7.2
振り返らず、廊下に出る。階段の向かい側にあるトイレに入った。
洗面化粧台の蛇口に手を近づけ、自動で流れてくる水に手を当てる。手のひらを表裏交互に返して、両面を水で洗う。
汚いものがついたわけではない。
自分でもわからない何かを流したかったのだ。
中は熱く、けれど表面は冷たく、適度に痺れをもたらす何かを。
水で流してもその感覚がとれるわけでなく、感じているのかすら曖昧だった。
蛇口から手を離し、ポケットからハンカチを取り出す。両手に纏わりついた水を丁寧にふき取りながら、洗面化粧台の壁に取り付けられた鏡に顔を向ける。
手を激しく洗ったつもりはなかったが、片頬で水滴が流れていた。そのことに恥ずかしさを感じたのか、頬が熱を帯びていた。
頬の水滴をハンカチで拭うと、もう片側の目尻から水滴が垂れ始めていることに気がついた。
おそらく、今のハンカチで手についていた水滴がついたのだろう。流れ落ちる前に、ふき取った。
私は何をしていたのだったか。
何かをして、ここに来た。
記憶がぐるぐると巡り、高校と中学校と小学校の記憶が入れ混じり、現在の校舎がどの学校のどの位置かわからなくなる。足元がふらつく。
記憶を正せ。
整理しろ。
落ち着いて、目を閉じて、一呼吸置く。
そうだ。
彼女と関係を断った。
元の関係に戻った。
私が今したことはそれだ。その後、このトイレにやってきたのだった。
それでどうなっただろう。
私が失ったものは何もない。
彼女との時間は無くなり、私の時間はすべて私のために使うだけだ。
私はダメな子だ。他人と触れ合って自分の時間を減らすなんて真似はやってはいけなかったのだ。
きっと浮かれていたのだ。心の奥底では。
ここまで頑張ったのだからもういいじゃないか、私は十二分に頑張ったのだと。
それでは彼女が言うようにただの自己満足だ。他人に認められてこそ、私はようやく自分に価値を見出せる。自己の評価などに意味は無い。
彼女と関係を断つことでそれを思い出すことが出来た。
きっと彼女は、私にそれを思い出させるために、やってくれたのだ。
彼女との関係はそれ以上でも、それ以下でもない、はずだ。




