60話 夜這い
『随分と楽しい夜を過ごしたそうじゃないか』
「おわっ!?」
暗い夢の中に意識を沈めていると、突然誰かに声をかけられて驚いてしまった。
振り向くとそこにはキリリンが腕を組んで仁王立ちしているのが見える。
「なんだ、キリリンか。驚かすなよ……」
『ふんっ……』
あれから俺はすぐに眠りについたのだが、意図せずに『夢の部屋』に入ってしまったようだ。
だがキリリンの様子がどうもおかしい。
彼女は茹でタコのように真っ赤に染め上がった顔をプイッと背ける。
「どうしたんだよ、キリリン。まさか俺たちが宴会を楽しんでいるのが、そんなに羨ましかったのか?」
『そんなわけあるかっ!』
キリリンはあからさまに苛立ちの感情を露わにさせて地団駄を踏んだ。
「じゃあ、一体何をそんなに苛ついているんだよ……」
「……っ!」
俺に問い詰められてもキリリンは恥ずかしそうに顔をしかめて言葉を詰まらせる。
『まさかメルカにあの夜のことを見られていたとは……』
あ、ああ〜……あの事か。
どうやらキリリンは俺に吸血されている所をメルカに見られたことが恥ずかしいらしい。
確かに血を吸われていた時のキリリンはいつもと違ってどこか艶かしい感じではあった。
「なんだよ、そんなことを気にしていたのか。別にいいじゃないか」
『貴様に妾の気持ちの何が分かる! あれはだな!』
「あれは?」
俺が深く質問すればするほど、キリリンの顔は紅潮していく。
『そ、そんなことより! さっき簡単に変身が解けてしまうとはなんてザマだ!』
とっさに話題を変えて誤魔化すキリリン。
「いや半日も保てたんだから、最初にしてはいい成果だっただろ?」
『ええい、うるさい! 今度は体力と魔力を消耗しても人間の姿を保っていられるように、みっちり訓練してやる! 覚悟するがいい!』
「おいおい、マジかよ……」
俺はうんざりしたようにそう呟いた。
前回訓練を受けたとき、夢の中ではそれほど疲れは感じなかったのだが、今日に限ってはなぜか身体が何かに縛られているように重く感じていたからだ。
『行くぞ!』
「ちょ、待て!」
『問答無用だっ! はぁっ!』
俺が止めるのも聞かずに、キリリンは半ば憂さ晴らしをするかの勢いで、腰の剣を引き抜き飛びかかってきた。
迫り来る攻撃を躱そうと慌てて身を翻そうとするが、身体が思うように動かすことができない。
「や、やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
抵抗の声も虚しく、キリリンの剣撃は無惨にも俺の身体を叩き切ったのであった。
──
「んんんんっ……」
夢から覚めた俺は暗い部屋の中で一人唸り声を上げる。
キリリンに斬られたはずなのに身体はどこも痛みを感じない。
どうやら『夢の部屋』で攻撃を受けても、現実の世界では傷を負わないようだ。
しかし全身に何かがまとわりついているようで、俺は身動きが取れないでいた。
「んんんんっ!?」
そしてその何かは、顔面に直接押し付けられていて、なんだか生暖かい温度とプニプニとした柔らかな感触が伝わってくる。
夢で感じた違和感もこのせいだったのだろうか。
ともあれこのままだとまともに息をすることすら出来ないので、無理やりその物体を身体から引き剥がした。
「ぷはぁっ!」
ようやく身体の自由を取り戻すと、何が身体を拘束していたのかを確かめるために魔法で暗闇を照らすことにした。
「ま、『照明魔法』……」
魔法の詠唱が終わり柔らかい光がベッドの上に降り注ぐと、なんと下着姿のメルカが俺と同じ布団の中に横たわっているのが見えた!
「うぅん……」
「っっっっ!?」
俺は驚きのあまり思わず叫び声を上げそうになったがどうにか耐え忍んだ。
どうしてメルカが俺の布団の中に潜り込んでいるんだ?
もしかしたらトイレか何かの帰りに、まだ酔いが醒めていないせいで自分の部屋と間違えて入ってきたのかもしれない。
いや、今はそんな理由など考えている場合ではない。
下着姿のメルカが目を覚まして叫ぼうものなら、どれほど面倒なことになるだろうか。
これは最悪パーティ壊滅まで発展しかねない事態だ。
どうする!?
旅が始まって以来、最大のピンチの訪れに俺の思考が急速回転し始める。
その時だ。
「うぅん、誰ぇ……?」
メルカの口から不吉な声が発せられ、彼女は目を擦りながら顔を上げた。
ヤバイっ!! メルカが目を覚ました!
俺は下着姿のメルカを見るわけにもいかず、どうすることも出来ないまま、目を閉じ膝を抱えてうずくまった。
「んん〜〜〜〜?」
未だに焦点が定まっていないのか、メルカは俺の頭を押し上げるとじっと見つめてくる。
優しい吐息が顔にかかり観念して目を開けてみると、視界にはメルカの柔らかそうな唇がゆっくりと近づいてきた。
「!!!!????」
たまらず視線を下に向けるが、メルカの控えめな胸が下着の胸元から見えそうになっていた!
さらに近づいてくるメルカの唇に、俺の小さな心臓は弾けそうになるくらいバクバクと音をたてる。
「……いや」
メルカが吐息まじりに言葉を漏らす。
き、気付かれたか!?
半ば諦めながらも俺は強く目を閉ざした。
「いやったぁ……。焼きたてのふかふかパンケーキだぁ……。いただきますぅ〜〜……」
そうとだけ言い残して顔を俺の胸に預けるようにしてもたれかかってくると、メルカは再び眠りについた。
彼女の幸せそうに開かれた口から、一筋のヨダレがこぼれ落ちる。
「……いったい、なんだったんだ?」
バレたらどうしようと心配に思う反面、心のどこかで甘酸っぱいアクシデントを期待していたのだろうか。
俺はメルカに何もされなかったことで、少し拍子抜けした気持ちになってしまい、しばらくの間虚しい気持ちに苛まれたのであった。
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