小悪魔の創作
「ん、遅かったな。」
「まさか、起きてるとは思ってなかった。」
職員室から階段を一つ下り、一番奥の校舎右隅に配置されている部室に戻ってきたボギーは、絶対に寝ていると思っていた閣下がばっちり目を開けていることに驚いていた。
「あい、ショートスリーパーなの。知ってるでしょ?」
「初知りだ。それにいくらなんでも十五分程度の睡眠で済むショートスリーパーは居ない。」
「主語デカいとすぐ刺されるぞ。」
「誰にだよ。」
「顔の無い隣人に。」
ん、とボギーも使っているSNSの画面を見せつける閣下。
「分かった分かった。」
「あいの勝ち。」
ボギーは気づいている。気丈に振る舞う閣下の目が、先ほどよりも少し赤みがかっていることに。
毎日眠そうにしながらもメイクはしっかりしていることも、二重は大変なの!と文句を垂れながらも、毎日目元にはほんのり赤色を使っているのも知っている。
でも、それとは違う、若干の腫れぼったさもある感じの、赤。
こんなに間近で過ごしているのだ。いくら周りの変化に鈍感なボギーでも、閣下のことは嫌でも分かってしまうもので。
「……お、食べるの待っててくれたのか。」
「…違う。今起きたとこだから…。」
「一言目と矛盾してるぞ。」
「別に寝て起きた瞬間におまえが帰ってきてそれに『遅かったな』と言ったっておかしくはなかろうだって寝る前にどっか行って起きたときに帰ってきたらそれなりに遅くなってるって思うわけでだから遅かったなって多少推察交じりに述べただけの可能性もあるだろ」
「食べるか?」
「うん。」
ボギーにとっては約9か月ぶり、閣下にとっては初めてのフルーツサンドを、同時に口へ運ぶ。
その魅惑的で背徳的なまでのクリームの甘さと、そっとはじけるように新鮮な果実の甘酸っぱさを堪能しながら、スマホをいじりながら自分と同じものを食べるボギーのことをちらりと見て、閣下は小さく微笑むのだった。
***
「さて、これがマリえもんの秘密道具、過去の部活動記録だ。」
「おー…」
テレレレッテレー!と掲げてみせるボギーと、少しも称賛の意がこもっていない拍手を送る閣下。
「もう中は見たの…?」
「いんや。どんなものかなってざっとめくっただけ。」
「エロい女の子の写真無いかなぁ…。」
今どきスマホのブラウザで検索すれば簡単に出てきてしまう類の画像を、閣下は過去の部活記録の中に見出そうとしていた。残念なことにそんな彼女の期待も虚しく、中身はごく普通に生徒たちの談笑する普段の様子や、当時の顧問と思しき男性教師と共に写る部員の様子が切り取られているだけだった。
「…ねぇボキン。」
「したことないな。」
「じゃあボッ」
「少しは自分の発言を見返せと昨日も言ったはずだ」
そこそこの強さでチョップをお見舞いするボギー。
「頭が割れたらどうするの。」
「お前の中には甘ったるい生クリームが詰まってそうだな。」
「変態!!」
「なんで!?」
「そんなことより」
「そんなことで済ませるのか…。」
「写真ぜんぶ、この部屋じゃない。」
生徒たちが楽しそうにしている場所は、今閣下たちの城と化しているこの狭苦しい部屋ではなく、もっと広くて綺麗な部屋だ。
「部員数と活動に見合った場を惜しみなく提供するのが、この学校のモットーみたいなもんだからな。」
「あいたちには皮肉にしか聞こえない…。」
「実際俺たちにはぴったりだからな、この部屋。」
閣下持ち込みのクッションに、日当りのいい場所に陣取られたボギー専用パイプ椅子オンボギー持参の座布団。机はただでさえ狭い部屋の幅を取らない最適な大きさ。見合っていないのは部の名前そのものくらいなものだ。
「って、注目するのはそこじゃないだろう。」
ボギーたちが知りたいのは、過去に行われていたフリクリ部の活動、その様子だ。
パラパラ、パラパラと、何ページもめくっていくが、どこまで行っても活動している様子は無く、ひたすら部員同士の仲の良さを見せつけられるばかり。万里香はこれのどこに役立つ要素を見出して渡してきたのだろう、と、求めていない新たな疑問だけを手に入れてしまう二人。
「……だめだ、日記もただの思い出話。何一つこの部の活動がわからん……。」
「万里香先生、これ渡すときに何も言ってなかったの…?」
「何も。あ、でもこれを入学式以降は俺たちに書けとは言ってたな。」
「…嫌だと言ったら?」
ボギーは無言で、閣下のすねへ蹴りを入れるフリをする。…つもりが、少しつま先が触れてしまった。
「おい!いたいけな少女に蹴りを入れるとは何事だ!」
「痛くないからいいだろ、俺は涙目になるほど痛かったんだから。」
「……ああ、そういうこと。お前も苦労してるんだな。」
閣下もボギーと同じ期間万里香と接しているわけで、その状況を想像するのは容易かった。
「でも、振り出し。これじゃあ何を作って提出すればいいか全くわからん。」
「だよなぁ……。しゃーない、こういう時は友人を頼るしかない。」
スマホを取り出し、フリック入力で何かを手早く打ち込んだ後送信。しゅぽっ、という送信音が聞こえたかと思えば、そのたった数秒後には返信が届いたことを告げるぴこん、という音。
「相変わらずの爆速返信だな、友人…。」
友人、というのは友だちとかそういう意味を持った名詞のことではなく、単にその個の呼称が友人なのだ。ボギーも閣下も、その友人を友人と呼んでいる。
「……なるほど。」
「なんて聞いてなんて返ってきたんだ?」
「『入学式までの提出物と言えば?』『シフト表』。」
「今月分なら遅く感じるし来月分なら早く感じるな。うん。」
のるだけのってツッコミを放棄した閣下。そのタイミングを見計らっていたかのように再び返信音が鳴る。
「ああ、『普通はポスターとかチラシの類じゃないのか?顧問にもそう言われたろ。』だって。」
「……あいはずっとこの部の名前に踊らされていたらしい。少し考えたら分かることだったのに……。というかうちの顧問そんな具体的に指定してないぞどうなってんだ。」
「聞いてみるか。」
物の受け渡しが無ければ、顧問とのやり取りでさえも当然のようにスマホで行う。全くいい時代に生まれたものだと、少し皮肉を込めてボギーは頭の中で吐き捨てる。
「えー、『提出する何かって、ポスターみたいのでいいんですか?』と。」
「万里香先生の『フリクリ部として何か作れ』は、いくらなんでもミスリードし過ぎている…。最初からポスターと言ってくれれば……。」
確かにあの言い方では勘違いしてしまう気持ちも分かる。
師匠の所属する漫研などは、実際に作品を展示するのだと聞いた。そのとき、そういえば色々と置いてあったかもしれないと、ボギーはもやのかかる希薄な記憶をぼんやりと思い出していたのだ。文科系の部に留まらず、いわゆる勧誘合戦は掲示物の時点で苛烈を極めており、ほとんどの部がポスターだけなんて薄っぺらい紹介だけではないのだ。
そこまで考慮しての万里香の言葉だと、ボギーは勝手に解釈していたのだが。
「『当然だ。お前らは去年何を見て入部したと思ってるんだ。』だと。」
「…さよか…。」
ここまで悩んでいたのがバカバカしい、と、閣下はクッションに背中からダイブした。
「そういや、閣下もあのポスターを見てここ選んだのか?」
「あれ以外にこんな部知り得るわけないだろ。」
「だよな。」
ボギーの脳内に、入学初日に目にした、衝撃的なポスターが鮮明に浮かび上がる。
字はとても綺麗なのに、それを補ってなお余りあるほどの強烈なイラスト。「私と創ろう!」という吹き出しに囲まれたセリフの発言者であるそのイラストは、関節の無い四肢の生えたじゃがいものような何かだった。得体の知れないという形容詞があれほど似合うものもそうそうないだろう。
「あいにあそこまで強烈なポスターは作れない。そうだ、同じの使いまわせばいいんじゃないのか?」
「いや、既にその手は使えん。」
万里香とのトーク画面には、最後に『去年のポスターはもう絶対人前に出さない。封印したから。』と表示されている。それを閣下に見せると、「あれ描いたの万里香先生なの…」とツボに入ったようでしばらく笑い転げていた。
***
「では、フリクリ部初のちゃんとした創作活動、ポスター作りを始めるぞー!」
「いえーい。」
「そこの閣下、楽しんでるかー!」
「いえーい。」
「アリーナ―!」
「いえーい。」
「二階席ー!」
「いえーい。」
「天空席ー!」
「それライブ行かない人には多分通じない。」
「いえーい!」
「うるっさ。」
少しでもテンションを上げてやろうと奮起するボギーの努力虚しく、閣下は再び襲い来る睡魔の波に吞まれかけている。
「…だからやること決まったし、無理に手伝わなくても」
「いいの。あいはおまえと……その、昨日言ったでしょ、あいだけの逃げ道は無いって。」
「ああ、まあ言ったけど。」
「それじゃ、とりあえず部の名前と、部員募集の適当な文言をぱぱっと置いちゃおう。」
いつからか部室の隅っこに放置されていた画用紙をおもむろに一枚取り出し、あくびを噛み殺しながらもさらさらと立体的に見えるような文字を配置していく閣下。ボギーは思わずその姿に息を吞む。
異性が普段は見せない顔をふいに見せる、というのは定番のシチュエーションだが、まさに今の閣下がそれだ。ほぼ丸々一年を一緒に過ごしてきたボギーですら、閣下がこういったデザイン能力を得意としていることを知らなかった。仮に彼女自身は得意だと思っていなくとも、ボギーからすればそれは立派な長所なのだ。
「…ふう、下書きはこんなもんでしょ。…ん、どした?」
「いーや、別に。」
「ねえ、なんか変なら絶対言って。後から言ったらあいは怒る。」
「変なとこなんてない。すごい綺麗だ。」
「え?あ………えぇ……?」
目の前の彼があまりに真っ直ぐ自分を見つめてそう言うもので、天下の閣下様も思わずもにょってしまう。
当のボギーはというと、閣下が自分の鼓動を大音量で観賞中なことに気付いておらず、今日はよく顔が赤くなる日だな、と閣下の顔を窺っていた。
そんなあまりにもどかしい二人のやり取りにクソデカ感情が芽生えてしまった天の声は、二人のこれからを勝手に妄想して鼻血を垂らすほどに興奮してしまったとかなんとか。
***
私立和ノ平高校には、他校ではおそらく見られないであろう、”置き勉推奨”の校風があった。学校側が推しだしているもので、それを体現するかの如く、各校舎、各階に多くの鍵付きロッカーが配置されている。悲しきかな、鍵付きと言えど窃盗などの事例も年に数件報告されているが、財布を持ち込むようになる高校や大学にはどこにでも付いて回る問題だ。
「まさかお前がロッカーを使っていたとは…。」
「お前のその言いぐさにはたまにガチでキレそうになる。あいもこの学校の生徒だぞ。」
「別に馬鹿にはしてないぞ?驚いただけで。」
「それが失礼だって言ってるの。」
「怒った?」
「怒ってないよ。」
どこかで聞いたことのある会話へ収束してしまった二人だが、ポスター制作は順調に進行していた。閣下がロッカーから取り出してきたのは色鉛筆。24カラー入りの、そこそこいい値段がしそうなものだ。
「でもなんでこんなおあつらえ向きなものが?」
「一年の秋ごろに授業で使ったやつ。」
「ああ、あんな前の……。閣下、お前小学校の時、終業式の帰りとか大変だっただろ。」
「なぜあいが毎年フル装備完全体の状態で下校していたことを…!?」
「荷物は定期的に持ち帰ろうな。」
「…多分もう手遅れだから、今度コーギーも手伝って。」
「俺は運送業者じゃないぞ。ましてや犬でもな…いや、俺は一時間くらい前、確かに牧羊犬の気持ちになっていた…。まさか…。」
「ボケた本人はそこまで考えてないよ。」
「考えてるかもしれないだろ!」
「ボケた本人が違うって言ってるでしょうが!?」
無駄口を叩き合いながら、並行して文字へ着彩していく閣下。しっかり立体的に見えるよう、影の部分は色を使い分けており、絵が無くてもそれなりに立派なポスターが出来上がってきている。あれだけ催促したり、早く片付けたい、なんて言ったりしていたボギーは、まだ自分がたった一本の線すら引いていないという現実から全力で逃避していた。
「……ふぅ、こんなもんでどうよ。」
「さすが閣下だ。この調子で」
「後はおまえの仕事だな!」
「残りも…って、やっぱり俺もなんか書かないとだめ?」
「だめ。」
「そこを」
「なんとかしないし。」
閣下は伸びをしてクッションともみくちゃになり、数秒で寝息を立て始めてしまった。
「ここからどうしろと…。」
ボギーの目の前には、万里香から預かった活動記録と、部の名前が大きく書かれた画用紙だけが残された。野球部やサッカー部ならボール、漫研ならペンやキャラクターのイラストなど、その部にちなんだアイコンが大体どの部にもあるものだが、自由創作部にそういった分かりやすいアイテムは存在しない。再三記録をめくってみるが、やはりそこにあるのは至って普通の生活を送るだけの少年少女たち。
「……普通…?」
ボギーはそこで、違和感に気付いた。
ここ和ノ平高校は、部を中心に回るような特殊な校風が売りの学校だ。
上手く言えないが、他の部の雰囲気は、なんというか、常にピリッとしているのだ。
ほぼ毎日、それこそボギーと閣下のように、近くで顔を合わせる同じ部のメンバーに対して、不満や嫌悪感を少しでも感じてしまえば、それが日常生活に色濃く出るのがこの校風の悪しき部分であることを、ボギーはとてもよく理解している。
「楽しそう、なんだよな。この人たち。」
そんな学校で、なんの特徴もなさそうな自由創作部の写真や日記には、楽しかった、面白かった、満足した、そういった明るい色の思い出がたくさん、たくさん詰まっている。
「よく分からんけど、それがこの部の特徴なら…。」
ボギーは閣下の色鉛筆を手に取り、閣下の書いた字を汚さぬよう、ゆっくりと手を動かし始めた。