第三十三話「心に触れない温度」
六月の午後。
窓から差し込む日差しが、校舎の廊下にやわらかい光の筋を落としていた。
昼休み、生徒会室ではユイが忙しなく資料に目を通している。
「これ、明日までに確認をお願い」
「はい、任せてください」
他の生徒会メンバーから頼られ、淡々とこなすユイ。
だが、ほんの一瞬、彼女の視線が空を切った。透の姿がない昼休みが、今日で何度目だったか——
一方、その頃の透は一人、教室の窓辺でパンをかじっていた。
「……今日も、生徒会か」
つぶやいた声に、苛立ちと寂しさが少しだけ混じる。
分かってる、ユイが頑張ってるのも、大事な仕事をしているのも。
それでも、すぐ隣にいた存在が急に遠くなると、心に空いた穴に風が吹く。
放課後。
文化祭実行委員会の初回ミーティングが準備室で行われる。
透が入室すると、すでに綾瀬が模造紙とマーカーペンを広げていた。
「遅い。何してたのよ」
「……別に。昼間、暇だったからさ」
「ふぅん……ま、いいけど。ほら、手伝って」
透は綾瀬の隣に座り、模造紙に書かれた項目に目を通す。出し物の候補はどれも微妙なラインだった。
「この“脱出ゲーム”って、人気だけど、準備大変じゃないか?」
「そうなのよね。でも盛り上がるし……ね、これどっちがいいと思う?」
綾瀬が手元のプリントを渡すとき、透の手と綾瀬の指が触れた。
「きゃっ……!」
綾瀬が小さく息を呑み、ほんのりと頬を赤らめる。
透も思わず視線を逸らし、気まずい沈黙が落ちた。
「……ご、ごめん」
「な、なんだよ、変な声出すなよ」
二人の間の空気が、妙に熱を帯びた。
小学生時代にはなんでもないことだったのに、なぜか変な反応をしてしまった自分に綾瀬自身も驚いていた。
透もそんな綾瀬に気づきつつも、なんとか平静を装うとしていた。
そういえば、最近妙に―――
綾瀬はそれ以上何も言わず、視線を模造紙へ戻した。けれどその耳は、透の目から見ても、赤かった。
********
帰り道。昇降口でユイとすれ違う。
「あっ、透。おつかれさま」
「……文化祭の準備だった」
「うん、生徒会の方でも文化祭関係の仕事が増えてて……あんまり一緒にいられなくて、ごめんなさい」
そう言うユイの顔には、申し訳なさと、どこか戸惑うような感情が滲んでいた。
透は返事をしようとして、ふと綾瀬の赤く染まった横顔を思い出してしまう。
「……別に。気にしてねぇよ」
それだけ言って、透はすぐにユイから目を逸らした。ユイは一歩だけ彼の背中に近づこうとして、でもやめた。
——届かない。触れられない。
そう思ったのは、透か、ユイか。
それとも——その両方だったのかもしれない。
********
その夜。
ユイはベッドに座りながら、自分の胸に手を当てていた。
透の言葉、仕草、表情。
自分が生徒会をやることは透も喜んでいたはずなのに、すべてが―――以前より遠くに感じられる。
「なぜ……こんなに‘’苦しい‘’の……?」
それが“悲しい”という感情なのか、まだ彼女にはわからなかった。
けれど確かに、機械仕掛けの心の奥で、何かが軋み始めていた。




