新学期の小悪魔
入学式当日に授業は行われない。が、和ノ平高校は部活が命。授業が無くとも部活はあるのだ。
「で、あいたちは無事二年生になったわけだけど…。」
「やることは変わらんな。」
昨日の午前中は始業式で、午後には今日のための準備が行われた。
文句を垂れながらも二人揃って式に参加した後、そそくさと部室へ帰ろうとしていたところを万里香に捕まり、午後もこき使われたのだ。
というわけで本日は、もう何回目になるか分からない、『チキチキ!顧問への大愚痴大会!』が開催される。
「今日の題目は、『なぜ万里香先生が押し付け…もとい、任された仕事をあいたちも手伝わねばならないのか。』だけど、ファジーくん。」
「俺の存在はそんなに曖昧か?……まあマリセン含め、新任とか、あまり部が忙しくないとか、どうしてもそういう先生に白羽の矢が立つのは分かる。」
「ふむふむ。」
「それに対してマリセンが、仕方ないと思いながらも、毎度押し付けられていることにそこそこキレてるのもまあ分かる。」
「そうだね。」
「でも、どうして俺たちまで手伝わねばならんのだ!」
「そう!そうなのだよフォギーくん!」
「俺の存在が霧のように曖昧だって?」
どこからともなく取り出した古の宴会道具『鼻眼鏡』を装着し、これまたどこから持ってきたのか、伸びるタイプの指さし棒をビシっとボギーへ突きつける閣下。
「問題はそこだ。万里香先生は何かにつけてすーぐ『これも立派な創作活動だー』とか言って、無理やりあいたちに手伝わせる。」
「…その通りだな。」
「しかも、大体力仕事か長時間の仕事。」
「確かに。」
「だからと言って雑用も結構押し付けてくる。」
「よく知ってる。」
ついさっきもここに来て、『入学式の片付けだけはなんとか免れたぞー!あ、私コーヒーな。ホット。』と、ごく自然にボギーをパシらせたりしていた。挙句、ボギーが帰って来たときには、万里香の姿はどこにもなかったのだ。
コーヒーはアイス派なボギーは、まだ冷めないそれにちみちみと口を付けながら、閣下の熱弁にいい感じに相槌を打つ。
「だからこそ、ついにあいは一つのいい案を思いついたのだ!」
「ほほう、それは?」
「…なんだと思うぅぅう?」
『あ、あいは冷たい紅茶!今日はアップルティーの気分。』と、万里香のコーヒーのついでにパシらせて手に入れた、紙パックのアップルティーをちゅこーっとすすりながら、ボギーにねっとり問いかける閣下。
「そうだな。例えば、マリセンに対して俺たちが暇で無い事をアピールする、とかか?」
「………ちっ…。じゃあ、具体的には?」
「そりゃあ、部の名前に恥じないよう、何かを制作するとか…」
「はーつまんなっ!!おまえつまんなすぎ!!そこは分からないよぉーって言えよ!」
「分からないよぉー」
「きもっ!!」
これはもう喧嘩だろ、と拳を握りしめたボギー。その気配を察知し、閣下も臨戦態勢を取る。
具体的には、指さし棒を竹やりの如く構え、シッシッ!と突く動作を繰り返している。しかし今の閣下の顔には鼻眼鏡がばっちり装着されており、そのあまりに調子っぱずれな装いと動きに、思わずボギーは笑ってしまう。
「何が面白い!?」
「いや…お前の動きが…ぷっ…くく…。」
「…ハッ。まさかおまえ、この棒を前後に、こう、しこし」
「断じて違うそういうのじゃない。…鏡の前で同じことしてみろって。やばいぞ今のお前。」
「失礼だなぁ、そんなこと…」
部屋の隅にずっと置かれている年代物の姿見の前に立った瞬間、動く前から吹き出す閣下。どうやら鼻眼鏡のことを失念していたらしい。
「くふっ…ひーー、お腹痛い。んくくっ……ねぇこれ、ボギーも付けてみてよ。」
「お前の笑いのツボはよく分からんな。」
閣下から受け取り、振り向いてから装着。
目の横でピースしながら、腰を捻ってバッと振り向き…
パシャァ。
目が合ったのは閣下ではなく、閣下の構えていたスマホのカメラレンズ。
「ぶっ…!ぶふっふふ……これやばすぎ最高……ぶはっ…おばさまに送るのはマストとして、あとは友人と師匠ちゃんにも……」
「おいおい、本気で喧嘩ですよこれは…!」
その後、ボギーの必死の抗戦は実を結ぶことなく、回り回ってボギー父から送られてきた『いい写真だね!』というメッセージに、枕を濡らすのだった。
***
翌日、授業開始日の午前七時頃。ボギー宅。
相変わらず寄生している閣下は、慣れた手つきで洗面台に立てられている歯ブラシを手に取り、共用の歯磨き粉をどばっと出して口に突き刺す。ボギー母が毎朝取り替えてくれるふわふわのタオルに洗顔後の顔を乱暴にこすりつけ、しばらく占領したままベースメイクまでを手早く終わらせる。
「エンジェルちゃんおはよう~。」
「おはおうごあいあすぅ~…。」
「あら、元気なさげね。どうしたの?」
「んー…、心なしかのりが悪いんですよね~…。」
「ギーくんの?」
「反射でボケないでください…。化粧ですよ化粧。」
「ああ、そっちの話ね!」
「ボケじゃなかったんですか…!?」
そうこうしている内に時刻は七時半を過ぎ、閣下は部屋へ戻ってメイクの続きをする。
大体同時刻にボギーが起き…、という、完璧なタイミングで洗面台が空くようなルーティンが奇跡的に出来上がっていた。
そして約一時間半が経過し、場面は和ノ平高校へと移る。
始業のチャイムが鳴る午前九時、第二校舎二階の階段横、第三職員室の真下にある教室の中には、ボギーと閣下を含め、二十人の生徒が着席していた。
和ノ平高校では、部活ごとにクラスが分けられる。
たった二人しかいないフリクリ部だが、残りの十八名もそれぞれが少数の部であるため、こうして寄せ集めのようなクラスが誕生したのだ。
具体的な内訳は、
フリクリ部(2)、パソコン部B(5)、天文学部(4)、テーブルゲーム部(8)。
それにプラス一人となっている。
「去年とメンツも教室も変わらんってのは、結構新鮮だな。」
「あ……あいも、…よかった…と、思う……。」
閣下の衆目に対する感情は、たとえ相手が丸一年同じクラスで過ごしてきた者たちであっても、あまり変わらない。何かに怯えるような閣下の様子は、放課後部室に現れる小悪魔のような彼女とは全く別。彼女の生命線は、隣に座るボギーと、ちょうど入室してきた万里香の二人だけ。
「1、2、3………よし、全員いるな。…んんっ。あー、引き続きこのクラスの担任を務める小能見万里香だ。早速だがお前たちには殺し合いを…」
「マリセン、デスゲームはもう古いぞ。」
「誰が古い女だって!?」
「言ってねぇよ過敏過ぎだ!」
まるでコントのような二人のやり取りを見て、物静かな性格の多い教室内に、ほっこりとした笑いが広がった。のっては来ないものの、閣下も楽しそうに笑っている。
「冗談みたいなやつはほっといて…」
「誰が冗談みたいなやつだよ訴えるぞ」
「改めて、お前たちは全員二年生になった。つまり、どういうことかわかるな?」
「ハーイ!」
元気良く手を挙げたのは、テーブルゲーム部に所属する裏門という女子。
「はい裏門。」
「一番楽な学年です!」
「お前だけ一番苦しい学年にしてやろうか?」
「万里香ちゃんはそんなことする人じゃないわ!」
「私の何なんだよお前は…」
「生徒です!」
「座れ。」
「ハーイ!」
授業前から疲れる…と、万里香は頭をかく。
「……あのな、お前らは全員先輩になったんだ。ここの中では、多少今みたいな馬鹿な言動も多めに見よう。…私も嫌いじゃないし。んんっ、…だが部活では、せっかく入部してくれそうな後輩に、そういうかっこ悪いところは見せないようにしろと言いたいんだ、私は。」
万里香の話を聞きながら、最前列窓際席のボギーは、ほとんど花が散ってしまった桜の木をぼーっと見ていた。
このクラスに混ざっているからと言って、上の学年も人数が少ないというわけではない。
…フリクリ部以外の部には、ちゃんと先輩がいて、後輩がいるのだ。
HR終了後、ボギーと閣下、それともう一人を除き、教室内でどんな後輩が来るかという話題でざわめいていた。
部活でクラス分けされる以外には、他の普通高校と大差がない和ノ平高校。その後の授業も放課後までみっちり行われ、午後三時半ごろに生徒は部活動へと解き放たれる。放課後の廊下はいつもより騒々しく、その原因が見学に来ている一年であることは明白だった。
「静かな文化部の多い第二校舎が、まさかこんな人混みになるとは。」
閣下は自分のスクールバッグとボギーの袖を全力で握り、うつむいて顔を隠すように部室へ向かう。こういう人の群れに関して、見知らぬ街の通行人たちの方が、同じ学校の生徒よりよっぽど緊張せずにいられるというのは、なんとなくボギーにも分かる。下校時の街中や商店街では平然と話せる閣下だが、今は小さく震えるような呼吸音しか出せないでいる。
「…今日は珍しく炭酸の気分だ。閣下は相変わらず紅茶か緑茶か?」
そうして同一階最奥にある部室に到着するまで、ボギーはずっと、閣下へ他愛のない言葉を投げかけ続けた。