第九十五話「春陽、背中を押して」
休日の朝、いつもより少し早く目が覚めた。
薄く開けたカーテンの隙間から、春の陽光が射し込んでいる。まだ三月の空気は肌寒いけれど、どこか空気が柔らかい。遠くで鳴く小鳥の声も、やけに楽しげに聞こえた。
「……今日か」
布団から起き上がると、透は軽く伸びをして、頭を掻いた。
ユイと綾瀬との遊園地へのお出かけ。綾瀬の提案で、春休みの一日を使って三人で出かけることになったのだ。
正直、どこかくすぐったい気持ちがある。こういう予定に、わくわくしてしまう自分を認めるのが少し照れくさい。
キッチンに向かうと、すでにユイが朝食の準備を終えていた。
「おはよう~透。今日はトーストと目玉焼きだよ。出かける準備もあるからちょっと手軽な感じになっちゃったけど、ごめんね」
「……悪いな。ありがとな」
アンドロイドだということを、時折忘れそうになる。でも、その言葉選びや手際のよさに、どこか“らしさ”が滲む瞬間もある。
朝食を済ませ、透は自室に戻って着替えに取りかかる。
とはいえ、遊園地に行くからといって、特別な服を持っているわけじゃない。クローゼットを開け、手に取ったのはごく普通のパーカーとジーンズ。
「……これでいいか」
鏡の前で軽く整える。髪も寝癖を直す程度に手ぐしで撫でるだけ。見た目に無頓着なのは昔からだが、今日は少しだけ気になる。
「……あいつら、ちゃんと楽しめるといいけどな」
胸の奥で、わずかな不安と期待が交差する。
遊園地なんて、いつぶりだろうか。たぶん小学生の頃、家族で一度だけ行ったきりだ。あのときの楽しさと、少しの寂しさ。思い出は曖昧だが、観覧車の頂上で見た夕暮れの景色だけは、なぜかはっきり覚えている。
あれから色々あって、自分がこうしてまた笑えるようになっているなんて、あの頃は想像もできなかった。
「……」
玄関でスニーカーの紐を結びながら、透はふと空を見上げた。
今日の天気は、きっと晴れる。
春の陽射しは、まるで背中をそっと押してくれるみたいだ。
ピンポーン、とチャイムが鳴った。
ドアを開けると、私服姿の綾瀬が立っていた。白いパーカーにライトブルーのスカート。いつもより柔らかな雰囲気に、思わず視線が止まる。
「おはよ、透。準備できた?」
「ああ、まあな。ユイは?」
「大丈夫だよ。じゃ、行こうか」
透はうなずき、軽く玄関の鍵を閉めた。
こうして、三人の小さな旅が始まる。
春の一日が、静かに動き出していた。




