小悪魔の悪戯
完成したポスターを眺め、ボギーはそれなりにいいものができたんじゃないかと、満足げに鼻息をふんと鳴らす。メインとなる部分は閣下が綺麗に仕上げてくれたため、ボギーは主に部のちょっとした説明を付けくわえただけだが、なぜだか不思議な高揚感があった。
「あとはこれをマリセンに渡しゃ、とりあえず入学式まではいつも通りだらだら出来る~!」
くぅー、と手を組んで背伸びをする。眠り姫はもう嫌な夢は見ていないようで、すぐに起きることも無いようだ。
「こんなとこに居なきゃ、さぞモテまくるだろうになぁ。」
「んぅぅ…ぅよぉけいな…おせわ………ふふっ……。」
「タイミングのいい寝言だことで。」
そんな少女の無垢な寝顔を盗み見るたび、彼女の前では絶対にできない表情を表に出してしまう。
ボギーは心に溜まっていく、矛先の無い鬱憤を吐き出すために、一段と大きなため息をついて、完成したそれを万里香の元へ届けるのだった。
***
「ちっ、なんだこれは私への当てつけか?」
「生徒の作ったもんくらい素直に褒めてくださいよ…。」
「部の名前と部の説明だけなら素直に褒めてたさ。にしてもこれは………ははーんなるほど、体験期間が一か月もあるこの学校で、わざわざお前が部を変えずにここを選んだ理由はやはりこれか。」
「さてなんのことでしょう。」
「…はぁ。……さすがの私でもお前らの噂くらい聞いたことがある。本当にお前はこのままでいいのか?」
「何か勘違いしてますよ。マリセンも、……他の奴らも。」
ボギーの顔を見ないまま、万里香は何かを察してそれ以上の追及をしなかった。
「あっそ。ところでこれ、最後まで閣下と一緒に書いたのか?」
「いえ、あいつはその『自由創作部:通称フリクリ部』だけ書いてさっさと夢の国へ向かいました。」
「一人でか!?」
「どんな超解釈だよ寝たっつったんだよ!?」
「二人でか!?」
「二人で寝てたらこれできてな…………二人でってそういうことかこの頭真っピンク教師が!!」
「なんて誘ったんだ!?」
「黙れこのエロババア!!」
ポスターは確かに渡したからな!と捨て台詞を吐いて職員室を飛び出ていくボギー。割と本気でどうしたらそういう展開へ持っていけるのか知りたかった万里香は、大事な獲物を逃がしたとばかりにうなだれる。
「エロババアはさすがに言いすぎだろ……。」
顔を落とした先には、逃がした獲物の置き土産が置いてある。
ポスターの中心辺りで、深い栗色の髪の少女が可愛らしくデフォルメされ、『わたしたちと楽しい日々を作ろう!』というセリフと共に、満面の笑みをこちらへ向けている。
「…そこに気付けたなら、お前も楽しむ努力をしろよ。」
ボギーに勘違いだと一蹴された万里香だが、あんな眉間にしわ寄せた顔で言われちゃ、納得できるわけないだろ、と鼻で笑う。
彼と閣下と呼ばれる少女の関係はたった一年で、そこそこに有名な一種の噂話になっている。
主に、あの距離感で付き合っていないとボギーも閣下も公言している点に起因し、『本当は付き合ってるけど恥ずかしいからごまかしてるだけ説』が最も浸透しているが、ゴシップとはそう優しいものばかりではない。
万里香が小耳にはさんだものは確か、『やばい薬を男側が飲ませた結果』みたいな感じだった。どう尾ひれがついたらそうなるんだ、と言いたくなるが、なんならもっとひどいものもあるらしい。それを聞いてしまえば、はらわたが煮えるどころか蒸発して消えてなくなる自信のある万里香は、そういう噂をなるべくシャットアウトして過ごしている。
「そもそも、『付き合ってないのに距離が近すぎる男女』という関係のどこに勘違いする要素があるんだよ。…なんならごまかしてる説正解だろ。」
いっそ付き合いだしたという噂を流してやろうか、と少し考えるが、あのボギーがそんな簡単な方法に気付いていないはずがない、と思い直す。
彼らを取り巻く下衆な噂話を取り除く方法がほかにもあるとして、その上であえてそうしないのなら、二人の間にそうできない秘密があるのだろう、と万里香は踏んでいる。
…そしてその秘密こそが、二人、ないしボギーがこの部に留まっている理由なのではないか、とも。
「私はこの部活動の顧問だ。せいぜい顧問なりにあがいて、意地でも楽しい学校生活を作らせてやる……。」
「うわ、じゃなくて……あの、万里香先生…?」
傍から見ると結構やばい顔をしていた万里香の元へ、ポスターに描かれた少女によく似た、万里香の愛する、大切なフリクリ部員である閣下が、珍しく一人で顔を見せた。
***
「おお、閣下が一人で来るとは珍しいな。あいつはどうした。」
「……えとその、あい……じゃなくてわ、私」
「職員室だからって緊張するな。いつも通りでいい。」
「あ、はい……。その、あいはそれを見に来たんです。」
部室ではまったり構え、万里香に対しても結構ひねくれた態度を取ってくれちゃったりする、可愛くも憎たらしい閣下だが、一人で不特定多数の目に晒される環境下では、いつもこうなる。
そんな勇気を振り絞ってまで、わざわざ一人でここへ来た目的は、どうやらついさっきボギーが持ってきたポスターのようだ。
「ああ、お前は完成する前に仮眠してたって言ってたな。…ほれ。」
「あ、ありがとうございま……。」
ポスターを受け取った閣下は、しばらくそれを放心したように見つめた後、なぜか怒った顔で涙を流し始めた。
「お、おい、どうした…!?」
無言で頭を下げて、ポスターを持ったまま職員室から飛び出ていく少女を、万里香はただ口を開けて見送ることしかできなかった。
***
涙を零して台無しにしてしまわないように、少女は一人、手を動かした。
こんなポスターは、ダメだ。これでは、自分の好きなフリクリ部ではない、と。
少女は、必死に涙を拭いながら、手を動かした。
***
閣下が出て行った約三十分後、落ち込んだ様子のボギーが、今日四度目の職員室を訪れた。
「おい、一体何が…。」
「見りゃ分かりますよ。」
ばつが悪そうに、ボギーは手に持っていたポスターを手渡す。
それを見た万里香は、思わず声を出して笑ってしまった。
「絶対笑うと思いましたよ……。」
「クク……いやだってこれ……最高すぎるだろ……。いやぁ、これなら一人ぐらい捕まるかもしれんな!」
「顧問になったの、フリクリ部存続のためでしょう?一人で良いんです?」
「問題は人数じゃない。それに私は、こんな学校で、こんな部に入るって決めたバカな奴が好きなだけだ。」
目を細めて、優しい笑みのまま万里香はこう続けた。
「…この学校に、この部は絶対必要なんだ。」
「……はぁ、そうですか。…じゃ、俺はそのポスターにもう手を加えるなと怒られたので、後は任せます。」
「ああ、責任持ってそこそこの場所に張り出しといてやるさ。あと、ちゃんと仲直りしろよ?」
「…直す程の仲じゃ」
「し、ろ、よ?」
「………。」
無言で出ていくボギーに、普段のような生意気な雰囲気は無く……。
そう、あれは例えるなら、初めて大事にしているペットに手を噛まれたような、そんな感じだ。と、万里香は納得のいく表現を見つけて、一人ケラケラと笑うのであった。
***
四月六日、私立和ノ平高校入学式、当日。
少し大きな制服を身に纏い、新しい学校生活への期待や憧れ、不安や心配を、新たに出会った同級生らと騒ぎ立てている新入生。
既に部活に打ち込む姿勢がうかがえる気合の入った坊主や、ペアで部活見学の予定を立てる者たちなど、十人十色な喧騒がそこにあった。
そんな人混みから少し離れた、第一校舎一階の最奥、倉庫や物置部屋へ向かう渡り廊下へのドア横に、堂々と一枚のポスターが居座っていた。
昇降口から延々と続く掲示物や展示品の、終着点。
人気のないこの場所で、ポスターの中の少女と少年が、「●(おれ)、わたしたちと、楽しい日々を作ろう!」と、笑顔を咲かせている。
笑顔の周りの掠れた部分が涙の跡であることなど、乾いてしまった今では知る由もない。
第四話(これの一話前)にちょっとした挿絵を追加しておいたので、まだの方はぜひご覧ください。