43話 指名手配
エターニア王国から数十キロ離れた暗い夜道を一台の馬車が通りかかる。
深い闇を照らし続けていたランタンの油が尽きかけ始めたのか、その光が次第に弱まっていくのを見て、馬車に乗っていた行商人風の男が馬を止めた。
「ここいらが限界だな」
男は馬に水と干し草を与えながら、自分は荷台から毛布を取り出して就寝の支度に取り掛かり始める。
「もし、そこの商人様……」
「ひいっ!」
突然後ろから声をかけられて、行商人の男は悲鳴を上げる。
主人につられて嘶く馬をどうどうと鎮めながら振り向くと、そこにはみすぼらしい姿の老人が立っていた。
その老人はボロ布同然の衣服を身に纏い、顔はボサボサの白髪と髭に埋もれていてよく見えない。
ランプの灯りも尽きかけていることもあって、顔にかかる陰りが一層強まり、表情は読み取れないのだが、そのしわがれた声を聞く限り敵意自体はないようであった。
「なんだ、物乞いか。俺は聖職者じゃねーんだ。お前みたいな奴にくれてやる物なんてあるかよ。とっととあっちに行きやがれっ!」
そう言うと男は汚い物を払うかのように、手の甲でしっしっと振るいながら声を荒げた。
エターニア王国は女神を祀る宗主国というのもあって、物乞いの類は珍しくない。
彼らが道で祈りを捧げているだけで、信者たちからのお恵みにありつけるし、王国からの炊き出しも毎日のようにあった。
だから生きていくための物が必要なのであれば、こんな人里離れた場所で物乞いをするより、王国に行った方が簡単に手に入るのだ。
「いやいや、物乞いではないですじゃ。商人様は若いのになかなかの腕利きとお見受けする。どうかその荷台にある商品を少し見せてもらえませんかの」
そう言いながらも老人は馬車の荷台の中をおもむろにまさぐり始めた。
「ば、馬鹿野郎っ! 勝手に触んじゃねぇ!」
行商人の男は老人を荷台から引き離そうと掴みかかったが、その老人は背中に目でもついているかのように、するりと男の両腕を潜り抜け、次々に品物を物色し始めた。
「おお、これはなかなかの逸品。孫娘にぴったりじゃ」
老人は荷物の中から女性用の衣服を取り出し、まじまじと品定めをする。
「も、もう勘弁してくれ!」
泣きそうになりながら行商人の男は老人から服を奪い取ろうとするが、ひょいっと身を捩って躱される。
「やはりこっちの服の方がいいのぉ。商人様、どうかこの服を譲ってもらえないかの」
「ゆ、譲れだぁ? ふざけてんのかジジイ! 行商人が大事な商品を手放すわけないだろ!」
そう言いながら行商人は怒りを込めて拳を振り上げるが、目の前の老人は物怖じせず、ごそごそと懐から硬貨が入った袋を取り出した。
「まぁ、慌てなさんな。もちろん、タダでというわけではない」
老人は袋からおもむろに金貨1枚を取り出し行商人の目の前でチラつかせた。
すると途端に行商人の目つきが冷静なものへと変わる。
老人の手から金貨を取り上げるとランプの灯りで照らしながら慎重に確認する。
その硬貨の重さや叩いた時の音、印字されている刻印を見る限り間違いなく本物の金貨のようだが、服の価値を考えれば金貨1枚は法外だ。
「……お前みたいなこ汚ねぇジジイがどうやってこの金貨を手に入れたんだ?」
「それはじゃな、エターニア王国で物乞いをしていたら運良く金持ちの信者様が通り掛かられて、誰からも相手にされないワシを不便に思われたのか金貨をお恵みなされたのじゃ」
「……」
にわかには信じがたい老人のセリフを聞きながらも、行商人はしばらく金貨を弄びながら考えを巡らしていた。
この男が言っていることが嘘だったとしても金貨自体は本物だ。
服を売れば相当な利益を得ることになる。
が、行商人の男は金貨を老人に返した。
「悪いがその服は売れねぇな。それは一点ものなんだ。商会を通さずに品物の横流しをしたのがバレちまったら信用を失っちまう。信用は金では買えねぇんだよ」
「そ、そんな……」
行商人の冷たく言い放たれた言葉に、老人は力を失ってその場にへたり込んでしまう。
「ご、後生ですじゃ、商人様。どうかこの服をお売りください……」
老人は枯れ木のような肩を震わせながら泣きじゃくると、行商人の足元にすがりつく。
「鬱陶しいジジイめ! 別に意地悪で服を売らないわけじゃねーんだ。悪いことは言わねぇ、服は明日どこかの服屋で買いな。そうすればもっとマシな服が何着も買えるだろうよ」
「明日じゃダメなんじゃ……。明日の朝、ワシの孫娘が教会の給仕として働きに行くことになったのですじゃ。ワシは孫娘に何もしてやれなんだ。せめて、せめて綺麗な服だけでも用意してあげたいんじゃ」
そう言いながらも老人は涙でぐずぐずに濡れた顔を女性用の服で拭い始めた。
「あ〜〜〜〜〜っ! テメェ、人の商品に何しやがるんだっ! 汚ねぇ顔で拭くんじゃねぇ!」
行商人は老人の頭めがけて蹴りを放つが、突然老人は身体を起こしたためにその攻撃は空を切って行商人はひっくり返って尻餅をついてしまった。
そしてトドメと言わんばかりに、老人はびーーっと手に持った服で鼻をかんだ。
「わかった! わかったから、勘弁してくれ! 俺の負けだ! そんなの商品になりゃしねぇ、ちくしょうが! さっきの金だけおいてどっか行っちまえ、このクソジジイっ!」
「つ、ついでにこの食料もサービスで付けてもらえるかのう……?」
「ああ、もう持ってけこのコソ泥め! その代わり二度と俺の前に出てくるな!」
哀れ今度は行商人が泣く番になり、半ばヤケクソ気味になって腕を振り払った。
その拍子に行商人の胸元から丸まった羊皮紙が転がり落ちるのが見える。
「……これはなんじゃ?」
さっきまで涙で顔をぐしゃぐしゃにしていた老人はけろりと平静に戻ると、地面に落ちていた羊皮紙を拾い上げる。
それはクリスタ、アイシャ、シスター、ゼルの似顔絵が書かれた指名手配書であった。
ご丁寧にも人語を喋る蚊のイラストも一緒に掲載されている。
「それはエターニア王国で配られてた指名手配書だ。信じられないことにクリスタ姫が魔王の一味を城に招き入れて反逆を図って今は逃亡中らしい」
「そいつは物騒な……」
老人は金貨を行商人に渡しながら神妙な顔つきで羊皮紙を睨みつけた。
「それが本当かどうかは知らねぇが、どちらにせよエターニア王国にきな臭い風が漂っているのは確かだ。そうなるとここらあたりの治安が悪くなって商売どころじゃなくなるから、俺はこうして逃げてきたわけよ」
近くにエターニア王国があるにもかかわらず危険な夜道を商人一人で馬車を走らせていた理由に合点がいったのか、老人は深く何度も頷きながら羊皮紙を行商人に返した。
「間違ってもそいつらを捕まえようと思わないことだな。なんせ魔王の一味だ。相当の手練れじゃないと返り討ちに合うぜ。あんたも大事な孫娘がいるんだろ? 一緒に逃げた方がいいんじゃないか。知ったこっちゃねーけどよ」
──
「聞きやしたか? 旦那」
「ああ、もう指名手配が出回り始めているみたいだな。王国領を出るにしても脱出の仕方を考えなくちゃなぁ……」
行商人と別れた老人は、自らの白髪と髭におもむろに手で掴んで取り外した。
老人のカツラや付け髭の下から現れたのは、なんとゼルであった。
変装も盗賊の技能の一つで、七つ道具の一つである変装ツールを駆使して即興的に相手を騙すことができるらしい。
俺は怪しまれる可能性があったため、ゼルと行商人のやり取りを木陰で見守っていたのであった。
「こういうのは早さがキモでさぁ。時間が経てば経つほど抜け道を塞がれちまいやす」
「航路は真っ先に塞がれそうだしな。どうしたものか……」
航路か……。
そう言えばオルサの村に行く前に出会った少女、メルカという行商人も海の都市を目指すとか言っていたな。
『────あたしは海洋都市ティルニアに行くつもり。あそこには色んな国の商会が集まってるから、チャンスに事欠かないし。それに思わぬ収穫があったからね!』
確か彼女は別れ際にそうキリリンに言っていた。
なんとかメルカと商会をアテにすることも考えたが、そもそも彼女はキリリンの耳元に隠れていた俺のことを認識していないだろうし、もし俺からキリリンが死んだことを伝えられたら彼女はどう思うだろうか。
この世界で忌み嫌われた蚊の姿を見て、きっとキリリンの名を語る不審な存在として拒絶するに違いない。
「……まぁ、ここで悩んでいてもしょうがない。クリスタに着せるための服と当面の食料は手に入れたんだ。一旦みんなの元へ戻ろう」
「ええ、急ぎやしょう!」
こうして俺とゼルは夜の闇に身を潜めながらこの場所を後にした。
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