第四十九話「ただいま、ふたり」
朝の空気が少しずつ温んでいく中、透は玄関先で靴を履きながら、何気なく後ろを振り返った。
「ユイ、まだかー?」
階段の上から「今行く」と返ってきた声に、思わず笑ってしまう。
二階の自室から駆け下りてきたユイは、制服の襟を指で直しながら、ちょっと眠そうな顔をしていた。
「ギリギリじゃない? 透、今日は遅刻したくないんでしょ?」
「いや、言い出したのはユイだろ。昨日の夜、"明日はちゃんと余裕持って出よう"ってさ」
「……言ったかも。もうちょっと寝たかったな」
そんなやりとりも、ほんの数日前までなかったものだと思うと、妙に嬉しくなる。
あのぎこちない空気は、ようやく霧のように晴れてきている。
「ほら、行こう。朝ごはんはちゃんと食べたんだろ?」
「うん。透の焼いた卵焼き、今日のは……ちょっとしょっぱかった」
「う……まじか。でも残さず食べてくれたじゃん」
「美味しかったけどね。ちゃんと、"透の味"だった」
透は苦笑しながら玄関の扉を開けた。
朝の日差しが、ふたりの間を照らすように差し込んでくる。
通学路を並んで歩く。
周囲にはいつもの風景、同じ制服の学生たち、車の音。
何も変わらない日常なのに、不思議と心の奥で「これがいい」と思えてしまう。
「……ユイ、文化祭、楽しかった?」
透がふと尋ねると、ユイは一瞬だけ間を置いてから、素直にうなずいた。
「うん。忙しかったけど……いっぱい感じることがあった。人との関わりとか、自分のこととか。少しずつだけど、私、わかってきた気がする」
「へぇ、ちゃんと自己成長してるわけだ」
「ふふ、からかわないでよ。……透は? 楽しかった?」
「うん。ま、いろいろあったけど、最終的には楽しかったかな」
「ならよかった。私も、透と踊れて……すごく嬉しかった」
ユイの頬がわずかに染まり、すぐに目線を前に戻す。その横顔を見て、透も少しだけ照れくさくなる。
「あ、そうだ。昼休み、購買寄る? 今日は弁当作れなかったし。あそこの新作パン、人気らしいよ」
「うん。甘いのがいいな。透、並ぶ係ね」
「ええ~……なんで俺?」
「早く並ばないとすぐ売り切れちゃうって言ってたし。頼んだよ」
「はいはい、俺が人柱ってことね……」
ふたりの会話は、自然に、当たり前のように続いていく。
つい昨日まで、気まずさや戸惑いで言葉が足りなかったのが嘘のようだ。
門をくぐると、にぎやかな教室の気配が聞こえてくる。
透は足を止めて、少しだけユイの方を見た。
「……今日も、頑張ろうな」
ユイも立ち止まり、微笑む。
「うん。……行こ、透」
そしてふたりは並んで歩き出す。変わらない朝に、少しだけ変わった気持ちを乗せながら。




