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急襲:マイア⑤―2

 オール・ユー・キャン・暴徒の世界で、突然、人面瘡が流行りだしたのは、甲斐が次々パラレルワールドを生み出し、サーバーに莫大な負荷をかけた結果で起きた処理落ちが原因だった。


 そして、甲斐がコフィンのサーバーに影響を与えたように、アップロード者がこの現実世界を処理落ちさせているのではないか? というのがマイアの母、鷹司イオナの言わんとしているところだった。


 この現実世界がコンピューターによるシミュレーションだったなんて、いくらなんでも馬鹿げている、と一蹴することは簡単であったが、今現在、現実で起きている不可解な現象の数々を考えると、確かに無視は出来なかった。


 特に甲斐が見せた奇跡(チートスキル)の数々は、ここがゲームの世界であると考えなければ、どうやったって説明不可能だろう。彼は明らかに、この世の物理法則を破っている。信じられないというのであれば、まずは彼の力が種も仕掛けもある手品だということを証明しなければならない。それは、この世がシミュレーションであると信じるよりも困難だろう。


 榊は腹の中では納得がいかないが、認めざるを得ないと言った感じに渋い顔をしながら、


「しかし、主任。仮にあなたの言う通り、この世界を動かしているコンピューターが……長ったらしいので今後はグレートシミュレーターとでも呼びましょうか? ……あったとして、アップロード者がそんな凄いコンピューターに影響を与えるなんてことがあるのでしょうか。アップロード者なんて、全世界でもたかだか数百人しかいないんですよ? 現在、世界100億近い人口を稼働させているグレートシミュレーターに影響を与えるとは、とても思えないのですが……」


 母は自分もそう思うと頷きながらも、


「私も見てきたわけじゃないからはっきりそうだとは言えないのだけど……人間は生きている限りパラレルワールドを作り続けている。それはグレートシミュレーターに記録として保存され、どんどん蓄積されていくわけだけど、その人が死ぬことによっていずれ解放される。けど、アップロード者は半永久的に生き続けるわけだから、その記録もまた永遠に解放されることがない。言うなれば、絶対に書き換えることの出来ない不良クラスタみたいな状態で、ずっとサーバーに残り続けるわけよね?


 記憶はまた、量子状態で保存されているわけだけど、量子もつれは過去と未来に影響を与えることは知っているわよね? 普通ならそれは微々たるものだし、人間はいずれ死ぬのだから無視できるけれども、アップロード者は半永久的に生き続ける……永遠を考えてしまうと、塵も積もれば山となって、無視できなくなる。ざっくり言うとこんな感じなんじゃないかしら」

「むむむ……」

「これを回避するには、アップロード者を全員ダウンロードして、今度こそ天寿を全うしてもらうしかない。でも、甲斐君と違って、彼らのダウンロード方法はまだ確立できていないのよ。私は、彼らをアップロードするために、かなり強引な手法を行った。これがどうグレートシミュレーターに処理されているのか、まずはその解析から始めなければならないわけだけど……」


 と、他を置き去りにしながら科学者二人が議論を交わしている時だった。突然、島内に響き渡るようなサイレンの音が聞こえてきて、モニターの中の母の表情が強張った。


「これは……」


 彼女は何かに気づいたような険しい表情を見せると、すぐにマイアたちにもそれが見えるように、新しいウィンドウを開いた。それは監視カメラの映像らしくて、今現在のコフィンの玄関前を映し出していたのだが、見ればさっきまでは無人だった広場いっぱいに無数の警備ロボットが集まっているのが見えた。


 まるでバリケードを張るかのように群れている警備ロボ達が何をやっているのかと思えば、その前には青いヘルメットと透明なプラスチックの盾で武装した機動隊が隊列を組んでいて、強引にビルに入ろうとしてロボットたちと押し合いへし合いをしているのだった。


「何故、こんな場所に機動隊が……? いえ、それよりどうして警備ロボと乱闘なんかしてるんでしょうか?」

「なるほど……コフィン内のロボットたちが一斉におかしくなった理由が、これだったんですよ」

「……どういうことです?」


 榊が首を傾げていると、母は想定通りといった感じに、


「元々、このビルの警備ロボットは、常に外部からの攻撃を想定して行動するように作られているでしょう? その警備ロボが、甲斐君が起こした昼間の事件から予想した結論が、これだったってわけ。つまり、警備ロボは機動隊が突入してくることを、とっくに予想していたってわけよ」

「甲斐太郎の侵入だけで、ここまで予想していたって言うんですか? そんな馬鹿な! ……いや、それならそれで、コフィンを守ろうとしてやってきた機動隊を、警備ロボットが追い返す理由はないでしょうに。一緒にコフィンを守ればいいじゃないですか。なんで争ってるんでしょうか?」


 すると母は首を振って断定的に、


「いいえ、機動隊はコフィンを守ろうとしに来たんじゃない……攻撃しに来たのよ」

「はあ? なんのために……?」

「たった今、話していたじゃないですか。ここにいるアップロード者たちが、人面瘡の原因かも知れないって。彼らがいる限り、この世界を稼働しているグレートシミュレーターは、不安定になり続ける運命にあるんだって……なら、逆にアップロード者さえいなくなってしまえば、もう人面瘡に怯えなくても済むわけじゃないですか」

「あ! ……言われてみれば、確かに。でも、それに気づいたのは、本当にたった今ですよ? まだ誰にも喋っていないのに、どうしてこんな測ったようなタイミングで機動隊が現れるんですか?」


 榊がそんな疑問を呈した時だった。ピリリリリリ……と、素っ気ない電話の呼出音が聞こえてきて、モニターの中の母が舌打ちをした。見れば、執務机の上には彼女の携帯が置かれていて、音はそこから聞こえてくるようだった。


 もうこの世に肉体を持たない彼女は電話に出ることが出来ないから、誰かが代わりに出たほうがいいのではないか……? マイアがそんな事を考えてオロオロしていると、唐突に呼び出し音は途切れ、と同時に、モニターにまた別のウィンドウが表示された。


 新しく表示されたウィンドウには、厳しい顔をした男性が映し出されていた。彼は周囲をぐるりと見回してから、不服そうな表情でコクリと頷いたまま押し黙っていた。もしかして、それは会釈のつもりなのだろうか……? と、ようやく思い至ったところで、母が面倒くさそうに返事をかえした。


「官房長官。お早いご到着ですね。いくらなんでも、早すぎやしませんか?」


 母の口から飛び出してきたその言葉に、その場にいる全員が度肝を抜かれた。どことなく見覚えがあると思っていたが、当然だった。その男は現在の内閣官房長官だったのだ。彼は厳しい顔を崩さずに、


「グズグズしている暇は無かったのでね。博士。私をそこへ入れてはくれませんか。緊急事態だということはわかってるでしょう」


 中に入れろということは、今まさに彼はあの機動隊と一緒に行動しているということだろうか? 驚いているマイアたちとは対象的に、母は一人だけ冷静なままで、


「知ってますよね? ここの警備は、政府の管轄です。あなた方に出来ないことを、私が出来るわけがないじゃないですか」

「警備ロボのAIを制作したのはあなたでしょう。なんとか命令を書き換えられないのか」

「そう単純なものじゃありませんから。AIが一度動き出したら、もう私にも止められませんよ」

「なら、ロボットを動かしているサーバーがそこにあるはずだ。それを止めてくれればいい」

「……わかってますよね? そんなことしたら、このビルの全ての機能が停止してしまう……まあ、それがあなた方の真の目的なんでしょうけど」

「わかってるなら早くしたまえ!」

「ちょ、ちょっと待ってください。主任、あなた方は一体何の話をしてるんですか?」


 母と長官の会話を横で聞いていた榊が困惑気味に質問する。水を差されたことに立腹したのか、長官は露骨に嫌そうな顔を見せたが、母は相変わらず涼しい顔で言った。


「だから、たった今、話していたじゃないですか。アップロード者さえ居なくってしまえば、私たち人類はもう人面瘡に怯えなくて済むって。つまり安全だって」

「ですから、それはたった今、話していたばかりなのだから……」


 榊も自分でそう言いながら、途中で気がついたのだろう。彼女の表情がみるみる強張り、長官を見る目つきが鋭くなる。そんな二人の間に挟まれるような格好で、母は淡々と続けた。


「私たちの会話は盗聴されていたんですよ。いつからってレベルではなく、きっと、最初から、ずっとね。知っての通り、ここの警備責任者は日本国政府なんです。仕掛けを施すのも簡単だったでしょう」

「そんな……私たち研究者のプライバシーは一体どうなってるんですか!」


 榊が憤るも、長官はまったく悪びれる様子もなく平然と言った。


「ここで行われているのは、日本の基幹技術の研究だ。その情報を外部に漏らされることも、また秘密にされることも、決してあってはならないことだ。だから君たちの行動は常に見張られていたのだよ。


 そんな中で、鷹司博士が甲斐太郎と接触した。そして、死んだはずの彼がこの世に復活したと知り、我々は歓喜に打ち震えたよ。ついに、念願のダウンロード技術を手に入れたのだと! あとはこれを博士に理論化して貰えれば、日本国はこれから数百年間、世界の中心でいられるだろう……そう思った。


 だが、彼を追跡していて考えが変わったよ。ゲームの中から飛び出してきた彼は、我々には手に負えない奇跡を使い、どう見ても彼が人面瘡をばら撒いているとしか思えないような現象があちこちで起こり始めた。そして、さっきの博士の話だ……ダウンロード技術は危険、と判断するには十分だろう?


 言っておくが、我々だけではないぞ。そこはある意味、世界のVIPが集う場所だ。もはや日本政府のみならず、世界各国のあらゆる諜報機関が入り乱れる伏魔殿と化している。この会話だって、どこの誰が聞いているのか、わかったものじゃない。現に、我々がこうして動き出すよりも前に、アメリカから問い合わせが来たんだ。世界各地で人面瘡患者が急激に増え始めているが、日本政府は何か知らないか? と……何食わぬ顔で、非公式にな。


 ……今回の件は世間にバレる前に、なんとしてでも隠蔽せねばなるまい。総理は何をやってもいいからすぐに方を付けろと仰せだ。今は機動隊だけだが、すでに自衛隊の出動も確定している。ここに米軍を含めるか、検討中だ」


 長官の言葉に榊は絶句している。彼はそんな哀れな一研究員を無視して、その上司である母に向かって横柄に言った。


「なに、我々は何も君たちを攻撃しようとしているわけじゃないんだ。ただ、コフィンの稼働を一時的に停止しろと言っているだけだ。終わったら、また元に戻せばいいのだから、協力してくれないかね?」

「それは無茶な相談ですよ。知っているでしょう? アップロード者はすでに肉体を持たない情報体なのだから、ここの機能の停止は死を意味すると。だからあなた方は、ここを要塞のように固めていたんじゃないですか」

「しかし、博士。あなたの話では、そうしなければ世界が滅亡しかねないのだろう?」

「それは、そうかも知れませんが……」

「それにアップロード者は死にませんよ」

「あら、どうして?」


 長官はニヤリと笑った。


「あんたらが、それっぽいAIを作って、彼らがまだ生きているように見せかければいいんだ。そうすれば、彼らの資産が日本から流出することもなく、世界は平和なままでいられるだろう。なあに、元々彼らの資産なんて、実質他人が管理しているようなものなのだから、本人が居なくなったところで何の影響もありゃしませんよ。これで何もかも元通り、万々歳だ!」


 これには我慢できず、榊が割って入る。


「……官房長官、あなた、正気なのですか? ご自分が、最低なことを言っているという自覚がおありか!?」


 すると長官は間髪入れずに顔を真っ赤にして、


「おまえらこそ、自分の立場が分かってるのか! たかが科学者のわがままに、全人類100億の命を預けられるわけがあるか! いいから黙って言うことを聞きやがれ! この馬鹿者ども! これは内閣決定だぞ!」


 その時だった。怒髪天を衝く長官の肩越しに、秘書官らしき男が近づいてきて、激している彼の耳元で何かを囁いた。その瞬間、真っ赤だった長官の顔は一瞬にして青ざめ、つり上がっていた眉毛がハの字に曲がった。


「……どうしたんですか?」

「悪い知らせだ。どうやら、今回の件はもう第二世界の連中に嗅ぎつけられてしまったらしい。いつの間にかネットに情報がリークされていて、一般人にもこのことが知れ渡るのは時間の問題だろう……つまり、アップロード者を殺すという手は、たった今使えなくなった……くそっ」


 それ自体は悪くない知らせであったが、問題はその後だった。


「それで、どうなります?」

「分からん。既に、都内のあちこちできな臭い動きが見られているようだ。某国の領事館では、どうもミサイルらしき物体が組み立てられているとの情報まである」

「まさか! いくらなんでも、そんな無茶苦茶なことをしますか?」


 すると官房長官は自分の考えをまとめるような遠い目をしながら、


「……わからんぞ。今回の件は、明らかに日本の大チョンボで、奴らからしてみれば軍事介入の立派な口実になるだろう。なにせ、放っておけば国民が人面瘡によって死ぬんだからな。もっとも、奴らが気にしているのはそんなことじゃないだろう。国民なんて畑で収穫できると思ってるような連中だ」

「それじゃ何を狙おうって言うんですか?」

「奴らの狙いも、おそらくアップロード者の抹殺だ。国交問題で恩恵を受けられなかった第二世界にとっては、コフィンは目の上のたんこぶだからな。だが逆に、ここさえ無くなってしまえば、西側の力を大幅に削ぐことが出来るのだから、やらない理由がないだろう。そして一時的とは言え、世界の9割のマネーが失われれば、資源を持っている奴らのほうが優位に立てる。奴らはその隙に覇権を握ろうとするはずだ。


 ふむ……なるほど、そのための情報リークだったのだろうな。世界が注目している中でコフィンを破壊すれば、嫌でもアップロード者の死を印象付けられる。クソ! さっきまで邪魔で仕方なかったアップロード者たちのことを、今度は我々が守ってやらねばならなんとは、なんたる皮肉だ!」


 長官は地団駄をついている。つい昨日まではコフィンを日本の宝だと持ち上げ、ついさっきまではアップロード者を殺そうと企み、今度は守ろうと言うのだから、手のひらが高速回転しすぎて目にも止まらないとはこのことである。


 榊はもはや抗議するのも馬鹿らしいといった感じに、


「それで、どうなったんです?」

「今、閣議で横須賀のイージス艦の派遣が決まった。現在、暖機運転中で半日後には来られるだろう」


 長官の機嫌はともかく、とりあえず時間稼ぎが出来たことに、彼女はホッと胸を撫で下ろした。


 あとは、さっき話していた通り、アップロード者をダウンロード出来るようになれば、この事態もいずれ収束するだろう。問題は、その方法がまだ全然確立できていないことだが、甲斐という実例があるのだから、天才鷹司イオナがいずれ見つけてくれるはずだ。


 彼女はそんな風に楽観的に考えていたのだが……それは生き馬の目を抜く、政治の世界で生きている者たちからしてみれば、あまりにも甘い考えだった。


「何……? 撃った……? 撃ったって、何をだ!? ミサイル!!? 冗談だろう?」


 榊がそんな呑気なことを考えている時だった。モニターの中の長官が、また突然慌てふためいたかと思えば、突如、口角に唾を飛ばしながら何事かを叫び始めた。その不穏な単語に頭がついてこれなかったが、体がその意味を理解しているのだろうか、いつの間にか榊の額からは大量の汗が滴り落ちていた。


 彼女は探るように尋ねた。


「ち、ちょ、長官? おっしゃってる意味がよくわかりませんが、こちらにも分かるようにお願いできませんか?」


 長官は苛立たしそうに、


「聞いてたんなら分かるだろう! 奴ら、本当にやりやがった! しまった……この会話は盗聴されていたんだ! 不用意に情報を漏らしすぎたか……」

「長官、すぐに退避を」


 モニターの向こうで、長官はSPらしき男たちにズルズルと引きずられていく。


「着弾まで5分と掛からないだろう! 君たちも今すぐそこから避難するんだ! 早くっ!」


 長官のそんな叫び声を最後に、通話が途切れてウィンドウが閉じた。一瞬にして静寂に戻った室内で、マイアたちはお互いに顔を見合わせた。逃げろと言われても、一体どこに? 戸惑っていると、モニターの中の母が冷静に言った。


「榊さん。まずは落ち着いて。ミサイルの一発くらいで、ここのシステムがダウンすることはないわ。こんな攻撃、ゲームの中で散々シミュレートしてきたのを、第二世界の人たちは知らないのかしら……そんなことより、生身のあなた達の方が危ないわ。今すぐ地下シェルターへ避難して。エレベーターでコードを打ち込めば、1分と掛からないわ」

「そそそ、そうですね! マイアさん! あとの二人も、ついてきてください! 急いで!」


 しかし、そんな榊が泡を食って逃げ出そうとした時だった。


「うーん、マイアちゃん。ボクはそれより、今すぐ耳を塞いだほうがいいと思うね」


 どこからか調子っぱずれな声が聞こえてきた。他には誰も居ないと思っていた榊がビックリして振り返る。それもそのはず、その声はマイアの抱えているテディベアから聞こえてきたのだ。


「ノエル? どうしてそんな事言うの?」


 慌てふためく榊の前で、マイアはノエルを抱え直すと、彼の目を見ながら尋ねた。今すぐ逃げなきゃいけないのは明白なのに、どうして止めるんだろうと首を傾げていると、ノエルはつぶらな瞳のままで、


「長官はミサイルを撃ったのは領事館だって言ってたでしょう? 領事館ってのは普通23区内にある。なら、着弾までもう殆ど時間は残ってないよ」


 淡々と論理的に語られた指摘に、その場に居た全員が凍りついた。マイアは呆然としながら、重ねて尋ねた。


「じゃ、じゃあ、どうすればいいの……」

「安心して。ミサイルはここまで辿り着かないはずだから」

「辿り着かない?」

「だって、ほら」


 ノエルがそんなことを口走ったかと思うと、突然、母のモニターにまた新たなウィンドウが開いた。


 まるでブルースクリーンみたいな真っ青なウィンドウが開き、どうしたんだろう? と思っていたら、よくよく見てみればその中央には、何か染みのように小さな物体が浮かんでいるのが見える。これは何だ? と近づいてみれば、どうやらそれは人の影で、ブルースクリーンだと思っていたのは実際には空の映像のようだった。


「おい、見ろ!」


 と、その時、二人のやり取りを黙って見ていた真一郎が叫んだ。すると彼の声に呼応するように、映像のピントが合って、中央の人影がくっきりと浮かび上がった。


 そこに映っていたのは、さっき逃げていったはずの甲斐だった。甲斐が、何もない空中にぷかぷか浮かびながら、何もない虚空に向けて手を翳している。


 何をしているのだろう? と、首を傾げていたら、その時、彼が手を翳す方角から、何かがキラリと光るのが見えた。はっきり見えているわけではないが、グングンと近づいてくるそれが何かは考えるまでもなかった。たった今、長官が教えてくれたはずだ。それは某国が発射したというミサイルに違いなかった。


 すると、それは今ここに向けて真っ直ぐ飛んできているのだろう。この映像が本当ならば、ノエルの言う通り逃げる時間はもう残されていなかった。


「まずい! 早く逃げなきゃ!」


 榊がパニックに鳴って叫んだ。三田がマイアを庇おうとでもしてるのだろうか、慌てて抱きついてきた。しかし、マイアはもう彼女らと違って、逃げようという気はさらさらなかった。代わりに彼女はみんなに向かって、


「耳をふさいで!」


 と叫ぶと、両耳を塞いでその場にうずくまった。


 ズシン! ……とした衝撃が地面の方から伝わってきて、次の瞬間、グラグラと信じられないくらい部屋が左右に揺れた。立っていることも出来ないくらいの強い揺れが、部屋の中にあった何もかもをなぎ倒し、ショック体勢を取りそびれた榊たちを巻き込んでぐちゃぐちゃに散らばっていった。


 高層階で地震が来ると、時にとんでもない揺れになると言うが、マイアは始めての経験に舌を噛まないように気をつけるのがやっとだった。耳を塞いでいる指の向こうから、それでも痛いくらいの爆音が聞こえてきて、榊たちの叫び声も、何もかもをかき消してしまった。


 ようやく、揺れが収まってくると、マイアは埃まみれになった部屋の中でゆっくりと目を開けた。


 今の衝撃で室内の照明は切れてしまったようだが、母の言う通り、システムは健在のようで、モニターには相変わらずその母の姿が映っていた。


 だが今、気にすべきはそっちではなかった。マイアは落ちていたノエルを拾い上げると、それを胸に抱えて、すぐ隣でうずくまっていた真一郎を跨いで、モニターへと走り寄った。


 モニターには、もうもうと煙る黒煙をバックに、冷静沈着な表情を崩さずにいる甲斐の姿が映し出されていた。彼の翳している腕の先からは、まるで何かが発射したかのように、白い煙が軌道を描いていた。バラバラと何かの金属片が映像の上の方から次々と落ちてきて、巻き上げられた海水が、まるでスコールのように降り注いでいる。


 間違いない。甲斐が、飛んできたミサイルを撃ち落としてしまったのだ。その信じられない光景を前に、マイアは言葉もなく立ち尽くしていた。


「……どうして、彼はこっちでもまだスキルが使えるのかしら……いいえ、ゲームであっても本来なら使えないはずよ。アプリごとにルールが存在するように、彼もこの世界のルールに従わなければならないはず……なのに、それが出来るってことは……グレートシミュレーター自体をハッキングしているってことなの……?」


 モニターの中からは母の声がブツブツと聞こえてくる。部屋の中では、まだ榊や三田がパニックになっていたが、母はまるでこちらの様子には気づいた様子もなく、自分の考えに没頭しているようだった。


「そう、おかしいのよ……KAIには最初から彼をナビする謎のAIがついていた。彼が現実世界に戻ったのなら、当然、彼女もこっちに来て彼のサポートをするでしょう。つまり……彼女がグレートシミュレーターをハックしている……? でもどうやって?」

「お母さん……?」


 何だか今の母の目は血走っており、顔は鬼気迫って見えた。


「そうか。人間とAIはそもそも生まれが違う。肉体を持って誕生した『私』が世界を展開するには肉体が必要でも、肉体を持たずに生まれたAIには必要ないはず……そう、だからなのね……待って。なら、彼女なら、この事態を収拾できるのかも……?」


 母は何かに取り憑かれたかのように、ボーっとした目で空中を見つめている。正体をなくしてしまった彼女を前に、マイアが困っていると、突然、その母の眼がグルングルンと動き出し、娘に焦点を合わせてビタリと止まった。


「マイアちゃん。私は彼女を説得しに行かなければならなくなったの」

「彼女って……? お母さん、一体、何を言って……?」

「甲斐君には、なんとしてでも妹さんを助けてみせるから、それまで時間を稼いでちょうだいと伝えてくれない? 後のことは、榊さんにお任せします。三田さん、マイアのことをよろしくお願いします」

「ちょっと、お母さん!!」


 マイアの制止も聞かずに、母は慌ただしそうに消えてしまった。シュッとウィンドウが閉じて、プツンとモニターの電源が落ちる。暗くなった部屋の奥から、真っ赤な夕日の色が漏れてきた。


 いつの間にか上がっていた月を背にして、甲斐が下界を無表情に見つめていた。そんな甲斐の姿を報道ヘリが不安そうに遠巻きにしている。レポーターが身を乗り出すようにして、マイクに何かをがなり立てている後ろで、テレビカメラのレンズがキラリと光った。


 その不思議な映像はあっと言う間に世界中に広まり……そしてその日を境に、世界は真っ二つに分裂し、混乱の一途を辿っていった。


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