5話 覚醒
女神の姿が消え去った後、一人きりになった俺は特に何をすることもなく相変わらず空中をぷ〜んとフラついていた。
愛架を探して、か。
助けに行きたいのはやまやまなんだが、でも俺、蚊なわけで……。
しかも転生に失敗したせいか、前世の記憶も曖昧になってきている。
あの後、ナーシャ自身も誰かに狙われていると言っていた。
だが今は女神の心配をしてもどうしようもないので、彼女が僅かに言い残したことを反芻させながらこれから何をすべきか思案を巡らせた。
だが蚊になってやれることなど限られている。
あれこれ考えていると、目の前に謎のメッセージウィンドウが突然表示され、俺は思わず二度見してしまった。
「寿命が尽きるまで残り10日」
しばらくするとメッセージウィンドウにはすぐに消えてしまったのだが、確かにそう書かれていた。
マジかよ……。
転生する前は死を望んだが、生きた状態で死を告げられると絶望感が容赦なく襲いかかってくる。
寿命も蚊そのままなのか。っていうか蚊の寿命なんて初めて知った。
そしてさっきから視界にまるでゲームの中にいるようなウィンドウが表示されるのが気になって仕方がなかった。
視界の右下にはステータスを表示するようなアイコンがあるのに気付き、無意識にそのアイコンに意識を向けてみた。
するとRPGでよくみられるような自分のステータスを指し示しているようなHUDが視界を埋め尽くした。
そこには自分の寿命を指し示すステータスの他に耐久力、力、魔力、空腹度といった数値が表示されているのだが、とにかく軒並み低い。冗談抜きで低すぎる!
耐久力なんてたったの1だ。見た目通り蚊ほどのステータスしか存在しない。
ただ魔力のステータスだけは、ノイズが走ったような表示崩れが起きていて正しい数値がよくわからない。
ちなみに寿命は10日間からわずかに減っているように見える。
焦った俺はとりあえず自分の置かれている状況を確認するために今いる場所を飛び回って探索することにした。
さらに上昇して部屋の全体を見渡すと、自分の生まれた赤い液体が満ちていた場所は、豪華な彫刻が施された金色のどでかい杯であることがわかった。
そして辺りを飛び回ると部屋は円柱状でそれほど広くはないようなのだが、高さだけは結構あるようで、天井から降り注いでいる僅かな光の光源は見上げただけでは確認できなかった。
部屋の側面には城門のように巨大な扉があるが、大きすぎて人間一人の力だけでは開くことは難しそうだ。ましてや蚊となってしまった自分では完全に不可能だろう。
部屋の中央には四角錐台状の高い祭壇があり、祭壇の側面は石階段になって、その頂きには自分が生まれた赤い液体で満たされた杯が祀られている。
気になるのは祭壇を降りた所に、古い石棺がポツンと置かれていることだった。
これ見よがしに置かれているということはこの部屋を出る手がかりがあるかもしれない。というか余りにも何もない部屋なので、もうそれしか調べられる場所がない。
仕方なく石棺に近づいてみる。埃が被っていてかなり古い石棺であるのがわかるし、しばらく開けられた気配はない。
ため息をつきながら石棺の上に近づこうとすると、奇妙なことに石棺の像が歪んでノイズのようなものが走り、バシンと体が弾かれてしまった。
「な、なんだこれ……」
まるで何かバグっているようだ。
気にはなるがどちらにしろこの石棺にはこの部屋から出られる仕掛けのようなものが隠されているわけではないようだ。
これはもう完全に閉じ込められてしまっているな……。
どう考えても蚊が行き来できることを想定しているような部屋などではないのだから当然ではあるのだが、寿命があと数日で尽きようとしている状況から脱するためには、この部屋を出る方法を早急に考える必要がある。
そうこうするしているうちに、またもや空腹感が蘇ってくる。
寿命のことだけでなく飢えについても気にしなくてはいけないのか。
そういえば蚊って何食べるんだ。
たしか血を吸うのは雌の蚊だったよな。しかも飢えを満たす目的ではなくて生殖のための行為だったはずだよな。
そんな時、自分が幼虫だった時に、赤い液体を飲むと空腹が満たされたことを思い出した。
とりあえず生まれた場所に戻るとするか。あの液体がなんなのか分からないが、何かを補給しないと死んでしまいそうだ。
なんか赤いから血っぽいし、いちかばちか飲んでみることにした。
もはや力が入らなくなり、金色の杯についた頃にはもうヘロヘロと飛ぶことしかできなくなっていた。
ようやく赤い水面に到着し、ゼンマイの形で収納されたストローを伸ばして口をつけてみる。
「!?」
なんだこれ、幼虫の時には全然感じなかったんだが、一口飲むだけで体に力が満ち溢れていくような気がする!
すると視界に謎のポップアップ表示が浮かび上がった。
──攻撃スキル『無限並列魔法』を獲得しました。
エ、無限並列魔法だってぇ!?
なんか響きがチートスキルっぽいぞ! 一体どんなスキルなんだ!
──しかし、現在の身体では反動に耐えられないため発動不能です。
……は?
いや、発動できないなら意味ないだろ!
すると間髪入れずに次のポップアップ表示が表示された。
──移動スキル『神加速の羽』を獲得しました。
おお、便利系スキルか! これなら今の俺にでも……。
──しかし、現在の身体では高速移動によって生まれるエネルギーに耐えることができないため発動不能です。
……。
なんだよ、使えないスキルばかりじゃないか!
その後も無数のスキルを獲得していったが、どれもこれも余りに強力すぎて俺が使えないものばかりだった。
しかし最後に1つだけ獲得したスキルだけは違っていた。
──システム系固有スキル『異端審問』が解放されました。
異端審問 ??
なんだかよくわからないような単語を目にして、俺は僅かに首を傾げた。
ステータスを見ていると空腹が満たされたことはいいのだが、残念ながら寿命は伸びてはいない。
引き続き俺は自分が生き残る手段を探さなくてはならないようなのだが、さしあたって今回習得できた異端審問がどういった効果のあるスキルなのかを確かめることにした。
それがもしかしたら現状の打破につながるのかもしれないと、そう思ったからだ。
「でもスキルってどうやって使えばいいんだ……?」
視界にはそれといったアイコンは見当たらない。
必殺技を発動させるみたいにかっこよくポーズを取ろうとしてみたものの、体が蚊そのものなのでどうにも決まらない。
「ア、異端審問!!……異端審問ぅっ!!」
声に出して叫んでみたが、やはり何も起こる気配がない。
それから1時間後──。
色々試してみてようやくコツを掴むことができ始めていた。
スキルを発動するには魔力が必要になるらしくて、集中力を高め身体中に蓄積された魔力を強く意識することで発動が可能になるようだ。
そうと分かると俺は意識を集中させて、頭の中だけでスキル名を強く思い浮かべた。
異端審問……っ!!
すると部屋全体の輪郭が3Dソフトのポリゴンのように黄色いグリッドとして表示された。
……。
「って、たったそれだけかよ!」
あれだけ時間を浪費してスキルが使えるようになったというのに、それ以外のことは何も起こらなかった。
正直、拍子抜けだ。もうなす術もなくこのまま寿命を消耗させて朽ち果てるしかないのか。
そう思いながら金の杯からフラフラと出ると、祭壇の下にある石棺の輪郭だけが赤いグリッドで点滅しているのが見えた。
「なんだあれ。なんであそこだけ赤くなってるんだ?」
見るからに怪しい。
そう思いつつもゆっくりと近づいていくと、石棺の輪郭を覆っていた赤いグリッドがバリバリと音を立てて剥がれ落ち、それらが何かの形を作ろうとしているのがわかる。
その赤いグリッドは拡大と屈折を繰り返し、次第に巨大な蜘蛛のモンスターとなって具現化しようとしていた。
視界にはモンスターの名前らしきものが表示されているようだが、文字化けしていてなんと書かれているか分からない。
「……な、なんかヤバくないか」
凶悪そうな蜘蛛の姿をしたそれは、ギチギチギチギチ……と不気味な軋めきを漏らしながら複眼で俺を睨みつける。
「!! あぶねぇっ!!」
その瞬間、蜘蛛のモンスターはものすごいスピードで粘着性のある白い糸の塊を吐きかけてきた。
それを俺はほぼ本能だけで躱す。
蚊程度の速さでは、奴の複眼からは逃れることはできないようで、すぐに狙いを定められて怒涛の勢いで糸を吐きかけられる。
このままだといつかは捕らえられてしまう。俺は必死で安全な場所を探し続けた。
奴の攻撃から逃れるにはあそこしかない。
俺は攻撃をかわし続けながら天井目指して飛んだ。
奴の複眼でも、俺のように小さな存在は距離を取れればそう簡単に見つけることは出来ないだろう。
上昇すると思惑通り奴の怒涛の攻撃は緩み始めた。
しかし安心したのもつかの間、ズドン! という轟音と共にいくつもの瓦礫が上空から降ってくる。
「嘘だろ……」
気がつくと自分の真上に蜘蛛のモンスターの姿があった。
どうやら奴は壁に吐きかけた糸をクレーンのように巻き上げて、俺のすぐ近くにまで瞬間移動してきたみたいだ。
もうなす術がない。
終わった、何もかも……。
俺は心の中で奴に殺されることを覚悟した。
そんな時だ。
『下に逃げよ!』
と凛と澄んだ女の声が俺の頭に響き渡る。
その声に反応し俺は急速力で降下した。
すると真上で巨大な蜘蛛の糸の塊が高速に放たれていて、ギリギリのところで攻撃を避けることができた。
『どうやら妾の声が聞こえるようだな』
聞こえてくる声の正体は分からないが、俺に悪意はないようであった。
一体この声はどこから聞こえてくるのか。
『棺の中だ。ほれ、貴様のすぐ近くにあるだろう』
見てみると巨大な蜘蛛のモンスターが暴れたせいなのか、さっきまで石棺を塞いでいたバカでかい石の蓋が吹き飛んでおり、中が露わになっている。
覗いてみると白く美しい肌の美しい女性のような影が見える。
『不本意だが、貴様に頼みたいことがある。この妾を助けてほしいのだ』
助けるって俺は蚊だよ!?
俺に出来ることことなんて血を吸うことくらいしか……
『それでよい。この通り妾は魔力が尽きてしまい、この通り身体を動かすことができん。聖杯を飲んだ貴様が妾の血を吸うことによって血の契約が結ばれ、貴様から妾に魔力が提供されるのだ』
なんだよ、契約って!?
俺、今度はマリンアートの絵でも買わされるのか!?
『細かい話は後にせよ。薄汚い貴様がこの妾の身体から血を吸うことを許してやるのだから早くするがいい。でないと貴様はこのまま死んでしまうぞ』
確かに真上を見てみるとギチギチと体を軋ませながら巨大な蜘蛛のモンスターが近づいてくる。
もうこれ以上悩んでいる時間はない。
一か八かこの謎の声に従うしか生きる道はないようだ。
俺は意を決して石棺まで飛んで近づいて行き、中に横たわる人影の正体を確認しないままおもむろに白い肌に針を伸ばして差し込んだ。
「あっ……」
なんだか甘い吐息が聞こえたような気がする。
構わず俺は大理石のように白い素肌から血を吸い上げる。
すると自分のいる場所がわずかに上下するのを感じる。
なんだか自分の周りをよく見ると2つのふくよかで大きな丘のような所にいることに気づく。
ここはもしかして……。
ドンッ!
そう思った瞬間に轟音が鳴り響き、俺の小さな体は石棺の外に吹き飛ばされてしまった。
見上げると美しい黒髪の少女の裸体が宙を浮いており、黒くて禍々しいオーラを発していた。
「貴様、よりにもよって妾の胸から血を吸うとは下賎な奴め。まぁ貴様を咎めるのはこいつを葬ってからにしてやるから、そこでおとなしく見ておれ」
そう言うと少女は驚異的な速さで上空に跳ね上がり、軽く一回転し右足の踵で蜘蛛のモンスターを真っ二つに切り裂いた。
巨大なモンスターは断末魔を上げる間もなく事切れており、その体は黒い塵と変わり霧散しながら消えていった。
「ふん、目覚めの運動にすらならんわ」
魔力が尽きてしまった俺は、その声を聞いたのを最後にそのまま気を失ってしまったのであった。