第八十話「誘う声、迷う心」
「透、ちょっといいかな?」
昼休み。騒がしい教室の片隅で、ユイは透の袖をそっと引いた。いつもよりも少しだけ小さな声だったけれど、その響きは透の胸に真っすぐ届いた。
「うん……どうした?」
「その……ちょっとだけ、屋上……行かない?」
言い終えるとすぐ、ユイは目を伏せた。顔がほんのり赤く染まっているのが分かった。
誰にも聞かれたくない話だろう。そんな空気を感じ取って、透は素直に頷いた。
昼下がりの屋上。
冬の空は澄んでいて、風は冷たいけれど、それ以上にユイの沈黙が空気をぴんと張り詰めさせていた。
「透、あのね」
ユイは柵にもたれて、少しだけ上を見た。視線の先には、遠くに霞む雪をかぶった山の稜線。吐く息が白く浮かんでは消えていく。
「クリスマスって……もうすぐだよね」
「うん。あと……一週間くらい、かな」
「それで、ね」
ユイは言いながら、ほんのわずかに透の方へ身体を向けた。その瞳の奥にあるものは、迷いよりも、決意に近いものだった。
「25日……その、日曜日。もし予定がなかったら……一緒に出かけない?」
言葉の終わりと同時に、強い風が吹いた。透は一瞬、何も言えなかった。
(どうして……)
つい数日前、綾瀬から「土曜日にイルミネーションに行かないか」と誘われたばかりだ。そして今度は、ユイ。
(僕は……どちらの気持ちにも、ちゃんと応えられていない)
答えなければならない。でも、答えを出すには、まだ時間が足りない。
「……ありがとう、ユイ。でも……」
声を絞るようにして出したその言葉に、ユイはうっすらと微笑んだ。
「ううん、返事は今じゃなくていいの。少しでも考えてくれたら、それで嬉しいから」
そう言うと、ユイはくるりと背を向けて、屋上の扉へと歩き出した。風が彼女の髪をふわりと揺らした。
残された透は、柵に手を置いたまま、遠くの街並みに目を向けた。イルミネーションの灯りが、今もどこかで準備されているのだろう。
「……僕は、どうしたいんだろう」
誰にも聞かれない問いを、透は胸の奥で繰り返していた。




