魔族として
大変遅くなりました。申し訳ありません。
誤字修正しました。 4/1
その戦いの始まりは唐突であった。
攻める側も守る側も、準備をしていたわけではない。
しかし戦いは始まる。
いくら念入りに準備したとしても、いくら守りを固めたとしても、いくら気を張ったとしても……始まりの引き金を引くのが自分ではない以上、始まりは何時でも唐突なのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
(ふむ…これは……)
次の探索に向かうまでの時間を潰すため死者の都を見て回っていた時、アリエルが唐突に喋り始めた。
俺たちが今居る場所は死者の都の廃墟の一つだ。
天井が崩れた廃墟には巨大な木がまるで家主のように生えている。氷の木から伸びる根が廃墟を侵食してはいるがそれだけだ。間違いなく珍しい光景ではあるのだが、さすがに慣れてしまった。アリエルが声を上げるほどの物ではないと思うのだが…
『私には変わった所は無い様に見えるのですが、何かあったのですか?』
ジズドも同じ事を感じたのかアリエルにそう声をかけた。
(ここに何かがあるわけではない。侵入者を感じただけだ)
侵入者?
(ああ。先ほど力を解放するまで気付かなかった。力の質も量もかなりの物だが……ずいぶんうまく隠していたようだな)
アリエルが質も量もかなりの物なんて言うとは……そいつ、かなり強いんじゃないのか?
(そこそこだな。魔力量だけで見るのであればメディアの方が上だ。だが……侵入者は魔力の操作が上手い。本来は己の領域ではない筈の死者の都の魔力を上手く使いこないしている。全体で見れば死者の都の魔力を使っている侵入者が有利だな)
メディアより強い? それはかなりまずいじゃないのか?
(だがまあ、死霊兵相手に足止めされているようだな。ゆっくりとメディアの方に向かっていはするようだが……メディアの傍には鎧も居る。侵入者の数も一人のようだし私たちが加勢に行けば片付く程度の問題ではあるな)
ならすぐにその侵入者とやらを倒すか。場所を教えてくれ。
(……いや、待て)
侵入者の場所を聞こうとアリエルに問いかけると何故かそれを止められた。
侵入者は敵だ。そして敵であれば倒してしまったほうが良いに決まっている。何故止められたのかが理解できない。
アリエル、何のつもりだ?
(それなりの力を持った存在が近づいてきている。数は……八、いや……十か? 八はルフ要塞のほうから来ているようだが……残りの二は空だな)
ルフ要塞の連中はまだ分かるが……空だと?
(空の一体は、おそらく竜だな。かなり分かりにくいが……この感じは飛竜か、それとも火山竜かだ)
『……竜?』
……竜だと? 何故竜がこんな場所に現れるんだ? と言うか、竜の種類が分からないのか?
(……飛竜と火山竜の力が混ざり合っているような感じなのだ。しかし、力は二種類存在するが二体ではない。このような感覚は初めてだ)
『感じる力は空に二なのでしょう? であれば、飛竜と火山竜が二体居るだけだと思うのですが……』
(もう一つの力はまた別の種類だ。そういう意味では空に存在する力は二ではなく三だな)
……つまりあれか。今侵入者の方に行けば死者の都の中にそこそこの強さの存在が紛れ込むと?
(そうなるな。だが……空の存在はどの道降りてくるまでは手出しできんから無視でいいだろう。今の侵入者にはメディアと筆頭、鬼族を当て私たちでルフ要塞の方向から来る八を消した後に空の存在も消せばいい)
今居る侵入者の数は所詮一だ。放って置いても勝手に消耗するだろうが、念押しで筆頭君と鬼族を当てると言う事か。
なら俺は……さっさとルフ要塞からの侵入者を倒すとしよう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
死者の都を一人進む男は無双であった。
四腕から繰り出される拳は白い壁となって迫り来る死霊兵をたやすく吹き飛ばす。
拳に纏った大量の魔力は、もはや巨大化した腕と同義である。
突き出すたびに吹き飛ばし、振り下ろすたびに雪と骨が混ざり合い白の境界線を曖昧にしていく。
そして、ここで驚くべきことは……四腕の魔族が破壊した死霊兵は復活していないと言う事だ。
その原因は至極簡単なものであり、彼が炎帝から聞いた攻略法の一つである『骨に魔力を打ち込む』と言う事を実施しているからである。
少ししか役に立たなかったとは言え封印が効果的であった事。
魔術師と神官たちはその事を中心に研究に研究を重ね、試行錯誤の末に攻略法を生み出した。その方法とは、簡単に言ってしまえば『力押し』だ。
強すぎる魔力はそれそのものが毒であり、人によっては死に至る事も珍しくない。事実魔力の濃い場所……迷宮と呼ばれるその場所で死ぬ原因の半分近くを占める程には魔力に当てられる事は多いのだ。
とにかく、人の毒になるのであれば封印式を打ち込むのではなく強大な魔力を打ち込む事で復活の邪魔をする事も可能なのではないか? そう考える者が居たのは自然な事であった。
実際にどうなるかは分からなかったが、結果的には成功している。これを可能とする魔力量が並ではないため行える者は少ないが、倒せない存在を倒せるようになったのは大きい。
だが――
「……以前はまともに戦わなかったから知りませんでしたが、ずいぶん厄介な性質を持っていますねぇ」
四腕の魔族が死霊兵を倒す事で知る事ができた厄介な性質。
それは『体』を失ったとしても本体である『怨念』は失っていないと言う事だ。
体を失えば失うほど、数が減れば減るほど。『体』に入る怨霊はその数を増し、一体が持つ能力はその密度を増してく。
レクサスや筆頭君のように強力な指揮官に率いられていないが故に動きは歪な物になってしまうが、それはある意味において脅威でもある。
死霊兵の一体が四腕の魔族の拳を掻い潜り肉薄する。
悪魔が作り出した鋭く禍々しい刃を両手に構え、生者の血を啜るために空間を走った。……両腕が別々の軌道をなぞり、噛み付きという攻撃まで加えて。
まるで両腕と顔の全てに意思があるかのようなその攻撃は、真実その通りである。
己の体を砕かれた怒りを隠す事などするわけが無い。右腕の怨霊が首を狙い、左腕の怨霊が胸を狙う。大きく開けた口は肉を噛み千切ってやろうと言う意思が感じられ、三者三様の殺意が魔族を襲う。
しかし魔族は、その凶刃を上半身を動かすだけで回避する。
体を後ろに動かしたため姿勢がおかしなことになったが、その姿勢のずれを利用し勢いよく回し蹴りを放つ。姿勢を崩す事さえ一つの流れ。魔族が持つ経験からくる戦闘技能にはこの程度は苦戦ですらない。顔に焦りは見えず、この状況でも表情を崩さないその佇まいは余裕さえ感じられる。
骨が砕ける音がし、次いで残骸が周りの骨たちにぶつかる音が聞こえる。
しかし、死霊兵たちはその程度の事に怯む事は無い。砕けた骨を踏みしめながら骨の壁が動き出す。
「全く……本当に厄介ですね。ですが……」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「全く、本当に厄介ですね。ですが……」
動き出した骨の壁を横目についそんな事を口に出してしまう。
疲労は無く余裕はある。
このような木偶がいくら来た所で問題は無いと思えるが、時間は限られている。
だと言うのにこの悪霊たちは数が減れば減るほど攻撃の苛烈さが増しているのだ。僅かずつだが動きは早くなり、まるで腕が意思を持ったかのように不規則ではあるが狙っている箇所は必殺である斬撃を繰り出してくる。
それが続けば守りに意識を裂いてしまい、硬直状態がひどくなっていく。結果、こうしてここで足止めをされているわけだが――
「暴れた甲斐はありましたか。ですが、まさか一人で来るとは思いませんでしたよ」
白い骨の壁が開けそこから一体の悪霊が進み出る。
見覚えのある標準的な大きさの剣と見覚えの無い巨大な斧槍を握った、単眼の蛇を従えている悪霊。
忘れもしない、俺に忌々しい敗北を刻み込んだ片割れ。
俺の声など聞こえていないのか、それとも聞こえていて無視しているのか。どちらなのかは分からないが、握っている剣を構える事も無く佇むその姿は不気味ですらある。……だが、だからこそ良い。
俺は遊びにきたわけではない。こいつと氷の女王を殺しに来たのだ。
悪霊がこちらに向かい一歩を踏み出す。
すると骨の壁は再び閉じ、円になるように俺たちの周りを取り囲む。
……一対一のつもりだろうか?
「私も……ずいぶん舐められたものですね。あなた程度が一対一で私に勝てるとでも?」
僅かに感じるこの想いは失望だろうか。
戦いにおいて以前勝ったから今回も勝てる、などと言う道理は存在しない。その上この悪霊、前回は氷の女王と共闘だったはずだ。だと言うのに、今回は一体で現れた。
……俺は、確かに再び戦い勝つつもりではあったが……つまらない戦いを行いに来たわけではない。
だが俺のそんな思いは、すぐに間違っていたのだと理解させられた。
周りに散らばる悪霊から何かの気配が消え失せると、それの代わりとでも言うように目の前に立つ悪霊の存在感が増していく。
それは魔力の増大などではない。
もっと深い部分……生きるための活力。命とでも言うべき何かの密度が増している。
何人、何十人と。俺が屠った悪霊の数だけ強くなっているかのようだ。
悪霊の体から立ち昇る陽炎のように揺らめく何かのせいでやつの体が二重にも三重にも見える。
それを目にした俺は本体を見逃さぬように目を凝らし……魔力の槍を悪霊目掛けて突き出した。
そして、それは戦いの合図となる。
悪霊は片手で持っていた斧槍を薙ぐように振るい魔力の槍を断ち切る。
斬られた事により形を失った魔力の槍は霧散する事無くやつの斧槍に吸われていく。斧槍の周りに黒く変色した魔力が……いや、人の上半身と黒い霧のような下半身を持った何かが数体現れた。
これは……怨霊だろうか?
俺の魔力を吸ったせいなのか、見ることが可能になるほど濃くなった怨霊。感じる力は大したことのない物ではあるが、この悪霊がわざわざ呼び出した物だ。無意味であるわけが無い。
そこまで考えると、やつの周りを舞っていた怨霊たちはまるで吸い込まれるようにやつの体に重なっていく。
先ほどから感じていた力がさらに跳ね上がった。体の輪郭はすさまじいほどにぶれ、既に本体であった体を確認するのですら難しくなっている。
そこまで考え、嫌な感覚を覚え僅かに後ろに下がる。
すると俺が下がった事に一瞬遅れ、先ほどまで立っていた場所を巨大な斧槍が薙ぎ払った。
俺の目をもってしても見ることの出来ない高速の斬撃。
踏み込んだ影すら追う事の出来ない一撃だ。
だが、かわした。如何に最高の一撃であろうと、当たらなければ意味は無い。そして、当たっていないと言う事は隙を晒したということと同義だ。
巨大な得物を振り切ったことによってできた僅かな硬直。それを目の前で見せられたのであればこの勝負は決したも同然。
己の闘争本能に従い持ちうる限りで最大の魔力を拳に込める。
そして必殺の意思を持ち頭と胸に拳を叩き込もうとし……何時もより一瞬遅く一歩を踏み出させた。
感じたのは僅かな違和感。
あれ程の一撃を放てるのであれば、硬直からの建て直しも早くて当然。だと言うのに、何故わざわざ目の前で隙を晒しているのか?
本能ではなく理性が。この隙そのものが罠であるのではないかと言う疑問を告げている。
結果、僅かに感じた迷いが踏み込みを遅くさせた。
致命的な隙だ。
隙に攻め込むために踏み込んだ一歩のはずが、逆に俺に隙を作ると言う矛盾。
しかし、それが俺の命を救った。
拳を振り抜こうとしたその瞬間、腹が斬られたのだ。
俺の腹を斬ったのは、振り抜いたと思っていた刃であった。
正確に言えばやつが手に持っている刃と全く同じ物を持った腕が、やつの腕に重なるようにして生えてきていたのだ。
それはまるで、やつの周りを覆う幻でしかないはずの揺らめく体が実体を持ったように。
わけのわからない現象に一瞬動きが止まると、今度こそ俺の息の根を止めようと再度やつの持つ凶刃が突き出される。だが、今度の攻撃は分かりやすくただの突きではなかった。
本体を捕らえさせぬように揺らめく幾つもの体。その一つ一つがまるで意思を持つかのように手に持った斧槍を俺に向かって突き出した。
揺らめく陽炎のようであった左手を中心にし、花開いた花弁のように腕がその数を増す。確認できるだけでも数十か。当然、その全てには斧槍が握られている。
その結果凶刃の突きは必殺の壁となって俺に迫る。
その攻撃をさらに一歩後ろに下がる事で何とか回避する。
何とかかわす事はできた。しかし目の前に迫る凶刃が減ったわけではない。必殺の攻撃であると同時に越えられぬ守りとして存在するこれをどのように突破しようかと思考を巡らせようとした時、先ほどの動きを逆に繰り返すように左手が一本に戻っていく。
どのような方法を用いて怨霊を実体化させているのかは分からないが、己の攻撃を怨霊たちになぞらせる事で一つしかない攻撃を二つにも三つにも見せる技のようだ。
実体化した怨霊は鋭利な魔法の刃そのものであり肉など簡単に切り裂いてしまうだろう。
ただまあ……見てしまえば攻撃の範囲が広がると言うだけの単純な技だ。
思考は一瞬。
魔力を纏め上げ両目に集中させると魔力を固め、鎧のように腕に纏わせる。『己』の肉体の強化を一瞬で切り替えると一歩を踏み込みやつの斧槍の間合いに飛び込む。
俺が必殺の間合いに踏み込んだ事によりやつの腕がぶれる。
振るわれる一撃は空気を切り裂きその先にある生命を両断せんと唸りを上げていた。
だが見える。
先ほどまでのように見逃す事などありえない。『視界』を強化した俺であればやつの一撃に反応できる。
巨大な刃の下へと二本の腕を潜り込ませ押し上げるようにその軌道を変える。それと同時に体を屈め、刃の下を掻い潜ると同時に防御に使わなかった二本の拳をやつの胸と斧槍を持つ肩に叩き込む。
だがその二撃はやつが纏う幻の体を砕くだけに終わった。
確かな手ごたえを感じたし、刃が頭上を通り抜ける音に僅かに遅れて骨を砕く音も聞こえた。だと言うのにこの悪霊の命には届いていない。まるで幾つにも重なった鎧を叩いたような感触だ。
俺が魔力を様々な形へと変化させ『己』の一部分を特化させる魔術を操るのと同じように、『他者』の力を操るこの悪霊にとってこの場に渦巻く怨霊は鎧であり剣であるということか。
……面白い。
未だにやつに触れ続けている拳に力が篭る。
これでこそ『敵』だ。こちらの命を奪えぬ雑魚ではない。こちらの命に届く刃を持ち、こちらの全力を防ぐ事のできる盾を持ってこそ俺の敵足り得る。
やつが刃を戻すのと同時に拳を戻す。
だが、武器の大きさの関係上俺のほうが次の一撃までの間隔は短い。
踏み込んだ足を軸にし、左の拳を引くと同時に防御に使っていた右の拳を体の回転を使い上に向かい跳ね上げる。
刃を引こうとした僅かな瞬間を狙い振り抜かれた拳はやつの持つ凶刃を容易く跳ね上げ大きく体勢を崩す。体勢を崩したやつに向かいさらに一歩を踏み出し拳を固め、必殺の一撃を見舞おうとした時……やつの胸から額に単眼の瞳を持つ蛇が現れた。
今まさにそこ目掛けて一撃を見舞おうとしていたためその瞳と目が合う。
体の動きが僅かに鈍るのが理解できた。
必殺であった瞬間に放った一撃は、崩れた隙を突いただけの一撃へと成り下がる。
絶対に動けない瞬間に放った拳は体を僅かに動かされた事によってやつに届くのが一瞬遅れ再びやつの周りでぶれている体を砕くだけに止まった。
拳に伝わる感触は先ほどの一撃よりはより多くの体を砕いたと伝えているが、やはりと言うべきか本体は無傷。砕け散ったその残滓すら再び取り込むやつの姿は、渦巻く怨霊が僅かな衰えも見せていないと言う事を伝えてくる。
だが、かわした。俺の一撃から逃れるように体を動かした。
無敵に見えるやつの業もその実無敵ではない。真に無敵であれば避ける必要はないはずなのだから。
己の攻撃の手ごたえ、やつの動き、防御後の力の流れ。
その全てを加味しやつの防御の穴を思考し結論を出す。
おそらく、攻撃と防御の両立は不可能。そして俺の使う強化のように、一度切り替えれば後は常に発動し続ける物でもない。
おそらくだが、やつの体の周りを漂っているのが通常状態。そこから攻撃と防御のために力を使い分けている。それは高度な状況判断から来る刹那的な戦闘技能に他ならない。
通常であれば思考など存在しないとまで言われている悪霊がこれを行っていると言う事にはさすがに驚かされる。
そこまで思考し、本能が危険を感じ取り後ろに飛ぶように大きく後退する。
俺の移動に僅かに遅れるようにやつの体から巨大な人型をした黒い煙が噴出し、先ほどまで俺が居た空間を抱き込む。
優しく包み込むようでありながらその安らぎは死へと直結している。覚めることのない眠りへと誘うそれは、正に死の抱擁と呼ぶにふさわしい。
子が母を求めるように、自然にその抱擁に引き寄せられる己を意志の力で繋ぎ止める。
「オオオォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!」
己自身の弱い心を振り払うように、全力で咆え気力と魔力を張る。
その咆哮は目を覚ますために。今が戦いの最中であるのだと己に言い聞かせるために。安らかな眠りに誘われぬように、声を荒げて魔力を開放する。
「絡め手とはなぁあ!! 貴様も魔族であると言うのに、ずいぶん人間らしいではないか!!」
俺の声に答える声はない。
この悪霊は刃を構え、巨大な怨霊を背負って俺に向かっているだけだ。
そして、そこから感じられるのは必殺の意。
それは研ぎ澄ませた刃のように。人が扱う『武術』と呼ばれる技特有の、殺意を伸ばしていく様な独特の雰囲気。
顔がにやける。
口元が釣り上がり表情が崩れるのを止めることができない。卓越した戦闘技能を持ちながらどこまでも人間臭いやつだと。だがしかし、そんな物はどうでも良い。
殺意の刃をへし折り俺の拳を持ってこの戦いに幕を引く。
そう決意し拳を握りこむ。
お互いがお互いの殺意を消しあい、流れる風さえ止まったのではないかと思えた刹那。
先に動いたのはやつであった。
刃を構え一歩を踏み出す。
そして踏み込みと同時に突きが繰り出された。
刃に纏わりつく黒い霧は触れるだけでも危険であると直感が告げている。先のように受け流すことは出来ない。
体を捻ってその一撃をかわし、同時に俺も一歩を踏み込みやつの持つ斧槍の刃の間合いから逃れる。
俺が踏み込んだそこはお互いの手が届く距離。
つまりは俺の間合いだ。
回避のために捻った体を逆に捻りその回転する力を加え打ち上げるように拳を振り抜く。
絶妙の瞬間で放たれたその拳は吸い込まれるようにやつの胸を砕こうとし……その直前に黒い人型の霧はやつの体の中へと逃げ込むように入り込んだ。体のブレを取り戻したやつの体に拳が当たり、何かが砕けたような音が発生する。
あの巨大な怨霊はとりあえず消した。さあ、次はどう来る。
そう思いやつの動きを僅かも見逃さぬように体全体を捉えるように注視する。
睨み合うように視線が交差し一瞬の空白が発生する。
そして、そこで俺は違和感に気付いた。何時もであれば気付くはずの視界の隅に、未だに黒い霧を纏ったままの刃が存在していると言うことに。
やつの力は攻撃と防御は同時に行えないはずでは……
そう思ったのも……思考ができたのも一瞬であった。
左側から単眼の蛇が出現したのだ。
俺の右を押さえつける斧槍。その斧槍から、おそらく背中から回り込むように俺の左側を押さえる単眼の蛇。
そこまで状況が整い己の迂闊さを呪う。
この蛇はやつが操っているの雑多な怨霊ではない。思考と力を持つ一個の生命だ。ならば当然、やつが防御している最中にも独自に攻撃する事ができるわけであり……
そこまで思考し体が重くなる。
単眼の蛇に睨まれ肉体が僅かに動かなくなり、命を貪るその体に触れたことで急速に倦怠感が俺を襲う。膝を付きそうになるその感覚に、崩れそうになった足に力を込めて耐える。
……だが、俺が足を止めたその瞬間をこそ待っていたと言わんばかりにやつの右手に握られた剣がこの戦いで始めて振るわれた。
見える。
やつの動きが見える。今正に俺の首を落とそうと、怨霊を纏わせた必殺の刃を振り下ろそうとしている。
だが、動けない。
膝を地面につけぬ様踏ん張った体の硬直が、単眼の蛇に睨まれ僅かに動きを鈍らせた体が、命を吸われているのではないかと思える倦怠感が。
僅かずつ積み重なった『体の鈍り』が、凄まじい重さとなり俺の体を縛り上げる。
結果、俺の動きは全てが一瞬遅くなった。
首を動かそうとも、腕を動かそうとも既に遅い。俺の出来る事といえば迫り来る凶刃を眺め、残り僅かとなった命で思考することだけであった。
強敵であった。
俺の長い生を終える戦いとして、これほどの相手は居ないだろうと胸を張って言い切ることができる。悔いはない。
……ただ、出来る事なら。出来る事なら、貴女にこの思いを伝えたかったものだ。
長い生の中で見つけた輝く光。柔らかなぬくもりを持った憧れの人を思い浮かべ……俺の意識は、実にあっけなく刈り取られた。
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