みんな肉になれ
食管法。食糧管理法。
1942年に施行された法律で、当時日本国の主食であった米を全員に行き届かせるための法律だ。農家が作った米を、政府が買い取り、国民へ配給するのだ。
これは当時、食糧不足に喘ぐ国民を救うためのものだった。農家はしっかりと作物を作れば国が買い取ってくれ、貧しい国民にも一定量の食料が与えられる。互いに利のある法律のはずだった。
ただ、根本的な食糧不足が解決したわけではない。都市部に闇市が生まれた。つまり、政府流通米ではなく違法である食物、所謂ヤミ米の販売である。
政府の配給分で生きていくのだけでは苦しかった。実際、食管法を厳守しようとしたある裁判官が、ヤミ米を一切口にせずに餓死した出来事がある。この事件によって、食管法のあり方が問われることになった。
ともあれ、第二次世界大戦後から日本国は復興を遂げ、食管法は必要がなくなった。形を変えて残ってはいるものの、1996年ごろにはこの法律は姿を消した。
そして、現在。
数年前の2209年、再び食管法が復活した。今度は米ではなく、肉に、だ。
肉を食べることは悪いことだ、という風潮が本格的に広まったのは2022年ごろだったと言われている。ある科学者の論文がきっかけだった。
豚は――科学者が論文を発表したのは豚についてが主だったが、後に哺乳類全体についてだと判明した――自分が殺される間際、人間でいう「謝罪」に似た鳴き声を発するというのだ。痛みを与えられ、残酷な方法で殺される。その時に生まれる彼らの行動は、「憎しみ」でも「恐怖」でもなく、「相手への謝罪」なのだ。
この論文が発表されてから、世論は急激に変わった。
『罪のない動物を殺してまで肉が食べたいのか?』
人間は、議論に議論を重ねた。
何の罪のない自分たちの命が奪われようとしているのに、彼らは私たちを憎むどころか許しを乞うている。何の心当たりもない、自分の罪を悔いている。そんな可哀そうなことをしてまで我々人間は肉を食べてもいいのだろうか? 私たち人間に、何かの命を操作するような権限があっていいのだろうか?
昼間のニュース番組で、頭の悪い女優はそんな趣旨の台詞を涙ながらに語った。以前バラエティ番組で偏食なんでお肉嫌いなんですよ、と笑いながらご飯を残し、今も毛皮があしらわれたコートを着ている彼女は、自分のしていたことを忘れたようだった。
それを見た時には心底軽蔑して馬鹿にしたものだったが、意外にも世間の反応は彼女に肯定的だった。
動物を殺すな、可哀そうだ、というニュースが連日報道されるようになった。今日のニュースも、殺人事件や児童虐待のニュースの後に動物保護を語っていた。肉料理を出す飲食店は、軒並み営業の自粛を始めた。研究目的で鯨を捕っていた日本の船が爆破され、三人が死んだ。皆がそれを自業自得だ、と嗤った。動物を殺そうとしたのだから、仕方がない、と。
何物にも、生きようとして生きている誰かの命を奪う事なんて許されないんだ。誰かが言った。
世間の動きに合わせ、狡猾な政治家が『食糧管理法の復活』を公約に掲げた。『豚や牛などの哺乳類の食用屠殺禁止』を謳った政治家は、驚くほど絶大な支持率を得て衆議院議員となった。彼は公約通り、食管法案を国会に提出した。議論は紛糾するかと思ったのだが、驚くほどあっけなく賛成多数で可決となった。まるで大きな力が働いているようだった。
しかし、いきなり肉が全て禁止になってしまったら、反対派の反発は避けられない。故に政府は、肉に変わる新たな食品を開発した。
ちょうど、昔から叫ばれていた少子高齢化が深刻な問題になっていた時だった。国民の2人に1人が老人で、年金は月に3万程度しか支給されない。地方は過疎が進み、バスや電車などの公共交通手段が無くなった老人が車を運転し、人を殺す。老人を入れておく刑務所の数が増え、維持費と人件費を捻出するのは若い世代。
この国もまた、もはや死にかけの老人と変わりは無かった。
そこに目を付けた政府が、犯罪者と老人を食用の肉に転用するという策を見出したのだ。
初めは勿論反対もあった。しかし実際に『ソイレント』と名付けられた人間の加工食品を口にして、世論は一変した。罪を犯した者や将来がない者ならば、食用に転じても許されるのではないか。この国はそんな思想に染まっていった。以前から食糧管理法に賛成の立場を示していたあの頭の悪い女優が広告塔になっていたことも、後押しとなった。
「社会に不必要な人間は必要な人間のお肉になってください!」テレビ越しの彼女の笑顔が、弾けた。
実際にこの『ソイレント』は食料確保だけではなく、日本の諸問題に関して解決の糸口を見つけた。高齢者や犯罪者が若い世代の血肉となることで活気が付いた。自分たちの働いた金が死にかけの人間の手元に行かなくなったことを喜び、GDPはアジアの大国を抜いて再び二位に躍り出た。犯罪抑止の効果もあり、凶悪犯罪はみるみる減っていった。
悪い事するとお肉になっちゃうよ、という脅し文句が親の間で流行った。
介護や看守などの人件費が大幅に減り、その分未来を担う教育の分野につぎ込まれた。それらの職に就いていたものは一時職を失ったものの、政府の公共事業などで以前より多くの賃金を得るようになった。介護疲れの自殺や警察の過重労働が無くなり、その分教員を志す者が増えた。
人間は、動物を殺すことなく、不必要な人間を殺すことで社会の安寧を得たのだ。
そして現在、食糧管理法は新たな広がりを見せている。高齢者や犯罪者など、社会に不必要な人間が食用にされる法律。それならば、定職についていない人間、心身に障害がある人間などもこの社会には不要ではないか、という解釈だ。
つまり、食用にする人間の範囲を拡大させる、というものだ。これは何の議論もなく決まった。大多数の人にとって、それは関係のない話だからだったからだ。
社会の役に立たない人間が淘汰される。それも、ただ淘汰されるだけではなく、有用な人間の役に立つ様になっている。もはや食糧管理法を疑う人間はいなかった。
かつて日本でとられていた優生保護法の考え方に似ている、とある専門家が政府批判を行ったが、彼はその後思想犯として逮捕され、食用になった。
そんな中、ある女優が会見に臨んだ。
それはかつて、食糧管理法を施行する上で広告塔になっていた女優だった。彼女曰く、反対派の誹謗中傷に心を病み、鬱病になってしまったらしい。
「私を食べないでください。不必要な人間だから殺すっていうのは、動物を殺すよりも愚かなことじゃないんですか」
彼女は涙ながらに語っていた。その声音は恐怖で震えていた。「こんなバカげた法律、今すぐに撤廃すべきです」
そんな会見に、記者たちから笑いが漏れた。テレビを見ていた私も思わず笑った。寝ぼけたことを言っているのは障害を持っているからだろう。健常者以外の意見に耳を貸す必要はない。屈強な男に連れていかれる女を見ながら、私はソイレントを口にした。
「あれ、しけってる」
昨日から袋を開けていたからか、ソイレントがしけってしまっていた。
私はそれをゴミ箱に投げ入れ、新しいソイレントの袋を開けた。




