人生の分水嶺は「今」である可能性
◇「分水嶺」は振り返った時に評価される
まず「分水嶺」について僕が考えることを書いていこうと思います。
「分水嶺」とは辞書で引いて見れば「ターニングポイント」や「物事の方向性を決める分かれ目」ということです。
「歴史」の「分水嶺」ともなると「本能寺の変」や「大政奉還」のような大事件だと思うのですが、
その事柄の大きさと言うのは後の世になって評価されるべきものだと思います。
鎌倉幕府の成立が一番いい例です。
かつては源頼朝が征夷大将軍に任命された1192年でしたが、今は守護・地頭が全国に設置された1185年と言うのが通説になっています。
このように、「幕府成立」という大きな分水嶺であるはずのことでも後世の評価によって変化していくのです。
◇人生は「決断の連続」で構成されている
そして、「自分史」の「分水嶺」となると「今」だと思うのです。
ケンブリッジ大学のバーバラ・サハキアン教授の研究によると、私たちは1日に最大で3万5,000回の決断を下しているそうです。
そのうち言語、食事、交通といった事柄だけでも、1日で平均2万回以上も選択しているために「大きな決断」を常にしているわけでは無いようですが、
「人生における分水嶺」になる決断をしている可能性もあるわけです。
例えば、高校や大学の入試を例にとってみますと、合格点ドンピシャ! というところで合格した場合には、日々の勉強の積み重ねが実ったわけです。
しかし、「あと1問で不合格」「あと1問で浪人」といったことになりますと、
「どこかでサボる決断をした」ことが「人生の分水嶺」だった可能性もあるわけです。
ただし、逆に勉強のし過ぎで体調を崩すこともあると思いますので塩梅が難しいと思います。
自分の状況、体調、ストレスなどを総合的に考えて「分水嶺の今」の決断をしていただければと思います。
◇社会人以降は「今」の価値が下がっている――ように見えてしまう
受験生や学生であれば進学や就職に関わるという事で「分水嶺が今」であることが何となくお判りいただけたと思うのですが、
社会人なら関係ないのではないか? と言うご指摘があると思います。
確かにオートマチックに会社に出社して業務をこなして帰宅する――考えることや決断をすることがあまり無くなっているようにも思えます。
子供のため家族の幸せのために金を稼ぐ――とは言うもののお金を稼ぐことは手段であるはずが、気が付けば最終目的になってしまったりすることによって歪んでしまう事もあり得るでしょう。
漠然と生きていることは、「死んでいる途中」であり意義がある生き方とは思えません。
新しい経験が少ないために「子供の頃より時間が経つのが早くなっている」のです。
社会人は人生の「密度」を上げるためにも「今の決断の質」を上げることが重要だと思っています。
◇「今の決断の質」を上げるための前提
目標や問題点、価値観の整理――と語りだしたいところですが、
それより前にやって欲しいことは「周辺整理」です。
周辺整理とか――自殺でもするんですか?
とお聞きになるかもしれませんが、そうではありません。
一説によると現代日本人が1日で目にする情報量は江戸時代の1年分にも匹敵すると言われています。
これは情報化社会になったというのもあると思うのですが、
それと共にモノを持ちすぎてしまっているという要素もあると思うんです。
江戸時代の民家を見るととても質素で家具などもほとんどありません。
つまり、「モノにまみれる」状況になりえなかったのです。
現代人の脳の処理能力は江戸時代に生きていた方と比べて上がったとは思いますが、365倍も上がったとは思えないんですね。
散らかった部屋でイライラしてしまうのは視覚ノイズが影響しているからと言われています。
イライラしている状況では、考える力が落ちてしまったり、決断の精度も下がってしまいます。
そこで普段暮らしている見える範囲内だけでも整理整頓をすることをお勧めします。できれば断捨離をしてモノの確認をすることも大事だと思います。
※断捨離についてはこちらに詳しく書いてありますのでご覧ください
https://ncode.syosetu.com/n6142iq/
◇現状のまま行った場合の「先の未来の把握」
さて、整理整頓や断捨離を行ったという前提で「分水嶺は今」と言うところに戻ってみましょう。
まずは現状を分析する上で「今のままが続いた場合の未来」を考えてみます。
いや、未来のことなど分からんだろ――と思われるかもしれませんが、“予測”ぐらいはできます。
それは今、皆さんの身近にいらっしゃるご両親や上司の方々です。
同じようなコミュニティに所属している限り、成長していくとその親や先輩・上司が歩んできたプロセスを歩むことになります。
僕自身はそんなに子供の頃は親の仕事をやりたいとは思いませんでしたが、
結果的に今は同じような仕事をしている感じですからね。
意外と馬鹿にできない話だと思います。
それを前提にご両親や先輩・上司の方々を見てください――今の彼らを見て「なりたい」と思えるなら同じプロセスを実行していき歩んでいくべきでしょう。
仮に「なりたくない」と思えてしまったのでしたら、プロセスの方法を変えるか環境を変えるか、全く違う目標にするべきだと考えます。
新たな目標設定は自分が憧れたり尊敬したりするそう言った「理想像」を設定すると良いと思います。
◇目標は「クリアできるかどうかギリギリ」ぐらいが良い
「理想像」を設定したところで「達成できるか?」が次にポイントになります。
例えば、「大谷翔平選手になりたい」と目標設定したところで「まず不可能」であるために「意味の無い目標」になってしまうからです。(ただし、マインドの模倣は可能)
つまり「自分が目標達成可能かどうか?」が一番大事であり、「己の実力を知ること」がそれと同時に大事になります。
特に「得意なこと」と「絶対にやりたくないこと」は必ず把握して毎日地道に積み重ねられることを探すことが大事です。
「ローマは一日にして成らず」と言う言葉がある通り、とにかく毎日積み重ねなければ大成しません。
「目標達成できそうかギリギリ」の良い塩梅の目標を設定してそこをクリアできるように「人生の分水嶺」を過ごしていただければと思います。
短期の目標と長期の目標を同時に設定することが大事だと思います。
例えば、僕の場合は
1日3000字、
月間合計1000PT、
年間100万字、(それより長期目標:恥ずかしいのでヒミツ)
を目標にしているわけですが、短期目標すらもちょっと気を抜くと達成できないような感じなので気を引き締める意味で大体いい塩梅になっているという事です。
皆さんも適度な目標を設定し、より良い未来を築き上げていきましょう!
◇「分水嶺の今」の質を上げる可能性があるのが政治
僕は日々、政治の問題やマスコミの問題について発信しているのはなぜか? といいますと、
生活や国の形がどうあるべきか? によって「分水嶺の今」の選択肢を広げる役割を果たす重要な役割を担っていると考えています。
現状では「税金の取られ過ぎ」「年金の貰える見込みの薄さ」の2つの大きな要素によって結婚、出産、老後の生活などの選択肢が狭められています。
更に、政府やマスコミの煽りによって「カテゴライズされた者同士」がお互いに罵り合って、「政府が国民をイジメている」と言う事実から目を背けさせようとしています。
それを何とか改善する一助になればと思い、政治的意見の発信を今後も中心に行っていきたいと思います。
また今後も皆さんの「分水嶺」でより良い選択をすることのできる確率を上げるようなエッセイを書けるように努力をしたいと思いますのでどうぞよろしくお願いします。