『第5回「下野紘・巽悠衣子の小説家になろうラジオ」大賞』参加作品
猫のたまご
俺の幼馴染は引っ込み思案で滅多に外出することがないヤツだった。
でも――――
今の彼女は別人のように明るく社交的で、すっかりおしゃれになった。
それ自体は悪いことじゃない。先週、念願の初デートもしたし。
悪いことじゃあないんだけど……少しだけ引っ掛かっているんだ。
「私ね、猫のたまごを見つけたの」
「ふーん」
数か月前、そんなことを言ってきた彼女に、俺は呆れながら適当に返事を返した。
猫が大好きで妄想癖のある彼女のことだから、別段気にもしていなかったんだけど。
それからだった。彼女の性格がガラッと変わってしまったのは。
今思えば、猫のたまごとやらが影響しているような気がしてならない。
「そういえば猫のたまごはどうなったんだ?」
「ん~? どうしたの突然」
ふわりと俺の胸に収まる彼女の息が妙に生温かい。
以前の彼女は幼馴染の俺とだって遮蔽物無しではまともに話せなかったというのに。
「食べちゃったよ」
「……え?」
「だから、たまご」
食べたのか……。
「大丈夫だったのか?」
「何が?」
「だからその……お腹壊したりしなかったのかなって……」
「あはは、大丈夫だって。現にほら、こうして元気にしてるでしょ?」
ぐっと顔を近づけてくる彼女の肌は健康そのもので、血色も以前とは比べ物にならないほど良い。
「そう……だな」
彼女は何も変わっていない。
その艶やかな黒髪も、いつも潤んでいる瞳も、ぷっくりとしたローズピンクの唇も俺の知っている彼女そのものだ。きっと長い蕾の期間を経てようやく花開いたんだ。
そう言い聞かせている自分がいる。
ずっと一緒だったからわかるほんの些細な違和感。髪の毛一本分よりももっと小さいけれど喉元に刺さった小骨のようにずっと引っ掛かっている。
「お前、ずいぶん変わったよな」
「それってどういう意味? 褒めてる?」
「そうだな……褒め……てるかな半分」
「ふふ、変なの」
俺はどうすればいいんだろう。
「ねえ……キスしよっか?」
彼女の潤んだ瞳が熱を帯びる。
ちょっと待て。
最近ようやくボディタッチに慣れてきたところなのにいきなりそれはハードルが高すぎる。
そういうのはもう少し……せめて半年くらいデートを重ねてお互いに気持ちを確かめ合ってから――――
「ねえ、早く……」
せがむような猫なで声が脳に沁み込んで思考を溶かす。
キスしたら駄目だ、本能が抵抗を試みるが、
愛おしい。好きだ。愛してる。あっという間に塗りつぶされた。
俺は請われるまま唇を重ねた。
トキソプラズマ感染症。
人類の三分の一以上が感染していると言われている。
終宿主は猫。人や豚など200種をこえる恒温動物を中間宿主とする。
近年異性との性交渉を経て感染する可能性が指摘されていて、ラットの実験ではトキソプラズマに感染している個体は異性のパートナーに選ばれやすく、人間の感染者においても、感染者は魅力的な外見を持ち性的なパートナーが多いという研究結果もある。
つまりトキソプラズマが、宿主の代謝率や、ホルモンバランスのような内分泌系を調整することで、見た目を魅力的にして勢力を拡大しようとしている可能性があるということ。
(※あくまで可能性です)
また、見た目だけでなく感染者の性格や行動にも影響を与えているという研究もある。