ステータス:甲斐①―2
窓の向こうに巨大な装甲車が迫っていた。それは躊躇することなく一直線に、甲斐がいるコンビニへと突っ込もうとしていた。そんなバカな……と、ギリギリまで現実を直視できなかった彼は、車が突っ込む直前まで呆然とショーウィンドウの前に突っ立っていたが、
「ちょ……ちょっとちょっとちょっと! おいおいおいおいっっ!!!」
いよいよヤバいと判断するや、慌てて背中を向けて走り出し……ドンガラガッシャンシャーーーン!! ……っと、車の突入によってなぎ倒された商品棚と一緒に流されていった。
雑誌コーナーと洗顔グッズの棚に挟まれた彼は、シトラスの香りに包まれながら、コンビニ最奥の清涼飲料水売り場まで転がっていくと、破裂したコーラのシャワーを浴びてようやく止まった。体のあちこちが挟まれていて身動きが取れず、肝を冷やしたが、どうやら骨折はしてなさそうでホッとする。
しかしまさか、本当に車が突っ込んでくるとは……あまりに唐突な出来事に目を剥いていると、次の瞬間、彼は更にありえない光景を目撃して自分の目を疑った。
商品棚に挟まれながら顔だけを上げて店内を見れば、たった今突っ込んできた装甲車から銃を構えた三人の男たちが飛び出してきて、まるでおもちゃを振り回すみたいに気軽にパパパパパパンッッ! っと機関銃を乱射しだした。
機関銃は天井に円を描くように弾痕を残しながら、レジカウンターの向こう側の壁に到達すると、そこで腰を抜かしていた店員をロックオンした。
「ひぃ!」
と、さっきまで仏頂面をしていた店員が短い悲鳴を上げる。そこに一人の男がスキップしながら近づいていくなり、
「ヘイ! ボーイ! いい子だ、金出しな! 金が無いならケツ出しな!」
と、韻を踏んでニヤニヤしながら、コンビニ店員の顔のすぐ横の壁めがけて、パンパンパン! っと銃撃をお見舞いした。
「ひぃぃぃーーーっ! やめて! わかった! わかりましたから!!」
「俺は気が短いんだ。さっさとしな」
「は、はい! はいはいはいぃぃーーーーっっ」
店員はピョンと飛び跳ねるように立ち上がったかと思えば、すぐに腰砕けになって地面に倒れ伏しては、四つん這いになってガタガタ震えながらレジまで這いずっていった。闖入者たちは、備え付けてあったレジ袋を引きちぎるように乱暴に撒き散らすと、
「有り金全部こん中に詰めろ。妙な真似するなよ」
店員は何度も何度も小刻みに頷くと、言われたとおりにレジを開けて、中にはいっていた現金を袋に詰めていった。しかし、その手が震えて覚束ない。それを見ていた気の短い男が、拳銃で店員をぶん殴る。
「早くしろっつってんだろ! ポリスメンが来ちゃうじゃねえかっ!」
「ひっ……ひぃぃーーっ! 撃たないで! 撃たないで!」
「モタモタしてねえでさっさとしろよ! こっちのレジもだ! 早く!!」
哀れな店員はいよいよ腰が抜けてしまったのか、顔をグシャグシャにしながらレジを移ると、緩慢な動きで必死にレジを開けようとしていた。ところが、よほど怯えているのか、それともわざとなのだろうか? 何度も開閉に失敗して、男たちに怒鳴られていた。
そんなことを続けていると、そのうち遠くの方からサイレンの音が聞こえてきてしまい、男たちはチッと舌打ちするなり、
「おせえんだよ」
と言って、まるで夜店の射的でもするかのように、あっさりと店員の頭を撃ち抜いた。
パンッ……という乾いた音が鳴り響き、頭から血を流した店員が、まるで糸の切れた操り人形みたいに崩れ落ちていく。甲斐はそれを呆然と眺めながら、
「ひ、人殺し……」
ほぼ反射的に、当たり前のような感想を漏らしていた。本当に口をついて出ていた。あまりにもあんまりな出来事に、他に何も思い浮かばなかったのだ。
とはいえ、それは致命的だ。
「誰だっ!!」
声を漏らしてしまった瞬間、しまったと思ったが、甲斐の独り言はもちろん男たちに聞こえていた。6つの目玉がギラリと光り、甲斐の体は硬直した。銃口を向けられ、脳みそが本能的に危険を警告するかのように痺れ、背筋が凍る。
「客がいたのかよ……珍しいな」
強盗の一人が、まるで珍奇なものでも見るかのように、意外そうに呟いた。それは、とりあえず感想を述べただけといった感じで、さして興味なさそうに、彼の指先はトリガーを探っていた。
撃たれる!? ……甲斐は慌てて身を隠そうとしたが、体が竦んでしまって身動きが取れなかった。そもそも商品棚に挟まれていて、逃げたくってもどうしようもない。
男は銃口を向けながら近づいてくる。こんなの嘘だ。馬鹿げている。きっと夢に違いない……そんな現実逃避の言葉ばかりが脳裏をよぎり、股間がじんわり湿っていく。
「おい、ちょっと待てよ」
しかし、いよいよヤバい……と思ったその時、別の男が彼を制して、眉をひそめながら甲斐の方へと近づいてきた。男は甲斐の顔をまじまじと見つめるなり、
「こいつ……人間じゃね?」
と、これまた小学生並の感想を述べた。
何を言っているのだろうか? こいつは……
今にも殺されようとしていると言うのに、甲斐もそんな感想しか浮かばなかった。こういうのを天使が通り過ぎたというのだろうか。なんとも言えない空気が辺りに充満している。
ところが、そうして息を殺して硬直していると、ほんの少しの沈黙の後に、
「ぎゃはははははははは!!!」
突然、強盗たちは一斉にゲラゲラと下卑た笑い声を上げるのだった。何が何だかわからない。
「マジかよ! チョー受けるんですけど!」
「気づかなかった! あんたモブ力半端ねえな~、おいっ!」
「つか、なんで客の振りしてんの!? 笑うわ、こんなん」
彼らはニヤニヤ笑いを浮かべながら近づいてくると、三者三様そんな感想を述べてくる。甲斐がどう反応していいか分からず愛想笑いを浮かべていると、彼らはあっけなく銃を下ろして、
「おい、さっさとずらかるぜ」
そして三人は甲斐に興味をなくしたかのようにそう言うや否や、背中を向けてコンビニから出ていった。
一人が運転席にクロールみたいにして乗り込み、二人が後部のハッチへ飛び込む。コンビニの入り口に突き刺さっていた装甲車が、ブオンとエンジン音を響かせ、芋掘りみたいにスポンと抜けると、どこからともなくサイレンの音が聞こえてきて、眼の前の狭い道路にパトカーが殺到してきた。
強盗の一人が箱乗りしながら、当然の如く機関銃の弾をばらまく。すると、やってきたパトカーのエンジンがボンッと爆発し、ボンネットが高々と吹き飛んだ。それを合図に、飛び出してきた警官たちが、一斉に強盗たちに射撃を御見舞する。まるでハリウッド映画みたいな光景を前に、甲斐は唖然とする他なかった。
すべてのガラスが割れ落ちたショーウィンドウの向こう側には、ついさっきまで自分が寝起きしていたボロアパートがあって、黒人の子供たちがぽかんとした顔で銃撃戦を見ていた。流れ弾が彼らの足元で弾けるたびにヒヤヒヤしたが、誰も子供たちに注意を払う者はいなかった。
甲斐は商品棚の下から這い出ると、そのままレジの方へと這いつくばっていった。カウンターの中に入ると、さっき撃たれた店員が額から血を流して倒れていたが、助ける余裕なんてなかった。もちろん、外の子供たちのこともだ。
どうして自分だけ助かったのかは分からなかったが、せっかく拾った命だ。大事にしないわけにはいくまい。彼は泣きそうになりながら店員の死体から目を逸らすと、バックヤードに転がり込んだ。
カウンターの奥は従業員の休憩スペースになっていて、監視カメラのモニターと電話機が置かれていた。警察に電話しようかとも思ったが、既に外で銃撃戦をやってる真っ最中だ。そんなことより、さっさと逃げた方がいいだろう。
モニターで外の様子を窺いながら、隙を見つけて冷蔵庫の裏へと駆け込んだ。積み上げられたダンボールの隙間を縫って進むと裏口があって、外に出ると狭い路地裏につながっていた。
背後では相変わらずドンパチの音が鳴り響いていたが、ここまで流れ弾が飛んでくることはないだろう。甲斐はようやく安堵すると、とにかく一刻も早くここから離れたくて、一目散に駆け出した。
曲がりくねった路地を抜けると、打って変わって開けた空間が広がっていた。
そこには片道3車線の幹線道路が左右に一直線に伸びていて、中央分離帯の上には高速道路の高架が見えた。辺りにはショーウィンドウや飲食店の看板があり、どうやらそれなりの規模の繁華街が広がっているらしい。そこは結構な都会らしく、下道を進む車列は途切れることはなかったが、昼間だからか歩行者は疎らであった。
手近に店が何件かあったから、そこで助けを求めようかとも思ったが、たまたま通りかかった人にまずは声を掛けた。
「すみません! 助けてください!」
「ごめん、急いでるから」
しかし通行人は必死の形相の甲斐を見ても顔色一つ変えることなく、にべもなく通り過ぎていってしまった。いや、話くらい聞けよ……と憮然としたが、引き留めようと伸ばした手は空を切った。
通行人は甲斐を無視して通り過ぎるなり、突然、ビュンビュン車が行き交う幹線道路のど真ん中へと歩み出て、そこへやってきた車の前に立ちふさがった。車は結構なスピードを出していたが、キキキーッ! っと盛大なブレーキ音を響かせて辛うじて男の前で止まると、
「馬鹿野郎! 死にてえのか!!」
と、中から顔を真っ赤にしたドライバーが飛び出してきた。今にも殴りかからんばかりである。当たり前である。
ところが、その時、おかしなことが起きた。あろうことか、飛び出していった通行人の方が、ドライバーの顔面めがけて思いっきりストレートをお見舞いしたのである。
通行人が、ドライバーをである。
完全な不意打ちを食らったドライバーが、鼻血を吹いて仰向けに倒れる。そして通行人は、呆然と佇んでいる甲斐の目の前で、たった今ドライバーが飛び出てきた車に乗り込むと、何事もなかったかのようにそれを奪い去っていった。
甲斐はたっぷり1分くらい、息を止めてその車の行く先を追っていたが……
「だ、大丈夫ですかっ!?」
ハッと我に返った彼は、慌ててドライバーの下へと駆け寄った。
道路のど真ん中に倒れていた彼のことを、迷惑そうにクラクションを鳴らしながら、何台もの車が避けて通り過ぎていく。あんなことがあったと言うのに、誰一人として止まって助けようとはしない。
どうなってるんだ? と、困惑しつつ、ドライバーを抱き起こそうとすると、
「あーくそ……」
するとドライバーは、苛立たしそうに甲斐の手を振りほどいて自力で起き上がり、これまた何事もなかったかのように、さっさと歩いていってしまった。
遠ざかる背中は、思ったよりも元気そうである。奪われた車のことも、殴られたことも、殆ど気にしてる素振りが見えない。
確かに、これなら救助もへったくれも無いが……いくらなんでもその態度は不自然すぎないか? ここはせめて、警察に電話するなり、周囲に助けを求めたりする場面じゃないのか?
取り残された甲斐がその後ろ姿を見送っていると、これまた突然、遠くの方からパトカーのサイレンが聞こえてきて、回転灯がこっちの方へ向かってくるのが見えた。コンビニの時もそうだったが、誰も通報した気配もないのに、どこから現れるんだろうか? 甲斐が不審がっていると、その不自然なパトカーは、更に不自然な行動をし始めた。
幹線道路には車が溢れていたが、渋滞しているわけでもないのに、何故か緊急車両に道を譲る車がいなかった。そのせいで速度が出せないパトカーは、何を思ったのか、いきなり歩道に乗り上げて、当たり前のように加速し始めた。通行人たちが、まるで手慣れているかのように飛び退いていく。
その信じられない光景に甲斐がまごついていると、パトカーは彼の目の前をギュンと通過していって、さっきのドライバーの背中に思いっきり追突した。瞬間、ドライバーは木の葉のように空中に舞い上がり、クルクル回りながら遠くまで吹き飛んでいった。まるで、ラグドール物理学みたいに……
一体、何の冗談だ?
突然の凶行に思考が追いつかず、ぼーっとしてるとクラクションが鳴って、そっちを見れば甲斐の背後に渋滞が出来ていた。さっき、ドライバーを助け起こそうとして道路に侵入して、そのままだった。彼はとりあえずペコリとお辞儀をしてから、小走りに歩道に上がった。まもなく車列はゆっくり流れていった。
遠くの方で、タクシードライバーと乗客がストリートファイトしている姿が見えた。通りを渡った向かい側にある銀行から、覆面の男たちが忙しなさそうに飛び出してきた。上空を編隊を組んで飛び去っていったヘリコプターの足に見えるのは、あれは機関銃ではなかろうか? なんだこれは? どうなってるんだ、この街の治安は……
甲斐はこの期に及んで、ようやくそれに思い至った。
「……もしかして、これって……ゲームじゃね?」
この世には、現実の街を模した3Dオープンワールドの中で、思いっきり犯罪を楽しむというテレビゲームが存在する。そして207X年現在、コンピュータが描き出す世界は、本物と見間違えるくらいリアルである。
更には、最新のVR機器を使えば、視覚だけではなく、五感をフルに仮想世界に繋ぐことも可能だった。もちろん、甲斐はそんな高級機械を所有出来るようなセレブではないから、最初からその可能性を度外視していたが……
さっきから次々と起こる異常な出来事を鑑みて、自分はバーチャルな世界に五感ごと没入している可能性が高い。なんでかは知らないが。
となれば、やることは一つである。彼はゴクリとつばを飲み込むと、
「ステータス!」
果たして、彼がそう叫ぶや否や、眼の前の風景が暗転し、ありがちなコンピュータゲームのステータス画面が暗闇の中に浮かび上がるのだった。