小悪魔の寝顔
和ノ平高校の特色は、常に部活を中心に様々なものが構築されていることにある。授業は極力補習や居残りが発生しないよう、教師や生徒の体調管理には常日頃から気を付けるようにと強く言われている。
しかし、どれだけ気を付けても人間である以上、崩れるものは崩れてしまう。
春先の気温の変化に体がついていけずに見事に三十九度の熱を出した閣下は、自分の家で閣下母による熱烈な看病を受けていた。朝起きてゼリーを無理やり食べさせられ、冷えピタを若干下めに貼られて視界の上半分がぼやけている閣下が昼寝から目を覚ましたのは、部活がすでに始まっている午後四時半だった。
「うう…今頃ボギーとつむちゃんは二人きり……。」
ぼーっとする頭の中は、寝ても覚めてもボギーのことばかり。あれ以来、閣下の心配通り、ボギーと紡義の仲は急激に縮まった。元の距離が通常の初対面同士よりも相当開いていたことがそれを助長しているのだが、閣下はそこに気付いていない。ただの友人関係が、より親密に錯覚してしまっているのだ。
「つむちゃん、スキンシップが結構あれだから…。ボギーにべたべたしてないかな……ごほっ…うー……。」
普段の閣下ならそんなことはあり得ないと判断できるのだが、今の閣下は熱に浮かされており、人肌、主にボギーのものを過度に欲してしまっている。そのため、彼に触れている可能性が最も高い紡義に、謎の嫉妬を燃やしていた。
『貼り替え用♡』と、閣下母の可愛らしい丸文字で書かれた替えの冷えピタを自分でベストポジションに貼り直し、スポーツドリンクをストローですすってもうひと眠りしようと布団を被った閣下の耳に、階下にて料理をしていた母の声がうっすらと聞こえた。…どうやら来客のようだ。何かネットで注文していただろうか、と、ゆだる頭で閣下は考えた。
「キャー、ちょっと閣下ちゃん!!あなたのボギーくんが来てくれたわよ!!」
「…あれ、わたし、ネットでボギーなんて注文したっけ……?」
混乱した閣下が脳内でボギーをカートに追加している内に、階段を昇ってくる足音が聞こえてきた。母親のものでも、父親のものでもない足音。ノックされるドアにゆっくりと首を回して目を向け、「どうぞ」と掠れた声を出す。
「邪魔するぞ。」
即日配送どころか、カートに入れただけで届いてしまうなんて、と、ボギーが来てくれたことよりも、現代のネットショッピングの進歩に気を取られてしまった閣下。
「お早いお届ですねぇ…」
「…俺が来るって分かってたみたいだな。」
「だってわたしがネットで注文したからね……」
「…何を?」
「ボギー。」
「あーこりゃ大変だ。」
ボギーは閣下の寝ているベッドから少し離れた場所に座り込み、スマホをいじり出した。
「…こっちこないのぉ?」
「俺はフリクリ部代表、みたいな感じで来たからな。代表にはそれなりに任務がついて回ってしまうもんなのさ……っと。」
ばしゃりと閣下のふやけた顔を写真に納め、再び操作を始めるボギー。
「ねー、何したの?」
「お前を撮った。」
「それどうするの?…あー、待ち受けにするんだ。ボギーのえっちー。」
「なるとしても俺じゃなくて紡義の、だろうけどな。」
「ふぁえ?」
「ま、気にせずお前は早く寝て早く治せ。ここにお見舞いのもんは置いてくから。」
用が済んだのか、荷物を置いて帰ろうとする彼の言葉に、閣下はなぜかとても悲しくなり泣いてしまった。
「……ねーやだ…。なんで帰っちゃうの……。」
「いや、なんでってそりゃ用も済んでお前も寝なきゃだし…。」
「わたしまだ寝てなぁい!なんで寝る前に帰るの!…わたしのカートにはまだボギー入ってるもん!」
「全く意味が分からん。…けど、………あー、もう、分かった分かった。寝るまでだぞ?」
ボギーが再び座るのを確認すると、閣下はまだ不満げな顔で、ベッドの縁をぽんぽんと叩いた。
「んー!」
「俺に移す気か?」
「………うぅ…。」
『もっと近くに居てほしい閣下』VS『ボギーに熱を移したくない閣下』、脳内バトルのゴングが鳴り響く。勝負は現実時間にして一秒で片が付いた。勝者は、『もっと近くに居てほしい閣下』。
「移したらわたしが同じことしたげるから、早く、ここ!」
「……嫌だと言ったら?」
「………泣く。」
『看病されたいボギー』VS『皆勤賞を逃したくないボギー』、脳内バトルのゴングが鳴り響く。勝負は現実時間にして一秒で片が付いた。勝者は、『看病されたいボギー』。
「…はぁ、分かりましたよ閣下様。」
「……ふふ…分かればよいのだ…。」
やっと満足げな表情になった閣下をベッドのそばで眺めながら、ボギーは紡義からの返信を確認する。
『寝顔もよろ』
注文の多さに辟易しつつも、ここに紡義を連れてこなくて正解だったとボギーは思った。きっとここに来たら熱であろうと容赦なく抱き着いただろうし、ためらいなく添い寝ぐらいはしていただろう。雑に了承の意を返し、閣下に心の中で詫びながらシャッターを押す。
「……魔性の寝顔だな…。」
ボギー母は閣下のことを「エンジェルちゃん」と呼ぶが、彼にとって閣下は小悪魔だ。包み込むような可愛さではなく、心の急所を的確に突くような魅力。
ボギーも紡義と何ら変わらない、小悪魔の罠にまんまとハマってしまった哀れな人間なのだ。




