32話 連行
「う……ううん……」
ベッドに横たわっているキリリンが、僅かに呻き声を上げる。
「トウリさん! キリリンさんが気が付きましたよ!」
「なんだって!?」
アイシャの声に俺は慌ててキリリンの傍まで飛んでいくと、彼女の顔を覗き込んだ。
さっきまで土気色だった頬にわずかな赤みが差し込んで、ずっと顔色が良くなっているように思える。
「イシガミ……どこへ……」
キリリンの閉じられた目蓋から涙が溢れ出して一筋のしずくとなって頬を伝い、小さな唇からは「イシガミ」としばらく聞いていない自分の苗字がこぼれ落ちて、俺は思わず返事を返した。
「おい、キリリン! 俺はここにいるぞ!」
「イシガミ?」
キリリンの眼がゆっくりと開かれると、彼女の両目にうっすらと蚊の姿である俺が映り込む。
「キリリン、気がついたのか? 俺だ、イシガミトウリだ! 分かるか?」
ぷ〜んと羽音を立てながら俺は彼女に呼びかけると、しばらく虚であったキリリンの表情に僅かな感情が見えるようになり、なぜかワナワナと震え始めた。
「ええい、貴様じゃないわぁぁぁぁぁっ!」
「ぶうえぇぇぇぇぇっ!」
いきなりキリリンは目の前を飛んでいる俺にビンタを放ち、俺の体はそのまま部屋の壁に叩きつけられた。
「い、痛ってぇ……。 いきなり何をするんだっ!」
あまりのことでとっさに避けることが出来なかった俺は、へなへなと飛びならが抗議の声を上げた。
「それは妾のセリフだっ! 鬱陶しい羽音を立ておって……。それにしてもここはどこだ?」
キリリンは部屋を見渡すと、安堵の表情を浮かべるアイシャとバツが悪そうに笑いを浮かべるゼル、相変わらず無表情で佇むシスターの他に、数名の兵士を従えた赤い女魔導師の姿があった。
この魔導師は昨日、俺とキリリンが今いるオルサの街に立ち寄る前、ゴブリンやスライムに襲われていた一行の生き残りで、俺たちが助けた時は金髪の美女もいたはずなのだが、今はその彼女の姿は見えない。
「どうやら気がついたようだね……」
赤い魔導師は何故か嫌味めいた視線をきりりんに向けながらポツリと呟いた。
「貴様は、昨日の……」
「お、おい、貴様とはなんだ! この方はエターニア王国の……」
「いいから、ちょっと黙っててっ!」
「は、はいっ!」
キリリンの発言に慌てて兵士の一人が割って入ってくるが、赤い魔導師がピシャリと言い放つと、彼は身体をピンと立てて硬直した。
「そう言えば名乗ってなかったね。私はエターニア王国王宮魔導師の一人、ソアラ。このオルサの街に不穏な気配を感じたもんだから立ち寄ったってワケ」
「不穏な気配だと?」
それは異端に冒された町長が姿を変えた巨大アリから発せられた気配のことだろうか。
俺がそう考えていると、ソアラと名乗った魔導師は兵士が持っているハンカチを奪い取り、ツカツカとキリリンに近づいていく。
「そう。昨日の忌まわしき奇妙なモンスター達と同じ気配。それはもう消えちゃったんだけどね。だけど街の兵士たちがエターニア王家から盗まれたハンカチが店で売られようとしてたって聞いて、もしやと思ってきてみたらやっぱりキミたちだったんだ」
そうソアラは侮蔑混じりに言葉を放ちながら、キリリンの目の前でハンカチを突きつける。
「このハンカチは私たちを助けたときにくすねたんでしょう? さしずめあの奇妙なモンスターどもの襲撃もキミたちが仕組んだことよね」
「貴様、妾を侮辱するつもりか!? そのハンカチは貴様の主人から謝礼として受け取った物だ!」
「あの方がキミたちなんかに王家の紋章入りの品を贈るはずがないよ。たとえそうだとしても、お礼としてもらった物をいきなり売ったりする、フツー? それも盗賊が売りに来るなんて。まさかキミたちが盗賊とグルだったとはね」
「ゼル、貴様、妾の持ち物を勝手に売ろうとしたのか?」
ギロリと睨み付けるキリリンに、ゼルは小声でサーセンサーセンと手を合わせながら謝り倒す。そんなゼルの振る舞いを見て、アイシャは首を振りながら呆れて顔に手を当てた。
「あなたって人は……」
貰った報酬を売り飛ばすのはRPGではよくあることなのだが、どうやらソアラはこちらの言い分を聞くつもりはないようであった。
「事実はともあれ、王家の物が盗まれた疑いがかけられているのなら、このまま放免って訳にはいかないわね。外に馬車を用意して貰ったから、この場にいる全員、王都まで連行させてもらうよ」
不適な笑みを浮かべながら、ソアラは周りの兵士たちに俺たちを拘束するように合図を出した。
「や、やめろぉっ! はなせっ!」
「大人しくしろっ!」
兵士の一人に身柄を押さえつけられ、手枷を向けられたゼルは身を捩りながら必死の抵抗を見せる。
いや、お前は黙って捕まってろよ……。
「どうする、トウリよ」
「……」
キリリンと俺だけが逃げる事は他愛もない事だ。
しかしそうなるとハンカチが盗品でないことが証明できなくなるので、ゼルやアイシャ、ついでにシスターにかけられた疑いは晴れる事はない。
「……大人しく捕まるしかないな。でないとゼルたちは実刑を食らうだろう」
「……」
そんな俺の決断を理不尽に感じたのか、キリリンはじっとこちらを見つめてくる。
「な、なんだよ……」
「……いや、お前がそう言うのなら従おう」
な、なんだ? キリリンの態度が妙に素直すぎてなんだか拍子抜けしてしまう。
意識を取り戻す前に俺の名前を呟いていたが、何か変な夢でも見たせいなのだろうか。
キリリンは落ち着いた態度で両腕を兵士に差し出し、なされるがまま手枷を嵌められる。
「お前はここに入ってろっ!」
「な、なんだ!?」
突然俺はガラスの筒を被せられ、瞬く間に密閉させられた。
それは上蓋を回転させて空気穴が閉められたランタンであった。
「お、おい。せめて空気穴くらい開けておけよな!」
「知るかっ! 蚊風情めっ! そんなことしたらお前は逃げちまうだろうが!」
「くそ…」
俺はそう悪態をついてみせるが、そもそも蚊に空気が必要であるかは、俺自身わからないのであった。
なんか全身から空気を取り込んでいる感覚はあるのだが、全身に酸素を運ぶ必要がある人間の体と比べると、少量の空気で事足りてしまうのかもしれない。
こうして俺たちはシスターを含めて、檻付きの馬車に乗せられ連行されることになった。
「入れ」
俺たちが檻の中に入ると、兵士は乱暴に鉄格子でできた扉を閉めて鍵をかけた。
外はすでに夜が更けていて辺りは真っ暗だったのだが、住民たちの侮蔑に満ちた視線が俺たちに突き刺さる。
そんな中、アイシャはなんとも言えないような悲しい表情を浮かべながら、頭を膝で隠すように座った。
檻に入れられる寸前までイヤだイヤだとゴネていたゼルは、扉を閉められると鉄格子を掴んでわんわんと泣き叫んぶ。
キリリンとシスターは相変わらずあっけらかんとした態度でいたが、ゼルの情けない態度に腹を立てたのか、キリリンはゼルの背中に何度も蹴りを入れた。
「ええい、鬱陶しい男だっ!」
「痛いっ! やめてっ! あっ! あっ!」
ゼルの気色の悪い声を聞きいているうちに馬車は街を出て細いあぜ道に差し掛かる。
「静かにしてなよ。ここから王都まで丸一日かかるのだから、せいぜい身体を休めておくことね。この罪人」
ソアラが馬車と並走するように馬を走らせるとそう罵った。
「おい、言っておくけどな、俺たちはあのハンカチを金髪の女からお前に見られないように貰ったものだ。怪しいのはその女じゃないのか?」
俺の言葉にソアラはキッと睨み付けると語気を荒げてこう言った。
「何を言うの! あの方はエターニア王国の王位継承権第一位、クリスタ姫殿下よ! それ以上の暴言は許さないからね!」
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