放課後の小悪魔
「……ねぇ、そこで死ぬほど暇そうにしてるいたずら好きの怪物さん?暇なら購買でおばちゃんの手作りラスク買ってきてくれない?無ければ手作りクッキーでも可。」
「いいかげん人のことをブギーマンとして扱うのをやめろ。ボギーと呼べ。」
「や。だってそんなにおまえと親しくなった覚えはないもん。」
陽が徐々に傾きはじめる午後四時半頃。
もう使われていない古いパソコンや、何に使うのか分からない機械、ぱんぱんに膨れて口が締まりきっていない段ボールなどが、棚の上に所狭しと押し込められている、普通教室のちょうど半分ほどの広さの一室に、二つの声がこれでもかと反響する。
「親しくないやつにパシられる道理も無いよな?」
「パシリや荷物持ちが友人間で行われる青春の尊い儀式だとでも思ってるの?あれは心の底から面倒なことを友人という免罪符を振りかざして誰かに押し付けようとする陽キャ特有の処世術。『じゃんけんで決めようぜ』は『この後飲みに行かないか?』と同義。」
「………この後一緒に喫茶店でも行く?」
「おごりなら構わない。」
「それはいいのか。」
ボギーと自称した男は、ため息をついて机に突っ伏す。
「で、どうするんだ。」
「なにが?」
「さっきクソババ……マリセンに言われただろ。」
「あいも今万里香先生に言伝ができた。おまえと会うのは今日で最後かも。」
「閣下、俺はお前の今の様子を指先の動き一つまで全て詳細に、マリセンに報告することもできるんだぞ。」
「…あいはおまえにその呼び方を許した覚えはない。」
「じゃあなんて呼べばいいんだ。」
「…………あ、おまえのせいでガチャすり抜けしか出んかったんだが。」
ボギーと成立しているのか怪しい会話を繰り広げる閣下と呼ばれた少女は、学校にはあまりに似つかわしくない、人をダメにしそうな巨大なクッションを床において背をどっかりと預け、足を机にクロスして乗っけている。会話が途切れると、少女の操る最新機種のスマホから、タンバリンのような音と共に流れる曲がはっきりと聞こえてくる。
「で、どうするんだ。」
「そのセリフはさっきも聞いた。あいは同じことを何度も聞く奴は嫌い。」
あい、というのは少女の一人称だ。愛のように”あ”が上がるのではなく、下がる読み方。あ↓い→。
「あのな、お前が答えないから同じ質問をしてるんだ。」
「さっき料金を提示したはず。…早くしないとおばちゃんのラスク売り切れちゃう。」
「………。」
――しゃんしゃん、ちん。
さっきとは違う曲が流れている。たまにボギーも知っている有名な曲のカバーアレンジも聞こえてくるのだが、それ以外はあ、ちょっとサビ聞いたことある、程度のものが多い。
「……おい。」
「あ゛っ!!」
常に疲れたようにぼっそりと喋る少女が、不意に大きな声を上げた。ボギーもかなり驚いている。
「なんだよ急に。」
「おまえ!!おまえが話しかけなければ!!……うぅ、やっとフルチェンできたと思ったのに……。」
「え、なに…?フルチ○…?」
「フ、ル、チェ、ン!!フルチェインの略!!ばか!!」
閣下が夢中になっているゲームが、スマホを横持ちして曲に合わせて譜面を叩く、いわゆる音ゲーであることはボギーも知っている。さしずめ、そのフル……が、ミスなく演奏しきることだろうとボギーは察し、しゃーなしと何度目かのため息をつきつつ席を立つ。
「あ………帰っちゃうの?」
「馬鹿、何度も言ってるけどマリセンに言われたこと相談せにゃならんだろ。仕方ないからお前を起動させるための電池を買いに行くんだ。」
「…ふ、ふぅん……。あ、でも、多分購買に電池は売ってない。」
「分かっとるわ!」
ぴしゃりと閉められるドアに、少女の体はぴくりと跳ねる。
「………はぁ。」
誰も居なくなった小さな部屋に、心底だるそうな、細いため息。
この部屋にため息カウンターでも付ければ、あっという間に上限いっぱい。一か月と経たずにオーバーフローするだろう。
「ぐー…、あいのフルチェン……。」
画面には、ミスのカウントに無情な1の数字が付けられている。何個ミスを出しても、フルチェンは達成できない。たとえたった一つのミスだとしても、そこだけやり直す、なんて機能は無い。
「……はぁ……。」
瞬く間にため息カウンターのカウントをひとつ増やし、閣下は再びスマホを叩き始めた。その時、本当に憂いていたのがゲームのミスでは無い事に、少女自身も気付いてはいない。
――しゃんしゃん、ちん。
***
数分後、無事パシリへと就任を果たしたボギーが、任務を終えて拠点へと帰還した。
「む、ご苦労。」
「へぇへぇ、閣下のお言葉のママニ。」
うやうやしくビニール袋を掲げてみせるボギー。寝転んだまま必死に両腕を伸ばしてそれをひっしと掴み取り、がさごそと中をまさぐる。
「むふ、これこれ。これ好きなんだ。」
「左様でごんすか。」
待ってましたと包みを引っ張り開け、手が汚れることを全く厭わず、二本指でつまんで購買のおばちゃんお手製ラスクを頬張る閣下。
「これでちゃんと話し合いのテーブルについてくれるんだろうな。」
「ふぁいふぁふふふぇふぃふぁ…んぐっ」
「…ほら。」
閣下が毎日、飲み物を持参せずに購買横の自販機で買っていることも、今日は既に飲み干して空のペットボトルがクッションの横に倒れていることも、ボギーは知っていた。そのため、頼まれていない彼女の好きな緑茶『いやささ』を購入しておいたのだ。買ったばかりでまだ冷たいそれを、半分ほどまでぐいっと流し込む閣下。
「…んっ…ぷはぁ……。…ふぅ、あ、あいは机にはつかんぞ。このままならいい。」
「お前にここに座れなんて言わん。そのままでいいから、とにかく相談だ。」
「……で、何について……?」
ばりぼりとラスクを貪る少女は、ほんの一時間ほど前に部屋に訪れた顧問の言葉を、一言一句、隅々まで聞き流していた。
「………いいか、俺たちはあと数日のうちに完成させなきゃならんものがある。それは…」
「それは…?」
「……このしょうもない部の、紹介のためのなにかを、だ。」
桜が満開を少し過ぎる頃、ここ和ノ平高校は入学式を間近に控えていた。
そんな晴れ晴れしい時期に、”自由創作部”、通称”フリクリ部”部員全二名の面々は、陰鬱とした狭苦しい部屋の中で、頭を抱えていた――。
***
和ノ平高校は、クラスを部活ごとのくくりで分ける特殊な校風が有名な私立高校だ。そんな規則を作るほどであれば、さぞかし部活が盛んなのだろう、というのはお察しの通りで、推薦入学なども普通の高校に比べればかなり多い。
人数が多い、つまり人気な部はそれだけで一クラスが形成されるが、ほとんどの場合は似たような部が二つ、三つまとめられて一クラスとなっている。
十数年前の野球部なんかはそれだけで二クラスできてしまった年もあったのだとか。何軍まで作れるのやら。
新入生は仮クラスに割り振られ、全クラスで授業の進行度に差が出ぬよう、全く同じ内容の授業が行われる。そしてゴールデンウィーク明けまでに必ずどこかの部に所属し、以降は部ごとのクラスに分かれて授業が行われるようになる。付け加えておくと、帰宅部は無い。
「なんだって俺はこんなさびれた教室で過ごしているのだろうか。」
「…あいはここが最高の部だと思ってる。……おまえは違うのか?」
「あのな、部活第一って掲げてるような高校に入って、わざわざこんな帰宅部と遜色ないとこに居るのが俺とお前だけの時点で大体察するだろ。」
進学校が勉学に力を入れ、いい大学を目指すための高校だとしたら、この学校は部活に力を入れ、そのセールスポイントを売りに各々で先を目指していく、養成所のような印象だ。
毎年何かしらの分野に有望な若手を輩出することで、ニュースに取り上げられることも珍しくは無い。
「『どうせこんな部に入るやつはいないけど、学校としての形式上、何か部を紹介するものを提出しなければならない。』とか急に言いやがってあのババア……。」
「…万里香先生はまだギリ三十路じゃないはず。ババア呼ばわりは良くない。」
「もっと早く言ってほしかったとはお前も思うだろ。」
「思うに決まってるだろあのクソババアめ。」
ボギーらの所属するフリクリ部は、その名前の通りに”自分の自由に作りたいものを作る”という名目で創設された部だ。今のあんまりな状況を見ても信じられないが、過去には一クラス出来るほどに大きかった時代もあったらしい。今年で二年になるボギーたちが一年の頃、この場で二人が出会うことになる頃には、既に部員は一人もいなかった。
「…ねぇ、クソ……万里香先生なんか他に言ってなかったの?……その、ほら、昔の丸パクリできそうなものの場所とか。」
「お前も大概だな……。『その辺にあるかもしれないから探してみてもいいぞ。』って言ってたが、……探すか?」
積まれに積まれたあれこれと、それを健気に支え続ける、何が入っているかもわからない棚をあごで示すと、閣下はただただ苦虫を噛み潰したような顔をした。
「だったら、フリクリ部として何かしら、自由な創作活動をせにゃあならんのだが。」
「……あいは…ハイスコアの創作活動が忙しあうあっ!?」
容赦なくチョップを叩き込み、ラスクを食べるために置かれていたスマホを没収するボギー。
「おい、三秒以内にそれを返せ。いち、ぜろ。」
「喋ってる途中からカウントを進めるな。言っとくが、マリセンは『二人で!』って念押ししてたからな、お前だけの逃げ道などとうに塞がれている。あ、おい!!人の制服でラスク食った手を拭く奴があるか!?」
「カウント内にスマホを返さないからだ。おら、とっとと返せ…。」
仲睦まじくじゃれ合う二人は、今日四月一日から数えて五日後の四月六日までに、顧問の小能見万里香からの指令をクリアしなければならない。対象がゼロと言い切れるほど興味を持たれないであろう、フリクリ部を紹介する”何か”、それをあと五日の内に完成させなければならないのだ。
「……なんかもう今日は疲れた…。そもそも部活動は絶対参加、それも始業式前の四月初日からってのがやばいんだよな。」
「それは同意。おまけに万里香先生、あいたちを雑用係か何かと勘違いしてる。」
この二人、ほぼ何も活動していないにも関わらず、学校には午前中から駆り出されていた。
部内での連絡等は、ごく一般的なメッセージアプリの、現状三人だけのグループ内で行われている。前々から、四月の初日から部活があることは聞かされていたが、形だけの出席をするだけだった一年時と変わらず、午後から数時間滞在するだけでいいと思っていた。
そんな幻想はつい昨日、グループに投下された万里香の言葉によって粉々に砕かれた。
『お前ら、朗報だ。なんと明日午前10時から入学式用の機材やらのチェックを行うことになってな。これも立派な創作活動の一つだ。遅れるなよ??』
万里香はあまり怒らない。だが、部活をさぼった時と、年齢の話、元カレの話などの地雷を踏んだ時は、地獄の鬼も泣きながら血の池に飛び込むと言っても過言ではないほどにやばくなる。入部して間もない一年の五月半ば、二人で部活をさぼった次の日に、二人とも速攻呼び出しを喰らってガチで泣かされたことを、ボギーも閣下も一生忘れないだろう。
よって、泣く泣くボギーは『分かった。』と返事をし、閣下は『承りました…』という涙目の女の子のスタンプを送ったのだった。
そして今日、機材チェックや花の配置決め、体育館に敷くシートの確認などなど、これでもかとこき使われ、やっと解放されたのは午後三時半過ぎだった。その後、死にそうな状態でこの部室へ帰ってきたところに、先ほどの指令である。
泣きっ面に万里香だ。
「今日はもう頭が働かん。十分活動時間は足りてるはずだし、鍵返して帰ろうぜ。」
「……そだね…。ん…くあぁぁ……。」
クッションから少し体を起こし、ぐいーっと伸びをする閣下。ラスクとは違う甘い香りが、深い栗色の髪が揺れることで、彼女の周囲にふわりと漂う。
無造作で自然な髪のウェーブはゆるっとした天然のパーマのようで、しかし実際は毎日家でセットしているもの。ふわふわな髪質は、クッションと頭に挟まれていたことを一切感じさせないほどに、生き生きと艶めいている。前髪はぱっつんのシースルーバングで、常にアンニュイな彼女の雰囲気と、それを助長するかの如く、ゆっくりと瞬きする彼女の垂れ気味の目。
「……はぁ……。」
「人が伸びをしただけでため息つくとか、やっぱお前は最低だ。」
「いや、むしろ伸びをしただけだったら別の意味でため息が出るだろうよ。」
「む、だったら今のため息は最低な意味じゃん。」
「今一度自分の言動を見返して、その後鏡を見てみろ。ため息の一つも出るって。」
「おまえは鏡見てため息が出るのか?」
「………。…そりゃもう毎朝出るね。」
「…?…あいはおまえを見てもため息は出ない。」
ボギーはなんだかな、とうなじの辺りを手で押さえる。ついでに凝っていた肩をほぐそうと、軽く首を回す。
「…なんだ、肩こりか?」
帰り支度をしながら、閣下は問う。当然クッションは毎日運搬している訳ではない。部室であるこの狭苦しい部屋に置きっぱなしだ。
「ああ、力仕事もそこそこにさせられたからな。ついでに腰もバキバキだ。」
「…他にもバキバキなところがあるとか言うなよ……?」
「お前は本当に………。」
「冗談はさておいて、バギー。」
「俺は悪路を四肢で駆けたりしない。」
「今日マジで疲れたからおまえんちまた泊めてくれ。あ、あと家までおんぶ。」
「おんぶは論外として………、嫌だと言ったら?」
「直接おばさまに頼んで泊まる。」
ドヤ顔でボギーに向けられたスマホの画面には、メッセージアプリで「おばさま」なる人物とのやり取りがばっちり表示されている。
そして、今目の前で『今日泊まってもいいですか?』という閣下のメッセージに既読が付き、二秒後には『当然もちろん万事OK大歓迎むしろ毎日泊まっていって』という言葉の後に、数え切れないほどのエクスクラメーションマークの返信が。
「………。」
「……おんぶ。」
「歩けバカ!!」
その”おばさま”が、知らないおばさまであればどれほどよかったことか、とボギーは少し凝っている肩を落とす。荷物をまとめ終わり、入り口で催促する微塵も疲れてなさそうな閣下を見て、ボギーはまた、ため息カウンターを一つ進め、呟くのだった。
「……この小悪魔め……。」
「あ、今聞こえないように悪口言ったろ。」
「心当たりあるなら反省しろ。」
「否定しないのがむかつくんだが!」
――こうして、四月一日、二年になって最初のフリクリ部の活動は、立て付けの悪いドアと共に閉じられたのだった。
***
「あ、クソ、あいつらまた窓開けっぱだし……。」
またですか~、という年季入りのドアの悲鳴と共に、一つの足音がフリクリ部の部室に響く。
「……ん、なんかバリって…。うわ、なにこれ、おばちゃんのラスクの欠片…?」
明日、絶対にあの頭の中までふわふわ娘をしばいてやる、と憤る小能見万里香は、部室の見回りに来ていた。顧問以前に新任教師である万里香は、慣れず尽きずの作業に追われる身だ。あまり顔を出せてはいないが、こうして仕事がひと段落した時には顧問として最低限の働きはしようと、心掛けている。
「ま、他の部と比べられちゃったら、何も言い返せないけど~。」
フリクリ部。現在の部員であるボギーと閣下、二人が入ってくれなければ、去年の時点で廃部になっていた。…この部を守るため、最短距離でこの学校の教師になった万里香にとって、あの二人は本当に宝物で、大事な大事な生徒だ。だが、一年経った今でも、二人がこの部を選んでくれた理由を万里香は知らない。
「本当に感謝してるけど、それで終わりにしたくはない。……私のわがままに、もう少し付き合ってくれよー…。」
万里香は手にしていた一冊の本を机に置き、「さて、仕事仕事~………ああだる………」とこぼしながら後ろ手にドアを閉め、しっかり施錠をして部室を後にした。