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私の死体になって

作者: なー
掲載日:2026/02/27

「死体役になってよ」


それが彼女の口癖だった。安藤先輩は演劇部の部長で俺の一つ上だ。


「またですか」

「だってー君以上に上手い人いないんだもん」


 本当は安藤先輩の王子様をやりたかった。部長の横に立ちたかった。でも俺が認められたのは死体役だ。なのに王子様よりも出番が多いのだからなんという皮肉だろう。


「いいですよ」


 上手い、という言葉に乗せられたわけではない。断じてない。ただ、憧れの先輩に見惚れていただけで。












 この物語は先輩演じるお姫様が盗賊に襲われるところから始まり、そこに一人の村人が現れる。その村人は真正面から盗賊へと立ち向かい、殺され、死体になる。

 そして通りかかった王子様が姫を助けて、城につれて帰り、二人は添い遂げられるといったハッピーエンドだ。









 初めての通し。俺は先輩の望む死体を演じられたはずだ。満足気に微笑む先輩の前で、俺は静かに安堵の息を吐いた。

 先輩の目には死体の俺しか映っていない。嬉しいことだが、俺は少し違和感を覚えた。


「死体以外は見なくて良いんですか?」


 純粋な疑問だった。先輩は遠くを見つめて、俺だけに聞こえるトーンで話しだした。


「王子様は私(お姫様)と結ばれても、それで終わり(ハッピーエンド)とは限らない。浮気するかもしれないし、他の女に取られる可能性だってある。でもね、死体は絶対に裏切らないの。死んだら何もできないから、私のためだけに存在する。最高の役でしょ」


 その瞳には誰も映ってはいなかった。それは一人よがりな寂しさを感じさせた。


「俺は、最後まで裏切りませんよ」

「ありがとう」


 先輩の崩れるような笑顔は、窓から見える太陽よりも輝いていた。















 完璧な死体とまではいかなくても、できるだけ身動きは抑えよう。それでは甘かったと悟ったのは次の部活の時だった。


「王子様!助けていただけませんか?」「どうされたのですか」「盗賊がいきなり襲ってきて...」「ならばお助けしよう。私、エーベルス王子の名にかけて」


 金属のぶつかる音がして、戦闘シーンなのだと分かる。そんな最中、俺は腕が痺れてきて位置を少しだけずらした。ほんの数センチだけ。


 痛みが解消されることもなく、リハーサルが終わってすぐに腕を抑える。


「イテテテ」

 思わずもらした声を聞いたのか、安藤先輩が俺の前でしゃがみこんだ。


 そんなに重症でもなかったから、伝えようと先輩の顔を見た。浮かべていたのは心配ではなく、怒りだった。


「裏切らないって言ってたのに。信じてたのに」

 

 俺は初め、何のことか分からなかったが腕を睨む先輩の表情で察してしまった。


「腕、痛くて。それに今は練習ですし...」

「練習で出来ないことは本番でも出来ないよ」


 冷たく言い放たれた正論に、何も言い返せなかった。俺は俯いて、声を絞り出した。


「ごめんなさい。次は動きません」


 その時の俺は叱られた子供のようで、母親は子供を慰めるような優しい声を出した。


「いいよ。次からは失敗しないでね」


 いつもの先輩に戻って一安心したが、一度はまった沼から抜け出すには遅かった。














「俺を縛りませんか」


 部活が始まる前のことだった。今度は先輩を裏切らないように、俺は提案を持ちかけた。


「え、何〜いきなり」


 そういう先輩は笑っている。俺は、間違っていないのだと確信した。


「動けたらだめなんです。縛れば、絶対に動けないじゃないですか」


 この言葉をなんでもないように言える時点で俺はおかしくなっていたのかもしれない。そんなことを考えている余裕がないほど、先輩に必死だった。


「確かに〜じゃあ、透明な糸で縛ろっか。みんなに見えないようにね」


 観客のことを一番に考えれる先輩はやっぱり役者の鏡だった。そんな先輩のポケットから、透明な糸が出てきた。この話を持ちかけたのは数分前の出来事で、誰にも言ってはいない。


「はい、寝転んで」


 ペットでも愛でるかのように、優しい手つきで俺に糸を巻きつけた。

 糸は俺の腕に食い込んで、皮膚が圧縮されて浮かび上がっていた。先輩の糸は首にまでやってきた。でもここで声を上げてはいけないと本能的に分かっていた。


 全ての糸を巻き終わると、目の上に異物を感じた。


 真っ暗な世界に自ら縛られた俺は帰るまでの三時間、拍動以外の動きを取らなかった。

 感じられるはずの音は聞こえなかった。













 私は一度、盛大に裏切られたことがある。


 ある時の彼氏、誠くんは学校の誰もが知る有名人だった。私たちは初めはただの隣の席の人。でも次第に恋人関係になり、告ったのは彼の方だった。初めての彼氏だった。


 私達の関係は長かったし、私も噂されるくらいの美人だったから大体の学校の人は知っていたと思う。そのことに不満はなかった。むしろ私に所有権が認められたみたいで少し嬉しかった。



 そんな日常が変わったのが一年後の夏のことだった。私は彼の部屋からリップを発見した。私なんかでは買えない高級品だった。勿論彼でも買えないしプレゼントとかじゃなかった。

 そのことは蓋を開けてすぐに分かった。


 私は使用済みのリップを持って動けなくなった。でも動かないといけなかった。

 早くしないと彼がトイレから帰って来てしまう。

 問い詰めるか...?普通の彼女ならそうするだろう。

 私は彼に依存していた。離れたくない。でも、裏切った人と一緒にいられるのか?

 答えは否。


 そう思っていたはずなのに、彼が部屋に戻った頃リップは私のカバンで大人しくしていた。









「僕を縛りませんか」

 その言葉にそっと胸が跳ねる。どうしたの?と心配してみるも、表情筋はいうことを聞かない。


 私への救いの手だった。


 ロープじゃ観客に見える。そう言った私の本心は別のところにあったと思う。

 そして私のポケットから出てきた透明な糸と、それを当たり前かのように取り出した自分に恐怖を覚えた。


 縛った後輩が誠くんのリップのようだった。自分への恐怖は何処かに置いてきてしまって、あの時裏切られた時の恐怖へと変わっていた。













 その日から10日間、私の所有物(後輩)は日に日に死体と化していた。私を裏切らない完璧な存在になった。


 一番望んでいたもののはずだった。


 劇の前日、足元に転がった死体役を見て、私の心は凍ったように何も感じなかった。

 私情だけでなく、お姫様(演技)としても何の感情も湧かず、ただただ背景のように感じられた。


 途端に、このままじゃだめだと思った。

 何も入れていないポケットを探ると、想像通りのものが出てきた。他の何よりも大切なことだった。


「ごめんね、急用ができちゃって。明日はちゃんと行くから、王子様(副会長)あとはよろしくね」


 大切な劇を自分が遮ったのは今回が初めてだった。右手で証拠リップを握りしめる。

 握り潰すためでなく、前へ進むための決意だ。


 私は自分の教室へと向かった。何の連絡もしていないのに誠くんはいた。


「理沙?部活はどうしたの」


 不思議そうに首を傾げる彼氏に、私は落ち着いて言葉を発せれた。


 あの事件から彼には『彼女』という仮面を被っていた。裏切りを許し一緒に過ごすことの妥協には演技しかなかった。

 でも今はその仮面を外した『安藤理沙』だった。


「これ、何?」


 リップを彼に渡す途中、目には涙が込み上げてきた。誠くんに見られないように必死で引っ込めようとする。


 あれ、私ってこんなに弱かったっけ。


 一度出てきた涙は簡単には止まらない。はずだった。



「ああ、多分姉ちゃんのだわ。ありがと」


 あっさりと返事された。その言葉に嘘はない。


 私は今日、裏切られたことに区切りをつけて解放されるはずだった。

 なのに...元々裏切られてはいなかった。

 私はこの一年間何に悩まされていたのか。なんのために彼女を演じていたのか。

 誠くんはこんなにも優しい人だったのに。いつも私のことばかり考えてくれたのに。


「どうした?」


 人の優しさに触れて、一度吹っ飛んだ涙が再度込み上げる。その液体は止まることを知らずに溢れ続けた。

 いきなり泣きだした私の背中を彼氏はずっとさすってくれた。幸せがこんなにも近くにあったことに、今初めて気づけた。


 ひとしきり泣いた後に、私は一枚の紙を差し出した。


「明日、劇見に来てくれる?」


 演じない、醜い姿をみても彼の態度は何一つ変わらなかった。


「うん、もちろん!」


 国宝級の笑顔でいう誠くんに私は救われてしまった。暗い一年間から解放されてしまった。


 一人の少年を残して。













 劇の当日。演劇部のみんなに心配されるのを今日は素直に受け入れることができた。

 いつぶりかの笑顔が抑えられない。こんな日に本番が迎えられたことが喜ばしかった。

 私は一人の少年を見つけて声をかけた。


「今日も死体役頑張ってね!」


 最高に気分が明るかった。だからだ。

 確かに目線は彼の顔を向いていたのに、彼の暗い表情にも気付けなかった。













 幕が上がって(劇が始まって)すぐに誠くんの姿が目に入った。

 彼だけじゃなく、観客一人一人の表情すら見渡せた。観客の反応に沿って少しずつ演技の方向を変える。

 それを反射で出来るくらいには調子が良かった。


 村人が助けにくる。

 必死に守ってくれたが、最後には死体に成り果ててしまった。


 今までは理想に思っていた光景シチュエーションだったが、今日の瞳には王子様が輝いて見えた。もちろん現実の一番は誠くんだけど、お姫様としては王子様が一番だった。

 一時的に救ってくれた死体(村人)よりも、永遠に愛してくれる王子様のほうが良い。


 かつての私とは打って変わってそう思ってしまうほど、愛に飢えていて、満たされていた。



 劇が終わると役者の挨拶カーテンコールに入った。

 部長として、最後の言葉を述べた。途端に違和感に気づく。

 いつも隣にいた後輩がいなかった。

 私は嫌な予感がして後ろを振り返った。



 そこには一人の少年がまだ演技を続けていた。





 かつての恋人と永遠を添い遂げられた今も、あの時に聞こえた救急車のサイレンから逃れることは出来ていない。

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