MEMORY・34 直人の証言
どこかの病室。画面の横に白衣の手。
多分真一のものだろう。そしてキキの目の前に人が一人。
画面の中心にいるのは荷物まとめて部屋から退出しかけていた井筒直人。
生気を失って目が虚ろ。まさに生ける屍といった感じ。
「何? 直人に何を聞くのよ?」
わたしの問いに真一は答えない。話は画面を見てからということらしい。
わたしは仕方なく画面に意識を向ける。
『井筒君、退院おめでとう』
『うるせぇよ。なんだってテメェの病院に入院しなきゃなんねぇんだか……言っとくけどな、俺は別に怪我らしい怪我はしてねぇんだよ』
『そうですね。あなたはぶつかる瞬間自分だけ逃げたのですから』
……え? 直人が、逃げた?
画像の中の直人が驚いた表情になる。
『俺が逃げた? どういうことだよ?』
『あなたの車種に対応するバイクのタイヤ痕が、道路に付いてなかったのです』
『あ? タイヤ痕?』
『急ブレーキをかけたときに道路に付いてしまうタイヤが地面に擦られた跡です。これでタイヤの形状を調べることができます。つまり、あなたはブレーキをかけなかった』
『そ、そりゃぁかける暇なんて……』
『さらにおかしいのはあなたの傷です。絵麗奈さんの傷に比べ軽傷すぎる』
『う、運が良かったんだよ』
なぜか挙動が怪しくなる直人。え? 本当に……逃げたの?
『第一発見者の話によればあなたはバイクのすぐ近くに倒れていたそうですね』
『あ、ああ……』
『これも不可思議な点です。後ろに座っていた絵麗奈さんはかなりの距離を吹き飛ばされて転がっています。なのにあなたは一度も転がりもバウンドもせずにバイクのすぐ横に倒れていた』
直人の視線が慌しく泳ぎ始める。
『私からもいいですか?』
真一の横合いからキキが声をだす。
『姉さんの転がった角度から衝突角を逆算してみました。これによると相手方のトラックの左フロントがあなたと姉さんの丁度真ん中辺りに当たったことになる。横合いに当たるなんて真っ直ぐ恥じるバイクには不自然、対向車に当たるなら正面からなのに。でも側面、つまり、バイクは回避するために横向きになっていた。そして直撃していたならあなたの足がトラックとバイクに挟まれる位置です』
『ですから井筒君が右足を失っていないということが不自然を露にしています』
顔面蒼白の直人。真一は彼を追い詰めてどうするんだろうか?
『だ、だから、なんだって言うんだよッ!』
『ブレーキをかけず、飛び上がった。それも自分一人。あなた自身が助かるために絵麗奈さんをバイクごと蹴りつけて、その反動で自分だけ無事に逃げだした。あとは車の来ない位置で自分もぶつかったように倒れて微動だにしなければ見つけた誰かが救急車を呼んでくれる』
『とっさの判断、見事です。こういったとっさの身代わりは罪にはなりえない。転覆した船から逃げる時に満員の救命ボートに手をかけた人を助けず突き放して見殺しにするのと同じ』
キキの言葉に直人は崩れるようにへたり込んだ。
『ち、違うんだっ!! 俺は別に……絵麗奈を見捨てたわけじゃっ!! とっさだった。本当にとっさに、まだ死ねないって……このバイクに乗っていたら死んじまうってだからっ、だから……なんで、そ、そこまで鮮明に分かるんだよ』
『機械は常に正確無情です。イエスかノーか。真実か嘘か。確かに、結果から過程を導き出すことは不可能ですが、事実から起こり得ることは幾通りでも観測できる。私が導き出した起こりえた事象から現実には不可能な事象と人間の感情から予測できない事象、とっさにできるとは思えない複雑な動作を伴う事象などを引いていけば答えは自ずと浮かび上がります』
『チクショウ……なんか凄いこといってるけど意味わかんねぇよ』
やた、理解できないのわたしだけじゃなかった。
『ようするにあなたが無傷だということからあなたが怪我を回避して逃げたということを証明することは不可能ですが、あなたが無傷だという事実とトラックとバイクの衝突角、あなた自身の生きたいという想いから取った行動を予測することはできる。そう言いたいのです、彼女は』
『そ、それで? 俺をどうすんだよ? 絵麗奈の墓前に首でも据えるか? かまやしねぇぜ。探偵頼んでせめて犯人をとも思ったけどよ。あの光景が忘れられないんだよ。とっさとはいえあいつを……見捨てちまった時のあいつの顔がっ、まだ目の前に張り付いて……俺……何てことしたんだッ! 俺は……』
『先ほども言いましたが、井筒君に罪はありません。あくまでもトラックの操者にあるべき罪ですから。それに、絵麗奈さんは生きてます。墓なんてありませんよ』
『は? 生き……てる? 生きてる!? 絵麗奈が生きてるのかッ!?』
顔に精気を取り戻していく直人。顔も次第に綻んでいく。
『ええ、自分を轢いた相手を捕まえると今日も探しにでかけました』
『そ、そうなのか!? よかった……生きてる……はは、良かった。良かったッ!』
荷物を放り投げて喜ぶ直人。キキの目線が真一に移る。
真一は眼鏡を輝かせ、不敵に笑っていた。
『元気になったところで本題に入らしてもらってよろしいですか?』
『ああ、本題な……本題?』
『ええ。絵麗奈さんへの心の重石もなくなったようですし、ちょっとした質問なのでリラックスついでにお答えいただければ』
なんか、嫌な予感しかしないんだけど?
直人に視線を戻すキキ。一歩前にでた真一。光る眼鏡がスクリーンに少しだけ映る。
『なんだよ? 辛いことじゃなければ聞くけどよ』
『バイクというのはブレーキが切れていても気づかないものなのでしょうか?』
『……は?』
唐突な質問……にしては突拍子もなくどうでもいい質問だった。
予想していた安心した所をさらに追い詰め心を壊すようなことはしないらしい。
『いえ、バイクには乗ったことがありませんので、よく乗っていらっしゃる井筒君の意見を参考にしようかと。ですが私が普通に聞いても勝手に考えろッと、にべもなくあしらわれる可能性もありましたので、先程の話題から入らせていただきました』
『まぁ、いいけどよ。えーっと、ブレーキが切れてるかどうかってのはすぐにわかんじゃねぇ? 止まろうと思ったら効かねぇわけだし』
『ああ、いえ、そうではなくて。そうですね、例としては友達と学校から暗灯峠までの道のりを走り、峠越えをして第二の直角辺りで気が付く……ということになれば? もちろん初めからブレーキは壊れています』
『無理だろ、絶対』
直人の答えは即答だった。
『なぜです? ブレーキをかけたのはその第二カーブのときだけだったとしてもですか?』
『その時点で前提が間違ってんだよ城内。言っとくけどな、学校から峠までいくら信号があると思ってんだ? 全部信号無視か? しかもアレだぜ? 峠越えっていや頂上で一端止まって降りを見下ろす。それが走り屋の暗黙ルールなんだ。いや、まぁあそこから一端自分が降る峠を見据えて、こいつを降りきるって自分に励ましを与えるんだけどよ、ダチがいるならなおさら必ずそこで誓い合う。あそこは事故が多いから余計に誓い合うんだ。共に無事に走り抜けようってな』
そこで、スクリーン映像が途切れた。




