笹藪
父が亡くなって、一年が経った。一周忌を終えて漸く母の悲しみの淵が落ち着いたので、母と兄と一緒に父の書斎を掃除した。古びた経済学の本や、士業の検定に関する本などで溢れていたが、父がそこにいたという事実がじわじわと現実味を帯びてきて、三人で泣きながらそれらの本をビニール紐で縛っていった。明日の午後二時にごみの搬入をクリーンセンターにする予定なので、今日は玄関先にそれらを運んでおけば問題なかった。
「じゃあ、おっかあ、俺は帰るから。美佐希にも無事に終わったって伝えておくから」
「正志、本当にありがとう。美佐希ちゃんにはくれぐれもよろしく伝えてね。本当に本当にありがとうね」
兄は家族を持っている身で遠方に住んでいるので、なかなか実家に立ち寄ることが難しかった。妻の美佐希さんの「私の時短勤務が始まる前に行ってきな」という言葉があったから、今回帰省できたようなものだ。私の方からも、美佐希さんに感謝のメッセージを送っておこうと思う。
「紗代も健康に気を付けてな。色々大変だと思うが、何かあったら気軽に連絡はしてきていいからな」
兄のことを駅まで送りに行ったときに、最後にこう言われた。不謹慎かもしれないが兄は私より七歳年上だから、私よりも七年以上この世に根ざしているせいか、大人というかおじさんに近づいている気がする。少しだけ、心がくすぐったくなって、心の中で笑ってしまった。
「そうやって心の中で笑うんじゃないよ。言いたいことがあるなら、言ってごらんよ」
「いや、笑っちゃってごめんなさい。まさにいのそういう優しさがくすぐったくてありがたいから、思わず嬉しくなっちゃっただけだから。ありがとう。私もお母さんもそこそこ元気に頑張っていられる状態にいるから、大丈夫だよ」
心の中を読まれてしまったなと反省しつつ、兄に心配をかけたくない気持ちと多分もう大丈夫だという根拠のない元気が混ざり合って、いい具合に言葉になった。兄は「ならいいけどさ」と言いながら、切符を片手に無人の改札を入場して、プラットフォームへ消えていった。
でも、私は兄に嘘を吐いた。生前父が会社でパワハラを受けていて、それがきっかけで死んでしまったという事実を知ってしまったということを、飲み込んでしまった。私の人生はきっとこのことを告発するために存在しているのだ。父の書斎にあった『蟹工船』の表紙の手垢の汚れを思い出しながら、私は自分の命をかけて世間にこの事実を柔らかく鋭く忠実に匿名性を持って公表して、父の生きてきた道が間違っていなかったということを、叫びたい。