テニス部の試練 その3
毎週金曜日に、スクールカウンセラーの杉山さんという女性がやって来る。
このまま色々溜め込んだままでいては体に悪いに決まっている。そう考えた私は、洋香と放課後にカウンセラー室の扉をノックした。
本当は独りきりで行きたかったが、洋香がそんなことを許すはずもなく、結局一緒に連れてきてしまった。何か特別なアドバイスが杉山先生からいただけることを信じて。
しかし、そんな私の淡い期待すら、簡単に握りつぶされてしまった。
「噂を聞いた?」
「はい、この子の悪口を言っている人がいるんです」
私が何か喋ろうとするよりも早く、洋香が先に喋ってしまう。私は借りてきた猫のように椅子の上で縮こまっていた。
「それが怖くて部活に行けないのね?」
杉山先生は私の方を向いて言った。
「はい」
「どうして? そんなもの、何の証拠もないじゃない。あなたが直接聞いたわけじゃないでしょう?」
「で、ですが――」
私は先生に口答えしようとしたが、当たり前のように遮られた。
「なら悪口を言われたことにはならない。いくらあなたのお友達が悪口を聞いたと言っても、本当じゃないかもしれないでしょ? ウソかもしれない。そんな噂信じないで、自分の耳で聞いたことだけ信じなさい」
先生は私に対しぶっきらぼうにそう告げた。その様子がなんだかイラついているようにも見えて、私は心底居心地が悪かった。
彼女は続けた。
「それに、下手くそだって自覚があるのなら、本当かもわからない声に惑わされずに努力しなくちゃ。何をするにしたってそうよ。気にするんじゃないの」
自分の中で、大きな不満の塊が膨らんでゆくのがわかった。
「ちがう、そうじゃない」と私は思った。私が気にしているのは、部員たちが悪口を言ったとか言っていないとか、そんなことではない。私が気にしているのは、そんな噂が流れるようになった環境そのものである。「ウソかもしれない」と先生は言ったが、仮にそれが事実だとしたら、一体何のためにみんなは私にそんな嘘をつくのだろう? それはそれで大変不愉快な話である。何の解決にもなっていない気がするのは私の気のせいだろうか。そんなはずはあるまい。もちろん、部活を度々サボり、なかなか腕を上げない私にも問題があることはわかっている。しかし、何故よりによってさくらやエリカのような人間に責められなければならないのか。いつも他人のことを小馬鹿にし、少しでも暇があろうものなら、おしゃべりばかりしているような彼女たちに!
だが、私は何も言葉にできなかった。
何も言い返すことができなかった。彼女たちにも、杉山先生にも。心の中でしか、叫ぶことができなかった。結局、誰も間違ったことは言っていなかったからだ。
下手くそな人間は、人一倍努力しなくてはならない。当たり前のことである。少なくとも、ほとんどの日本人はそんな考えを持っている。何をするにも『努力』『根性』『やる気』。いつの時代もこの三点セットは欠かせない。
わかっている。毎日部活に行って、一生懸命練習するべきであるということは。だけど、私にそうさせない環境を作っている人間がいる。それがさくらやエリカなのではないのか? それとも、こんな考えは単なる『甘え』なのだろうか。
「ありがとうございました。頑張ってみます」
私は思ってもいないことを適当に口走って、カウンセラー室を去った。本当はもっとたくさん話したいことがあった。しかし、洋香が隣にいたため、ほとんど話せなかった。
なんとなく目頭が熱かった。自分が本気で悩んでいたことすべてを、「あなたの気のせいよ。全部心の弱さが創り出した幻だわ」とでも言われたかのようだった。
「だから私と同じ部活にしておけばよかったのに。言うとおりにしないから!」
帰り道、前に洋香が言った言葉が思い出され、とても惨めな気分になった。よたよたとゾンビのように歩きながら、彼女の言ったことを何度も何度も反芻し、泣いた。