和む小悪魔
「突然だが、今日このクラスに新入りがいる。…もう入っていいぞー!」
ボギーが無事、部から追い出される危機を回避した翌日、万里香が新しいクラスメイトを連れてきた。全校で見ても転入生などは滅多に現れないため、教室は期待と興奮で一気に騒がしくなる。その中へ勢いよく扉を開けて入ってきた女子を見て、「かわいい」だの「スタイルがいい」だの「踏まれたい」だの、好き放題に捲し立てる有象無象を切り捨てるように、その新入りは声を上げた。
「自由創作部!通称フリクリ部所属!!」
目を閉じたまま、自信に満ちた表情で。
「信濃紡義だ!」
少女――紡義が、カッと目を開けて決めポーズをとった瞬間、教室内の熱気は最高潮に達し、スポーツ観戦者の如き歓声が第二校舎全体に響き渡った。フリクリ部に所属し、かつ二年次を一度留年している彼女がこのクラスに編入するのは、よく考えれば当たり前のことだった。
だが、あれからまだ一日も経過していないのにこの立ち直り具合。このビッグウェーブに乗って騒げるほど、ボギーも閣下も頭がすっからかんでは無い。二人は顔を見合わせ、首をかしげることしかできなかった。
「そういうわけで、まあ色々と訳ありだが新しい仲間が増えたわけだが。……前期学祭のアレが迫ってるこのタイミングで、こんな超絶美少女の加入はデカいよなぁ!!」
「「「うおおぉぉぉおお!!!」」」
さらに興奮を煽る万里香。収拾がつかなくなった騒ぎは隣のクラスの教師からクレームが来るまで続き、昼休みから放課後まで、他クラスからもちらほら生徒が押し掛けるほどに慌ただしい一日となった。
***
「ねぇホーリー。」
「俺はどちらかと言えば魔の側だと思ってるんだけどな。聖属性は似合わん。」
「紡義さん、元気になっててよかったね。」
「………。」
ボギー的には、これでこの部に用は無くなった!みたいな展開になって、彼女が他の部でよろしくやることを期待していた。しかし、閣下のこれほどまでに嬉しそうな顔を見てはそれを暴露する気にもなれず、ボギーは仕方なくため息をついた。
「よーっすお前ら。今日も楽しく過ごしてるかー!」
ただでさえ壊れかけのような音を立てるドアを、ばこーん!と思いっきり開いて入ってきたのは、時の人、紡義だ。
「…こ、こんにちは紡義さん…。その、元気みたいでなによりです……。」
嬉しいには嬉しいが、やはりその圧にまだ慣れない閣下は、びくつきながら挨拶する。そんな閣下を見た紡義は、まるで愛しのペットを愛でるように、閣下を抱きしめて頭を撫でまわし始めた。
「えぇ…!?つつ、紡義さん…?」
「あーーーーたまんねぇ。やっぱり閣下ちゃんは最高だわ…。」
「…今度はセクハラ親父にジョブチェンジですか?」
「うるせえぞボギー。アタシはもうここの部員だからな。楽しく過ごすためには閣下ちゃん成分を補給しないといけないんだ…。……すぅ……はぁ…。」
「いやぁぁ!?ねえ今匂い嗅いだでしょ!!紡義さんの変態!!」
「あ、こら動くからしっかり嗅げなかったじゃねえか!ほら、良い子にしてー……うへへ…」
「助けてボギーぃ……紡義さんがキモイ……。」
「よいではないかよいではないか…」
二人で乗るには少し窮屈なクッションの上で、ロングとはいえスカート姿の女子がくんずほづれつしている様子は、ボギーには刺激が強く、そっと目を逸らした。
(許せ閣下…、俺にはその暴走列車を止められんようだ…。)
聞いたことの無い閣下の細い悲鳴を視界の外から耳に入れつつ、ボギーはマッスルや友人とメッセージのやり取りをしていた。
内容は主に四月から始まった深夜アニメについてで、『今期は期待していたアニメはもちろん、ダークホースが……』と、教室では閣下の相手をしていてあまり話せないことをひたすら文字で交わす。
「……ふぅ、閣下ちゃん昼寝の時間とか、まるで幼稚園児みたいだな…。」
「頼みますよ幼稚園の先生。あの子寝つきはいいけど、悪い夢見たときはすぐに飛び起きるんで。」
「お前、やっぱりあの子にあれこれしてるんじゃないだろうな…。」
「俺の知らない俺がこの学校にはたくさんいるらしいですからね。あるいはそうかもしれません。」
「……あっそ。ま、アタシはお前の知ってるお前すら知らねえから、何も分かんねえけど。」
閣下はいつものお昼寝タイムに入ったようだ。ボギーの対面、入り口に背を向ける場所に椅子を置いて、紡義は腰を下ろす。ボギーはスマホをいじりながら、彼女が今から何をするのかと観察していたが、カバンからノートとペンケースを取り出した瞬間、感心から「へえ」と口に出していた。
「自主勉とは、ずいぶんと熱心なんですね。」
「…あのなぁ。一応アタシは年上ではあるが、もう同じ部活の、それも同級生のクラスメイトだぞ?そろそろ敬語はやめろ。」
「いいんです?」
「いい。閣下ちゃんにも寝る寸前の意識が朦朧としてるタイミングで、アタシのことを”つむちゃん”と呼ぶよう刷り込んでおいた。」
「うわぁ……。勉学に励む前にその辺見直したら…?」
「ちなみにこれは勉強じゃねえぞ?閣下ちゃんのお昼寝観察日記だ。」
「うっわぁ………。」
ボギーは紡義のことを、『ブレーキは壊れてしまったが自分の行く道は忘れていない列車』だと評していたのだが。その一瞬で、彼女の評価は『変態魔人』に変わった。
「それで変態魔人は」
「待て、タメで良いとは言ったがお前にそんな呼び方を許した覚えはないぞ。」
「…信濃は、」
「あまり苗字は好きじゃない。紡義の方が可愛いし気に入ってんだ。」
「注文が多いな。もう間を取って変態でいいか?」
「いいわけあるか。」
「紡義、……は、その、直接須田さんとかに会おうとか思わなかったんですか?」
ボギーは昨日、須田鮮花という陸上部三年生からのメッセージ動画を紡義に見せた。ずっと伝えたくとも諦めていた彼女の気持ちを、ボギーが介することで、ついに紡義に伝えることができたのだ。紡義のことだから、すぐにでも鮮花の元へ飛んでいくと思っていたのだが、ことごとくボギーの予想は外れてしまっている。
その質問に、紡義はあっけらかんと答えた。
「何言ってんだお前。アタシはもうここの部員で、お前たちと同じクラスメイトだって言っただろ?」
「…それは聞いたけど。」
「だから、アタシはもう過去を振り返らないことにしたんだ。鮮花は、アタシのことを忘れずに今も頑張ってるって分かった。アタシも鮮花のことは忘れないし、あの事件のことをこれからは誇りに思うことにする。その上で、今後アタシの目の前で起きる悪事を、今のアタシなりに解決したい。それがフリクリ部員、信濃紡義の今の目標なんだ。」
鮮花の言葉を聞けただけで十分だと、紡義は言った。ボギーは己の考えを少し恥じ、しかしそれを補っても余りある、紡義の閣下を見る目に、ため息カウンターをまた一つ進める。
「……悪事だ悪者だと決めつけてかかるのだけは、もうやめてくれよ?」
「おう。お前と閣下と、…鮮花に教えられたからな。」
***
「ほお、部員が一人増えるだけでずいぶんと賑やかになったじゃないか。」
もうすぐ午後六時を回るというタイミングで、万里香がギィとドアを開けた。中ではすっかり打ち解けた紡義を含めた三人が、やいのやいのとトランプを囲んでいるところだった。
「お、万里香ちゃん!こいつマジでババ抜き弱いんだぜ!」
「うるせーぞ!?お前だってダウトで俺の出すもん全部にダウトダウトって言って無限に手札増やして負けてただろ!!」
「万里香先生…この人たち怖い……。」
「あー閣下ちゃん!?怖くないよ!?ほーら、つむちゃんはこわくないでちゅよぉぉお??」
「………まあ、お前らが楽しそうで何よりだよ…。」
和気あいあいとした混沌を目の当たりにした万里香は、苦笑することしかできなかった。
「…おいボギー!お前今見てない間に手札入れ替えたろ!」
「してねえよ!そんな麻雀みたいなイカサマが通るゲームじゃねえだろこれ!」
「あ……わたしアガリ!また一位…!」
「くぅー、喜ぶ閣下ちゃんドチャクソかわみが深いんだが…。」
「くっそまたババ以外引きやがって…。」
万里香は、ボギーはポーカーフェイスが絶望的に下手くそだということを知った。紡義の言う通り、ボギーはババの上に手をかざすと、少しではあるがにやける。これまでボギーが万里香に色々と言ってくるとき、大抵腹の立つ表情をしていたが、つまりあれは本心からのウザ顔だということになる。
「ボギー、私はお前のことが少し嫌いになった。」
「なんでこのタイミングで!?え、俺なんかしましたっけ」
「はいアタシもアガリ~」
「なにぃ!?この俺がまた負けた……だと…?」
燃え尽きて灰になるボギーを見て、閣下と紡義はゲラゲラと笑っている。つい最近まで、最短時間で速攻帰宅していたボギーと閣下が、こうして日が暮れるまでここに残っているという異常事態。そして、一緒にいるのは自分が一年かけても取り戻せなかった紡義の楽しそうな笑顔。自分の目指していたフリクリ部の夢が、現実となって今目の前で輝いている。
(…顧問になって、やっと実感できたよ。やっぱり、この部は無くてはならないんだ。)
じーんと心に染みる温かさをうっかり見せないように、万里香は「そろそろきりにして帰れよ」と残して、部室を出た。
人は永遠に笑顔ではいられない。あの笑顔もいつかはまた曇るだろう。しかし、その時にまた支えられる誰かがいれば、笑顔はきっと戻ってくる。万里香の夢は、自分を楽しくも悲しくもさせてくれた、先代のフリクリ部顧問から受け継いだものだ。
「…『私は何もしていませんよ』…か。顧問の立場になると、よく分かりますね、先生。」
職員室へ向かいながら懐古する万里香は、古き恩師の顔を思い出す。
万里香はその一瞬だけ、フリクリ部顧問の小能見万里香ではなく、フリクリ部OG、小能見万里香に戻ったのであった。




