17.教授とミセスクリスティ
チョキ…チョキ…
静寂な部屋の中で、テンポよくこすれ合う刃の音が心地よい。陽の光が差す温かな窓辺でのんびりとくつろぎながら、私は教授が採集してきた素材の仕分け作業をしている様子を眺める。寸分の狂いなくきっちりと根と葉を切り分けられた素材が積みあがっていく様子は、見ていて飽きなかった。
しばらくして、ハサミの音が段々と子守歌に聞こえてきた私はやってきた微睡に身を任せ、夢の世界に飛びだとうとしたのだが、突然部屋に響いた扉の大きな開閉音にその微睡は一瞬にして消された。
「入りますよ、ミスターブリートン」
相変わらずの派手なドレスを身にまといながら部屋に入ってきたのは、私の面倒をよく見てくれるミセスクリスティだった。
「その言葉は扉を開ける前に言えと教わりませんでしたかな、ミセスクリスティ」
「いいじゃない、そんな細かいこと気にしなくても」
ミセスクリスティは教授の言葉の気に留めることもなく、私の元へと近づいてくる。そして、私の目の前にやってくると満面の笑みで手を振りながら言った。
「はぁい、フィスちゃん、元気だったぁ?今日も最高に愛らしいわね。流石私のフィスちゃん!もう、食べちゃいたいくらい可愛らしいわぁ」
わしゃわしゃと物凄い勢いでそう撫でてくるミセスクリスティを、私はされるがままで受け入れる。いささか愛情表現が激しすぎる部分はあるが、こうやって無条件に愛でてもらえる経験は中々悪くない。人間だったころでは絶対に味わえないものだ。
相変わらず賑やかなミセスクリスティに、教授はうっとおしそうな視線を送った。しかし、こうなったミセスクリスティを追い出すことができないのは教授も分かり切っているようだ。諦めたようにため息をつくと、止めていた作業の手を再開する。
「そのフィスは貴方のフィスではありませんぞ、ミセスクリスティ。目が悪いのなら早々にドクタードナルドに診てもらうことをお勧めします」
呆れたような教授の言葉に、ミセスクリスティは不服そうに唇を尖らせる。
「本当にケチな人ね、ミスターブリートンは。私だってフィスちゃんの面倒を見ているのだし、少しくらい分けてくれてもいいじゃない」
「それはケーキのように分けられるものではないでしょう。大体、貴方には既にご自分で飼育されているフィスがいるのでは?」
教授の言葉にミセスクリスティはそれはそうだけど…と口をくぐもらせる。そんな彼女を横目に見た教授は、肩を竦めながら「フィスは浮気を嫌いますぞ」と言った。その発言に「分かってるわよ!」と噛みつくように返したミセスクリスティだが、直ぐに肩を落とすと悲しそうに呟く。
「だって、あの子全然私に懐いてくれないんだもの。ご飯を食べている時だけは近づいてくれるのだけど、それ以外は直ぐに外に出て行っちゃうし。せめてご飯の時くらいと思って触ろうとすると引っ掻かれるのよ」
私に懐いてくれるフィスはこの子しかいないわ…そう言ってミセスクリスティは私をぎゅうっと抱きしめた。その瞬間、ミセスクリスティのつける香水の匂いがツンと鼻を刺激したが、人間だったころはもっとひどい人がいたからなと思い、ぐっと堪える。
ふと、教授が作業の手を止めてこちらを振り向いた。そして、こめかみに手をやりながらミセスクリスティに諭すように言った。
「今の貴方を受け入れているそのフィスが異常なのです、ミセスクリスティ。一般的なフィスからすれば今の貴方は最悪の塊ですぞ」
「それは一体どういうこと?ミスターブリートン」
ムッとしたようにそう聞き返すミセスクリスティをスルーして、教授は私の方に視線を向ける。そして私を手で招いた。
「フィス、こちらに」
「にゃあ?」
なぜ呼ばれたのかは分からないが、そろそろ鼻が限界に近づいていた私はさっさとミセスクリスティの手の中から抜け出すと、教授の元に駆けよった。教授は私に向かって両手を握った状態で前に差し出すとこう言った。
「どちらかの手に煮干しが入っている。当ててみろ」
あれだ。人間がよく子供やペットにやるお宝どっちゲームだ。一時期、普段は私に構うことをしない教授が、やけにこのゲームを仕掛けてきたときがあった。手だけなく、部屋単位で餌を隠した袋を探し出させることもあって、気分は警察犬だったが、おかげで私の匂いを嗅ぎ分ける技術は格段に上がった。
私は教授のそれぞれの手の匂いを嗅ぐと、煮干しの匂いがする手に向かってテシっと自分の前足を置いた。教授は正解だと言いながら両手を広げる。私は広げられた手から煮干しを攫うと、むしゃむしゃと食した。
「すごいわね。一発で分かったわ」
一連の光景を見守っていたミセスクリスティは、手を叩きながらそう喜んだ。しかし、教授はそれを気にすることもなく淡々と言葉を続ける。
「フィスは人間には嗅ぎ取れない匂いも嗅ぎ取ることができるのです。ゆえに匂いがきついものを嫌う傾向があります」
「匂い…?」
「貴方のその香水の匂いですよ、ミセスクリスティ。正直私も好きではありませんがね。フィスからすればその苦痛は計り知れないですな」
確かにミセスクリスティの香水の匂いはキツイ。猫になって人間の頃より細かく匂いを感じとれるようになった私は、ミセスクリスティの飼い猫の気持ちが少し分かるような気がした。少しの間なら我慢できなくもないが、一日ずっと隣にいるのは辛いだろう。
「…でも、この子は嫌がらないわ」
ミセスクリスティの言葉に教授は呆れたようにため息をついた。
「それは他のフィスに比べて嗅覚が鈍いんです。でなければこんな薬草だらけの部屋に居られるわけがないでしょう。普通のフィスならこの部屋に近づきすらしません。ここにあるのはフィスにとって外的となる動植物の一部ですからな」
そう言う教授の言葉に、ミセスクリスティは納得したように頷いた。しかし、自慢の嗅覚を貶された私としてはその言葉に納得できるわけもなく、尻尾を床に打ち付けて不満の意を示す。だが、教授にそれが伝わることはなかった。
「そうだったのね。でも、毎日香水をつけているわけではないわよ。つけていなくても嫌われるのはなぜ?」
首を傾げるミセスクリスティに教授は瞳を閉じたまま言う。
「それは貴方の声が大きすぎるからです、ミセスクリスティ。フィスの聴覚は人間の5倍。そのような大声で近づかれれば誰だって逃るものです」
私だって今すぐ耳をふさぎたいくらいだと溢された教授の小さな呟きは、きっと私以外に聞かれていない。
「でも、この子は」
再びのミセスクリスティの疑問に教授は静かに首を横に振った。
「ですからそれは例外です。一般的に高い声を好むとされているフィスが、低音の私を好むわけがないでしょう。それにも関わらず、そのフィスは私の声を嫌がるどころか子守歌にすらする。普通のフィスとしての本能が欠如しているだけです」
「そうなの?フィスちゃん」
またもや自慢の能力を教授に貶され私の不満は頂点に達する。タシンッタシンッと床を打つ尻尾の動きが早くなった。
確かに、教授の声は大好きですけど。言葉とか教えてもらっている時に、いい声で朗読されてうっかり眠ってしまったことは何度もありますけど。別に低音の男性を好む猫だって居ますよ、普通に!人を劣等生物扱いしないでいただきたい…!
不服そうな私をよそにミセスクリスティは色々と合点がいったのか、満足したように頷いた。そして、今度改善してみるわと意気込んだ。
「…それにしても、ミスターブリートン。貴方、あんなにフィスに興味がなかったのにいつの間にか私よりも詳しくなっているのね。驚きだわ」
「気になったものはとことん突き詰める主義ですので」
いつのまにか作業を再開し背中を向けている教授に、ミセスクリスティは感心したようにそう言った。教授は何とでもないようにそう言葉を返すと淡々と作業を続ける。
「そうよね。だからうちの人も貴方を気に入って、ここへスカウトしたわけだし」
ミセスクリスティの言葉に、私はピクリと耳を動かすと顔を上げる。
教授ってスカウトされてこの学校に来たのか。どれにしてもうちの人って誰だろう。言い方的にミセスクリスティの旦那さんのことかな。ミセスってことは結婚しているってことだもんね。そう言えば私、ミセスクリスティの旦那さんが誰なのか知らないや。
もっと話を聞きたいと身を乗り出したところで、教授は話題を変えるように話を遮った。
「もうこの話はいいでしょう。私も暇ではないのです。それで、一体こちらに何の用ですかな?」
教授の言葉に本題を思い出したらしいミセスクリスティは目をはっと輝かせると、教授の前に置かれた椅子に移動し座った。
「そうよ、聞いてくださいな、ミスターブリートン!私、とっても良い保湿クリームを手に入れたのよ!」
そう言うとミセスクリスティは持っていた鞄から小さな丸い容器を取り出し、教授の目の前に置いた。机の上に置かれたそれを教授は静かに眺める。ミセスクリスティはそれを、教授が興味を示したと思ったのか鼻高らかに説明した。
「貴方もきっと驚くわ。これ、一瞬であかぎれが治る保湿クリームなのよ!しかも、塗った部分が白くなって美肌効果もあるの!おかげで私の手はこんなに綺麗に!最近は顔にも塗っているのだけど、おかげで肌の調子も良くてね」
「ミセスクリスティ、それは一体どこで入手を?」
意気揚々と説明するミセスクリスティの話を遮るようにして、教授はそう尋ねる。ミセスクリスティはやっぱり貴方も気になるのねと嬉しそうにしながら、その出所について語った。
「うちの生徒から譲ってもらったのよ。うちの生徒の間で流行っているんですって。うちは学科柄、水を使うことが多いから肌荒れで悩む子が多くてね。これのかげで悩みが解消されたそうよ。今ではみんな使っているんですって」
教授は何かを確かめるように、机に置かれた容器を手に取ると中身を確認する。そして、少し逡巡した後、真剣な声色でミセスクリスティに言った。
「ミセスクリスティ。今すぐそれの使用を辞めるべきです。それは正しく使えば強力な薬だが、間違えて使えば強力な毒になりますぞ」
「なんですって!」
教授のただならぬ発言にミセスクリスティは青ざめた表情で声を上げる。教授はそれにうろたえることもなく淡々と説明を続けた。
「広範囲に長期間使い続ければ皮膚は赤く爛れ、血管が浮き上がってくる代物です。しばらく放置しておけば治るが、薬が使えないので完治するまでとてつもない苦痛を味わうでしょうな」
教授の説明を聞いて私はきっとこれはステロイド剤のようなものなのだろうと理解した。前世で皮膚科にかかった時にステロイド剤を渡されてそんな説明を受けた気がする。だから絶対に長期間、広範囲に服用しないでくださいとそう言われた記憶がある。
「大変だわ!なんでそんなものが出回っているの!?」
ミセスクリスティの言葉に教授は眉を潜めながら憶測を語った。
「何者かが不当に売りさばいているのでしょうな。これ以上被害が広がる前に辞めさせなければ…。ミセスクリスティ、今すぐ生徒にその薬を使うのを辞めさせるべきです。それから、その薬の出所を生徒から聞き出すのです」
「でも、こんなに効くのに…」
もったいないとそう呟やくミセスクリスティに、教授は声を低くして言った。
「その顔をさらに悪化させたいのですかな?さらに醜くなりたいというのなら構いませんが、どうなっても知りませんぞ」
「…貴方ね!言っていいことと悪いことが…なによ、それ」
教授の言葉にムッとしたように噛みつくミセスクリスティだったが、教授が棚から大量の小瓶が入った籠を取り出し彼女に渡すと、ミセスクリスティは不思議そうに渡されたものを見つめた。
「肌荒れに効く油です。即効性は劣りますがな。その程度であれば、これで十分に綺麗に治るでしょう」
その瞬間、ミセスクリスティの顔はパッと輝いた。
「流石はミスターブリートンね!分かったわ!今すぐ生徒たちにこのクリームの使用を辞めさせる。そしてこっちの油を広めるわ!薬の出所も調べてくる!」
パタパタと部屋を出て行くミセスクリスティを視線で確認すると、教授は作業をしていた机を片付け始めた。その表情は今までに見たことがないくらいに険しく、憤っている。
「…これで在庫がなくなった原因は分かったな。…しかし、何かが引っかかる。どうにも嫌な予感が抜けん」
「ブリートン先生!」
その時、バタンッという扉の音と共に一人の生徒が部屋に駆け込んできた。教授の名を呼ぶその声には切羽詰るものを感じる。
「何事だ」
全力で駆けてきたのか生徒は息を切らしながら言った。
「庭に!魔法植物が!蛇食朝顔が大量に発生して暴れまわっています!」
「…なんと面倒な」
生徒の報告に教授は眉間にしわを寄せた。さっと外出用のローブを羽織ると、生徒に向かって教授は言う。
「案内したまえ」
「はい!」
こうして私たちは事件現場である校庭へと駆け出したのであった。




