婚約破棄されたので肉食令嬢になってみせます
「クリスティーヌ、大変申し訳ないんだが、婚約破棄を受け入れてくれないか」
侯爵家の跡取りデイビット様から突然の申し出、理由は一目瞭然です。
デイビット様の腕にぶら下がってるのはイレイン。伯爵家の子女です。
人前でこうもべたつくなど貴族として恥ずかしくないのでしょうか、この人達。
今日はデイビット様の18歳のお誕生日。
周囲を取り囲む貴族達が顔をしかめているのにもデイビット様は気付いていません。
イレインにそうとうデレデレのようです。
「分かりました」
人前で突然の婚約破棄。最大級の侮辱と言ってもいい申し出に、私は表情を殺して応えます。
正直、手に持っている生クリームのついたフォークで腕辺りをグサグサやってやりたい気持ちでいっぱいですが、そんなことをやっても何の得にもなりません。
「おお、そうか」
デイビット様、いえ、こんな男に様を付けるなど腹が立つ。
デイビットの野郎は嬉しそうに笑いました。
もうちょっと申し訳なさそうな顔を持続できないのでしょうか、この野郎は。
「……さようなら」
ケーキの最後の一切れをフォークで口に放り込んで、私は侯爵家をさっさと辞しました。
人々の視線が私に突き刺さります。
その視線の中に、アルバート殿下を見つけ、私は小さく礼をしました。
アルバート殿下は何か口にしたげに頬を動かしかけましたが、彼ははずかしめを受けたばかりの女を長くその場に呼び止めるようなお方ではありません。
黙ってアルバート殿下は私を見送ってくださいました。
我が自宅、伯爵家に戻り、お風呂に入り、ソファに腰掛け、私は口を開きました。
「というわけで、肉食令嬢になろうと思うの」
「どういうわけですか……?」
我が家のメイド、アリスは呆れます。
アリスは私の2つ上、18歳。
実は没落貴族のお嬢様で、親類に当たります。
お家が没落したときにお父様が拾ってきたのです。
メイドとして働いてはいますが、私にとっては姉のような存在で、なんでも話せる相手です。
「とりあえず手始めにデイビットの愛馬を喰ってやろうと思うのだけれど」
「待ってください、クリスティーヌ様。肉食令嬢ってそういう意味ですか?」
「他にどういう意味が?」
「私は昨今では、恋愛に積極的な方を肉食令嬢とかいうと聞いています」
「初耳ね」
「初耳でその言葉を選ばれたんですね……」
「けっこう美味しいらしいのよ、馬」
「私はあんまり食べたいとは思えませんけどね……」
「アルバート殿下が言ってたの!」
「あ、アルバート殿下がですか……」
アルバート殿下はこの国の第一王子。デイビットと同じ年齢でご学友でいらっしゃいました。
デイビットとの付き合いの中で、私もあの方と同席する機会が何度かありました。
今日のデイビットの振る舞いを見て、どう思われたやら。
アルバート殿下は王子教育の一環で諸外国に留学経験があります。
この国では馬は食料ではないのですが、アルバート殿下が赴かれた国のひとつで馬は常食されていたそうです。
「あ、アルバート殿下がそう言うならそうなのでしょうけど……いえ、駄目ですよ。デイビット様のやったことは侮辱もはなはだしく、とうてい許すべきことではありませんが、だからといって、人様の家の馬を食べるとか淑女の発想じゃありません。忘れましょう」
「食べてみたいなあ……馬……」
「さては恨みより食欲に支配されていらっしゃいますね?」
アリスは苦笑して、私のベッドに向かいました。
「さあさ、クリスティーヌ様、もうお眠りなさいな」
「はあい」
「……大丈夫です、クリスティーヌ様、きっと良い方が見つかりますわ」
「そうだといいけど……」
うつらうつらとしながら、私は答えました。
「……おやすみなさい、いい夢を」
「ありがとう、アリス」
それからというもの、私は何事もない日々を……過ごせませんでした。
デイビットに婚約破棄されたという噂は瞬く間に国内を広がり、あちこちから、求婚の手紙が届いたのです。
「……くっ、モテる自分が恨めしいっ!」
一通一通に、丁寧にお断りの言葉をしたためながら、私は頭をかきむしりました。
「ひとりくらい会ってみればいいのに」
アリスが彼女にも届いた親戚からの手紙を開封しながら、笑います。
「しばらく恋愛ごとはもういいわ……」
「そう言っていると、一気に婚期を逃しますわよ。肉食令嬢になっちゃえばいいのに。誰かとお幸せになればいい」
「くっ……いえ、めんどうだわ」
そもそも婚約だって家同士が決めたことなのです。
私、恋愛なんてどうやるのかも知りません。
「兄に聞けば良いかしら……」
「どうですかね……やめといた方が良いと思いますけど……」
我が家の不逞の兄、ミッシェルは浮名を流しまくりのプレイボーイです。
未だに特定の女性を作らず、遊びまくりのクソ野郎なのです。
アリスは兄のことが苦手なようで、いつも兄の話となると苦い顔になります。
求婚の手紙に、「傷心中につき、今はそのような気持ちになれません」と毎日、書き続けました。
さすがにデイビットの馬は食べられないので、シェフに肉料理を頼み続けて肉食令嬢をやりました。
そうしていると事件が起きました。
「くくくくくクリスティーヌ様!!」
「どうしたの、アリス、騒がしいわ」
「やっちゃったのですか!? やってしまったのですか!?」
「何を?」
「デイビット様の愛馬が何者かに盗まれたそうです!」
「ええっ!?」
もちろん私じゃありません。ありませんが……。
「時期的に、クリスティーヌ様と我らが伯爵家が疑われています!!」
「馬なんて盗んでどうするのよ!」
「クリスティーヌ様がデイビット様のお屋敷を辞していくとき、ケーキを残さず食べていった姿が、食いしん坊令嬢だと噂になっているようです!」
「あんなことで!?」
「あ、アルバート殿下の馬を食べたお話を聞いているクリスティーヌ様がとても蕩けるような顔をしていたとも評判です!!」
「おのれ、アルバート殿下! 余計な話を!!」
「と、とりあえず、クリスティーヌ様の差し金ではないのですね!」
「アリス、あなた私をなんだと思っているの……」
「肉食令嬢……?」
「アリス……」
とんだ濡れ衣もあったものです。
「いえ、でもこれは確かに私が疑われてもおかしくない状況……そうだ、恋愛! 恋愛をすればいいのだわ! アリス!」
「なんと!?」
「宣言通り、肉食令嬢になります! 新しい恋をしていれば、ああこいつデイビットに未練とかないな、濡れ衣だなって思われるに違いありません!」
「そう、かなあ……?」
「もう身近で繕ってしまいましょう! ジェレミーの家に行ってきます!」
「なんとびっくり徒歩5分!」
ジェレミーの家は徒歩5分。お隣さんです。
ジェレミーには今、婚約者はいないはずです
とりあえず、お隣を尋ねましょう。
「たのもー!」
「クリスティーヌ様、クリスティーヌ様、淑女、淑女に戻ってください」
婚約破棄の痛手があります、を言い訳に数日引きこもっていた私は淑女らしい振る舞いを忘却してしまっていました。
これはいけない、さすがのジェレミーにもドン引きされてしまうでしょう。
淑女……淑女って何でしたっけ……?
「やあやあ、クリスティーヌ!」
同い年のジェレミーはにこやかに私を迎え入れてくれました。
「ご機嫌よう、ジェレミー」
「大丈夫か? 意外と元気そうだな……まったくデイビット様と来たら、侯爵だからってやっていいことと悪いことがあるぞ……」
「ありがとう、ジェレミー……でも、私、今はそんな話をする気にはなれないの」
「ああ、すまない」
「……ジェレミー、それで、あなたの……その、婚約者の……ことなのだけれど」
「どこからそれを?」
「ん?」
「あはは、なんだか恥ずかしいな。そうなんだ。婚約がようやく決まったんだよ……婚約破棄されたばかりの君の耳に入っていたとはね……」
「……おめでとう、ジェレミー」
そうです。淑女とはこういうときには、にっこり微笑むものだったはずです。
「ありがとう、クリスティーヌ……君にもいい人が現れること、祈っているよ」
「……ええ」
「それから、アリス。どうかクリスティーヌを支えてあげてくれ」
「はい」
私に長く仕えているアリスとジェレミーも当然、顔見知りです。
中には使用人ということでアリスを冷遇する貴族もいますが、ジェレミーは違います。
アリスにも優しく声をかけてくれます。ジェレミーはいい人なのです。
「どうぞ、お幸せに。奥様になる方とも仲良く出来たら嬉しいわ」
心の底から私はそう言って、ジェレミーの家から退出しました。
肉食令嬢への道は険しいものですね。
それから一週間が経ちました。
私は返事をまだ出来ていない手紙の中から、男の方を見繕っていました。
なかなか条件の良い方はいません。悩ましいところです。
そんな中……。
「クリスティーヌ! クリスティーヌを出せ!」
「おやめください!!」
階下から男の罵声と、必死に押しとどめる使用人たちの声が聞こえてきました。
「……何?」
「駄目です、クリスティーヌ様、部屋にいてください。私が様子を見てきます」
「……で、でも……」
「絶対に出てきちゃ駄目ですからね!」
「うん……」
アリスがパタパタと部屋を走り去っていきます。
「…………」
「クリスティーヌ!!!」
……駄目、私だけ部屋にいるなんてできない。
恐る恐る部屋から外を出て、手すり越しに1階のエントランスを見下ろします。
そこには怒り心頭のデイビットがいました。
「分かっているんだ! クリスティーヌだろう! あの女が俺の愛馬を……!」
「濡れ衣も大概にしてくださいませ! 厩舎ならもう見せたではないですか!!」
「なら、どこか遠方にでも隠しているのだろう!!」
「お帰りください!」
「……クリスティーヌ様はそのような方ではありません!」
デイビットを押しとどめる使用人の中に、アリスも混ざっていました。
険しい声をしています。
「ただでさえ、人前で婚約破棄など言い渡しておいて、これ以上の侮辱はおやめください!」
「……アリス」
私は口の中で彼女の名前をポツリと呟きました。
「どけ! 使用人風情が!」
デイビットがアリスを突き飛ばしました。
「何をするの! デイビット!」
私は叫んでいました。
階段を駆け下り、アリスに近付きます。
「アリス! 大丈夫!?」
「……はい」
アリスがよろよろと起き上がります。
「痛むなら無理をしないで……」
「クリスティーヌ!」
「なっ……」
使用人たちを突破したデイビットが私の胸ぐらをつかみ上げました。
「あ、あなた……」
「返せ! 俺の馬を返せ!」
「いい加減に……」
「これは酷い。いや、酷いな」
心の底からうんざりした声が、エントランスに響き渡りました。
その声の主を見ると、そこにはアルバート殿下がいらっしゃいました。
後ろの護衛の方が動こうとするのを片手で止めてらっしゃいます。
「あ……」
「兄上様!」
アリスが目に涙を溜めて叫びます。
「クリスティーヌ様を助けてください!」
「もちろんだとも、アリス」
アルバート殿下は妹に微笑みかけると、ツカツカと私たちに近寄りました。
「……兄上様?」
デイビットが心底意味が分からないという声を出します。
「その手を離せ、デイビット」
いつもの朗らかで気さくなアルバート殿下とは思えない冷え切った声でアルバート殿下は凄みます。
「は、はい……」
怯えた声でデイビットが私の胸ぐらをつかんでいた手を離しました。
「ごほっ! ごほっ!」
「大丈夫か、クリスティーヌ嬢」
「は、はい、ありがとうございます。アルバート殿下……」
「まったく……とんだ醜態だ、デイビット。そもそも公衆の面前で女を振っておいて、フォークで刺されなかっただけマシだと思わないのか?」
「そ、それは……」
あ、バレてますね。私が婚約破棄の日、フォークを握り締めてたのバレてますわね?
「……お前の馬が見つかったぞ」
「……え?」
「貴族の乱れは国の乱れに通じる。疑心暗鬼は取り除かねばならない。俺の手の者を使って、捜索させていた」
「で、殿下の手を……わずらわせて……?」
嘘です。恐らく本当はアリスのいる我らが伯爵家が疑われているのに危機感をお持ちになったのでしょう。
「……お前の馬を盗ませたのは、イレインの手の者だ」
「……は?」
「イレインが犯人だ」
「な、何故イレインが!?」
「……馬鹿馬鹿しくもよくある話だ『私と愛馬どっちが大事なの?』というな。もうイレイン嬢には会って、色々と諭してきたところだ。後は二人で話し合え」
「……し、失礼します……」
アルバート殿下がこんなことで嘘をつくはずもありません。
すごすごと、デイビットは帰って行きました。
「……はあ」
私は何だかホッとして、はしたなくも床にしゃがみ込んでしまいました。
「クリスティーヌ様! 淑女! 淑女!」
「いいじゃない、もう。ここには使用人とあなたの兄上しかいないんだもん。皆、家族みたいなもんよ」
「殿下! 一応、兄上様ですけど、殿下ですから!」
そう、アルバート殿下はアリスの双子の兄上なのです。
双子は不吉の証ということで、アリスはアルバート殿下の母君のご実家に預けられて育ちました。
その結果、公爵家が様々な窮状に立たされ、没落するのですから、本当に不吉なのでは……と囁かれ、行き場をなくしたアリスを助けたのが私のお父様です。
我が父ながらいい仕事をしたものです。
本来なら、アリスのことは養女として、私の姉として迎え入れてしまおうとお父様は思っていたようですが、不吉な双子という烙印を押されたアリス自身がそれを拒みました。
アリスは本来なら王女殿下という立場でありながら、我が家でキリキリとメイドとして働いてくれました。
「……本当、アリスはすごいわ」
しみじみと私は頷きます。
「……慣れましたの、もう。さあ、立ってくださいませ。応接間でお休みしましょう」
私たちが、応接間に向かうと、何故かアルバート殿下がついてきました。
私たちは応接間に向き合って座ります。
……アルバート殿下のおもてなしの用意が何もありません。
どうしましょう?
私が困っていると、アルバート殿下が口を開きました。
「……アリス、ミッシェルとの関係はどうだ?」
「あああああ兄上様!」
アリスが顔を真っ赤にして、叫びました。
「クリスティーヌ様の前でその話は!!」
「ん? 内緒だったか」
「え? え? え?」
ミッシェルとは私の兄ですが、ええと、あいつとアリスの関係?
……え? そういうことですか?
「アリス!? いつの間に!?」
「ひ、一目惚れで……」
「一目惚れ!?」
つまりは我が家に来てからずっとということでしょうか。
兄の話をするときアリスが苦い顔をしていたのはまさか照れ顔!?
「え、あ、まさか、あなた、兄のことが好きだから養子になるのを拒んだの!?」
「……はい」
「そ、そんな……そんなことって……」
「ご、ごめんなさい。騙すつもりはなかったのですが、あまりにも人に打ち明けるには恥ずかしくって……」
「兄、殺す」
「クリスティーヌ様!?」
「こんな健気なアリスに思われているのに、遊びまくりのクソ野郎、殺す」
「物騒だな、お前の主は」
アルバート殿下が苦笑いでおっしゃいます。
「兄上様! クリスティーヌ様、いいのです。いいのです、私の勝手な片思いでしたし……、あと、最近は遊びも控えてくれるようになってきましたし……」
「片思い、『でした』? 控えて、『くれる』?」
それは、その言い方は、まるで。
「……黙ってて、ごめんなさい!」
アリスが思いっきり頭を下げました。
「わ、私たち、クリスティーヌ様がデイビットのクソ野郎に婚約破棄された日に……その……む、結ばれました」
「きゃー!?」
アリスの大胆な告白に私は淑女らしからぬ悲鳴を上げました。
「妹はいつも君にべったりだから、機会がなかった。今日はいない、ようやくふたりきりになれたね……、とミッシェル様が言ってくださって……」
「聞きたくない。あなたの恋バナは聞きたいけど、兄のそういうのは聞きたくない……」
「でも、クリスティーヌ様が婚約破棄されたので、言うに言い出せず……」
「それで俺が色んな秘密話の吐き口になったというわけだ」
からっとアルバート殿下が笑いました。
「と、とんだ肉食令嬢がいたわね! ここに!」
私はもはや混乱の極みです。
「ごめんなさい……」
「謝る必要はないわ! それで! 式の日取りはいつ!?」
「ま、まだ決まっていません」
「さっさと結婚しておしまい! あの兄だもの! さっさと首輪を付けるといいわ!」
「は、はい……」
「ぜえはあ……」
私は一気に疲れてしまいました。
「……ええと、私、あの、お茶を煎れてまいります」
「いや、そんなこと、他の使用人に任せなさいよ……」
兄上様が来ているのよ?
「……では!」
アリスはさっさと立ち去ってしまいました。
「……照れてるのかしら?」
「俺に気を遣ったのだろう」
「は?」
むしろ気を遣って退室するべきは私の方のはずです。兄妹の久しぶりの再会なのですから。
「アリスとはいつも手紙でやり取りしている。久しぶりに会ったという気はしない」
「そう、ですか……」
「……やっとふたりきりになれたね、クリスティーヌ嬢」
「はい?」
アルバート殿下がすっとソファから立ち上がると私の隣、アリスが座っていた場所に移動してきました。
「……あの?」
「君は知らないだろうけれど、君のことを俺はよく知っている。アリスが君のことばかり手紙に書いていたからね」
……その手紙って肉食令嬢とかの馬鹿馬鹿しい話も書いてあったのでしょうか?
だとしたら相当に恥ずかしいのですが。
「……俺はすっかり、アリスの目を通じて、君のことが……うん、好きになってしまったよ」
「え?」
「アリスにいつも良くしてくれて、ありがとう。本当はあの婚約破棄の晩、すぐにでも追いかけて思いを伝えたかったが……気高い君がそんなすぐに俺に乗り換えてくれるわけもないからね」
「け、気高い……かしら、私?」
「アリスはそう言っていたよ。隣のジェレミーを口説きに行ったら見事告白前に振られたときの態度にも感服したとも言っていた」
「あら、ジェレミーのことまで……」
これはかなり筒抜けですね、私の情報。
「そ、そんな、尻軽で男なら誰でもいい、みたいな私に迫るだなんて殿下ったらご趣味が悪いですわ」
「尻軽で男なら誰でもいいなら……俺でもいいだろう?」
「……いえ、そんな、あの……ええっとお」
「……それとも俺のような男は嫌いかな?」
「いえいえ、嫌いではないです……嫌いでは……ないですけど……」
恐れ多いです。
私なんかがこの国のいずれ王になられる方と浮名を流すなんて、あり得ません。
……こうお話しているうちにも、殿下の手は私の肩にさりげなく置かれ、もう片方の手は私の頬に伸ばされています。
マズいです。顔が赤いです。淑女のものとは思えません。
「あ、あの、ええと、その……」
「ウブだね、君は」
「…………」
デイビットとの間は一から十まで政略結婚で、恋愛らしき雰囲気など一切ありませんでしたからね……。
「……よく分かりました」
私は観念して答えます。
「おや、何が?」
「私に、肉食令嬢は無理です……」
「あはは。じゃあ、俺が肉食になろう」
すっとアルバート殿下の顔が近付いてきます。
「私と婚約してくれ、クリスティーヌ」
「は、はひ……」
大事な返事すら、噛みました。もう駄目です。おしまいです。
そんな私の役立たずの口をアルバート殿下の口が塞ぎます。
私たちはしばらく顔を寄せ合っていました。
すべてを察していたのか、一向にアリスは戻ってきませんでした。
こうして、私はアルバート殿下の婚約者となり、しばらくして結婚しました。
デイビットとイレインのことはすっかり世間で噂となり、別れるにしてもお互い貰い手がないので、もうくっつくしかないという状況にまで追い込まれたそうです。どうぞお幸せに。
そしてアリスもまた兄と結婚し、かわいい双子の赤ちゃんをもうけました。
「ああ、かわいい!!}
実家の一室、ゆりかごの中、寄り添う甥と姪に、私はとろけきります。
背後でアルバート様も、ニコニコ目を細めています。
「……一緒に育てるんだろう? アリス」
「……はい」
アリスは幸せそうな目で双子の赤ちゃんを見つめていました。
「ミッシェル様もお義父様もお義母様もお許しくださいました」
「この子達が双子は不吉などという言葉を吹き飛ばすような、幸せな子供たちでありますように」
アルバート様が心の底からそうおっしゃるのを、私はしみじみと聞いていました。
「いやあ、しかし、あれだな、クリスティーヌ、こうして見ていると……早く子供がほしくなるな?」
耳元で囁くように、アルバート様がおっしゃいました。
「……は、はひ」
相変わらず肉食令嬢にはなれない私の口が変な声を漏らすのを、アリスとアルバート様はニコニコと見つめてきました。
こうして見ると二人はそっくりです。
「そろそろ我が妻には慣れてほしいものだ、私の愛に」
「なかなか……難しいです……」
そう言い返すのが精一杯で、私はごまかすように双子の甥と姪に視線をやりました。
そんな私を背後から、アルバート様は抱き締めてきました。
「きゃあっ!?」
「もう、兄上様! 子供の教育に悪いです!」
「ははは、まだ、分からないさ」
「人前でベタベタしない! クリスティーヌ様まで軽い女だと見られるでしょう!」
「人前って言ったってお前しかいないじゃないか」
「それでもです! クリスティーヌ様は淑女! 淑女なのです!」
「ありがとう、アリスお姉様」
私の言葉にアリスは一瞬驚いた顔をしました。
「アリスはもうお姉様だわ、兄の妻だし、夫の妹だから……あれ? じゃあ、私が姉……?」
「あはは」
アルバート様が笑い声を上げました。
「どちらでも良いんじゃないか、君がそう呼びたい方で」
「そうですね、そうですとも」
「……恐縮です、クリスティーヌ様の姉だなんて……でも、嬉しい」
アリスはなんだか少しだけ泣きそうな顔をして、そうして微笑みました。
「……はあ、お前たち二人の前には俺の愛も敵いそうにないな」
アルバート様はため息をつくと、私の裸の首筋に顔を埋めました。
「きゃあああっ!?」
「兄上様!!」
「あはは」
私が淑女らしからぬ悲鳴を上げ、アリスがアルバート様を叱りつけ、アルバート様はまたも笑う。
そんなにぎやかな光景が、とても愛おしい。
私は肉食令嬢にはなれませんでしたが、幸せにはなれたようです。