第七章:オーディション
繁華街を歩いていると、鋭い目をした人がいた。その人は街ゆく人たち一人ひとりを刺すような視線で観察していた。とてもではないがカタギの雰囲気には見えなかった。隣にいるゲラ子に言おうか言うまいか迷っていると、男と目が合ってしまった。先方はスウっと目を糸のように細めた。まるで獲物を捕らえるハンターを思わせた。
『殺られる!』
先方はこちらの方に寄ってきた。かくなる上は差し違えてでも……。演劇部で得た知識を総動員して何かできることはないか考えていると、
「そんな殺気だてないでくださいよ。こわいじゃないですか」
呆れたような声を出した。ゲラ子もようやく気づいたのか、ウチと細目男の顔を交互に見渡した。そして男の人をじっと見つめて、
「殺し屋?」
正直な感想をつぶやいた。
「ちがいます!!」
賊座にピシャリと否定された。男をぐしぐしと頭をかきつつ、
「失礼ですが、お二人は演劇をやられています? とても姿勢がよいなと気になって」
確かにウチらは普段から姿勢よく歩くように意識しているかもしれない。筋トレも定期的にしているから、それなりに見栄えもいいのだろう。それでも初対面のイタイケな女子高生に尋ねるなんてまるで、
「ナンパのようですね」
ゲラ子が代弁してくれた。その目は楽しみつつも警戒しつつという色をしていた。男は諦めたような短いため息をついた後、
「まあ、そう見えますよね……。仕方ないですよね……。失礼しました。私はこういうものです」
ゲラ子に対して両手で名刺を渡した。友人は手に取って見回してみた。すると彼女の瞳に好奇心の色が混ざり始めた。気になって覗きみると、そこには男の名前と所属会社が記載されていた。会社名はウチらでも聞いたことのあるところだった。
男に連れられたカフェはアンティーク調の家具で整えられた、とても落ち着いた場所だった。懐メロをオルゴールで流していて、親しみやすい沈黙を醸し出していた。
「都会にもこんなところがあるんですね」
いつもスタバとかタリーズとかのチェーン店ばかり行っていたので興味深かった。
「昔はこういうところが主流だったんですよ。チェーン店がメインになるのは最近らしいです。今でも少しお金を払ってでも静かな空間を確保したい、という方々に需要があるんですよ」
ボックス席の奥にウチらを案内しながら、見た目よりも丁寧な声色で説明していた。メニューをみていると一杯のコーヒーでも普段の二倍くらいしていた。大人ってこういうお金の使い方をするものなんだな。
「それで劇に興味ある、というのは?」
ゲラ子が直球に聞いてきた。ウチも背筋を正して相手の顔を見た。男が見せた名刺には『剣音』と書かれていた。派手に露出しているわけではないけれど、硬い演技をする俳優を多く抱えるプロダクションとして人気だ。ウチらがよく見かける映画にも主役・準主役クラスの人が誰かしら出ているイメージがある。
「そんな人たちがスカウトなんかするんですね」
確かに。そんな大手の事務所だと俳優志望の方がわんさか集まってくるイメージがある。わざわざ先方の方からナンパまがいのことをする必要はないのではと思わないでもない。
「確かにオーディションとかをすると、たくさんの方々が応募されます。ただ。どうしてもある種の似た匂いの方々が集まってしまうんですよね。常に向上心を持ち、アンテナを張り、積極的に自分をアピールしていく。そういう傾向の人たちばかりになってしまうんですよ」
コーヒーが三人分運ばれた。最初に値段を見てしまったからか、いつもよりも濃厚な香りがただよっている気がした。男はカップから一口流し、
「私たちは物語に触れるときに、ドラマや映画の登場人物に自分を重ね合わせます。そう言う意味でも演じる方々は出来る限り、多様なバックグラウンドがあるほうがいいんです。重ね合わせられる選択肢が増えますから」
男はグラス水を手にとり、グッと飲み込んだ。話しを聞く限りだと、見かけによらず情熱的な側面があるようだ。
「私はあなた方に、普段オーディションに来る方々とは異なる匂いを嗅ぎ取った。そしてその匂いは世に出せるか問いた方がいい種類の匂いだと思った。だから声をかけた次第です」
こちらとしては選択肢を示しました。乗るかどうかはそちら次第ですよ。そんな泰然とした態度を取っていた。ウチは、
「確かに興味はあります。お察しの通りウチらは高校で演劇をやっている人間ですので。ただ……」
こっちが言葉を濁すとゲラ子が、
「正直に申し上げるとあなたが剣音の人間か確信が持てなくて。すみませんが、こちらも変なトラブルに巻き込まれたくなくて」
はっきりと口にした。先方はこういう会話に慣れているのかピクリとも表情を変えなかった。
「このご時世、疑念を抱く方がもっともです。ホイホイ信じられるとこちらとしても逆に心配になってしまいます」
それではと二枚の紙をみせた。どうやらオーディションの案内みたいだ。なになに。今度ドラマをやるので、脇役を募集とのこと。タイトルは数年前に流行った警察小説か。って、ウチらが以前文化祭でやったやつじゃん!
「内容に興味を持っていただけてとても嬉しいですが、まずはオーディションの場所を見ていただけますか?」
言われるがままに最後の方の欄を見た。なにない。会場は都内のオフィスと。
「では、私共の社名をどちらでいいので検索していただけないでしょうか」
二人で顔を見合わせたのち、ゲラ子の方がスマホで調べた。トップページには所属タレントやタレントが出演するドラマの紹介が掲載されていた。
「下の方に企業情報が載っているので、そちらを見ていただけますか」
言われるがままに企業情報をみると、小綺麗なビルの写真が出た。住所を見てみると、
「「あ」」
ゲラ子とウチが同時に声を上げた。案内所と同じ場所が書いてあった。
「信じてもらえたようですね。保護者の方と相談して興味があるようでしたら、ぜひオーディションを受けてください」
改めてウチらの前にチラシを渡した。ゲラ子と顔を見合わせて、とりあえずカバンの中にチラシをしまった。さて、オーディションか。どうしようかな。
家に帰ると兄しかいなかった。今日もまた真剣な表情で晩ご飯を作っていた。
「ねえ。父さんと母さんはどこ?」
オーディションのことについて相談しようと思ってたのに。
「父さんは福岡に出張。母さんは付き添い。三週間くらい留守にするって」
「えっ!? うそっ!」
反射的に大声を出してしまった。祥太もビクッと振るわせてこっちを見た。
「一応、数日前から言ってたけど……。聞いてなかったんだね」
珍しく呆れた表情でウチを見た。ああ。おぼろげながら思い出してきた。福岡行ったら何食べようかキャッキャッウフフしながら話していたっけ。よくある話だったから気にも止めないで聞き流していたや。
「あちゃあ……」
どうしよう。これだとオーディションを受けられないや。いや、特に興味はなかったんだけどね。ウチ、劇でご飯食べていくつもりなんかなかったわけで。でも、ちょっとは俳優の世界を覗き込むのもいい勉強になるかなと思ったわけで。誰も聞いていない言い訳を心の中でしていると、
「……なにかあった?」
今度は心配そうな表情をして尋ねてきた。
「いや……実は今日路上でスカウトされてね……。剣音っていうプロダクションからなんだけど」
「えっ?」
「オーディションやるから受けてみないかって。ただ、未成年は保護者の同意が必要みたいで……」
三週間だと全然間に合わないや。出張の時はいつも忙しそうだから、ウチのために帰ってきてもらうの悪いし。そもそも福岡からこっちに来るのだって大変だし。
頭の中でウンウン考えていると、目の前に驚いているのか笑っているのか、微妙な顔をした兄貴が立っていた。突如、ウチの頭上で電球がピコンと光った。
「ねえ。祥太ってウチの兄にあたるよね? だからウチの『保護者』にも当たるよね?」
「はい?」
困惑の表情を浮かべてウチを見た。反対にこっちは近年まれにみる満面の笑みを浮かべていた。
会場にみてみると十数人の若い女子たちがいた。ショートカット、ロングヘアー。雪のように白い肌に、健康的な小麦肌。なかなかお目にかかれない美女が一同に集まっている感じだ。いいフレグランスを使っているのか、ふんわりとした香りすら立ち込めている。女のウチですらドキドキ感を抱いてしまう。いわんや男の祥太は、である。
兄貴はこのキラキラした空気に飲み込まれ、軽く赤面して落ち着かなくなっていた。とはいえそれを放置するのもの妹として申し訳ないので、
「……あんたさ。大学で劇団やってたんでしょ。見慣れてるんじゃないの?」
ちょいと皮肉をいった。
「いやあ、働き始めてから芝居に疎遠で。こういう雰囲気は久しぶりだから緊張しちゃって……」
素直にそういってポリポリと頬をかいた。
「ダメですよ。キョロキョロしちゃ。ちゃんと妹だけを見なきゃです、いじらしく嫉妬しちゃってるじゃないですか」
ゲラ子がやいのやいのとチャチャを入れた。ウチは無言で彼女の頭をパチーンと引っ叩いた。結構いい音がしたので、周囲の目がこちらに刺さった。兄貴は苦笑いして諸々の方々にペコペコと頭を下げた。
「ふふ。にぎやかねえ」
ゲラ子ママがころころと笑いながらこっちを見ていた。
「あんたたち兄弟は相変わらず仲がいいわねえ」
娘と同じような冷やかしをした。
「いえいえ。そんなことないです。基本的に会話のない冷めた今時の兄弟です。はい」
わざわざ否定するのも違うと思うが、誤解されたままなのもあれなので、儀礼的に訂正しておいた。そんなウチをみて、ころころとまた笑った。
「では安藤小波さん。会場まで移動お願いします」
「ゲラ子、呼ばれたわよ。いってきなさい」
友人の背中をバンと押した。この子でも緊張するのか、気持ち硬い感触があった。
「オッケー。行ってくるわ」
それでも顔にだけはいつもと同じリラックスした表情となっていた。あの顔に出ない感じは羨ましいな。
堂々とした態度で控え室を出るゲラ子を見送ったところ、ゲラ子ママ・祥太・ウチは気まずい沈黙に包まれた。ただでさえ兄貴と口を交わさないのに、ここで接点のあまりない人が加わると、どうすりゃいいんだ。人慣れしていない自分について悶えていると、
「本当に。あなたたちって変わらないわね」
懐かしそうな目をしてウチと兄貴を交互に見た。まるで近所のおばさんのように。
「しばらく見ないうちに大きくなって」
まだウチらが兄妹ではなかったころ、よく二人で遊んでいたが、ときどち輪の中にゲラ子が混ざっていた。やっぱり下手くそな演劇をやってガハハと笑っていたっけ。自分の記憶では今と変わらずよく笑っていた。けど、我が家の方では紆余曲折があって、それなりにねじ曲がった部分があると思う。そういう意味もあって、
「ウチらは結構変わってしまったと思いますが……」
いらんことを口走ってしまった。こういうところはまだガキだ。
「そうかしら……?」
首をコクっとかしげた。ゲラ子の母親だけあって絵になっていた。
「たしかに棗ちゃんは少し大人しくなったし、祥ちゃんもね。頼もしくなった雰囲気が出たわ」
兄貴は照れ臭そうに笑った。
「それでも二人ともなんていうかな、素直そうな感じは全然変わらないわよ」
素直と言うのは褒め言葉なのだろうか。ウチの微妙な表情に気づいたのか、
「まあまあ。若い時なんて色んなことを吸収するのが仕事よ。褒められたと受け取っときなさいよ」
ウチの肩をバンバンと叩いた。……まあ、そう言われるなら、そうなのかも。とりあえずそう思うようにしておこう。
ああだこうだと話しているうちにゲラ子は控え室に戻ってきた。珍しく笑みがなく神妙な顔をしていた。
「どうだった?」
彼女の顔を覗き込みながら聞くと、
「いやあ、緊張したあ」
そうして、一気に弛緩した勢いの声が出ていた。
「先輩方のオーディションより五万倍つらかったわ~。いかめしい顔つきの人がズラーっと並んでてね、私の一声一声をじっくり聞いてんのよ。いやあ、つかれたわ~」
そしてペットボトルのお茶をごくごくと飲んだ。本当に気を張ってたんだ。
「棗、気をしっかりね。場にのまれるんじゃないのよ!」
握り拳をつくって応援してくれていた。何もそこまでしなくてもいいのに。ウチもあまりエール送らなかったし。
「次、香村棗さん。準備をお願いします」
名前がアナウンスされた。
「さあ、行ってきな!」
「棗ちゃん、しっかり!」
ゲラ子親子から心強い声援をもらった。少し遅れてから、
「……棗。頑張れ」
親指を立てつつも、弱々しく祥太は言った。どこか迷っている感じの兄貴の声が耳に入った。
「ウン、がんばるわ!」
そういって兄貴に対して親指を立て返し、意気揚々とドアを出て行った。思ったよりも緊張せず、それどころか身体に力が湧いてくる程だ。ゲラ子とゲラ子ママに声を返していないことに気づいたのは、廊下へ出てしばらく歩いた後だった。
ゲラ子が言っていた通り、審査する方々は鬼のように険しい表情でウチをみていた。一挙一動を絶対に見逃してなるものか、という覇気を感じた。そこにはスカウトされたときの和気藹々のかけらもなかった。
ひとまずウチは怖いオジ様方をぐるりと見渡し、
「香村棗です。よろしくお願いします」
頭もぺこりと下げて挨拶をした。
「はい。よろしくお願いします」
真ん中に座っている人が同じく頭を下げて挨拶をした。深く刻まれたシワから一種の凄みが出ていた。たぶんこの人がこの中で一番偉い人なのだろう。
「それでは台本をお渡しします。男性の箇所を私が読みますので、香村さんは女性のセリフをお願いします」
スタッフの方から使い込まれた台本を渡された。何人もの志願者が力強く握ってたのか、かなり年季の入ったしわくちゃ具合であった。
「それじゃ、始めます」
「はい。よろしくお願いします」
物語は主役である警察官とヒロイン役である新聞記者が朝食を取っている場面だ(まじで劇でやった部分じゃん)。一瞬の動きのために台本を皿のように眺めた。
朝の日の光が目に入ってきた。眠気と頭痛を抱えながら俺は意識を浮かびあがらせていた。昨日はアホみたいに飲んだな。吐き気がすけえ。
確か隣に新聞記者が座ってきて。あー思い出せねえ。いったいどうやって帰ってきたんだ。今まで何千万回と繰り返してきた二日酔いについて頭を巡らしていると、
「やっと起きた。スクランブルエッグとオムレツどっちがいい?」
それじゃあオムレツかな。自分で作ろうとしないものだから欲しいなあ。誰かに朝食を作ってもらうのはいいもんだなあ。って、
「何でお前がいるんだ」
何のひねりのないセリフをつい吐いてしまった。そこには台所に立っている岡田が見えた。ブラウスの袖をまくって、料理に入れる体制にばっちりとなっていた。
「あーその様子じゃ昨夜のことは覚えてないわね」
オーバーに頭を抱えながら言っていた。コイツもそれなりに飲んでいたと思うが、全く影響がなかったみたいだ。羨ましい限りだ。
「あんた本当大変だったんだから。『なぜこの世の中はこの俺の才能を見いだせないのか』。『なぜ人間はこの世に生まれたのだろうか』ということを延々と言ってたのよ」
うわあ。ひでえ。んなもん知らんがな。
「んで、最後はうつらうつらし始めてどうしようもない状態になったのよ。感謝しなさいよ。私があんたをここまで運んできてあげたんだから」
それはそれは。大変ご迷惑をおかけいたしました。何やってんだろう、俺。
「あ、そうそう。もう終電なくなってたから一晩部屋を借りたわ。一応、そのお礼よ。これで貸し借りプラス一ね。それと記憶を飛ばすほど飲むのはこれっきりにしなさいよ。認知症になりやすい頭になるらしいから」
いつの間にか朝食を作り終えており、彼女は皿に盛りつけていた。辺りには温かい卵のにおいが漂っていた。
「食器の場所よくわかったな」
「勘よ。勘」
何とはなしに二人で席についた。
「それじゃ、いただきます」
「いただきます」
楕円の形に整えられたオムレツにスプーンを伸ばした。割ってみると、半熟の卵がトロリとこぼれてきた。適度の固さに適度の柔らかさ。とても親しみを持てる味だった。
「お前って料理がうまいんだな」
「慣れよ。ずっと料理をし続けたら様になったのよ」
なんでもなさそうに彼女は言うが、相当長く続けてきたのだろう。俺には決して真似できない質だった。誰かが作った料理を久しく食べていなかったため、ゆっくり味わって口にした。
「ふふ。おいしそうに食べてもらえると作った甲斐があったわね」
ここで何か答えるのは気恥ずかしいので、聞こえなかった風を装っていた。その様子も見抜かれているのか、岡田は楽しそうな視線を向けていた。
最後のセリフを言い終えた後、数秒ほどの沈黙が流れた。その後、
「はい。オッケーです!」
真ん中にいる偉そうなオーラのある人が声をかけた。その瞬間、審査員席から弛緩した空気が流れた。つられてウチもホウとため息をついた。
「では結果は後日おって連絡します。本日はどうもありがとうございました」
「ありがとうございました」
入ってきた時と同じようにぺこりとお辞儀をした後、てくてくと出口へと足を運んだ。懸念事項がすべて去った今、足取りは軽かった。
控え室に戻ると、連れの方々の入り乱れる視線を浴びた。期待、不安、疑念。ウチ以上に色々と詰め込んだ色をしていた。無言の圧に押されつつ、
「た、ただいま」
と、挨拶をした。最初に兄貴ががおどおどと、
「おつかれ。……どうだった?」
感想を聞いてきた。
「それがね……」
頭の中に浮かんだことを口にしようとしたころ、
「受かりそう!?」
「それとも落ちそう!?」
「緊張したよね!?」
「疲れた顔してるよ!?」
「てかあの台本なに?? あんたズルくない!?」
女子陣の怒涛の問いかけを浴びた。兄貴は肩身が狭そうに、しょぼしょぼと一歩後ろに下がった。……さすがのウチでもちょっと可哀想に思いつつ、
「うーん。夢中で演じていたからなんともいえないや。気づいたらあっという間に終わってた感じ」
それでも以前演じただけあって、すんなり役に入り込めた。一つひとつのセリフが自分の言葉で出すことができた。
「私はセリフとちっちゃった。ちょっとこれは厳しいかなあ」
ゲラ子は口惜しそうに言った。いつも飄々としているだけにレアな姿だった。個人的にはゲラ子の方が余裕綽々でいたと思っていた。
「まあまあ。こういうのは最後は運だから。運。結果が出てからのお楽しみということで。ね?」
ゲラ子ママは娘とウチの肩をボンボンと叩いた。
「さあ、二人ともおつかれさん。打ち上げにおいしいものを食べに行きましょ!」
高々と宣言した。そういえば今の今まで何も口にしていなかった。二人が騒ぎ出した途端に空腹感を覚えた。兄貴はちょっとタジタジモードになっていた。かまびすしい女子三人に囲まれたら何を言われるかわかったものじゃないからな。
「……それじゃ、俺もお供させてください」
逃げなかったことは褒めて使わそう。
「おっしゃ。打ち上げよ! 焼肉よ! 冷たいビールよ!」
「いえーい! 焼肉だ!」
「…い、いえーい」
「…い、いえーい」
ハイテンションな親子につられて、ローテンションな兄妹はおずおずと手をあげた。こうして無事に任務をおわったウチらは、近場の焼肉をみんなでたらふく食べた。唯一の男である兄貴が玩具にされたのは思った通りであった。
*****
どこまでも広がる冬の世界。しんしんと雪が降りしきっていた。吐く息はたちまち白くなった。特に寒いわけではないが、この景色で体感的に冷えた心地がした。
「……いつもの夢かな」
別につまんない夢や怖い夢じゃないからいいけど、いつまで続くのだろうかと思わないでもない。さすがに何度もリアルな光景を見ると薄気味悪くなってくる。
「とりあえず相棒を探しますか」
いつも一緒になる猫もどきがいると考え、あたりを見渡した。深い吹雪の中で周りはまったく見えなかった。
「うーん。ダメだな」
諦めて一人ここでボーッとするかと考えたところ、視界の隅の方でゴソゴソとうごめく物体が見えた。色と形からすると猫又の彼っぽかった。
「あんなとこにいたのね。まったくもう」
ずぼっずぼっと音を立てつつ、ゆっくりと前に進んだ。疲労感は全くないがなかなか前に行けないからストレスがたまる。
「早く目が覚めないかな」
誰が聞くわけでもない独り言をつぶやきつつ、話し相手の方に近づいてった。次第に先方の輪郭がはっきりするにつれ、違和感を覚えてきた。彼は悪天候の中で横に倒れたままピクリとも動かなかった。そして黒い毛とその周囲に赤い染みが広がっていた。
「ちょっと! あんた大丈夫!?」
急いで知り合いの元へと駆け寄って、彼を抱き起こした。口元に手を持っていくと、呼吸している気配がある。
「ねえ……。どうしたの?」
声をかけても返事がなかった。様子見もかねて額に手をかけると、
「……さわるな」
低い声で、けれどもはっきりとした調子で口にした。今までとは異なる明確な拒絶の意が込められていた。
「……っ」
どうしていいかわからず、おどおどしながら知り合いを見た。先方は数回浅い呼吸を繰り返して、
「……もう……限界だ」
ぼそっと言った。もう息絶え絶えで声を出すのも精一杯という気配があった。
「限界って……どう意味?」
薄らと目を開けてウチの方に顔を向けた。数秒を無言でこっちを見つめて、ゆっくりと口を開いた。
*****
身体を起き上げるといつもの我が家が広がっていた。もちろん雪など積もっていない。Tシャツは汗でびっしょりとしており、手は細かく震えていた。
「まじ最悪……」
かつてないほど嫌な夢だった。普段だったら目覚めて安心するが、今回に限ってまったく心が晴れなかった。
「なんなの……。あいつどうしちゃったの」
声をかけたいのに会えない時ほど、もどかしいものはない。直感的にもう一回寝ても巡り合えないと判断した。
「無事だといいんだけど」
ただただ悪い予感しかしなかった。そして短い人生経験上、悪い予感というのは得てして当たりやすいというのが判明している。かつてないほど嫌な目覚めを感じた。