プロローグ:夢
子どもの頃の夢を見た。ウチの目の前に男の子が一人いた。場所は近所の公園で、最近見かけなくなったシーソーが隅にある。彼はウチの前で頭を下げ、足の側に手をかざしている。まるで見えない靴があるかのように。
『うわあー、ぴったりだー。このくつはあなたのだったのかあ』
棒読み。区切り方が不自然。動きが硬い。お芝居としてはマイナス五百点。生真面目そうな顔どおりの演技だった。
『おじょうさん。おなまえは?』
けれども。演じるのが楽しいのか。それともウチと遊んでいられるのが嬉しいのか。彼の目には生き生きとした色が出ていた。
『はい! シンデレラともうします!!』
ウチのセリフもどっこいどっこいだ。大きく・はっきり・元気に発声している。シンデレラは継母たちから虐められており、自己肯定感が欠落している。登場人物の気持ちを全く汲み取っていない。むしろ汲み取ろうとすらしていない。
『祥ちゃん、うちをおしろにつれてって!』
それでも。ハタから見るとウチも同じ表情をしていたのだろう。演じることが楽しかったのか、その子と遊んでいるのが楽しかったのか。たぶんそのときは両方の気持ちがあった。
『よろこんで。なつめちゃんをぜったいに幸せにするよ!』
こちらに合わせたのか彼もアドリブを入れてきた。顔はほのかに赤みを帯びていた。そりゃそうだ、この年頃だと演技でも口にするのが恥ずかしいセリフだろう。よく言葉にできたものだ。
『やくそくだよ! うちがこまったらたすけにきてね!』
調子に乗って。このガキは何様だか。この年齢にして男は自分に尽くすのが当然という考えを持っているようだ。将来は嫌な女になるだろうな。実際にその通りになるのだが。
『約束するよ。おひめ様が困ったら、必ず助けに行くよ』
彼は彼でためらいを全く見せずに、お姫様の要求に従っていた。そのセリフを口にしたときには、ある種の喜びすら見えていた。将来は尽くす側の人間になるだろう。それが幸せなのかどうか、ウチには分からないが。
『……』
『……』
幕が下りた。言うべきセリフはすべて出し、彼らには一種の緊張感が走った。
『『ぷっ。ははは!』』
そして二人の間には弛緩した空気が流れ、楽しそうに笑い声をあげていた。拍手もカーテンコールもなく、ただただ満足そうな笑い声が響いた。
いつの間にか空は朱色に染まっていた。赤トンボ達が空を飛び回り、ほのかに冷たい風が吹き始めていた。道路には子どもたちで賑わっていた。時計はもう夕暮れ時を示していた。
公園前には二人の大人が立っていた。男の子の前に近寄り、
『祥太、帰るぞ!』
『今日のご飯はカレーよ!』
両親が彼を迎えに来ていた。それぞれの手には買い物袋がにぎられていた。
『うん、わかった。バイバイ、なつめちゃん!』
彼は両親の元に走りつつ、ウチに向かって大きく手を振っていた。その表情には名残惜しさがにじみ出ていた。
『うん! 祥ちゃん、またね!』
ウチも男の子に負けじと大きく手を振っていた。充実感と同じく名残惜しさの気持ちをこめていた。彼が見えなくなるまで、何度も何度も手を振っていた。
『……』
友人が去ると急速に寂しさが増してきた。自然と両手を身体に回していた。公園にはウチ以外に誰も見当たらなかった。まるでこの世に一人ぼっちであるかのような心細さを抱いていた。地面に向かってうつむいてると、突然両側から身体を持ち上げられた。
『うわあ!』
『おーし、棗も家に帰るぞ』
『今日のご飯はたらこスパよ』
後ろから両親の声がした。ウチもパパとママに連れられて、公園の外に連れられた。
『もう。ひとりであるけるよ』
それでも特に抵抗もせず、されるがままにぷらぷらと揺らされていた。そして楽しそうにきゃっきゃっと笑っていた。そこにはもう寂しさのかけらもなかった。
自分の中でこの夢はかなり古い時期のものだと認識していた。周りの風景が古いこともそうだし、ウチの演技が下手くそだったのもそうだったけれど。それ以上に祥ちゃんに父親がいたこと、ウチに母親がいたこと、そして祥ちゃんとウチが兄妹でないことが昔の夢ということを示していた。