心の記憶:マイア①―3
翌朝、マイアはおかしな夢を見た。ゲームの世界に閉じ込められる男の夢だ。
夢の中で男は自分がゲームの中にいることに気づかず右往左往していたが、やがて自分がゲームをやっていることに気づいてログアウトをしようとした。ところが、ログアウトした彼は、実は現実世界で死にかけていて、すぐまたゲーム世界に戻されてしまい、今度はそこへ保険屋がやってきて臓器提供を迫るのだ。
初め、男は渋るが……結局は自分が助かりそうもないこと、そして臓器提供を行えば確実に一人の命は救えること等が決め手となって、臓器提供に同意するドナーカードにサインをする。そして彼は、いずれ訪れるであろう死を待つことにしたのだが……
しかし、いつまで経っても死は訪れないのだ。
生殺しのような状態に嫌気が差して、男はログアウトをして確かめようとも思うが、その度に何が起きるかわからないので踏ん切りがつかず、そのまま時間だけが刻一刻と過ぎていく。
仕方がないのでゲーム中で流されるままに生活するが、それから1日が過ぎ、2日が過ぎ、ゲーム世界も1週間を数えると、ついに追い詰められて精神に変調を来してしまうのだ。
マイアは最初、ベッドの上でぼーっとしながらそんな夢の内容を思い出して、ずいぶんとおかしな夢を見たものだと他人事のように思っていた。だが、その時何故か、自分の心臓が痛いくらいにドキドキと鳴り響いていることに気づいて、彼女は一気に現実に引き戻された。
心臓? 臓器提供? まさか……
自分の胸で脈打つこの心臓は、元々は自分の物ではない。夢の中で男がどの臓器を提供したかは触れられていなかったが、もしかしてさっきのは、この心臓の持ち主の記憶なのでは……?
だとしたら、男はまだゲーム世界で生き続けているということになるが、そんなことはあり得るのだろうか? 確かに、昨今の科学技術であればそういうことも可能だろうが、それを自分が夢で見る……なんてことは、流石に荒唐無稽過ぎる。
そんなことを考えている時、コンコンコン! っと部屋の扉がノックされ、
「ひゃいっ!!」
「マイア? どうしたんだい? 変な声出して」
外から父の声が聞こえてきた。時計を見れば、彼の出勤時間が迫っている。多分、一分でもいいから娘と朝食を取ろうと、起こしに来たんじゃなかろうか。マイアは慌てて、
「ごめん。何でもないよ。ちょっと夢見が悪くって」
「夢……?」
「うん、後で話すから。朝ごはんでしょう? 先に下に行ってて」
返事をすると、父の足音が遠ざかっていく。彼女はその音が消えるのを待ってからベッドを降りると、急いで服を着替えて食堂へ急いだ。
ダイニングテーブルの上にはスクランブルエッグとシーザーサラダのプレートと、コーヒーメーカーが湯気を立てていた。キッチンには三田がいて、追加で何かを作ってくれているようだった。
マイアがテーブルに着くと、トースターがチンと音を鳴らしてトーストを吐き出し、測ったようなタイミングで三田がロールキャベツのスープを持ってやって来た。
「それで、一体どんな夢だったんだい?」
三田に礼を言ってスープを受け取っていると、タブレットを片手に書類整理をしていた父が話しかけてきた。
リビングのテレビではニュースが流れており、テロップには人面瘡の文字が踊っている。最近、また猛威を振るっているらしい。マイアは運よく生還できたが、世界では危険な患者が増え続けているようだ。
マイアはそんなニュースを横目に見ながら今朝見た夢の話をした。父は娘の話を真剣に聞いていたが、最後に彼女が夢の男がまだ生きているんじゃないか? と言い出すと失笑し、
「ははは、それはないだろうね」
「そうかな?」
「マイアの言うように、臓器移植を受けた患者が提供者の記憶らしき夢を見るって話はよく聞くよ。パパもそんなことが本当にあったら面白いなって思うけど、君が言ってるのは今現在の話だろう? もし君の言う通りなら、その人は生きてるってことになるけど、少なくともパパは心臓を失って生きてる人間なんて聞いたことがないな」
マイアもそれはそうだと頷いたが、一つだけ気になることがあった。それを聞くと父が気分を害するかも知れないから黙っていたが、彼女は少し考えてから、遠慮がちに聞いてみた。
「でもね。もし、その人がアップロードされていたのだとしたら……?」
すると父は一瞬だけ顔をこわばらせてから、その可能性を吟味するかのように顎を擦りながら黙考し、それから首を振って打ち消すように、
「そしたらママの研究所が今頃大騒ぎになってるよ。残念だけど、僕はそんな話は聞いてないなあ」
「そっか……」
父はそう言って一頻り笑ったあと、マイアの顔をじっと見つめて、
「多分だけど、君の心臓の持ち主に対する罪悪感が、そんな夢を見せたんじゃないかな。僕たちにとっては幸運だったけど、その心臓の持ち主の不幸が無ければ、君は今ここでこうしては居られなかったんだ」
「……そう、だね……」
「僕たちはそのことを感謝しなくてはいけないね。さて、朝からちょっとしんみりしちゃったけど、この話はこの辺にしておこう。パパはそろそろ会社に行くけど、あとのことは三田さんにお任せしていいかな」
「かしこまりました」
家政婦は機械みたいにかしこまっている。マイアは父がテーブルを立つと一緒に玄関までついていき、彼のことを見送った。父は欧米人らしくマイアのほっぺたにチューをしてから、
「今日も早く帰るつもりだけど、何かあったら遠慮なく会社の方に電話してきて。午後にはムツキがまた来るかもって言っていたから、ドライブくらいだったら行ってもいいからね。彼によろしく言っておいてよ」
「うん。わかった」
「そうそう、思ったより退院が早かったから、早期の復学について学校も考慮してくれるそうだよ。遅れた分は補習で補ってくれるらしい」
「ええ~……」
「ありがたい話じゃないか。そうそう、先生から預かったホームワークがあるから、ご飯を食べたら三田さんに見てもらいなさいね」
「そ、そんなあ~……」
マイアはガクガクとその場に崩れ落ちた。心臓がドキドキすると言って誤魔化そうとも思ったが、本気で心配されそうなので我慢する。何かうまい言い訳はないだろうか。もしくは楽する方法はないだろうか?
「気持ちは分かるけど、頑張って。ムツキに手伝ってもらってもいいけど、答えを聞くのは無しだよ? いいね?」
行動を読まれている……マイアがウッと絶句していると、父はそんな娘の姿を苦笑いして見下ろしながら、
「それじゃパパはそろそろ行くね」
「うん、いってらっしゃい……あ、そうだ!」
マイアは玄関にしゃがみ込んだまま、手を振って父を見送ろうとした。が、その時、ふと思いついて尋ねてみた。
「そういえば、あのアウトローになってお金を稼ごうってオンラインゲーム……『オール・ユー・キャン・暴徒』だっけ?? あれって、お父さんの会社のゲームだよね?」
「え? ああ、そうだけど? それが?」
「そっかあ……ううん、なんでもない。ちょっと聞いてみただけだよ」
本当は、夢で見た男が入り込んでしまったのが、そのゲームの世界だったから、少し気になったのだ。父の言う通り、ただの気にし過ぎだとは思うのだが……もしも彼が実在するなら、オンラインで会えるかも知れない。
後で近衛が来るというなら、その時にでも、もう少し詳しく調べてみよう。彼女はそう考えると、これ以上父を引き止めては悪いと、笑顔で彼のことを見送った。