学べたのだな!」

 やはりフレツェリックはクレタスが苦手だった。自分が人を殺さなかったというだけでどうしてこんなにも喜んでいるのか。クレタス自身も人を殺しているだろうに──差し引けば、彼は人を救うことのほうが多いのかもしれないが──。

「少しゼニスの様子を見に行ってくるが、このままここにいるのだぞ、いいね?」

 クレタスはそう言い残し人ごみをかき分けて行った。フレツェリックは少しほっとしてそのまま眠りに落ちた。


 ゼニスは甲板の柵にもたれていた。身体の芯まで凍りつきそうだったが、その冷たさが自分の感情を静めてくれる気がした。

「ゼニス、まだそこにいたのか?君は病み上がりだ。いい加減に中へ入りなさい」

「クレタスか…。あいつの傷は?」

「まあ、大したことない。それより、君のほうが心配だ。君は以前のように強靭ではない」

「それはわかっている」

 ゼニスは自分の関節の浮き出た指を見つめたままぶっきらぼうに言った。

「わかっているなら、そのような行動をしてほしいものだ…」

 クレタスは肩をすくめながらオーバーコートの内ポケットから小さな瓶を取り出した。

「ゼニス、飲むか?スコッチウイスキーだ。少しは温まるぞ」

「では、いただくかな…」

 ゼニスはクレタスから瓶を受け取り、ぐいっと一口飲んだ。胃に心地良い重みとじわじわ広がる熱を感じた。

「もう少しもらっていいか?」

「ああ、構わない。私はまた中に戻るよ。港に着いたらアルバートドックのところにいてくれ」

「わかった、また後でな」

 クレタスは船の中に戻っていった。


 リヴァプールの港が見え始めると、甲板にどんどん人が溢れてきた。ゼニスは絵を傷つけられないように抱えなければならなかった。せめてもの救いは乗客はみな疲れていて、人の数のわりには静かだったことだ。

 低い汽笛の音が鳴り響き、船は霧を裂いて港に着いた。

 しばらくして、ボコッと大きな音がして船と港をつなぐ板がつけられ、柵は開かれた。

 人がどっと動き出し、その波がゼニスを襲った。さっきまでとうって変わった温度と煙草や香水や汗の入り混じった香りでゼニスは吐き気がした。押し出されるように降り立った彼は人ごみから離れるようにドックのほうへ身を寄せた。そして、羊の群れのように流れ出る人々を眺めていた。やがて人々は船の周りから消え去り静けさが戻ってきた。ゼニスは絵とトランクを持ち直し、アルバートドックへ向けて歩き出した。

 アルバートドックの影が現れたとき、後ろから呼びかける声がした。クレタスとフレツェリックだった。フレツェリックの顔は先ほどよりも蒼白だった。

「さて、駅へ向かおうかね…。その前に辻馬車を捕らえたいがな」

 クレタスは大きい通りへ向かって歩き出した。フレツェリックとゼニスは無言で彼の後に続いた。

 通りに出てまもなくクレタスは辻馬車を見つけた。

 ゼニスがアイルランドに渡るときも来たところだったため、どこか懐かしかった。


 駅に着くと、船で乗り合わせた人であろうアイルランド訛りの英語があちこちから聞こえてきた。

「私が切符を買ってこよう」

 クレタスとしては珍しい素早さで駅の切符売り場へ向かった。

「あいつって早く動けるんだな…」

 フレツェリックは掠れた声で言った。

「ああ、私も初めて見た…」

 ゼニスは船酔いがまだ残っており、ぼんやりとクレタスを見送った。

「ゼニス、具合悪いのかい?顔が真っ青だぜ?」

「いいからお前は黙っていろ、この怪我人が」

 ゼニスは疲れと具合の悪さで相当機嫌が悪かった。フレツェリックはゼニスが不機嫌な理由が全くわからず言い返した。

「わかった黙るよ。でも、怪我人には優しくすべきだと思うね」

「誰がお前になんか優しくするというんだ!?なぜ殺されてもいいなんて思ったんだ!?」

 フレツェリックはかがんで自分の靴の汚れを落としている。フレツェリックはこうなったら徹底的に沈黙を貫こうとしていた。もちろん、ゼニスは余計に腹が立った。

「お前、人の話を」

「おまたせ」

 ちょうどクレタスが切符を買って戻ってきた。

「ありがとう、クレタス。切符代を払うよ、いくらだい?」

 ゼニスは内ポケットから財布を取り出しながら尋ねた。

「それくらい私が持つよ。私は定期的な収入がある」

「本当にすまないね。何もかも…」

「気にするな、それではホームへ移動しようかね」

 そう言ってクレタスは自分のトランクとフレツェリックのトランクを持って歩き出した。フレツェリックとゼニスはその後に続いた。


 ホームには既に列車が停車していた。三人はコンパートメントに乗り込んだ。ゼニスは久々に列車に乗った。適度に沈み込む椅子で今までの緊張が解けた。そして、ゼニスは意識を手放した。


「ゼニス、ゼニス…」

 クレタスが上から覗き込んでいた。

「ロンドンに着いたよ」

「もう着いたのか…?」

 ゼニスは頭がぼーっとしたまま立ち上がり、トランクと絵を持った。何時間も同じ姿勢をとっていたため、ひどく腰が痛んだ。

 フレツェリックはつい2週間ほど前にこの駅からアイルランドへ向かったばかりだったのであまり面白くなかった。

「僕が何のためにアイルランドまで行ったのか、まるでわからないな…」

「それはそれはご苦労だったな」

 ゼニスは鼻で笑った。

「僕は君の子供じみた態度にいちいち付き合わないからな」

 フレツェリックは冷静に言い放った。

 クレタスはゆったりと彼らの前を歩き、目を細めていた。

「さあ、二人ともあと少しでこの旅も終わる。私の家に入る頃には大人しくしていてもらうぞ」

「クレタス、本当にすまない」

 ゼニスはフレツェリックを横目で見た。

「いや、僕は大人しくしていたね」

 フレツェリックはさっさと歩き出した。


 クレタスが辻馬車を拾い、3人はそれに乗り込み彼の住むアパートへ向かった。


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