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母は最後まで見舞いに来なかった:マイア①―2

 年甲斐もなくはしゃぐ父に押されて、車椅子は病院のスロープを駆け下りて、マイアは大型のワゴン車に乗せられた。男二人がどっちが運転するかで揉めている間、助手席のテディベアにシートベルトを掛けていると、お世話になった看護師が最後のあいさつにやってきたので、何度もお礼を言う。


 ジャンケン勝負は婚約者の近衛が勝ったらしく、彼の運転で家まで送ってもらうことになった。大の男がでっかいテディベアとドライブする姿は街の人々の関心を集めたが、彼は一言も文句を言うこと無く、丁寧な運転をしてくれた。


 東京目白にあるロックスミス邸は、大昔に華族と呼ばれる人たちが住んでいたらしい、海外からやって来た父が土地に不慣れだからと、近衛家が用意してくれた洋館だった。確かに外国から来たけれど、あっちでもこんなマンションは見たことないよと、子供のころ母に言っていたのを覚えている。あの日、見上げた二人の顔は、真夏の太陽のように眩しかった。


 家に帰り玄関を開けたら、通いの家政婦である三田が待っていて、わざと見せびらかすように手にしたクラッカーを鳴らした。本当なら入ってきた瞬間に鳴らすつもりだったのだろうが、マイアの心臓を気にしてのことだろう。そんな彼女の背後からは、やたらと美味しそうな匂いが漂ってきていて、よだれが垂れそうになった。


 これはアレか? サプライズなんちゃらか? と胸を踊らせつつ、いそいそとリビングへと歩いていったら、20畳ほどの広い部屋の中は風船アートやら、ティッシュのバラやら、キラキラの折り紙やらで飾り付けられていた。まるで小学生のお誕生会みたいな光景に唖然と見ていたら、昨晩、いい年した男たち二人がノリノリで飾り付けていたのだと、三田が表情筋一つ動かさずに教えてくれた。


 君たちは正気か? バカなんじゃないのか? ……という本音は置いておいて、取りあえずその気持ちが嬉しいとお礼を言ったら、二人は満更でも無さそうな表情で照れていた。父はこういうちょっと子供っぽいところのある人だった。それに毎度つきあわされる近衛はちょっと気の毒に思うが……


 ともあれ、テーブルには期待通り大量の料理が用意されていて、そのまま快気祝いのパーティーが始まった。三田が次々持ってくる料理に舌鼓を打ち、父と近衛は美味しそうにワインの瓶を空にしていく。まだ明るいのにペースが早いんじゃないか? とも思ったが、二人には今まで心配を掛け通しだったから、大人しく酒の肴になっておく。


 日が暮れる頃には父は酔いつぶれてしまい、それで自然とパーティーはお開きになった。その展開を予想していたのか、三田がテキパキと後片付けをしてクールに去っていく。寝ぼけ眼でソファに寝っ転がる父に部屋で眠るように言っていたら、近衛がやってきて肩を貸してくれた。二人で父の左右を支えて運びながら、間を持たせるように丁寧にお礼を言う。


「あの、近衛さん。今日は本当にありがとうございました。ううん、今日だけじゃなく、いつも色々してくれて、感謝してます。この心臓のことも……」


 すると近衛は滅相もないと目を丸くして、


「いえいえ、マイアさん。お気になさらず。僕は将来の伴侶として、本気であなたの力になりたいって思っているんですよ。何か困ったことがあったら、いつでも頼ってください。僕はそれが嬉しいんです」


 そういう彼の表情は本当に優しくて、まんざらでもない気持ちになった。


 と同時に、こんな小娘相手にどこまで本気なんだろうかと疑念ももった。マイアと近衛は干支が一回りも歳が離れている。彼と初めて会った時、彼女はまだ小学生だったのだ。


 かつて、父の背中に隠れながら見上げた彼はマイアを見つけると、今みたいに優しい表情で手招きをしてお菓子をくれた。それは今にして思うと、保母さんが園児に見せるのとそんなに変わりがない笑顔だったかも知れない。それ以来、マイアにとって彼は頼れるお兄さんといった感じで、この人と将来結婚をすると言われてもなかなかピンと来なかった。


 因みに、マイアの心臓を見つけて来てくれたのは彼だった。それは本当に奇跡に近いことだった。彼がどれほどの苦労をして、それを見つけ出してくれたのか……聞いてもはぐらかされるだけだから想像するしかないが、相当無茶をしたのは間違いないだろう。


 一口に臓器移植と言っても、その部位によっては手術の難度は変わる。それが心臓なら非常に困難であることは、容易に予想がつくだろう。何よりも心臓移植が難しいのは、その緊急性にあった。移植する臓器は当然健康でなければならないが、心臓は血流が止まるとあっという間に腐ってしまう。タイムリミットは昔なら4時間と言われており、今でもせいぜい持って1日が限度だった。


 つまり、マイアの心臓の持ち主は、彼女が手術するほんの数時間前まで生きていたと言うわけだ。すぐにでも手術をしなければ助かる見込みがないと言われたマイアの下へ、そんな今にも死にそうなドナーを連れてこいというのは、殆ど不可能と言っていいだろう。


 その不可能を可能にしたのだから、近衛がどれほど無茶をしたかは想像に難くない。会社を休職し、海外を飛び回り、方々に手を尽くし、大枚をはたき、そしてもしかすれば悪いことをしたのも……ほぼ間違いないだろう。


 どうしてそこまでしてくれるのだろう? 愛といえば聞こえはいいが、そうとも言い切れない。それだけの投資をする財産がマイアにはあった。


 眠ってしまった父をベッドに放り込んだあと、玄関まで送るというマイアのことを、逆に部屋まで送ってくれてから、近衛は紳士的に去っていった。なんやかんや親公認なのだから、迫ろうと思えば出来なくもないだろうが、彼は一度としてそういうことをしたことはない。


 久しぶりの自分の部屋は何一つ変わっておらず、ホコリ一つすら見当たらなかった。彼女の居ない間も、三田が欠かさず掃除をしてくれていたのだろう。まるでホテルみたいにメイクされたベッドの上には、主に先んじて彼女のテディベアが寝転がっていた。


 彼女はぬいぐるみを抱き寄せると、ベッドを背もたれにして床に座った。こうして部屋の中で一人で、彼をぎゅっとしていると、とても落ち着くのだ。


 くまのぬいぐるみ……ノエルは母の贈り物だった。


 こんなふうに言うと、なんだか彼女が死んでしまったかのように聞こえるかも知れないが、母はまだ生きている。ただ、こことは違う場所にいるだけだ。マイアの父と母はつまり、離婚していた。


 今からおよそ20年前、二人はサイバーテクニクス社という小さな会社を作った。それは当時ではまだ珍しかった電脳空間専門のゲーム会社で、顧客はインプラントを施した、ちょっとサイバーでイカれた金持ちが主だった。


 二人の作ったゲームはネットで評判となり、顧客は徐々に増えていった。会社はそれでも十分に儲かっていたが、しかし二人には野望があった。インプラント者専用の完全没入型VRゲームを、手術をしていない一般人にも広めたい。そして作られたのが、手術をすることなく電脳空間にフルダイブすることが出来る、ベイジングスーツだったのである。


 これによってサイバーテクニクス社と、ベイジングスーツの開発者である夫妻の名前は全世界に轟くことになった。数年後には、二人の間に双子の赤ちゃんも生まれて、結婚生活は順風満帆かと思われていた。


 ところが、そんな時、不幸が訪れた……


 巨万の富を得て、若くして注目を浴びた二人は、どこに行ってもカメラに追いかけられ、私生活の殆どが他人によって晒されることになった。特に子育てを始めたばかりの母に対する世間の目は厳しく、彼女がなにをやってもネット上で、特に同性からバッシングを受けた。


 曰く、子供をペットのように扱っている、愛情が感じられない、あんなに泣いて気の毒に、犯罪ゲームなんて作ってるやつらは親として資格がない、あんな両親に育てられて子供たちが可哀相だ……全てはただの嫉妬に過ぎなかった。だが、コミュ障と言われるくらいオタク気質だった母は、それを気にしないわけにはいかなかった。


 慣れない子育て、それも双子の面倒を見ながら、会社経営者の夫を支え、セレブのパーティーに出席し、時に権力者たちに呼ばれてレクチャーを引き受け、その全てをこなしながら、巷間の容赦なく薄汚い悪口に晒され続けていた彼女は、そしてついにやらかしてしまったのだ。


 ある日、彼女は公共の児童館に双子を置き去りにして、気晴らしに出掛けてしまったのである。児童館には子供の気を引くものがいくらでもあったし、そこで一日中遊ばせておけば安全だと考えたのだ。彼女自身が子供の頃、そうしてよく親に置いていかれた経験があったから、大丈夫だと思ってしまった。庶民出身の彼女らしい考え方だったが、しかし、今や彼女の住んでいる世界は違った。


 金持ちの子供が、親の目の届かないところで遊んでいれば、良からぬ考えを持つ輩も現れるだろう。双子はそこで不審な男に遭遇し……そしてマイアの弟スバルが拐われてしまったのである。


 マイアはその時のことを今でもよく覚えている。男は二人に近づいてくると、ペットのフェレットが逃げてしまったから、一緒に探してほしいと言ったのだ。フェレットなんて珍しいから、マイアは是非見てみたいと思った。見つけてくれたら抱っこしてもいいと男は言った。だから二人は夢中で館内を探し回り……


 そしてスバルはいなくなってしまったのだ。フェレットを探している最中、マイアは男の言うことを全然疑わなかった。


 男からの脅迫電話はその日のうちに掛かってきた。


 子供の命が惜しければ、莫大な金を支払え。警察に知らせたら殺すという、典型的な誘拐犯の脅し文句だった。


 気が動転していた母はすぐにその要求に応じようと言った。しかし、欧米人で正義感が強い父は、脅迫には絶対屈してはいけないと、断固として受け入れなかった。彼は警察に連絡し、すぐに警察による公開捜査が始まった。結果、犯人からの連絡は途絶え……そしてスバルの行方は永久に分からなくなってしまったのである。


 捜査が縮小し、警官が全て家から撤収してからも、両親の喧嘩は絶えなくなった。彼らは家の中でも外でも、顔を合わせればいつも言い争いばかりしていた。おまえが悪い。あなたが悪い。そして最終的には母が泣いて喧嘩は終わった。


 結局のところ、警察に頼った父よりも、子供を置き去りにした母が悪者にされた。そして二人は離婚し、マイアは父親に養育されることになったのである。


 まだ幼かったマイアには、それは到底受け入れられることではなかった。だから子供の頃の彼女は、母が恋しいと言っていつも泣いていた。そんな娘を前に、いつも父は歯がゆそうな顔をして立っているだけだった。スーパー家政婦の三田であっても、マイアを泣き止ませることは出来なかった。


 それから暫くすると、マイアも段々と自分が周囲の大人たちを困らせている自覚が出てきた。このまま無理を言い続けていたら、みんな自分の側から離れていってしまうだろう。でもだからと言って母が恋しい気持ちが収まるわけもなく、彼女は父に嫌われたくないと言う気持ちとの板挟みで、どうしようもなくなっていった。


 そんな時だった。


「マイアちゃん? マイアちゃん、聞こえる?」


 クマのノエルが喋りだしたのは。


 ある日、いつものようにマイアが母が恋しくて泣いていると……突然、ノエルから声が聞こえてきた。誰? と問いかける彼女に、ノエルは母を名乗った。それは本当に、母イオナの声で間違いなかった。


「ママ? ホントにママなの?」

「うん、本当よ」


 曰く。実は、ノエルには小型PCが内蔵されていて、双子が本当に小さかった頃、母はそれを使って二人をあやしていたらしい。そこには通話機能も搭載されていたから、それを思い出してこうして電話をかけてきたのだと言う。


 最近、風の便りでマイアが悲しんでいると聞いた、と母は言った。マイアはそんな母に帰ってきてとねだった。しかし母は困ったように沈黙して、それから、それは出来ないと返してきた。


「お父さんとの約束で、もうそこには行っちゃいけないことになってるのよ。本当は、こうしてお話をするのも止められているの。だからマイアちゃん。絶対にノエルのことを秘密にしてちょうだいね?」


 その代わり、マイアとは毎晩寝る前にこうしてお話をしてあげると母は言った。マイアはそれだけじゃ寂しいと思ったけれど、これ以上を望むのは父を裏切っているような気がするから、それで妥協することにした。


 それ以来、マイアは寝る前に部屋でこっそり母とお話をするのが日課となった。父にお休みを言ってから、決して父に聞かれないように、クマのぬいぐるみに顔を埋めるようにして、ヒソヒソ声で話すのが彼女の毎晩の楽しみになった。


 電話の中の母は多弁でユーモラスで、マイアの知らないことをたくさん教えてくれて、彼女の不安をいつも吹き飛ばしてくれた。マイアが学校での出来事や他愛のない話をして、母はそれを黙って聞いて助言してくれる。そんな関係が暫く続いた。


 やがてマイアが、両親の離婚を受け入れられるくらい大きくなったころ、母の仕事は忙しくなっていった。それからまた月日が流れて、徐々に母と話をする機会は減ってきて、今となってはもうノエルから母の声が聞こえてくることはなくなってしまった。


 家を出た母は、それ以来、まるで自分を罰するかのように研究に打ち込み……


 ベイジングスーツ開発の経験を活かして、ついには人間の精神のアップロードに成功した。その技術は日本政府によって保護、独占され、彼女は今現在、日本が世界に誇る天才科学者として、この国の中枢を動かす存在になっている。


 その天才・鷹司イオナの一人娘として、また、サイバーテクニクス社CEOの一人娘としても、マイアは世界中のセレブの羨望と嫉妬の的であった。だから、彼女が危うく死にかけたと知れたときには、世間は結構な騒ぎになった。


 近衛が何をやっても彼女を救おうとしたのは、そういう理由があったのだ。彼女を将来の伴侶とするのは、考えうる限りこの世で最高の富と名声を手にすることに他ならない。故に、マイアは婚約者のことを好ましく思っていても、素直にそれを受け入れることが出来なかった。本当に、素の自分のことを好きになってくれる人は、きっとこの世には存在しないだろう。


 ……母は最後まで、マイアの見舞いには来なかった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 近衛さんスパダリか? 正直かっこよすぎて惚れそう
[気になる点] 精神をアップロードするのは憧れ。ルパン三世のマモーとかフェイスレス司令とか・・・ぱっと思い付くの悪役ばっかりやな。
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