生者と死者
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戦いの幕を上げたのは雷を纏った魔族の一撃だった。咆哮と共に疾走し、大地を踏みしめる音さえ置き去りにし雷を纏った巨体が空間を走り抜ける。
当然、その速度に反応することなどできはしない。木に背を預け、先ほどまで己の立っていた大地が焦げているのを視界に納める。それでようやく敵の一撃で吹き飛ばされたのだと、己が攻撃を受けたのだと知ることができた。
いくらなんでも速すぎる。
それが正直な感想。周りを漂う怨霊たちも含めて誰も反応できなかったそれは、視認することさえできない圧倒的な速力だった。
草食の獣であれば外敵から逃げるための速さを、肉食の獣であれば狩りをするための速さをそれぞれが必要としている。だからこそ速さというのは、生きるために絶対に必要なものであるとも言えるだろう。そして、目の前の魔族はその極限にいる。逃げるためではなく獲物を狩ることに特化したであろうそれは、魔族と言うよりは魔獣に近い。
だが、俺には通じない。
吹き飛ばされはしたが、それだけだ。致命傷どころかかすり傷すら負っていない。いつもと変わらないこの現状に、ある意味では安心感さえ感じてしまう。目の前の獣を相手にしながら安心感を覚えているという事実が、己は強いのだという確信を俺に与えてくれる。
立ち上がり、見えない敵と対峙する。どれだけ早く動こうと、誰も視認できなくとも、見ることができるほどの密度となった怨霊に触れたという事実は変わらない。同族を感じることができるということが、俺に敵の居場所を教えてくれる。
その感覚に従い力任せに大地を蹴ったことにより、視界が一瞬で切り替わった。最後に見た姿のまま、何も変わらない様子で追撃に移ろうとしていた魔族を全力で斬りつける。しかし、魔族はわずかな驚愕の表情を見せるがあっさりと回避した。いつもであれば崩れるはずの地面もやつの雷に邪魔されているのか、地面は何の変化も起こらない。
怨霊が見ることのできる密度で現れることでようやく気づくことができたが、俺の周りに漂う怨霊は地面へと向かっていた。やつの放っている雷を吸収していたようだが吸いきれていないようだ。あの雷は無駄に放出しているのではなく、鎧の役目を果たしていると言うことだろう。
やつは攻撃に対する返事の代わりと言うように、一度視界が白く光ると数度の衝撃の後を受けて再び後方に吹き飛ばされる。
そして気付いた。こんなものでは届かない。もっと確実に敵をやるために、強力な攻撃が、回避できない一撃が必要だ。
悪霊が見ることができるほどの密度を持ったことによって、やつらが俺の手助けをしていることを見ることによって知ることができた。あれを見る限り簡単な補助しかしていないようだが、俺が手伝えと確固たる意志を持って命じればどうなるのだろうか?
<俺の敵だ、食らいつくせ>
そう念じた瞬間、視界が黒く染まった。人の形を持った黒い霧が、蛇の形を象った黒い泥が、犬の形に変化した黒い土が、翼を持たぬがゆえに出来そこなった竜の形をした黒い怨霊が、俺が今まで食らった様々な【餌】が俺の纏った黒い霧から、周りに漂う怨霊から、さまざまな形を持って溢れだす。
「なにぃ!?」
緑にあふれた巨木が黒い泥から溢れた蛇に触れられ一瞬で枯れ木と化す。枯れ木を支える大地が黒い竜に踏みつぶされ、地面が黒い泥に覆われ溶けてゆく。黒い大地は加速度的に周りにある緑の大地を浸食し、視界を黒く塗りつぶしながら木を、草を、大地を視界に映るすべてを呑み込んで広がっていく。
だが、呑み込んでいるというのに、食らっているはずなのに俺は急に飢えを感じていた。呑み込んでも呑み込んでも食い足りない。食えば食うほど腹が減っていくという矛盾。今まで一度も感じたことのない飢餓感が、俺の思考を単調で攻撃的なものにしているのだと、どこか冷静な部分が理解している。だが、食いたいという思考を止めることができない。目の前の獲物を、餌を、生きた魂を食わせろと俺の中の飢えた獣が咆哮を上げる。
「くっ!」
この森のこの場所だけが地獄と化したかのような、黒く染まった世界で雷が落ちる。俺にはその輝きが地獄に迷い込んだ生者が、生者のまま己の世界に帰ろうとするためにあがいているような、生きているもののみが出せる生者の輝きであるように見えた。だがそれは、怨霊があふれかえった今のこの場では凄まじく場違いであるという感覚を覚える。
魔族はこの異常な状態に数瞬の間驚いていたが、すぐに先ほどよりも大量の雷を纏う。このままでは死ぬと感じたが故に、己の身を守ろうとしたためのとっさの行動なのか。それともあれこそがやつの最高の状態なのか。どちらにしろ何かを仕掛けるための行動なのは間違いないだろう。
このままでは終わらないと、この地獄を作りだした張本人を殺すため怨霊を斬り裂きながら先ほどよりも巨大な雷が無数に空間を走る。だが、今回は速くない。俺がやつの速さを脅威と感じたからなのか、それとも以前食らった不死者の男の術式が発動しているからなのか。理由など分からないが、やつの動きを見ることができた。これだけが分かれば敵を倒すには十分だ。
やつの速度は今の俺にとって脅威ではない。攻撃してきた腕を斬り落すために、雷を纏った腕に合わせて剣を振り下ろす。やつは今度こそ驚愕に顔をゆがめ、体勢を崩しながら体をひねり剣を大きく回避した。しかし、体勢を崩したことにより一瞬足が止まる。その一瞬で地に足が沈んだ。それはすなわち、やつが持つ最大の強みである速度が死んだということである。
俺の殺意に反応しているかのように、凄まじい勢いで剣から溢れ出している怨霊は巨大な黒い刀身のようにさえ見える。黒い刀身が魔族の体の代わりに地面を切り裂き、切り裂いた地面から怨霊が溢れ、体勢を崩している魔族に襲いかかる。
「!!」
動くことができなくなったことにより速度を殺された魔族は、全ての方向に向かって雷を放ち近づこうとする怨霊どもを吹き飛ばし続けている。力強い抵抗だが、雷を放つたびに纏った雷は目に見えて弱くなっていく。俺にはその様子が命という光が消えていく様子に見えた。そしてその光景は、実に滑稽にも見えた。
炎帝の…人間たちのように、死にたくないからこそ悪霊を討伐するのではない。偶然見つけたから己のものにしてしまおう、などという下らない理由で攻め、自らが楽しむために俺を殺そうとした。だというのに、こうして死に向かっているのはこいつだ。
最初では考えられぬほど弱々しくなっていた。俺の中の飢えの衝動に従い、動けなくなった獣に…餌に向かってゆっくりと歩みを進める。
「…なる、ほどな。お前の…その、姿さえ…偽り、だったのか」
こいつは一体、何をわけのわからないことを言っているんだ?偽りの姿だと?俺は俺だ。それ以外の何でもない。
「我は、初めて…恐ろしいと、感じた…。お前は…生きる、場所を…間違えてい、る」
だからなんだと言うのだ?死者が生者の領域に居るのだ、生きる場所を間違えていることなど、誰かに言われるまでもなく理解している。だが、だからこそ、生きたいのだ。もう死にたくないのだ。運よく拾った命を手放すなど、誰がどう考えてもありえないだろう。…それに、先に手を出したのは…死に向かってきたのは、お前たちの方だろう。
「……なぜ、通じ、な…かった、の…か、など…ど、う…でもいい…。我、は…まだ…死にた、く…な、い…」
そうだろう。それが当然だ。死は恐ろしい。誰も死にたくはない。だが、お前は死ぬ。死んで、生者ではなくなる。
「…お前…は…」
もはや話す余裕さえないのだろうか。言葉を最後まで言うことすらできていない。
「………誓う、ぞ…。ど、の…ような……形、であろ、う…と…我、は…消え…」
何かを言い残そうとしたのか、最後まで言葉を言うこともないまま、驚くほどあっけなく魔族は死んだ。
それと同時に俺の中に感じていた飢えた獣が急速におとなしくなっていくのが理解できた。あたりを埋め尽くした怨霊も、地面を呑み込んでいた黒い泥も、そんなもの最初からなかったというかのように薄れていく。薄れていくそれらと同じように飢餓感も薄れ、代わりに腹を満たされたかのような満足感を感じることができた。
最後に残ったのは、長く雨が降らなくなったことにより命を持つものが居なくなってしまったようにも見える、乾いた大地だけであった。視界の隅に見える森が、辛うじてここが森であったことを思い出させてくれる。ここには命にあふれた緑も、鬼がぶちまけた生命の赤もなにもない。
(…なるほど、凄まじいな。これがお前の本気か。確かにこんなものは、役に立たんな)
アリエルは、何かに納得したような声でそうつぶやく。それは、俺に問いかけているのではなく思わず口から出たような、そのように感じられる言葉だった。
(む?この感じ…どうも死者の都の方にも何人か攻めてきていたようだな)
なに?
(まあ、すでに終わっている。娘の方で何とかできたようだな)
なら問題ないか。
死霊兵を集めアリエルが門を開き、死霊兵を死者の都に送る。その際に、死んだ魔族の死体を死者の都に持ち帰らせる。死霊兵にすれば戦力になるだろう。
これでようやく一区切りついたな。魔族はいなくなり、人間も攻めてきていない。やっと自由に動くことができる。さて、これから何をするべきか。
すべての死霊兵を送り、俺が最後に門をくぐる。後に残ったのは、緑にあふれた森の中に存在する禿げ地だけだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「…なる、ほどな。お前の…その、姿さえ…偽り、だったのか」
目の前の悪霊は、想像以上だった。いや、やつを単体だと思い込み戦いを挑んだ時点で我は詰んでいたのだ。こいつは、悪霊であって悪霊ではない。この黒い世界が…あらゆる命を、魔力を食らうこれこそがやつの力そのものだった。悪霊がやつの本体に見えるが、あくまでやつの怨念が宿る寄り代でしかないのだろう。
「我は、初めて…恐ろしいと、感じた…。お前は…生きる、場所を…間違えてい、る」
そう、こいつは生きる場所を間違えている。我ら生者が住む世界で、やつの力が及ぶ範囲のみ死者が住まう世界になっているのだ。どのような法則により死者が存在できているのかなど、全く理解できない。理解できない法則に則り甦った死者。これが恐ろしくないのなら、一体何が恐ろしいのか。この空間に存在している見ることができるほど、触れることができるほどの密度で形さえ持っている怨霊たち。仮初めではあるが体があり、意志がある。それはもはや生きているのとなんら変わりはないのではないだろうか?だが――
「……なぜ、通じ、な…かった、の…か、など…ど、う…でもいい…。我、は…まだ…死にた、く…な、い…」
そう、そんなことはどうでもよかった。ただ我は、まだ死にたくなかったのだ。生き足りない。理由などなく、単純に死ぬのが、自分が消えるのが嫌だった。今までそう言い助けを求めてきた者たちを殺してきた我が、みっともなく生にしがみついている。
<そうだろう。それ…当然だ…。死…恐ろ…い。…誰も死にた…は…い。だが、お前…死ぬ。死んで、生者ではなくなる>
「…お前…は…」
それが聞きとれたのは、信じてもいない神の奇跡なのか、それとも悪魔のささやきか。不思議と最後の言葉だけは聞き取ることができた。
生者ではなくなる。それはつまり、やつの力により怨霊になれるということだろうか?それは、やつを絶対とした怨霊の群れに加われということなのだろうか?…獣は飢えを満たすために、知能あるものは死を恐れて怨霊になるということか?そうしてさまざまなものを食らいながら膨れ上がったのがこれというわけだろうか?
分からない。分からないが、自分が消えてしまうよりはいいに決まっている。
「………誓う、ぞ…。ど、の…ような……形、であろ、う…と…我、は…消え…」
これが悪魔との契約であっても、誓おう。どのような形になったとしても私が消えないために、死を越えても生きて生きたいがゆえに。
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