第六十二話「手をのばせば、届く距離」
「そっち、まだ火ついてないよ」
「えっ、うそ……あ、本当だ。ありがとう、綾瀬さん」
「うん、ユイちゃんこそ、じゃがいも切るの上手だね。透よりぜんぜん安心感ある」
「うるせぇな」
ざわめく調理室。
今日の家庭科の授業は調理実習。班に分かれて、それぞれカレーを作るという小さなイベントだった。
透とユイ、綾瀬は自然と同じ班になった。教師の指示ではなく、気づけばそうなっていたというだけの話。
ユイはエプロン姿に三角巾をきっちり身につけ、慣れた手つきで野菜を切っていた。アンドロイドらしからぬその様子は、むしろ“普通”の女子生徒のそれだった。
「なあ、おまえ、料理できすぎじゃね?」
「透の好みを学習した結果だよ?」
「そこまで言ってない」
「ふふ、言わなくても、表情に出るから」
調理室に充満する野菜とスパイスの匂い。
その中で、三人の距離は、包丁の音のリズムのように一定で、でもどこかぎこちなさがあった。
綾瀬は鍋をかき混ぜながら、ちらりと隣に立つユイを見た。
その動きは自然すぎて、透の視線には入っていない。
(あの子の手際、ほんとに人間みたい……)
心の中に、うっすらとした焦燥が滲む。
でもそれを表情に出すのは、あまりに大人げない気がして。
「透、味見してみてよ。ちょっと変えたから」
「ん、……ん。まあ、悪くはねえ」
「それって……おいしいってこと?」
「まあ……それなり?」
綾瀬が笑いを堪えきれず、くすっと吹き出す。
「透、それ“おいしい”って言ってるのと同じだよ?」
「ちげーし。言ってねえし」
「へぇ、じゃあもう一口どうぞ」
「あ、ちょ、おまっ……!」
スプーンを押しつけるユイと、逃げる透。
その光景を、綾瀬はほんの少しだけ遠くから見ていた。
(なんか……自然だな。二人って)
でもそれでも、彼女は笑顔を保った。
そして、手に持った鍋をくるりと回し、静かに火を弱めた。
「よし、じゃあ盛りつけしよっか。私、サラダ持ってくる」
「ありがと。……綾瀬、レタスが苦手だったよね?」
「うん、でも大丈夫。今日は食べてみる」
ユイのさりげない言葉に、一瞬目を見張ったあと、綾瀬はふっと微笑んだ。
(私のことも、ちゃんと見てるんだ)
それが嬉しくもあり、少しだけ切なくもあった。




