11.教授と生徒
「きゃぁああ!」
実験室にたどり着くとそこには悲惨な光景が広がっていた。部屋中に緑色の液体が飛び散り、もくもくと煙が立ち込めている。薬草特有の鼻をつく匂いが部屋中に充満していた。人間よりも嗅覚が鋭い私には正直ちょっときつい。
教授は杖を取り出し、小声で何かを唱えると部屋を一瞬で綺麗にした。浄化魔法だ。広範囲での使用はこう見えても結構高度な技術なんだとか。前にミセスクリスティがそう教えてくれた。
教授の登場に部屋で悲鳴を上げていた生徒たちは安堵の表情を浮かべた。部屋の隅で静かに教授の動向を窺っている。教授は周囲にいる生徒を目にとめることもなく、一つだけ不気味な形に変形した鍋の近くにいる生徒の元に向かった。その足取りは早く、足音から若干の苛立ちが感じられる。
「ミスターフレッチャー、君はまた私の忠告を忘れイリアンの根っこを取らずに入れたな?」
「ひぃっ!…も、申し訳ありません!」
がばっと頭を床につけ物凄い勢いでブリートン教授に謝る男子生徒。ブリートン教授はそんな彼を呆れたように見て、こめかみを抑えている。
「ミスターフレッチャー」と呼ばれる彼は、ブリートン教授のゼミに所属する4年生だ。そして、このボヤ騒ぎにおける常連である。大抵、実験室で事故が起きるのはこの生徒が原因だった。
魔動植物の調合は結構繊細なのだ。入れる順番や部位を間違えるだけでも、爆発が起きることがよくある。故に、結構慎重さとセンスが求められる分野なのだ。
しかし、このフレッチャーという生徒。非常におっちょこちょいで不器用である。正直、魔動植物精製薬学には向いていない人物である。だが、やる気だけは十分でこれまでも色々と問題を起こしてはいたが、教授は彼の熱意に免じて寛大な処置を取っていた。本来なら、ゼミに所属できるかどうかも怪しいところだったようだが、彼の人柄もあり、なんとか教授のゼミに所属できたのだそうだ。
「…こうも毎回、ボヤ騒ぎを起こされては周囲の生徒の実験が進まん。…君はしばらく実験を行うのは禁止だ。もう、部屋に戻りなさい」
教授はしゅんとうなだれるフレッチャーに容赦なくそう言い放った。今は4年生たちにとって卒業論文を書くための大切な時期。多くの生徒が実験を行うために実験室に通い詰めているのだ。他の生徒のことを考えると教授の措置は仕方がないように思えた。
「待ってください!」
フレッチャーは立ち去ろうとする教授を引き留めた。教授は眉をひそめながらも、フレッチャーへと視線を戻す。
「お願いです!僕、どうしても魔動植物精製薬学の修学単位が必要なんです!だから、実験は続けさせてください!」
おねがいしますと深く頭を下げるフレッチャー。教授は難しい顔でその様子を眺めていた。そして、ため息をつきながら一言。
「ここでは他の生徒の邪魔だ。私の部屋に来なさい」
※※※
「僕、どうしても製薬師にならなきゃいけないんです。母が病気で、でも家は貧乏で。僕の学費を払うのでやっとなんです。僕は母の治療を優先したいんですけど、母はそれを許してくれなくて。だから僕が母を助けなきゃいけないんです。製薬師になって、母の病気を治さなきゃいけないんです」
そう語るフレッチャーを教授は黙って見つめている。私は彼もずいぶん苦労しているんだなぁと思いながらその話を聞いていた。薬師になるには、魔動植物精製学のゼミに入り論文を書くことで修学単位を貰う必要がある。これがないと製薬師になる試験を受ける資格がもらえないのだ。
論文を書くには実験は必須だ。実験がさせてもらえないということは論文もかけないということ。つまりは修学単位も手に入らないということなのだ。彼にとってかなりの死活問題なのだろう。
だがしかし、相手はブリートン教授。こういう時は容赦がない。
「お前には無理だ。辞めておけ」
容赦ない教授の物言いに傷ついたのかフレッチャーの顔は更にこわばる。そして、ついに感情が爆発したのか、叫ぶように言った。
「…やってみなきゃわからないじゃないか!確かに僕は貴方みたいな才能はない!でも、製薬師になりたいという熱意は誰にも負けない!」
「…熱意だけではどうにもならんのがこの世界だ。お前には根本的な薬学的センスが欠けている。どんなに努力したところでお前に母は直せない」
「でもっ!」
白熱したフレッチャーに教授はこめかみを抑えながら言った。
「…はぁ、人の話は最後まで聞け。確かにお前は薬学的才能はない。だが、人の心を動かす才能はある。それはお前にあって私にはない才能だ」
「…え?」
教授の言葉にフレッチャーは怒りを忘れたように固まった。教授はそれを気に留めることもなく、淡々と言葉を続ける。
「私はお前ほど不器用な人間は見たことがない。正直、その不器用さに苛立たされることもある。しかし、そんなお前を周囲は追い出そうとしたか?ないだろう?誰もお前を邪険にしようとは思わない。それは私も同じだ。何もずっと実験をさせないとは言っていないだろう。お前には私が同行できる時に実験をさせようと思っただけだ。生憎、私は論文の提出締め切りが近く今は時間が取れないのだ。だから、私に余裕ができてからお前にやらせようと思っただけだ」
割と貶し要素の方が強いけど、話を聞く限り教授はフレッチャーのことをちゃんと認めているようだ。でなきゃ、とっくにゼミから追い出しているし、忙しいのにわざわざ実験に同行しようなんて言わないだろう。彼は気に入らない人間は簡単に切り捨てるタイプの人間だ。
「人にはな、それぞれ適正というのがあるのだ。それは生まれながらに持つものであり、それを変えることは難しい。どんなにあがいても、適性を持つ人が努力をすればそれには敵わない。そこに生まれる差は永遠に埋まらない。それがこの世の理だ」
フレッチャーは静かに教授の話を聞いている。悔しさで彼の表情は歪んでいた。
「お前にできることはただ一つ、私に請うことだ。母を治してほしいと、私に母を治してもらえるように私の心を動かすことだ」
「…え?」
これには私も驚いた。まさか教授が人を助けるなんて言うと思わなかったからだ。フレッチャーもそれは同じのようで、豆鉄砲をくらったような顔で教授を見つめている。しかし、すぐに我に返ったのかがばりと頭を下げると、教授に向かって言った。
「お願いします!俺の母を助けてください!…お金はだせないけど、それ以外のことならなんでもしますから!」
すると、教授は何も言わずに扉の方へと歩き出した。フレッチャーは何が何だかわからないという顔でその様子を見ている。そんな彼を振り返って教授は言った。
「何をぼさっとしている。さっさと案内しろ。母を助けたいのだろう」
「は、はい!」
こうして、私と教授はフレッチャーに先導されて彼の母親の元へと向かうのだった。




